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砦なき者
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砦なき者の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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早くて綺麗な状態で届きました | ||||
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Very nice | ||||
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「私は今日殺されるので、その殺人犯を告発してほしい」と、とあるテレビの報道局に連絡があるところから話が始まる。 しかしその手掛かりになる氏名や住所は教えてくれない。 死後に、タイマー設定したFAXで住所は教えてくれる。 単なる狂言か、それとも真実か。 もし真実なら、このニュースを殺人が起こる前に世間に知らせ、犯罪を未然に防ぐべきか。 それとも相手の希望通り、その死を確認したのち、その犯人を突き止め告発すべきなのか。 時間が迫っており、電話を受けたディレクターは決断を迫られる。 メディアの正義や倫理、そして責任と限界は何かをいきなり突きつけてくる。 この本は3つのエピソードを通して、メディアと大衆の関係性について、我々に問いかけてくる。 圧巻だったのが最後のエピソード。 情報によって大衆を被害者にでも加害者にでも作り上げてしまうメディアの狂気を知った、ある青年の復讐劇が始まる。 悲劇の主人公を演じることで一躍脚光を浴び、メディアに露出する中で、一人のカリスマヒーローに上り詰めていく。 それは次第に狂信的なファンを作りだし、暴走を始める。 しかしそのカリスマヒーローには裏の顔があり、それを知ってしまった人、迫ろうとした人に死が訪れる。 他の人のレビューには、このあたりが荒唐無稽であるとネガティブな論調が散見される。 確かに唐突感があるといえばある。 とはいえ、時間が経ったあとから見れば荒唐無稽な事でも、情報によって作り出された空気感やムードによって、 当時の人々が、理解不能な方向に流されてしまうというのはあるのではないだろうか。 特に今は情報が氾濫する時代。 その中でメディアは情報を取捨選択し、抜粋して、自らのフォーマットにはめ込んで我々に伝えてくる。 その取捨選択や抜粋を行うのは人間である。 それぞれの価値観や使命感、または欲望や悪意(この本ではマリスと呼び度々顔を出す)の影響を受けてもおかしくない。 その結果、ねつ造や情報操作による報道被害につながることもある。 このメディアによって生み出された狂気が、メディアという砦にこもる人々に牙をむき、狂気の怒涛の中に引きずり込む。 かつてと違い、今は誰もが情報を世間に発信できる時代になった。 その取扱いを間違え炎上する事件も頻発している。 我々は情報の持つ力を軽視していないか。 それを強く問いかけてきている気がしてならない。 | ||||
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いつも僕はマスコミを第四の権力と呼び、その暴力と自省なき行動や一般大衆に対する無責任極まる世論操作に辟易 としている。特にそのマスコミの先端にいるのはテレビ業界である。テレビの脚本家として育った野沢も多分同じような反省 に立って、前作「破線のマリツ」を書き、それをさらに発展させてこの作品を書いたと信じている。主人公の八尋は、マスコミ の無責任さで父を自殺に追い込まれるという過去を背負っている。ただ、彼は一般大衆のようにそのことを一瞬の出来事 ととして忘れるのではなく、本来の怪物性を刺激し、母を殺し、やがてマスコミを利用して、マスコミの寵児となっていく。 彼がやがてカリスマとなって、若者の教祖なって行く過程が恐い。マスコミが作り、育てた怪物。やがて彼は死ぬことになるが 厄介なことに彼は死んでますますそのカリスマ的存在を際立たせるという予兆で本作は終わる。決して、作り物で、ありえない 物語ではないという恐ろしさに満ちた作品だ。この作品をマスコミはどう捉えるのか。というより、作品の中にある本当の 化け物は「大衆の総意」という捕らえようのないものであり、これを相手にしている限りは常に人間は訳の分からないもの によって操作される運命にあるのかもしれない。 | ||||
