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(短編小説)
天狗
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天狗の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.25pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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雰囲気と、文章に癖のある作品となっています。 時代を感じるのはまあ否めないです。 一応探偵小説ものなのですがどちらかというと黒い何かが メインになるかもしれません。 表題作からなかなかのパンチとなっております。 いわゆる復讐物なのですが 嫌な相手を死に至らしめるまでの手段が強烈なのです。 それを思い浮かべるだけでもなかなかシュールだったりします。 他には装置付き殺人平気なんて言うのもあったり… 装置ものが多かったりしますし ある身近なものを用いた完全犯罪もあります。 癖ありなのでそこのところは… | ||||
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創元推理文庫の担当者の方にお礼申し上げたい。ハードではなく文庫で復刊されたことに。こういった類の書籍の「待望の復刊!」となるとほとんどがハードカバーだから。 お嫌いな方もいるようだけど、私は「天狗」の一連のばかばかしさ、好きだなぁ。秋の青空のようないっそ清々しい突き抜けるほどのお馬鹿さ加減(褒め言葉)。こういう心理って、なかなか今の作家には書けない。安っぽい復讐だのなんだの、つい先日も安っぽい復讐が描かれた作品を読んだばかりで鬱になっていたところ、この作品が吹き飛ばしてくれました。 他の短編も私の想像の斜め上を小数点の角度で裏切ってくれる。「花束」とか「髯の美について」とか。「髯の~」は、はいはいはいはい、そういうパターンね、と読んでいると、最後の一文に見事に裏切られ、登場人物の行動がすべて反転する美しさ。 あ~、こういう作品がもっと読みたい。まだ二冊目だから、あと二冊、大事に読もう。 | ||||
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大坪砂男といえば和田六郎、谷崎潤一郎の最初の妻千代と結婚しかけた男で、谷崎の「蓼喰う蟲』にもその変名だけが登場する、ということで知っていた。さてそのデビュー作にして代表作が「天狗」というやつであるらしいというので読んでみたが、「はっ!?これで終わり?これが代表作?」という感じであった。アホらしいというか、バカバカしいというか。 | ||||
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表題作の天狗がおもしろい。妙に説得力のある奇妙にねじれた論理展開と実行までの経緯に、とんでもないオリジナリティがある。都筑道夫さんの筋から購入しました。両人とも文壇からまったく相手にされていませんが、ファンの多い作家ですね。 | ||||
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全集2は奇想篇と時代篇から成る。 奇想篇はいきなり「天狗」から。情緒に憧れる論理、論理に憧れる情緒。純粋な想いが捻じれた論理で綴られる独特の世界にどっぷりと浸かる。ミステリーというと追いまくられるように読むことが多いのだが、じっくりと読み込みたいという気持ちを強く感じる。 時代篇は著者ならではの解釈・発想・論理展開の面白さを味わいつつ、いまの自分/そうなりたい自分/他者が捉えている自分の狭間で主人公が悩み苦しむ姿が著者と重なるようで、とても興味深く読んだ。 全集2では旧版全集第二巻月報掲載のエッセイや追悼文などが所収されており、大坪の人となりや「天狗」という作品の価値がよくわかる。なかでも中井英夫が大坪の芯の脆さ・ひよわさに触れているところに目が止まった。「きみは筋を立てることはできるが、描写ができない」と大坪が佐藤春夫に言われたと都筑道夫の文にある。その一言を受け流すことのできない真面目さ、乗り越えることのできない弱さが大坪作品の独自の世界を作り出してきたのか。 | ||||
