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天山を越えて
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【この小説が収録されている参考書籍】
天山を越えての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.50pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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支那事変前夜の関東軍がブイブイいわしていた頃の満洲からシルクロードが舞台。 魅力的な舞台設定に加えて、現代(昭和56年)、小説「東干」発表当時(昭和35年)、そして物語中の時代(昭和8年)を舞台にした凝った三段構成の演出、なにより1983年の第36回日本推理作家協会賞を獲っているということで、なかなか期待を高めてくれる。 ところが主人公の衛藤は、鍾馗様ばりの髭を生やした魁偉な風貌だが、中身は極々平凡な人物。冒険という名称でイメージされる能動的なものは最初から最後までまったくなく、ただただ状況に流される一兵卒に過ぎない。 これは推理作家協会賞だけでなく、江戸川乱歩賞でも同様の傾向があるのだが、わたしの考える推理小説/探偵小説からは大きく逸脱してしまってる作品が多い。 たとえ僅かなりと「推理小説」の範疇にひっかけるならば、推理される謎がなければ話にならないが、本書で謎にあたるのは、前述したように“ひっそりと暮らしていた老人がある日立派な車に乗せられて姿を消した。なんで?”というところだ。しかし広くエンタメ小説ならば、読者のリーダビリティを稼ぐために、前半何らかの情報を伏せておいて後半に開示するというのは特別なことではない。むしろその要素がない小説は、一部のよくわからない私小説くらいでは? まぁ推理小説という特殊なジャンルが閉塞しないように、間口を広げることは悪いことではないので、冒険小説として面白いのなら文句はないのだが……。 | ||||
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