砦なき者
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砦なき者の総合評価:
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全2件 1~2 1/1ページ
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「破線のマリス」で登場した首都テレビを舞台にした作品で、遠藤瑤子が収監された後の首都テレビを描いたほぼ続編です | ||||
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映像化もされていますが、小説から読んでほしいです。 | ||||
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早くて綺麗な状態で届きました | ||||
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これはテレビを見るやつは阿呆揃いである、って前提で書いてない?我々大衆は阿呆は阿呆でもここまで阿呆じゃありません。 | ||||
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Very nice | ||||
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最初に短編風の短い話が2つあり、 次に中編の話が乗っているという珍しい構成の小説です。 最初の短編2つは面白かったんですが、 他のレビュワーさんも書いている通り、3つ目の中編はイマイチという感じでした。 八尋という若者がカリスマ性を利用して若者たちを自分の都合が良いように操っていくストーリーですが、 若者が八尋に心酔していく過程の描写がかなり浅はかで、納得いきません。 八尋が恋人が殺されたといってテレビの前で涙を見せるだけで、 若者たちが八尋の命令で人殺しでも何でもする八尋の傀儡になっていくという流れは、無理矢理すぎです。 その後も、八尋は事ある度にテレビの前で泣きますが、 そんなにテレビの前で頻繁に泣いたら、かえって反感買いそうなものですが・・・(どこぞの県議みたいに) 若者たちがカルト教団の狂信者みたいになっていく過程が、この小説で一番大事なところだと思うのですが、 根拠が不十分なので、中盤~終盤にかけて「若者たちがこんな風になるかな~?」とずっと疑問を感じっぱなしです。 あと、警察を何もしない無能として描きすぎです。 八尋を中心に関係者が死にまくってるのに、まったく捜査しないのは不自然です。 とある人物が森で殺されたときも、胸に打撲傷があったというのに警察は自殺と認定するのはおかしい。 普通なら検視官が打撲傷を見つけ、殺人事件として捜査を始めると思うんですが・・・。 登場人物についても、警察にはまったく連絡しないのに、テレビの人間にだけ連絡するのは変です。 登場人物が一人でも警察に連絡すればすぐ事件は終わってしまうので、 ストーリーを引き延ばすために、誰も警察に連絡しないという展開をにしているのでしょうけど、さすがに不自然過ぎです。 その理由として、警察は信用できない的なことを言ってたような気がしますが、 一般人である私からすれば、テレビよりも警察のほうが信頼度は高いです。 著者は、テレビの力によって一人のカリスマが若者を悪へ扇動する恐怖を描きたかったのだと思いますが、 それを描くために無理矢理なストーリー展開が多いという印象でした。 著者がテレビ関係者だっただけに、テレビの力を持ち上げたいのは分かりますが、 別にテレビはそこまで影響力はないと思います。 | ||||
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「私は今日殺されるので、その殺人犯を告発してほしい」と、とあるテレビの報道局に連絡があるところから話が始まる。 しかしその手掛かりになる氏名や住所は教えてくれない。 死後に、タイマー設定したFAXで住所は教えてくれる。 単なる狂言か、それとも真実か。 もし真実なら、このニュースを殺人が起こる前に世間に知らせ、犯罪を未然に防ぐべきか。 それとも相手の希望通り、その死を確認したのち、その犯人を突き止め告発すべきなのか。 時間が迫っており、電話を受けたディレクターは決断を迫られる。 メディアの正義や倫理、そして責任と限界は何かをいきなり突きつけてくる。 この本は3つのエピソードを通して、メディアと大衆の関係性について、我々に問いかけてくる。 圧巻だったのが最後のエピソード。 情報によって大衆を被害者にでも加害者にでも作り上げてしまうメディアの狂気を知った、ある青年の復讐劇が始まる。 悲劇の主人公を演じることで一躍脚光を浴び、メディアに露出する中で、一人のカリスマヒーローに上り詰めていく。 それは次第に狂信的なファンを作りだし、暴走を始める。 しかしそのカリスマヒーローには裏の顔があり、それを知ってしまった人、迫ろうとした人に死が訪れる。 他の人のレビューには、このあたりが荒唐無稽であるとネガティブな論調が散見される。 確かに唐突感があるといえばある。 とはいえ、時間が経ったあとから見れば荒唐無稽な事でも、情報によって作り出された空気感やムードによって、 当時の人々が、理解不能な方向に流されてしまうというのはあるのではないだろうか。 特に今は情報が氾濫する時代。 その中でメディアは情報を取捨選択し、抜粋して、自らのフォーマットにはめ込んで我々に伝えてくる。 その取捨選択や抜粋を行うのは人間である。 それぞれの価値観や使命感、または欲望や悪意(この本ではマリスと呼び度々顔を出す)の影響を受けてもおかしくない。 その結果、ねつ造や情報操作による報道被害につながることもある。 このメディアによって生み出された狂気が、メディアという砦にこもる人々に牙をむき、狂気の怒涛の中に引きずり込む。 かつてと違い、今は誰もが情報を世間に発信できる時代になった。 その取扱いを間違え炎上する事件も頻発している。 我々は情報の持つ力を軽視していないか。 それを強く問いかけてきている気がしてならない。 | ||||
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