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一口に「狂気」または「錯乱」と言っても、その症候は多種多様なものであるのは間違いありませんが、最大公約数的な共通点として「我を見失っている状態」と、取り敢えずは定義する事が出来るでしょう。そしてこの定義を小説における叙述の技法と関連付けて考えたとき、大きなアポリアとして浮かび上がってくるのが「如何にして“一人称”の語り手の狂気は描き得るのか?」と言う問いに他なりません。 ただ内面の荒れ狂うに任せた独白をそのまま描いてみても、単に作品の破綻に終わるのは明らかですが、しかし他方で『私は錯乱している』などと語り手に語らせても、『私は…』と語る行為自体が、客体化した自己を観照する、それなりに理性的な振る舞いである以上、それでは狂気を描いた事にならないのも、また自明だからです。 したがって錯乱した内面をただ垂れ流すにしても、またその内面をつぶさに描写する語り手を登場させるにしても、いずれにせよ上記の問いへの十全な解答には成り得ません。 では、狂気や錯乱に陥った一人称の語り手を、リアリティをもって小説上に具現化させる事は不可能なのでしょうか? 実はこの問いに破格の手法をもって応じたのが、本作『天狗』に他なりません。 本編を読み始めて間もなく、多くの読者が常軌を逸した展開に戸惑いながら、それ以上に叙述の歪みに強烈な違和感を覚えると思います。 そう、明らかに一人称の語り手の視線で描かれているにも係わらず、この作品には自身を指し示す代名詞(『俺』『私』など)が一切出て来ません。自己の思考や行動を客観視できない“我を見失った状態”が、理性のメルクマールである一人称代名詞の不在と言う形で示されているのです。 ともするとトリックばかりに注目が集まりがちな本作ですが、個人的にはトリック云々など瑣末な事。この作品の真価は、あくまで叙述の水準において狂気を表現し得た、その一点にあると思います。 | ||||
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奇想小説編と時代小説編。もっとも”奇想小説”の方は実際にはどの分類にも当て嵌められられないものだそうだが、それにしても、著者の出世作かつ代表作の「天狗」が、ここの分類に入っている・・・と云うのが、大坪砂男と云う作家が如何に一筋縄で行かない作家であるのかを示している。なお、この分類に入っているものの中には実験作と云うり著者に迷いがあって中途半端に書き上げてしまった・・・ものも含まれている気がする。時代小説編の方は想像力の赴くままに自由奔放に書きまくった感じで、何処か窮屈な感じの奇想と比較すると伸び伸びとしていて、読んでいて楽しい。作者自身、楽しんで書いているのだろう。 筆を絶ってからは原案を売っていたと云うが、著者と同じく佐藤春夫の弟子だった柴田錬三郎に売っていたとは・・・「幽霊紳士」がそうで、「眠狂四郎」も二編そうだったとか、初めて知った。 | ||||
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収録作品 第一部 奇想篇 「天狗」 「盲妹」 「虚影」 「花束」 「髯の美について」 「桐の木」 「雨男・雪女」 「閑雅な殺人」 「逃避行」 「三ツ辻を振返るな 「白い文化住宅」 「細川あや夫人の手記」 第二部 時代篇 「ものぐさ物語」 「真珠橋」 「密偵の顔」 「武姫伝」 「河童寺」 「霧隠才蔵」 「春情狸噺」 「野武士出陣」 「驢馬修業」 「硬骨に罪あり」 「天狗」(初稿版) 「変化の貌」(「密偵の顔」異稿版) 文庫版全集第二巻。 第二次大戦後の日本ミステリにおいて唯一無二の存在を占める傑作短編「天狗」だけでも大坪砂男は永遠にその名をとどめるだろう。偏執狂が企てた超論理の完全犯罪の顛末・・・シュールとリアルが奇跡的なバランスで両立しているこのユニークな掌編の魅力は一読して実感してもらう他ない。 「髯の美について」や「閑雅な殺人」の新青年派の作家たち(例えば渡辺温や城昌幸)に通じる叙情とペーソスも捨てがたいものがある。 時代小説の代表作「密偵の顔」は山田風太郎の忍法物を先取りしたような奇想短編。ここでも文体の尋常ならざる緊密さが凡百の時代小説にはない凄味を与えている。 成功作は当然、失敗作においてさえ切に感じられる文体や語り口への拘りは果たして娯楽小説家として著者を幸せにしたのか、どうか・・・。 巻末の資料、解説も相変わらず充実。伝説の書評誌BOOKMANに掲載された(おそらくは)瀬戸川猛資による弟子 都筑道夫へのインタビューはとりわけ貴重であろう。さらに皆川博子氏のエッセイはそれ自体が奇譚めいてまことに面白い。 単行本未収録であった商業誌デビュー作「ものぐさ物語」や初稿版「天狗」の収録に至るまで、この配慮の行き届いた編集には敬意を払う他ない。 | ||||
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