■スポンサードリンク
あれは閃光、ぼくらの心中
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
あれは閃光、ぼくらの心中の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.78pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とにかく熱、熱、熱! 文章から目に見えない凄まじいエネルギーが溢れて、押し寄せてくる、そんな小説。 しまと弥勒の、とてつもない絆と、その間を繋ぐ「クソデカ感情」が、読んだ読者自身の胸まで熱くする。どうしよう。こんな、あたたかくて切なくてひりついた感情、胸のどこにも置いておけない。今すぐ叫び出したい。 あーーーーー! しまと共鳴したい、最高のラストシーンと一緒に。 読んでいて一番悶えたのは、 冷蔵庫に牛乳、シンクの紐にクリームパンが入ったレジ袋がかかってる。 そういう直接言葉に出してるわけじゃないけど、弥勒の優しさが表れてるシーン。公園で運動する場面とか、出前取る時やたら食べさせようとするところか。相手の睡眠や食事を考えるのって、愛情の最たるものだと思う。そしてしまが、弥勒が朝ごはんを買うためにコンビニに行ってくれたと気づいて、音楽を全身で感じるシーンも至高だ。 あと、弥勒が与えていたものをしまが好きだと言った時、びっくりするくらい自分も嬉しくなっている弥勒も愛おしい。彼にとって、誰かに愛情を与えて、それに応えが返ってきたっていう経験は、きっと長いことなかったんだろう。救ったつもりが、いつの間にか救われてる、そういうあったかい繋がりが2人の間にはある。 それから、彼らの関係について、弥勒は確かにしまの保護者だったけど、それだけじゃなかったのが最高に痺れた。 「ディズニー行く?」ってなって、台風でも外に出ようとするあの、馬鹿みたいなことを「うぉー!やるか?やっちまうか?」ってノリで突っ走れる関係。基本しまに弥勒が突っ込むのがこの物語の形だけど、そうやって時々子供みたいに2人が共鳴して盛り上がるのが個人的に好きだった。(鈴木隊長のところとか、) 友達、兄弟、親子…いや、どれも違うか?既存の関係に押し込められない2人だと思った。 いつか必ず、2人でディズニーに行ってほしい。そういう書き下ろしがあればすぐに買います!先生!! そして、火事騒ぎからの怒涛の展開。最後に向かっていくとともに、2人の互いへの感情が爆発して、もうほとんどラブレターみたいなモノローグが続く。しまが木の側で眠ってしまいみる夢なんてもう、 「新しい宇宙を、きみにあげる。」 こんな完璧な告白を、私は今まで見たことがない。美しく、切なく、しまがどれだけ弥勒を想っているかがこの一言に詰まっていると思う。彼はそこで15歳から始まる弥勒の理想的な人生を想像し、弥勒が幸せなら、自分が崖から落ちたまま終わったっていいとさえ思う。 でもこの後の部分もすごく、すごく良くて。 違う世界線を想像しても、やっぱり弥勒はしまの前に現れる。 これは、しまのピアノを聞いている弥勒の方でもそうだったと思う。マンションから落下するもう1人の弥勒を、しまが見上げて待っている。 物語の終盤かなりの頻度で2人の頭の中にはこういう「もしも」の世界が繰り広げられるのだがーーーどの結末にも必ず、弥勒が、しまが、互いを待っている。どんな世界線でも、それが運命かのように彼らは出会うのだ。理屈はわからない。でも絶対にそうなのだと思わせられる。 弥勒がいるからしまが生きて、しまがいるから弥勒が生きているのだと、本当に心からそう思わせられる、そういう文章の連なりなのだ。 竹宮先生は、目に見えない法則で必ず出会う2人の関係を、その情熱でもって訴えかけてくるから、読んでいるこっちも、「そう?そうか……そうだ、そうだよな!!!」と頷いてしまう。彼らがその瞬間に見た景色を、そこで湧き起こる感情を丁寧に丁寧になぞって、言葉に落とし込んでくれるから、読者は彼らを包む宇宙まるごと、なぜか理解できてしまうのだ。 まるでこの世にたった一つ、誰かのために特別に用意されたもの、 そういう存在。落ちてこいって手を広げて待っている、あぁこいつがいるから大丈夫だなって思えるような存在、それがしまにとっては弥勒で、弥勒にとってはしま。この事実がありえないほど奇跡的で、運命的で、心を震わせられる。 ラスト、再会するシーン。 「ディズニー」という言葉が咄嗟にしまから出てきて、あぁ本当に彼はずっと弥勒を思い続けていたんだとわかって、その時の2人の会話が全然感動的でなくて、だからすごくよかった。