■スポンサードリンク
奏鳴曲 北里と鷗外
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
奏鳴曲 北里と鷗外の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.62pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『奏鳴曲』海堂尊 「新札の顔に北里柴三郎が」と聞いてから、どんな人物なのか関心を抱き始めた。連休に本書を読んだ。相当大部の作品で、医学のことがテーマなので、理解できるかと不安はあったが、読み始めると途中で止まらなくなった。 医学者の作家なので、主人公たちが取り組んだ伝染病の研究についても、しっかりとした知識のもとに、しかも素人にもわかりやすく解説がなされている。巻末の膨大な資料リストによって、作品に登場する人物や歴史的な事象を正確に理解した上で書いていることがわかる。 鴎外について、若い時代に日銀理事の吉野俊彦氏の鴎外論を愛読したが、この作品では、同時代人の北里柴三郎との比較において、鴎外が描かれていて、興味深い。因果関係はないのだが、二人の人生において、どちらかが盛運の時には、片方は不運に遭遇するということも、ありうることだと思った。 熊本の旧地主階級の出身の北里の徒手空拳の人生航路と、最初から、周囲の大物に宿望されてサラブレッドとして人生を順調に開始した森鴎外の二人の主人公の折々の衝突と妥協、強力が面白い。序章と、終章で、北里と森の二人の人生に大きな影響を与え続けた第五代陸軍軍医総監の石黒の回想を用いているのは独創的な工夫だ。 ドイツ帝国のコッホ研究所で、所長のコッホの信頼を得て、伝染病研究において画期的な成果を上げて、ドイツ帝国からは博士号を取得した北里の偉業は世界の歴史に残っている。コッホとの師弟関係も美しい。 一方、森は、軍医の道を進みながら、文学者としても才能を開花させた。マルチタレントである。本作品においては、北里、森、石黒の女性関係が、難しい医学や衛生学の話題の合間の、まるで、能楽における狂言のような働きをしていて、偉人の人間的側面を伝えている。 寄付文化の研究をしている私には、慶應義塾の創立者の福澤諭吉のフィランソロピストとしての偉業を知ることができたのは収穫だった。これから、新札を使用する折々に北里や渋沢など先人の志を思い起こすことにしたい、と思う。北里柴三郎を知る上で、この上ない読み物である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もともと基本的に自分は北里派 ついでに舞姫読むとムカつく派 という前提アリとして どういうキャラ付けで書いてくのかと楽しみだった 北里はまあまあ他書にもあるイメージ通りで 森が陰の方向にイヤなヤツになってて、あからさまに堂々と小ずるい手を弄するタイプだと認識してたからそこが新鮮だった なにをするにしても結局政治からは逃れられず、そこをうまく調整しないと 正しい事もやりたい事も通らないというのはすんなり理解しやすかった …脚気はねえ… 自説がどうしても曲げられないとしても利便性の声が上がった時に なぜそれに乗っかれなかったのかと。ホントは米食推奨だけど利便上やむなく麦食にするとか なんとでも取り繕いの言い訳は出来ただろうに。発症者へらせばむしろうやむやに出来ただろうと オリザニンの時に理屈は分からずとも治るということをなんで認められなかったのかと ああ勿体ない きっと調べ続ければ理屈は後からついてくるよがどうして出来なかったんだろう …こういう前例踏襲しての「いま」なんだろうが… 海堂氏の小説は全般面白くて好きなんだけど、女がいつもステレオタイプ過ぎててそこは多少興を削ぐ 女を都合よく扱い過ぎ。夢見すぎ 己らは点の恋情しかないものを、相手は線の恋情を抱き続けてくれるなどと甘い事考えてんじゃねえ 遊び散らすんなら別離の時にスパーんと一生分の生活費くらいのまとまったもの渡してから夢をみろ その点石黒の方がはるかにマシだ と、そこは力説したい 楽しく読みました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
