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寿命が尽きる2年前



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【この小説が収録されている参考書籍】
寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書)

寿命が尽きる2年前の評価: 4.06/5点 レビュー 32件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.06pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全26件 21~26 2/2ページ
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No.6:
(5pt)

痛快でした

いつもながら、久坂部さんの主張全開の内容で。痛快だと思いました。そうは思わない方もきっと多いことでしょうが…。要するに、医療に近づきすぎて自分の中に不安の種をまくよりも、楽しく生きようというもので。人間ドック的な検査、濃厚ながん医療…すべてお断りで、がん健診は受けたことがないそうです。コロナワクチンは「リスクを承知して打つ」とか。医療の全否定ではありませんが。要するに、久坂部さんの根底にある思想をどう受け止めるか、の問題でしょう。私は賛成します。
寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書)Amazon書評・レビュー:寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書)より
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No.5:
(5pt)

この本を読んで

自分が2年後の死を宣告されて平常心を保てるか自信はありません。しかし、2年後の死を受け入れられる平常心を養う訓練を自分なりに積み重ねる事と、無意味な終末医療を受けないことは必要(大事)かもしれません。いずれにしても、細かな事は気にせず現状に満足し、感謝の気持ちを持つ努力を継続していき、ソフトランディングできる終末を迎えたいと思います。
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No.4:
(5pt)

自然体で生きる。難しい課題です。

軽く書いてあるが重い内容です。簡単には出来そうもありません。心配して不安で一杯であってもなくてもいずれ人は死ぬ。だったら無理するんじゃねえよ、という意味だと思います。死というゴールに向かってどうやって生きるか。それでも健康診断や医療に振り回されるより、適度に使って気楽に生きようという意味だと受け取りました。悩んでいる方にお勧めです。
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No.3:
(5pt)

私のお守り

「日本人の死に時」「人間の死に方」
「寿命が尽きる2年前」を勝手に3部作と考え、
3作目で死に対する覚悟をアップデートしました。「お守り」として側に置き「死」が近づき怖気付いた時にまた読もう、、と思える本です。

日本人の健康診断による被曝率の高さ。
抗がん剤によるダメージ。
がん細胞検査の危険性。
医療関係者がまず口外しない事実が率直に書かれています。
これに関しては3作目が最も辛辣。病院には近づくなとさえ書いてあります。
人生とは運命に弄ばれた綱渡り。運には絶対勝てないのです。寿命も然り。

寿命が尽きる2年前であろうとなかろうと、生きているうちに悔いの残らないように生きよ!医者の宣告に自分の人生を委ねるな。と諭されている気がしました。
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No.2:
(5pt)

自然体で最後の時間を生きる

本書のタイトルは何を意味するのか、という疑問と好奇心を持ちつつ、読み進める内に人生(の長さ)や健康ということについて、若い頃の捉え方、60歳になっての考え方、そして寿命がそろそろと思う年齢では、大きく違って来るのだろうということをまずは考えた。

筆者が水木しげるさんの漫画上の言葉を引用しているが、若い時には成功しようとか、何らかの欲があるものであるが、60歳を過ぎるとそういうものがなくなってくる。そうすると、色々な物の見え方が違って来る、気づかなかったものが見えて来る、という感覚がある。

「いつまでも元気で長生き」ということも年を重ねると違ったことになって来るのであろうが、そこに拘ると(欲があると)自然体で現実を捉えることが出来ないこともある、ということなのであろう。それによって最後の2年間の過ごし方も違って来る、ということが本書のタイトルの意味する処であり、筆者が伝えたいことのようである。
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No.1:
(5pt)

人は必ず死ぬ それならば死ぬまでにどうしたらいいいか

人間として生まれてきた以上、だれでも必ず死ぬ。これを免れるものは一人もいない。
ただ、日常生活では意識しないだけだ。
しかし、60歳、70歳、80歳と長生きすれば長生きするほど,死は近づいてくる。
最初は体の衰えとして感じる。腰が痛い、脚が痛い、眠れない、便秘・下痢をする・・・・・。
人々は医者にかかって、なんとか症状の改善を計る。医者は、なんとか治療を試みる。しかし、ガン、パーキンソン、そのたの治療困難な病気にかかったらどうするか。余命宣告されたら?医者に、一日でも長く生かしてくれと、本人も家族も頼む。しかし、治療には必ず限界がある。
そのとき、一旦、我が身を振り返ってみたらどうだろう。自分は満足すべき人生を送って来ただろうか。
送って来たと思うなら、もう、それでいいではないか。医者には最後の看取りを頼んで、延命治療はしないという道もある。
著者は在宅医療にも長く関わってきたので、延命治療の悲惨さは十分心得ている。
だから、残された人生を、医者に頼らず、自分の好きなことをやって暮らしたらどうか。
著者がお手本としてあげているのが、ドイツ映画「民族の祭典」の監督にして写真家、レニ・リーフェンシュタールである。彼女は103歳まで生きたが、老後は死のことを微塵も考えず、アフリカやパプアニューギニアに入り込んで写真撮影に没頭した。もうひとりが「ゲゲゲの鬼太郎」の作家、水木しげる氏である。水木氏は93歳で亡くなったが、パプアニューギニアなどで戦跡を調査してあるいた。
世のなかには病気恐怖症の人がいて、何でも、体に良いか悪いかで判断する。そのため、食べるものも食べず栄養が偏り、運動不足で帰って病気に近づいている。
高齢になって、多少の具合の悪いところがあっても、医者にもかからずサプリメント(医学的根拠がない、コマーシャリズムに乗った健康食品)ものまず、生きがいを見つけ、それに邁進すれば幸せな死が迎えられるとするのが著者の説である。著者は、思い切って豪華客船で世界一周でもしてみたらどうかというが、年取って死にかけた老人はそんなお金も元気もない。
それでは、そのように生活を転換させる時期はいつか。「今である。」と著者は説く。
実際には死の二年前などは誰にもわからない。今が「二年前」と仮定して、残された人生を精一杯生きよう。
本書の最後の方に、この出版社からの新刊本の広告が多数出ている。いずれも高齢者向けの本である。
著者は、化粧品業界、サプリメント業界を、老人向けのコマーシャリズムに乗った企画として笑うが、
皮肉なことに、本書も高齢者市場を狙った出版社のツールの一つになっているのではないか思う。
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