彼らはまたすぐに15歳と25歳の頃の彼らに戻れるのかと思うと、その変わらない部分が泣けた。 ライブ始まる寸前。しまが一瞬弥勒を指差し、その手首にクマのヘアゴムがあり、「見てて!」というあの数秒の出来事が、読んでいる私の目の前にありありと浮かんできた。 そうか、この瞬間で、そこで起きた爆発でまた、彼らはこの先10年間生きていけるのだろうと思うと、心から嬉しかった。そしてなぜか、彼らの世界の外側にいる私までもが、その爆発に巻き込まれたように熱くなり、胸奥がうるさく鳴った。そういう終わり方だった。まさしく閃光みたいな、素晴らしい物語だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作者の前作『心が折れた夜のプレイリスト』に関しては、あまりにも奇抜な面が強調されていて個人的には高く評価しなかったのですが、今作に関しては、少なくとも中盤まではしっかりと地に足の着いた物語になっているように感じられました。「全く関係の無さそうな二人が出会って、そこから話が始まっていく」という展開はある種の「ベタさ」を感じられますし、今作の主人公・嶋がもう一人の主人公・弥勒と出会うシーンは明らかに某映画を意識したりしていますが、やはり、読者を分かりやすく引き込むものがあります。 もちろん、この作者のことですから、陳腐なものになるはずがありません。「ピアニストを目指す道の途中で壁に突き当たり、家出してしまった少年」と「ゴミだらけの部屋に住んでおり、家族に関して後ろ暗い過去を抱えているホスト」という組み合わせは興味深いですし、コミカルで生活感のある描写を交えつつ二人が次第に打ち解けていく展開もなかなか読み応えがあります。中盤以降も、嶋の両親と弥勒自身の手によって二人が引き離されたり、これまでの言動から「弥勒が自殺するかもしれない」と思い至った嶋が再び家出を敢行したり……と、分かりやすくドラマチックに進んでいきます。 それ以降は、「嶋が弥勒の働いているホストクラブに突入するが彼はおらず、そこにあったピアノで弥勒に届かせるように渾身の力で演奏を行い、満足した嶋は家出を終える。その後、話は10年後へと飛び、そこで『嶋が演奏していた時、実は弥勒は偶然ホストクラブの近くに来ていて、その演奏を聴いて自殺を思い留まった』ということが読者に明かされ、二人は10年ぶりに再会し、物語は幕を閉じる」となるのですが……個人的にはこの展開についていけませんでした。この作者らしい超常的ともとれる凝った描写で飾られているものの、「嶋が弥勒の自殺を直接止める」という分かりやすい展開を無理に避けたせいで生じた不自然な展開を、作者の描写力で強引にまとめたように見える点が否定できません。特に、嶋の演奏シーンについては、感動的に仕立て上げたいのは分かるのですが、「弥勒の姿を確認したわけでもないのに、そんなタイミングでピアノを弾いてどうするの?」と思ってしまい、ある意味、作者との「温度差」というものを感じてしまいました。 また、「弥勒は自身の『父親』と『姉』の間の子供で、その姉は父親を病気に見せかけて殺した」という過去が中盤で読者に明かされるですが、それが軸になって話が進んでいくわけではないので、そこまで重い設定にしなくても良かったように思えます。その「弥勒の姉」というのも、弥勒の回想の中で重要そうな感じで何度も出てくるのですが、本筋にはほんの少ししか登場せず、10年後の姿も描かれていないので、何だか、同作者の『砕け散るところを見せてあげる』の玻璃のような「メインヒロインになり得るキャラクター」を無理矢理脇役に追いやったように見えてしまいました。 先程挙げた通り、中盤までは結構面白く読めましたし、凝った描写を興味深く読める点はあるものの、やはり「終盤の強引な展開」と「あまり活かされていない重い設定」が足を引っ張っている印象があり、前作ほどではないにせよ「あまり高く評価できない」というのが正直な感想となります。この作者の小説は色々と目を通してきましたが、「そろそろ読むのはやめようかな」と思わせるような一冊でした(『いいからしばらく黙ってろ!』の続編が出るなら話は別ですが)。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本当に久しぶりに竹宮ゆゆこ先生の本を読みました。『ゴールデンタイム』以来かもしれません。 私がほとんど本を読まなくなってしまった間も、先生はこんな小説を書き続けていてくれたんだなぁと思いました。 まばゆい閃光と大爆発、号泣でした。とんでもない本です。ぜひお読みください。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最初から最後まで飽きる事なくただひたすらエモくてハッピーなおはなしでした。おすすめです! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何度も泣いた。後半のホストクラブは情景が美しすぎて嗚咽が止まらなかった。笑えて泣けて憧れる、二人の関係性。この作品を読めて良かった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