娘が医学部志望で塾の各大学の医学部の創設者の名前もを聞く機会がありました。実際にこの本の登場人物に沢山出てきてその繋がりも把握できて非常に興味深かった。脚気論争があの時代そんなに大きな問題と思っておらず、それぞれの立場が浮き彫りになり患者さんのために動いていた北里柴三郎(シバ)に目が♥になってしまった。鷗外(リンタロ)の姑息な仕打ちを物ともせず豪快に突き進むシバのファンになりました! 患者さんの病気を治したいという一途な姿をシバが魅せてくれます!名声とか自分の立ち位置よりもまずその病の克服を最優先している医者として一番大切なことを示していると思います。シバの男気のあるところが大好きです | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
明治時代に衛生機構確立を目指し頂点に上った二巨匠の、医学界・政界・世界の学会・軍部・社会における超人的な活躍・暗躍・衝突・挫折を、取り巻く人々の会話・手記・交信の流れとして細かく描いた、富国強兵を標榜した年代から現在・将来にまで響く「奏鳴曲」である。奏楽堂はパンデミック時期の世界である。 天皇を含む明治政府の要人たちの、三戦争を含む激変での役割を改めて学ぶこともできる。 医療の周辺を広く伝えてきた著者でこそ執筆できた歴史書である。 (ミュー シグマ) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
森鷗外と北里柴三郎がそれぞれリアルに描かれる。 しかし著者が明かしているようにフィクションであるとは思えない。 感染症に対する2人の取り組みという点で現代のコロナ禍に通じている。 しかし現代の対応への警告的な内容は正直いらない。 著者の作品全体に言えるけど、作品としては面白いのに著者の主義主張が垣間見れると途端に物語が嘘くさくなってもったいない。 ストーリー自体は下調べをどれだけしたのだろうと思わせる、しっかりした構成の元に描かれていて読み応えある。 森鷗外って時代的な背景があるとはいえイメージと違ってぶっ飛んでいる。 対する北里は素晴らしい人物像。 この辺りは森鷗外信者としては受け入れがたいかもしれない。 フィクションとノンフィクションが混在しているが、2人を中心に当時の世界をリアルに描き切っている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最近の著者の作品は大変分厚い。大変分厚いがすらすら読める。すらすら読めるのは文章が達意簡潔で登場人物がない的葛藤に逡巡して行きつ戻りつドロドロと迂回するようなところがないからだ。それでいて文学的情緒に乏しいかと言うとそんなことはない。本作品の二人の主人公と狂言回し的なもう一人、3人の医者が出てくる。彼らを描く語り口は軽妙だが、描かれた人間像はその歴史的・社会的な外界との関わりも含めて「絶対矛盾的自己同一」とでも言いたくなるような矛盾に満ちた多面体だ。それぞれに理想を追う聖人でもあり野心に邁進する梟雄でもあり私欲に流れる俗物でもある。豪胆だったりこすっからかったりもする。そのように雑多でゴタゴタしたところから尚人間存在への肯定的な感覚が湧いてくる。筆者は著者の作品を読んで初めて「純文学的興趣」を感じてしまった。読んでよかった。 もちろん今さらそんなことを言い出すのは筆者の目が節穴だからだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
