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(短編集)
瓦礫の死角
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瓦礫の死角の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.80pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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短編四作中、三作がいつもの主人公で出てくるお馴染みののやつ。たぶん、作者自身の投影なのだろう。中卒であるこの作家の屈折した心情は、むしろ、芥川賞受賞作「苦役列車」によく現れている。最後の短編は、彼が師と仰ぐ藤澤清造がモデルのようだが、残念ながら私は藤澤清造の作品を一つも読んでいない。相変わらず、ゲスの極み的な内容を、格調高い古い文体で書いている。そのギャップがなんとも心地よい。本当は長生きして、ずっと今でも書き続けて欲しかった。多くの作品を残されているで、それを少しずつ楽しんで読みたい。 | ||||
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同工異曲と評される方もいるが、私個人は西村賢太氏の作品は落語に近いと思っている。 同じ話が演者により全く違うものとなるように西村氏の作品も文章で自己の体験をああでもないこうでもないと 捻くり返すさまが面白いと感じた。 まあ、読後の第一印象は小説版「男おいどん」だなだったが。 | ||||
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西村賢太の例によって例の如くの私小説。「瓦礫の死角」「病院裏に埋める」は 実際の出来事に少し脚色を入れたものだろう。どこといって優れたものでは ない。 全く自堕落である主人公がひたすら母親にお金をせびったり、暴力まがいのこ とを繰り返すだけの「瓦礫の死角」。どうにも主人公=西村(作中では北町)が 自嘲気味に言うように「どうしようもない」生活を送っている主人公の不行跡 を面白おかしく(かもしれない)書いている。それ以外に内容があるだろうか。 性犯罪を犯した父親が刑務所から出所して、今住んでいる所に来るかもしれな いと言う恐怖。母親とその恐怖を分け合うが、それが一向に小説を面白くさせて いない。主人公はただ喰らい呑みタバコを吸い母親を虐めるだけ。 何のために書いたのかが分からない。 「私小説」でよくあることなのだろうが、自分の過去(現在)に目新しい出来 事がないと、過去に書いた内容と同じような文章を重複させて載せる事になる。 その典型のような作品だろう。どの話もいつか聞いた読んだ話で、またかと少々 うんざりしてくる。自分の体験に固着するあまりに経験以上のことは出てこない。 まるで「自分の私生活を切り売り」して、売るものがなくなると以前のものを、 その包紙だけ変えて再度売ったり、水増しして嵩を増やして出したり。 西村賢太は決して嫌いな小説家ではなく、その自虐的な作風は時折読んでみると 結構面白い。昔好きだった黒岩重吾という作家がいたが、重吾は自らの体験を 膨らまして作品を作り上げたが、西村さんはどうだったのか。 自ら自縄自縛してしまった感がある。 惜しむらくは、亡くなってしまったけれど、この本に収載されている「根津権現 裏」の藤沢さんのように若くして他界したことは本当に惜しまれる。私のように 「私小説など文学的には意味がない」などどほざく人間にも、その作品は魅力が あった。「西村賢太全集」が出たら買ってみたい。 ただ、今回のこの作品集は読み応えがなかった。 | ||||
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『瓦礫の死角』『病院裏に埋める』『四冊目の「根津権現裏」』『崩折れるにはまだ早い』の4編。 『瓦礫の死角』は17歳の北町貫太が『煽動で渉れ、汚泥の川を』で洋食屋でのバイトからたたき出された直後のお話。 バイト先には、住み込みで働いていたことから、次の住処を見つけるまでの休養かつ次の借家を借りる初期費用・生活費の補充もかね、実の母親宅に転がり込む貫太。 バイト先での規則正しい生活からの反動から、昼過ぎまで寝て、起きたら出前の中華を腹いっぱいたべ、部屋でゴロゴロする日々。 実母からは「いつまでいるのか」と煙たがられ、これに対し「ビールとタバコ買って来い!」