笑えて泣けて、本当に素晴らしい物語りだった 読んで良かったと心から思えた 2人が愛おしくてたまらない 2人のこれからが幸せでありますように! ディズニーランド楽しんでほしい! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
全くありふれた世界にありながら、美しいファンタジーでもある。まさに竹宮節とでも言えばいいのだろうか。 どうやったら、このとっちらかった素材を組み合わせて、この話が出来上がるのか。全く読んでいても予想ができなかったが、読了後はこれしかないと思えるほど、納得感のある結末。今回も期待を裏切らない作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
竹宮ゆゆこはそこまで広いテーマを扱うタイプの作家では無いと思う。 出世作となった電撃文庫での作品「とらドラ!」の時から、いやその以前、デビュー作である「わたしたちの田村くん」から一貫して孤独な魂の救済は竹宮ゆゆこがライフワークの様に取り組んできたテーマであり、今も相変わらず取り組んでいる点においては何の変わりも無いかと。 そしてふとした切っ掛けから小劇団と関わる事になった女性を描いた「いいからしばらく黙ってろ!」以来、2年以上のブランクを経て発表した本作もやはり本質的なテーマは孤独な魂の救済なのである。 物語の方は人生をピアノだけに注いできた中学生・嶋幸紀が盛大にしくじった所から幕を開ける。進学が、今後もピアノを続けられるかの瀬戸際での演奏をこなせなかった嶋は暫くの放心状態を経た後、突如葉山の自宅を脱走。弟の自転車を奪い東京都内を目指す筈が盛大な方向音痴ぶりを発揮し、なぜか町田へ。 しかも町田市内で遭遇したヤンキーに追われる羽目となった嶋は無我夢中で逃げる最中、運転を誤って自転車から投げ出されガードレールを飛び越えて数メートル下へ転落。あわや生命の危機といった状況の嶋を助けたのは落下地点で待ち構えていたかの様な男・弥勒。甘ったるい香りに身を包み、銀色の髪が特徴的な異様なまでにゴージャスな容貌のホストであった。 もう何が何だか分からなくなった嶋は初対面の相手に「助けてくれ!」と縋りつくが、弥勒は嫌な顔せず自宅であるマンションへと連れて帰ってくれる。恐るべきゴミ屋敷と化した弥勒の部屋に唖然とした嶋だったが、弥勒はこのゴミを全て片付けてくれたら「部屋も何もかもぜーんぶくれてやる」と言い出す。 自宅に帰りたくない嶋はその申し出を引き受け弥勒の部屋を片付け始め、中学生とホストの奇妙な共同生活が始まる事に…… ……冒頭で竹宮ゆゆこはそこまで広いテーマを扱わないと申し上げたが、導入もそこまで芸風が広く無いな。今回もまた主人公の爆走から始まる「開幕ダッシュ」を決めてきた。今回は中学生が真夜中にチャリで爆走だ。ここまで来ると意図的にやってるとしか思えないが読者を「なにごと!」と引き付ける上では手堅い導入芸ではある。 しかもそのスピード感の中で自然と主役である二人を引き合わせてしまうのだからテンポの良さは相変わらずという他無い。導入だけテンポが良い作家はゴマンといるけど、そのテンポの良さがラストシーンまで全く損なわれないまま400頁近い長編を駆け抜けてしまうのだから恐れ入る。キレキレのゆゆぽ節が健在である事を確認させられた次第。 テーマにそれほどの幅が無くても毎度の如く「読ませる作品」に仕立て上がるのはこの恐ろしく小気味の良い文体があって初めてなし得る芸かと。そもそも作家が幅広いテーマに取り組まなければならないなんてのは読者の側の思い込みであって、一つのテーマを繰り返し掘り下げる事でよりキレの鋭い作品へと仕上げる事を目指すのだって作家の生き方なんである。 そして読み終えた上で思うのだが……本作は一般文芸進出後の竹宮ゆゆこ作品の中でもっとも「とらドラ!」に近いんじゃ無いだろうか?