■スポンサードリンク


赦しへの四つの道



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
赦しへの四つの道 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

赦しへの四つの道の評価: 5.00/5点 レビュー 2件。 -ランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点5.00pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全2件 1~2 1/1ページ
No.2:
(5pt)

タイトルにはちょっと違和感(ネタバレ有)

ル・グィンの作品のタイトルにイチャモンをつけるなんておこがましいとは思うけれど・・・
 『赦しへの四つの道』というタイトルは詩情に満ちていて恰好良いと思う。しかし、読了後、“赦しの方法”って一体何だったのだろうと考えてしまった。
 確かに第一篇には登場人物が自分自身の裏切りを自分で許す場面があるが、思い当たるのはそこだけ。収録されている四つの中篇で語られているのはそれぞれ相手(何か)を赦すことではなく、相手(何か)を認めることではなかったか?自分とは違うと考えていた他者(自分とは性別が異なる“彼”)と、接触し、認識し、理解していく中でシンパシーを感じ(共感し)、他者の中に自分と同じものがあることに気付いて、他者(彼)を受け入れるようになっていく。その四つの物語ではないだろうか。

 第一篇「裏切り」は、娘一家がハインに向かって旅立った後、一人で田舎に隠遁していた主人公であるイェイオーウェイ人の初老の女性教育者ヨスが、自分とは縁も所縁もないと思っていた隣人の引退した男性汚職政治家アバルカムが、自分と同じように悩みを抱えた弱い人間だということに気付いて魅かれていくが、彼の方も同じように思っていたという話。終盤では、主人公が、この事件によって自分で自分を罰していたことに気付き、隣人と併せて自分も許すように変わっていくという変化が描かれている。

 第二篇「赦しの日」は、ウェレルで最大の国家ヴェオ・デイオに生まれて徹底的な男性優位と厳格な慣習の下で育った主人公の男性軍人テーイェイオが、エクーメンからウェレルの従属国であるガーターイー神聖王国に派遣された若く自由奔放な女性外交官ソリーの護衛任務を命じられる。二人は共に相手に激しい不満を持っていたが、テロリストに拉致されて監禁生活を送るうちにお互いを認め合うようになり、男性の方が女性を支える形で生涯を共にするようになるという話。中盤、二人を結びつける役として“古い音楽(オールド・ミュージック)”が登場する。

 第三篇「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」は、ハインで生まれて、教育を受けながら自分の道を探していた男性の主人公ハヴジヴァが、ウェレルとイェイオーウェイに派遣されて見分を広めるうちに現地の人々に共感して、エクーメンの外交使節になることを選択するという話。前半でストーリーの背景として惑星ハインの社会とハイン人の歴史が語られる。評者は、これまで〈ハイニッシュ・サイクル〉の物語を読んできたが、ハインについての記述は初めて読むような気がする。その歴史記述には理解できないこともある。“古い音楽(オールド・ミュージック)”と“ドクター・イェロン”が登場する。

 第四篇「ある女の解放」は、ウェレルで女奴隷として生まれた主人公ラカムが、奴隷解放の機運の高まりの中で機会を得て自由を手に入れ、教育を受けて、女性解放運動に参加して自己を確立し、エクーメンの外交使節ハヴジヴァとの愛を成就させるという話。“古い音楽(オールド・ミュージック)”、“ソリー”と“ドクター・イェロン”が登場する。

 それぞれの話では、設定として主人公を取り巻く環境の中に対立が明らかなものもあるが、ストーリーとしては、赦しによる直接的な対立の解消というよりはむしろ、主人公の周囲に存在する精神的な障壁を克服する話が中心となっており、その過程にあるのは“赦し”ではなく“共感”又は“認め合うこと”だと思う。