と奴隷のように指示を出す貫太。もともと、貫太が親に反抗もできない小さな子供の頃、親から殴るけるの体罰を受けていたことの反動でもある。 そんな実母の体調が悪化、その原因が、獄中にある実父が、そろそれ釈放となり帰ってくるのではないかという恐怖からという。 『病院裏に埋める』は、父が釈放となって帰ってくる前に逃亡し、借家契約を新たに済ませた17歳の貫太が駅構内の飲食店(焼きそばとカレーのチェーン店)でバイトをするお話。 時期的には『人もいない春』のお話の前後にわたる。 『四冊目の「根津権現裏」』は2018年というから貫太が大人になって最近のお話。 需要があろうがなかろうが自分のために書いたという、西村賢太の趣味の世界。 『崩折れるにはまだ早い』は貫太が小説家になった後のお話かと思いきや・・。 本短編集は西村賢太作品を初めて読む人にはそれほどお勧めしません。 やはり最初は『小銭を数える』『煽動で渉れ、汚泥の川を』あたりが良いかもしれませんね。 | ||||
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作者の17歳時分の頃を綴った「瓦礫の死角」では、いつものダメ人間な作者の、母親に依存しつつもうだつの上がらない生活面だけでなく、犯罪者の加害者家族という立場から世間との交流を絶たざるを得ない心境や、出所してくる父に対する恐怖心などを独特の文章で描いている。 「4冊目の根津権見裏」では、藤澤清造の没後弟子を自称する作者の、師匠である藤澤清造が残した作品に対する想いや行動が綴られている。 私がこの作者のことを気に入った要因の中に、私自身が元来、一般的にダメ人間と呼ばれる人種に特別惹かれてしまうタチなのとは別に、作者が唯の文章の上手いダメ人間なだけではなく、己が心の底から尊敬し崇拝する人間に対して、なにか直向きな情熱の様な物を感じるからであり、その様に一途に何かを成し遂げようとする人間に、どうしても魅力を感じてしまうからである。 「崩折れるにはまだ早い」では、作者の自死した友人に対する想いや、死に対する考えが書かれており、「誰にも等しくやってくる死こそを最後の救い──現世でのいっときの、勝ち馬と負け犬の恣意的な色分けを全くのチャラとしてくれる、或る種の天からの救済措置」という作者の言葉には大いに同意しつつも、結果的に若くして急逝した作者の死に対する矜持を感じとれた。 | ||||
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お亡くなりになったのが凄く残念でなりません。 凄く好きな作家さんで沢山購読いたしました…. もう新作が出ないのが残念です。 | ||||
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ご存じと思いますが、アマゾンで評価すると文字数が足りないとアマゾン様様によって弾かられます。 これはおかしいとチャットで訴えますと途中で終わってしまってお話になりません。 なので評価はできません。このような訴えがあったとアマゾン様様にお伝え頂いますと助かります。いかがでしょうか。 | ||||
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本作においてもこれまで通り堪能することができた。 作品そのものに関しては何の不満もない。 が、気になった点が一つある。 別作品との関連付けを示す但し書きが、そこかしこに見られるのだ。 例えば単行本75頁を開くと、以下のような記述が目に飛び込んでくる。 『---この日の貫太は、午前中のうちに町田のアパートを後にしてきた(「瓦礫の死角」参照)。』 ……これは一体なんだろうか。 無論、言いたいことは分かる。 作者の分身である北町貫太の辿った人生のドラマを読者の脳内に構築する際に、 その時系列配置を容易にするうえでの作者なりの「老婆心」を示すものなのだろう。 それはいいが、読み進める先の所々にこうした「読書ガイド」的な注記が視覚に入ってくる という状況についての考察が浅いようにも思えるのだ。 つまり、昭和五十年代かそこらの東京での時空間が作品世界に没入する読者の脳裏に拡がっている、 まさにその読書体験のさ中に、「××参照」などという文字が割り込んでくれば、 それが例え一瞬であっても、読者固有の読書体験が、例外なく中断の憂き目を見ることになるのである。 やはり、「作品」と「読書ガイド」は、決然と分けられるべきなのだ。 作者自らの手で自作を汚すようなことにもなりかねないこのような趣向は、 すみやかに排除されるべきだと考えるものである。 | ||||