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テレビの世界、報道の裏側を描いた『破線のマリス』の事件から3カ月後という設定で、 同じく首都テレビの看板ニュース番組「ナイン・トゥ・テン」の制作現場が舞台になっています。 「ナイン・トゥ・テン」が報じた女子高生の売春についての特集が元で、 一人の女子高生が自殺に追いこまれた。 バッシングを受け番組を降板したキャスターの長坂は、自殺した女子高生の彼氏と名乗り、 世間の同情からカリスマ的な人気を集め始めた八尋樹一郎という人物に疑惑を持ち、 「ナイン・トゥ・テン」のスタッフ・赤松と共に、八尋の身辺を探り始める。 若者を煽動し、メディアを席巻する八尋の目的と、隠された過去とは。 といったストーリーなのですが、伝わってくる緊迫感がすごい。 ただ、八尋樹一郎はメディアから生まれた若者のカリスマという設定なのですが、 そこに至るまでの描かれ方が薄い気がするのと、 彼のメール1つの命令で、殺人まで犯すような狂信者が出てくる背景もあまり詳しく書かれてないので、 なんかリアリティに欠けるかなという印象。 野沢さんが亡くなる2年ほど前の作品なのですが、縊死のシーンが頻繁に出てくるのが痛々しい。 邪推だと思いつつも、過剰に悲哀を感じてしまいます。 | ||||
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ドラマを観て原作が読みたくなり購入しました。ドラマとは内容がやや違いますが、ドラマで演じられた俳優が台詞を言っているように感じ、違う意味で怖さが倍増しました。1人の青年がある事件報道をきっかけにメディアのカリスマとなり最後には神となる…。丁寧な心理描写で素人の私でもわかりやすく著者の他の作品も是非読んでみたいと思います。 | ||||
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設定は「破線のマリス」を踏襲している。しかし、構成はひとひねりしてあってドラマチックさはそれを上回る。はじめの2章はそれぞれが単独の短編としても成り立つ出来で、それぞれの章の終わりに本題の伏線がはられていて、ただのサスペンスではないことを予感させる。テレビというメディアに潜む危険性が示されてている。フィクションとして片付けられないリアルさを感じるのは、筆者がテレビ界を知り尽くした者だからだろう。「破線のマリス」とともにメディアに携わる人には是非読んで欲しい。 | ||||
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マスコミを糾弾することによって成り上がった男と、マスコミとしての使命とプライドをもった男たちの戦いは読み応えがあった。また、報道局としての倫理や報道のあり方など、細かい部分も描かれていたためリアリティがあった。 | ||||
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最初は連作短編に面白い間奏が入っているなと思っていたが、後半ではその間奏が逆転して主旋律になっていくという構成だ。それに気づいたときに、まず「やられたなぁ〜」と言う感じだった。 ストーリーは「破線のマリス」と同じテレビ局で、登場人物たちはそれを過去の事実として受け止めている。しかし、独立して読んでも特に支障はない。前作ではテレビの番組作りのプロセスが中心となっていて、そこがもの珍しかった。前作のテーマがマスコミの内部での操作が及ぼす影響の怖さとすれば、本作品はマスコミを外部から攪乱、利用することの可能性という怖さがテーマと言えようか。取材する側がされる側に翻弄される様が面白い。 取材するテレビ局側の人間が「砦に守られている」という表現が出てきてタイトルにつながるわけだが、企業の中にいると気づかないうちに企業の論理や制約の中で行動することで外部から見るとそれが「あたかも砦に守られているようだ」という意味だ。しかし戦いは企業や組織同士から、組織と個人の戦い方へと様相を変えていく。そんなとき個人が使えるのはゲリラ戦的な戦術だ。しかしいつの間にか砦から離れた組織の人間の方がゲリラ的に活動するようになるなど、ここでも主従の関係がいつの間にか逆転している。このような立場の入れ替えが本作をよりスリリングにしている。 そして全体から感じるのは、マスコミの一員である著者の「マスコミの責任」に対する想いだ。これはこの作家の根幹にいつも感じられる。 | ||||
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以前のTVドラマが深く印象に残ったので、改めて読み 直しました。 八尋がカリスマ化していく過程には多少無理がある面も 否めませんが、それを補って余りある迫力が感じられる 作品だと思います。 また、主人公やその部下達の報道にかける意気込みやプ ライドは、低俗なバラエティばかりの今の日本のマスコ ミ(特にテレビ)関係者には是非見習ってもらいたいと 感じさせるものでした。 | ||||