 解説には、本書は作者の過去の作品に対するカウンターパンチだと書かれているが、評者は本書を一読後、『所有せざる人々』の舞台を使って描かれた『闇の左手』のような物語だなと思った。
 本書の舞台となっているウェレルとイェイオーウェイは、まさに『所有せざる人々』の舞台となったアナレスとウラスの再現のようだ。本国と植民地という関係も同じだし、語られている時点では本国と植民地で異なる政治体制が取られているという関係も似ている。
 架空の世界とその変化、そしてそこに生きる人々を、想像力を駆使して実在した社会のように描いている。それは、作者ル・グィンが、単に物語を動かすための状況を設定しているだけではなく、いかにリアルな世界を創り上げるかということに執念を持っているかのようだ。
 一方で評者は、登場人物に共感することが難かった『所有せざる人々』と比べて、本書の中篇群は物語としてより親しみやすい形で描かれていると感じた。各中篇の主人公たちの意識が基本的に読者である我々の感覚に近く、また物語の舞台となる環境設定、状況その他が論理的かつ合理的で、その心の動きが詳細に描かれていて納得できることがその理由ではないかと思う。そのため、生まれつきの女奴隷である主人公のいびつな思考を読んでも納得してしまう。
 そして、その舞台を使って描かれるストーリーの人間関係とテーマは結局『闇の左手』と同じで、相互理解の物語ではないかと思う。

 ウェレルとイェイオーウェイの物語は、宗主国と植民惑星という関係だけではなく、いまだに奴隷制が息づいている社会、女性の権利が剥奪されている社会という、いわば三重苦の世界であり、それはそのまま、現在でも現実に存在している社会、特に、表向きはそれらの問題は解消されているにもかかわらず、その意識が根強く残されているアメリカ社会に対する批判ではないだろうか?そして、それがアメリカだけの問題ではないことは明らかである。わたしたちの世界にもそれは当てはまるのだと。

 本書のテーマは「奴隷制」だが、その奴隷制のなんと呵責容赦のないことか。奴隷は財産ではあるが、同時にまた財産に過ぎないという思想が徹底されているため、その扱いはある意味苛烈を極める。さらに、その根底には男尊女卑の性差別があるため、描かれている社会は悲惨の一語に尽きる。それが、エクーメンとの接触によって、ほとんど一世代のうちに変わっていく。そのダイナミズムも描かれているが、この変化は2000年に発表された『言の葉の樹』でも描かれていた。

 巻末に、「ウェレルおよびイェイオーウェイに関する覚え書き」(約30ページ分)が掲載されている。
 本書の舞台となっているウェレルとイェイオーウェイに関する設定をまとめたもの。通常であれば、単に作者のメモで終わるところを、整理して作品の一部としている。よくもここまで細かくかつ論理的に設定したものだと思う。しかも、単に歴史のある瞬間を切り取って設定しているのではなく、その前後の時間的変化も考慮して、言わば、社会的な推移、社会進化も考慮して設定されている。
 また、冒頭には言語についてもかなり細かく設定されている。優れた創作者は言語まで創造したがるようだが、本書では単語だけではなく、発音まで設定している。これは趣味なのか執念なのか?
 設定は一部は本文の中で詳細に語られているところもあるが、具体的には書かれていないところも多い。しかし、この設定があるからこそ、本書に集められた物語はどれも論理的に強固なのだろうと思う。

 しかし、『世界の誕生日』で、本書の第五部に当たる「古い音楽と女奴隷たち」を読んだ時には、本書がまさかこのような物語とは思わなかった。
 「古い音楽と女奴隷たち」は、主人公はウェレル駐在のエクーメン大使館の情報部長官、通称エズダードン・アーヤ、すなわち“古い音楽(オールド・ミュージック)”として知られていた人物、エスダンの物語である。
 舞台はウェレルのヴォエ・デイオ。エスダンは合法政府と反政府解放軍の対立に巻き込まれて拉致され、双方から協力するよう強制されるが、自分にはその権限はないしエクーメンにもそんな力はないと拒否する。
 その後、暴力の嵐が通り過ぎた後、廃墟に立った彼は自分たちの無力さを感じていた。
 評者はこの物語を、紛争地帯に身を置く国連職員の実感を表現する物語ではないかと解釈していた。
 本書を読んで、語られている物語の背景は理解できたが、逆にそれが本書の五番目の物語である意味が分からなくなった。続きの物語を書く予定はなかったのだろうか?