彼の作品は逢坂大河という親に見捨てられたも同然の状態で一人寂しく、そして高級マンションの一室を盛大に散らかしながら住まう少女が一人の少年の奮闘で救済され、同時に救った側である竜児自身もまた救われるという物語だったのだけど、本作の主人公である行き場の無い少年・嶋を拾った弥勒もまたゴミ屋敷化したマンションの一室でゴミに埋もれている男なのである。 (「ゴールデンタイム」の外伝もそうだけど竹宮ゆゆこは何故美男子を汚部屋に押し込む事に拘るのだろう?) 物語は少年院上がりでしこたま作った借金の返済を目的としてホストとして勤めていた弥勒の生活の中に「わけの分からんガキ」が転がり込んでくる所から始まるのだが、汚部屋でゴミに埋もれる絶世の美男子という弥勒の濃厚なキャラに主人公の中学生・嶋のキャラがまったく引けを取らないのだから驚いた。 名門音大の付属中学の落ちこぼれにして他人とのコミュニケーション能力を絶望的なまでに欠いた嶋が本来であれば分かり合える筈も無いタイプである弥勒と宇宙人だってもうちょっと意思疎通できるだろと言いたくなる様な「コミュニケーションの通じなさ」を武器に共同生活をこなしていってしまう様が進行の早いドタバタ劇の中でこれでもかと描かれ続けるので面白くならない筈が無いのである。 ゴミ屋敷専門の清掃業者が運営するYouTubeのチャンネルに二人揃ってのめり込み、互いに現代日本人であれば誰もが観ている筈のジブリ作品を一度も見た事が無いという共通点に気付くやこれまた二人揃ってハマった挙句に涙を流し、終いには豪雨の中開園しているディズニーランドを目指そうとするなど自暴自棄であった筈の二人が人生を楽しみつくそうとする姿を先ずは大いに楽しんで頂きたい……そうする事で「落差」は最大限にまで大きくなるからだ。 明るさの裏にどうしようもない暗さ・陰惨さを仕込んでいるのが竹宮ゆゆこという作家なのである。親に捨てられた逢坂大河も、訳ありな貧乏母子家庭で育った高須竜児もドタバタ劇に覆い隠されているが十分なほどに悲惨な立場ではある。が、本作のキーマンである弥勒の生い立ちはその比では無い。後半でその素性が明かされる場面ではいい歳こいて「う、」と言葉を失った。 弥勒は15歳の時から10年もの間真っ暗な道を背負い切れる筈も無い重荷を背負ったまま一人ぼっちで歩き続ける様にして過ごしてきた孤独な青年なのだけれども、その傷だらけの魂を自分自身が人生のどん詰まりに立たされて弥勒と出会わなければどこにも行けなかった現役の無力な15歳がどうやって救い出すのか、その無理ゲーとしか言い様の無い救済へと一度は弥勒に見捨てられたと思い込み絶望した少年が自らの意思で立ち上がり挑む姿のなんと鮮烈な事か。 ただ、簡単に救いを与えない所もまた竹宮ゆゆこの良い所。互いに救いを与え合うだけではただの共依存じゃないかと突っぱねる所なんか本当に小憎たらしい限りである。互いに支えなきゃ前に進めない様な情けない男なんてお呼びじゃ無いんだとばかりに人生修行の日々に送り出すのだから堪らない。物語本編の大部分を占める数日間の出来事なんかただの人生の一幕だったと思えるほど人間が強くなる過程を終盤の僅かなページに圧縮してしまう様は圧巻。 これ自体は「おもえのすべてが燃え上がる」の終盤に近いのだが、一つの芸を繰り返して切れ味を増していく作家として、よりキレキレな人生の圧縮芸を見せてくれる事だけはお約束する。 キャラが立ちまくった登場人物の造形、スピーディーでまったく滞りの無い進行を見せるストーリー展開、悲惨な状況との「落差」で読ませるドタバタ劇……竹宮ゆゆこファンが求める物が本作には全て詰め込んである。2年と少しばかり長いブランクは待ち続けるには少しきつかったけれども「千招有るを怖れず、一招熟するを怖れよ」を地で行く作家・竹宮ゆゆこの技は更に切れ味を増している事を実感させてくれた一冊であった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ピアノ一筋の家出少年、嶋とろくでなしホストの弥勒。真逆のような二人の運命的な出会いから始まる共同生活は、嶋の愛すべきバカさと、弥勒の面倒見の良さが上手く噛み合い、たまらなく尊い時間となります。 軽い会話と交わされる約束。この日常が続けばいいと願いながらも、不安定なそれがずっと続くことはないのだろうという翳りがどこかに付き纏い……。 二人の関係性を上手く表す言葉はありません。 ただ、二人が互いに抱く感情が描かれるたび、尊さに胸が詰まります。 二人には幸せに生きてほしい、そう願いたくなる物語でした。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!