海堂尊の新作のレビューである。私は、この作品で、長いキャリアのあるこの作者の本を、初めて手に取ることになった。 この作品は、北里柴三郎と森鴎外のそれぞれの生涯と、両者の交錯を描いている小説ではあるが、日本の衛生学や衛生行政のあり方、さらには日本の官僚組織に対しての一流の批評にもなっている。巻末の参考文献を見ると、リストの長さに圧倒される。作者がこの作品を生み出すのに、どれだけの周到な調査研究をしてきたかが、よくわかる。かと言って、物語は衒学的にはならず、労作であることを意識させずに、読みやすい文体で噛み砕いて書かれていて、最後まで熱中して読み切ることができる。傑作である。 北里は、阿蘇の小村の庄屋に生まれた。軍人になりたかったが、母は反対し、医者になることを妥協案として出した。2人の弟は、コレラで亡くなっていた。藩が開設した西洋医学の古城医学校に入学し、オランダ人軍医マンスフェルトに師事し、東京医学校(東京大学医学部)に入学する。 鴎外は、津和野に生まれた。早くから神童と言われる。父は典医だったが、旧藩主の誘いを受けた父とともに上京し、親戚の西周に預けられ、ドイツ語を学び、医学校予科、さらに東京医学校に入学する。 そして、北里と鴎外の2人の人生は交錯する。卒業後、鴎外は陸軍軍医部に入省、ドイツに留学する。北里は、内務省衛生局に採用され、後藤新平に出会い、やがて旧友の緒方正規から細菌学研究の基礎を学び、コレラ菌を日本で初めて発見し、その成果をもとにドイツ、ベルリンのコッホが率いる研究所、ベルリン大学衛生研究所に留学する。そして、北里は、鴎外がコッホの研究所で修学する仲介をする。そして、そのベルリンで、鴎外は、北里の紹介で、エリスに出会い、結婚の約束をする。鴎外は留学を終えて帰国する。そして、日本に追いかけてきたエリスを、結局、鴎外は捨ててしまう。 留学が延長された北里は、破傷風菌の純粋培養に成功し、さらに「免疫血清療法」を樹立するという偉業を成し遂げる。一方、傷心の鴎外は、文筆活動に力を入れて、「於母影」そして「舞姫」を、世に送り出す。6年半の留学を終えて帰国した北里を待っていたのは、日本政府の冷遇だった。北里に手を差し伸べたのは福沢諭吉で、北里のために、私立の伝染病研究所を設立した。そして、北里は、ペストが流行した香港で、ペスト菌を発見する。やがて伝染病研究所は国有化される。 日清・日露戦争を経て、鴎外は軍隊内の感染症の蔓延を防止できず(防止する努力をせず)、さらに自らが主張する米食主義に固執して、陸軍内に脚気による甚大な死者を出しながらも、小倉左遷を経て、最終的には、陸軍軍医部の最高位である第八代軍医総監にまで上り詰める。一方、北里も、伝染病研究所の主宰する衛生講習会を通じて、地方の衛生役員と開業医を支配し、「医療の軍隊」のトップとして、衛生行政に君臨する。 そして、何かと北里を敵視する鴎外は、北里の砦である伝染病研究所を、北里の了解なしに、内務省の管轄から、文部省・帝大の管轄に移管する陰謀を画策する。その陰謀に、北里は冷静に対処し、部下を引き連れて、伝染病研究所を辞め、私立の北里研究所を立ち上げる。北里は、この陰謀にも関わらず、北里研究所の所長、日本医師会の会長、貴族院議員、慶應義塾大学医学部長として栄華を極めた。一方、鴎外は、予備役に編入後、爵位を得られず、欺瞞に満ちた遺言を遺して亡くなる。 あらすじはこのようなところであるが、まず、北里と鴎外に対する作者の描き方について触れると、北里に対しては、客観的に描写し、良い部分も悪い部分も公平に評価して、それでも好意的な描き方であると思う。一方、鴎外に対しては、鴎外自身の心理の独白という形で描写をしているが、鴎外は、今時の言葉で書けば「中二病」と言うような感じで描かれている。鴎外の独白で繰り返されるのは、「北里が上げ潮に乗れば、ぼくは退潮になる」、「北里が浮かべば、ぼくは沈む」という、北里に対する強い嫉妬心のほか、自己保身ばかりで、公共のために犠牲になろうとする精神が欠如し、言い訳や欺瞞に満ちた、醜い態度である。私自身は、随分昔に「舞姫」を読んで以来の、あるいは脚気に対する鴎外の固執を知って以来の、鴎外観に合致するので、違和感はないし、むしろ納得して読んだが、鴎外を良く思っている人が読めば、この作品は受けいれられないかも知れない。この点は、この作品の論争点になるかもしれない。 このほかに、本作品の魅力を2つ挙げておきたい。一つは、この作品が、先にも書いたが、日本の官僚組織に対する優れた批評になっていて、これは現代日本の官僚組織(例えば厚生労働省や日本銀行)に対しての批判としても通じる点である。