 本書の翻訳がここまで遅くなったのは、もしかしたら続篇を待っていたためかもしれないなどと考えてみたりする。
 評者は3年前からル・グィンを集中的に読んできたが、『世界の誕生日』を読んで本書に興味を持ってから2年後という本書の出版タイミングはまさにドンピシャで、グッドタイミングだった。
赦しへの四つの道 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)Amazon書評・レビュー:赦しへの四つの道 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)より
4153350621
No.1:
(5pt)

赦しへの四つの道は、結局、五つになりました

本書『赦しへの四つの道』は、原作「Four Ways to Forgiveness」(1995年)の翻訳。

後に、本書の四篇に、さらに短篇「古い音楽と女奴隷たち」(1999年)が加わって、
「Five Ways to Forgiveness」(2017年)となって刊行されたそうです。
ということで、赦し(Forgiveness)への道は、現在、一つ増えて五つとなりました。

<ゲド戦記>でも、同じように数が増えるということがありました。
<ゲド戦記>は、第四巻『帰還』までは順調に発刊されました。

次いで、最初<ゲド戦記外伝>として和訳され、
後に「アースシーの五つの物語」という副題に改題された短篇集があります。

結局、この「外伝」は、<ゲド戦記>の第五巻として取り込まれ、
外から内へ、<ゲド戦記>に仲間入りしたのです。

本書に戻ります。本書の「赦し」とは、何でしょう?
裏切りを赦す、でしょうか?
肝心なところが、いまいち理解不十分です。

本書巻末の、小谷真理さんによる「解説」によると、
本書の四篇は、ル・グィン自身が
「己の旧作を批評的に読み直し、そこで見落とされていた側面を批判的に」(344頁)書き直した作品群なのではないか、と指摘しています。

これら四篇による側面的「カウンターパンチ」により、
ル・グィンの作品が「より立体的なドラマ」として楽しめると小谷さんは請け合っています。

本書の四篇は、
「裏切り」(1994年)
「赦しの日」(1994年)
「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」(1995年)
「ある女の解放」(1995年)

それらに対応する、ル・グィンの「己の旧作」は小谷さんによると、それぞれ、
<ゲド戦記>『帰還』(1900年)
『闇の左手』(1969年)
『所有せざる人々』(1974年)
『所有せざる人々』(1974年)
ということになるのだそうです。

作品『所有せざる人々』に至っては、
男と女の二つの異なる側面からの短篇物語が付け加わって、
所有に関する三方向からの「立体的なドラマ」となっているとのことです。

「ウェレルでは、支配階級の人間は所有者(オーナー)と呼ばれ、それに仕える階級の人間は、財産(アセット)と呼ばれる。所有者だけが男性(メン)、女性(ウィメン)と呼ばれる。財産(アセット)は、男奴隷(ボンズメン)、女奴隷(ボンズウィメン)と呼ばれる」(64頁)

以下は、本書の中で、心に残った字句です。

「同胞(マン・オブ・マイ・ピープル)」(160頁、164頁)  男の同胞。
『七つの月を宿す目』(274頁)  七つも月がある?
「わたしは古い音楽(オールド・ミュージック)から預かった書物を数冊もっています」(292頁)
「古い音楽(オールド・ミュージック)は、あなたのものだといった」(294頁)
「この奇妙な人物、古い音楽(オールド・ミュージック)がふたたびわたしを自由へと導いてくれたことに」(294頁)  「古い音楽(オールド・ミュージック)」は人間? 奇妙。

「われわれが自由を失うか、得るかは、われわれの体のなかにある」(307頁) 自由?

短篇「古い音楽と女奴隷たち」(1999年)を読んでみたくなりました。
「古い音楽と女奴隷たち」が収録されている短篇集『世界の誕生日』を注文しました。
赦しへの四つの道 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)Amazon書評・レビュー:赦しへの四つの道 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)より
4153350621

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!