闘神
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友人から「日本人にもこんなに自由奔放に生きた人がいるなんて、、、子供なのにピストルを撃ったりするよ。」と言われて紹介された本です。 明治の終わりに宇和島伊達藩の六男ぼうとして生まれた伊達順之助の伝記です。 貴族院の国会議員である父の厳しい教育により男は1対1で正々堂々と闘うものだという信念に加えて、じっとしていられない子供のころのエピソードがとにかく凄いです。 父親にもらったピストルでチンピラを殺してしまったり、あまりお金がないのにふらっと朝鮮まで行ってみたり、友達と日本一周徒歩旅行に出かけたりなどなどです。 子供のころから大のけんか好きもあってか軍隊に入って朝鮮と満州の国境警備をしたり、中国(満州)自由軍を作って国民党と戦ったりします。 とにかく男気のある人で中国が好きで中国人に帰化してなんとかアジア圏がまとまって日本とうまくできるように行動を起こす波乱の人生です。 最後は、国民党に捕まって死刑となりますが、好きな中国の裁きで悔いなしといった最期はとても切なさを感じました。 | ||||
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主人公である伊達順之助に関しては、この本を読むまでどんな人か知らなかったが、満洲の馬賊の首領というイメージが強かったようだ。というのも、檀一雄が昭和31年に順之助をモデルにした小説「夕日と拳銃」を著してベストセラーとなり、すぐに同名で映画化され、映画もその主題歌「馬賊の歌」も大ヒットしたためと思われる。そして、あとがきで順之助の長男宗義氏が述べているが、順之助が追い求めたものとは明治の男たちが持っていた特有の夢やロマンであろうから、敢えて遺族も否定しなかったんだろう。 上海で処刑される直前に家族宛ても含めて4通の遺書を書いている。その一つが石原莞爾へのもので、彼とはよほどの仲であったことがわかるが、順之助が昭和史の中で未だに光が当たらないのは惜しい気がする。 | ||||
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「夕陽と拳銃」の影響で、「伊達順之助=馬賊の大頭目」というイメージを持っていた。横山光輝の名作「狼の星座」に少しだけ登場する順之助も、やはり馬賊として描かれていたように思う。 ところが著者は、順之助は馬賊になったことはなく、常に正規軍の将官であったと強調する。果たしてそうなのであろうか。 一般に正規軍とは、常備軍であろうが臨時編制軍であろうが、国家が任じた将兵の集団を指すものではなかろうか。朝鮮総督府の麾下に入っていた時期はそうだったかもしれないが、馬賊から軍閥となった張作霖軍の将として闘っていた時期や、自治聯軍を率いていた時期は、馬賊と何が異なるというのか。どうも著者は、始めに結論ありき式で史実に意味付けを行っているようだ。 また、当時の日本軍の指揮官は無能、大多数の日本人は無知蒙昧であるかのようにステレオタイプ的に描いているのも、如何かと思う。 まあ、気になる点はいくつもあるが、実在の大陸浪人を主人公として史実をベースに組み立てた冒険活劇として読めば、なかなか楽しめる。 | ||||
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私は伊達順之助をてっきり、満州馬賊の棟梁だと思っていましたが、ぜんぜん違っていて、びっくりしました。 それを期待して買って読んだのですが、裏切られましたが、裏切られて今では良かったと思っています。 著者の胡桃沢耕史の本は初めて読みましたが、前は清水正二郎というポルノ作家だったんですね。名前だけは知っていましたが。 でも、文章のひじょうにうまい人だなあ、と読んでいて感心しました。さすが、たくさん書き込んでいるだけあって、手慣れたものです。 伊達と聞いて伊達政宗を連想していましたが、四国伊予藩の伊達本家の流れをくむ、幕末の名君・伊達宗城の孫で、6男として生まれ、若いときから喧嘩では負けたことがなく、背も6尺あり、今でいう豪傑、日本には彼のようなスケールの大きい人間を受け入れる余地はなく、それで満州に渡り、中国に帰化し、名前を張宋援と改め、満州馬賊出身の張作霖の配下に入って、その片腕として活躍した。その張作霖は日本の河本大作によって爆殺されたのちは満州国軍の教育を任されて、その将軍になり、中国人を率いて満州の荒野を駆け廻り、その声明は中国全土に知れ渡った。 その名声に対する嫉妬心から、あることないこと言いふらされ、馬賊の棟梁だとか、そういう噂が巷に流布することになった。 でも、本人は実に清廉の人で、中国を愛し、また日本も愛した人で、その中国と日本が戦うようになると、そのはざまで苦悩することになった。 それで、中国でもない、日本でもない、中立の山東聯軍とかを作って中国人だけの独立国を作ろうとしたが、そこはやはり日本人で、壮途むなしく日本軍によって武装解除され、チンタオ・青島に隠棲させられた。 終戦後、戦犯として国民党に捕まり、戦犯収容所で中国人を多数殺害した反逆者として処刑された。 時に57歳。 明治の男らしく、夢とロマンを追う一生だった。 とうてい馬賊などではない、人でした。 読み終わって、涙が止まりませんでした。 いい本を読ませていただきました。 感謝です。 | ||||
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皆さんは「暁に祈る」事件というものを御存知だろうか? 戦後、当時赤化されていたウランバートル収容所で、捕虜に対して元上官であった池田重喜元曹長(収容所では吉村久佳という変名を名乗っていた)が身体が凍り付いてしまうような極寒の下、樹に縛り付けたというリンチ事件である。しかし、これは朝日新聞による誤報であった。そんな事実は一切無かった。最高裁判所はそれを認めなかったが、左傾化した裁判官に歴史問題を云々というのはお門違いである。 本書の著者である胡桃沢耕史は、ウランバートル収容所での実体験を基にして「黒パン俘虜記」という小説を書き上げ、直木賞を受賞した。その中では「暁に祈る」事件にももちろん触れられている。しかし、もう一度言うが、これは誤報であった。あくまで「黒パン俘虜記」はフィクションであり池田元曹長も仮名とされているが、ズタズタに名誉を傷付けられた池田元曹長には余りにも酷い仕打ちである。こんな作品に賞を与えた選考委員もどうかしている。 全く関係無い事を長々と書いてしまったが、本書にも「黒パン俘虜記」と同じような匂いがする。戦前が一体どのような時代であったのかという説明が入ってくるが、著者の前歴を考えると信用が置けない。伊達順之助の事も持ち上げっ放しである。伊達がどんな事をしても、胡桃沢は躍起になってそれを正当化する。今と時代が違うとはいえ、伊達政宗の直系の子孫であるとはいえ、例え友人を救うためとはいえ、10代で人殺しをし、それを一切気にも留めないというのはどうだろう。これは性格異常者ではないのか? 最後には満洲に渡り馬賊となり張学良を行をともにし戦犯として処刑されるのだが、私には彼にロマンチシズムなどは感じなかった。ただの大陸ゴロである。解説を伊達の子息が書かれている事を考え合わせると、本書を伊達のヨイショ本に仕上げたのは当たり前の事なのだろう。 | ||||
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