陸軍内の脚気による多数の死者は、官僚組織の自己批判の弱さ、無謬性に対する深刻な信仰、データの軽視姿勢がもたらしたものである。また、政府内部での縄張り争いは、嫉妬心から生まれた足の引っ張りあいばかりで、国民の存在を軽視し、生産的かつ建設的な議論が生まれない土壌となっている。また、官僚たちはさかんに留学をするが、「留学生はつまらぬ業績を褒めそやされ、慎ましさは帰国の船上で慢心に変わる。日本の教養を忘れ、欧州の教養は学ばず、無教養人となり帰国する」という、ミュルレルの日本人に対する批判を引用している。だから、西郷隆盛に「国を信じるな、人を信じよ」と言わせ、福沢諭吉に「政府と役所は信じるな」と言わせているのだろう。 もう一つの魅力は、北里と鴎外が生きた時代の骨格に、明治天皇の賢明さ、英邁さ、ユーモアを描いている点である。この描き方には、この作品の最初の方から、いささか心動かされてしまっていて、これは、浅田次郎「マンチュリアン・リポート」(講談社文庫)の、若き昭和天皇の描き方を想起させた。政治家や官僚が自らの縄張り争いばかりしているなかで、明治天皇は心から国の先行きを心配し、そして北里に目をかけていた。 もちろん、評価は「最優秀の作品」の☆5つと評価したが、☆5つを上回る価値があった。これは私の書いた38番目のレビューである。2022年3月23日読了。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
森鴎外の人となりや実生活、軍務での実績の詳細が、鴎外自身が心の内を吐露する形式で、鮮やかに描かれていて、感心した。幼少のころから大学の寄宿舎の生活など、鴎外の「ヰセクスアリス」とよく似た感じで書いてあって、面白かった。鴎外の文学論争や文筆活動等の生涯のあらましを書いた本(「鴎外の坂」他)、脚気論争の本とかは読んだことがあったが、鴎外の視点から、留学の経緯、ドイツでの暮らし、帰国後の文筆生活や軍務、脚気問題とのかかわり他、詳しく描かれていて、よくわかった。 鴎外は、自分の知力が世に認められることや自己の立身出世だけを考えていたんだと思う。世の中を変えるとか、社会や人々に貢献するとか、そういう広い見地の高い志は持たない、田舎の自己中の料簡の狭い秀才に見える。医学も軍務も文学もやれる、各々で実力を示すことで、ライバルに差をつけて、マウントをとって出世したいって感じか。文学の場では、洋行帰りで知識があるんだから、啓蒙的なことをやればいいのに、やたら論争して相手を叩くことに熱中するんだから、誰も寄ってこない。漱石とえらい違いだ。恥知らずだな。軍務の方でも、脚気問題で、上役(石黒)の懐刀になろうという利己的な了見と、最先端の細菌学・衛生学を学んでいるとの思い上がりとプライドのため、謬論に固執し、あげく、台湾でも日清、日露戦役でも、戦死者よりも多くの脚気病死者を出しているのに、他人事のような無責任な態度で、上司(石黒)の隠蔽工作に加担だ。にしても、軍医として、脚気の病死者に立ち会っているはずで、何とかしようと思わなかったのか。派遣先の台湾そのほかで、文人気取りの振る舞いをしてるんだから、反感を抱く同僚や上役が出てきて当然だろう。鴎外、なにか、神経が抜けているというか、人の喜び悲しみに共感する点での脳機能に障害でもあるのか。 脚気問題で鴎外失脚と思いきや、今度は維新の元勲・山県公に取り入って、立身を果たすという、どうにもやりきれない明治時代の陸軍の様相だ。著者は、こういう不合理が、731部隊のような醜い陸軍の犯罪につながったと書いている。 ま、あまりの鴎外の異常さに驚かされるが、本書には、北里や後藤の痛快な活躍や人間臭い豪傑ぶりも詳しく書かれていて、読んでいて楽しかった。北里や福沢諭吉のような、(鴎外と違って)見てくれの権威や政府に頼るのでなく、真の実力と独立自尊の精神で、直接に社会への貢献を考える多彩な人士がいたことは、明治時代を豊かなものにしていると思った。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!