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テレビドラマの脚本家、野沢尚ならではの作品。 報道や取材に関する描写が丁寧で細かい。 そしてそこで起こる人間関係の力学に始まり、 報道被害、そしてテレビが作り出す「カリスマ」の姿が、 克明に描き出される。 「破線のマリス」の延長線上にあるこの作品は、 テレビを含むメディアの恐ろしさを自覚した 一人のテレビマンからの警鐘と言えるだろう。 つくづく、惜しい作家を亡くしたものである。 | ||||
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テレビドラマの脚本家、野沢尚ならではの作品。 報道や取材に関する描写が丁寧で細かい。 そしてそこで起こる人間関係の力学に始まり、 報道被害、そしてテレビが作り出す「カリスマ」の姿が、 克明に描き出される。 「破線のマリス」の延長線上にあるこの作品は、 テレビを含むメディアの恐ろしさを自覚した 一人のテレビマンからの警鐘と言えるだろう。 つくづく、惜しい作家を亡くしたものである。 | ||||
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■砦なき者 野沢尚 講談社文庫この作品は、4つの短編で構成されている。しかし、それぞれが互いに関連性を持つため、連作と言っていいだろう。舞台は、これより先に発表された「破線のマリス」と同じテレビ局で、報道の有用性と放送被害とのあいだのジレンマを取り上げるモチーフも一緒だ。著者も脚本家というテレビ側にいる人間のひとりとして、またひとりの小説家として、連綿とつづくであろうこのテーマをより深く掘り下げてみたかったのだろう。最終的に、サスペンス色を濃くしたため、物語が過大になってしまった感があるが、報道に携わる者の気概を示すところへは到達している。前述したが、この作品は「破線のマリス」の延長上にある。この作品をより愉しむためにも、そちらを先に読むことをおすすめする。また、この作品は、2004年に映像化された。 | ||||
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テレビというメディアが、八尋のような邪悪な怪物を作り出し育ててしまった。彼はメディアを利用し、自分自身をカリスマ的存在にしてしまう。彼を敬い慕う若者たち。それは一種の洗脳のようで、読み手をぞっとさせる。テレビが映し出すのはあくまでも表面的なものだ。内部にどんなものを抱えていようとも決してさらすことは出来ない。視聴者はある一面だけを見て、それがすべてと思い込んでしまう。悪意があれば、テレビを通して視聴者をだますことさえ出来る。架空の話だと思いながらも、読んでいて恐怖を感じる。こういうことが現実に起こりうる可能性があると、心のどこかで思っているからに違いない。メディアの持つ危険性を見事に描ききった作品だと思う。 | ||||
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ドラマ化をきっかけに手に取りました。スリリングな内容、展開に一気に読み進みました。パソコン、携帯メールなど若者の間で必需品のツールを巧みに使う手腕には、さすがという感じです。が、そのツールが、ここまで若者を先導するものだろうかと疑問も持ちました。マスコミ、特にテレビから伝わるものには、すぐに頷く傾向は確かにあります。鵜呑みにしてはいけないということを伝えたかったと思うのですが、一方で、メールという目に見えない手段で繋がることの恐ろしさも感じました。 | ||||
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ドラマのCMを見たときに何となく見てみたいと思い、見てみたところ、ラストの斬新さと衝撃とでぜひ原作を読んでみたいと思って読みました。原作者が脚本をしているので、比較的忠実なドラマでしたが、やはり原作とドラマとでは多少の違いはありました。ラストも微妙に異なっているので、ドラマを見て興味を持った方はその違いを比べながら読むと楽しいかも。 | ||||
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登場人物の心理描写が良いです。作者が亡くなってしまったのはショックでした。 | ||||
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