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もういい加減に賞味期限切れではと思いつつ、性懲りもなく読んでみたが、意外(失礼)に傑作。下手すればこれまでの渠の最高作か。芥川賞作家寿命5年説からすると長寿。理由は「藤澤淸造」という精神的支柱に尽きよう。バックボーンがある人は強い。ただ、連作の趣がある故、初心者はとっつきにくいかも。「このことは以前散々書いた」というようなことを述べられても、読んでない者にとっては「知らんがな」。スターウォーズや鬼滅の刃のようにちょっと予習が必要かな…。以下各に一言感想。 「瓦礫の死角」…ラスボスとしての父親の幻影 「病院裏に埋める」…「ラクと退屈では大いなる違い」 「四冊目の「根津権現裏」」…神は細部に宿る 「崩折れるにはまだ早い」…軽い変化。心地よき裏切り 最後に興味本位と誹られるのを承知で提言。お父さんもだが、お姉さんのことも非常に気になる。一度書いてほしい。 | ||||
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表題作は、コック見習いをクビになった北町貫多が絶縁したはずの母の住居に転がり込む。 母は性犯罪で服役中の父が戻ってくるのを恐れている。絵に描いたような崩壊家庭だ。 退職金で些細な贅沢(中華の出前)を楽しむ自堕落な様子に親近感をおぼえる。 『病院裏に埋める』貫多は駅構内の軽食堂に勤め始める。 珍しく上手くやっているようだが、このままですむわけがない。 いつ地雷を踏むかが、勤労貫多ものの見どころだ。今回は比較的まともかな。貫多にも一分の理。 この店長、気持ち悪いし。 『四冊目の『根津権現裏』』大正時代に数十冊出版された本のバージョン違いを探す。 昔の私小説は守備範囲外だけど、読書家で本好きなので気持ちはわかる。乱歩や正史の名が出てくるのは嬉しい。古書店主人との交流は、腐れ縁というべきか美しい友情というべきか。まあ、両方だろうね。 『崩折れるにはまだ早い』視点人物が渠(かれ)という珍しい表現で呼ばれる。 私小説だと思ったら、途中で驚く。西村のくせに叙述トリックである。 衝撃的な作品はないけど、いつもの作者らしい本だった。 | ||||
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近年話題になりベストセラーとなった小説を多くを読み、ヘェーこういうものが『小説』と称されるつまんない時代なんだと思っていた(笑)。作家が先ずはともあれ、この時代に何が受けるかを逆算しながら作品を作っているのがバレバレのこの時に、西村先生が、小説家として、文章も内容も大きく変化し骨格が半端無いお姿に接し、まだまだ日本の文学も大丈夫だよねと、とにかく嬉しくなりました。 | ||||
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ついに著者の作中に著者の母親が登場した。当然、次は父親の登場を期待したいところだが、まあ、そう焦らなくても、著者がまだ書いてない話をこれからもじっくり読んで行きたいと思う。西村先生、焦らずじわじわやってください。 | ||||
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貫多と長い付き合いになる落日堂店主が登場。 小説内で自分のみっともないエピソードを暴露され激怒。 彼の意外な一面を知ることができる「快作」です。 貫多の藤澤清造研究になくてはならない重要人物だということがよくわかります。 2022年2月8日追記: 先般、西村賢太先生が逝去されました。 貫多が執念、というか生命そのものを燃やして蒐集した藤澤清造コレクションは、落日堂店主が遺族(が名乗り出るかどうかは知りませんが)から買い取ることになるのでしょうか…。 | ||||
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表題作の「瓦礫の死角」は家族の話であるため、これまでの作品と比べて少しセンチメンタルな印象を受けました。「病院裏に埋める」では西村節が炸裂しています。西村作品はほとんど読んでいますが、他ニ篇も含めて、今作には非常に新鮮な思いを抱きました。 | ||||
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随所でお父上の影が見え隠れするも、正対でその話を取り扱うまではもう暫く時間がかかりそうですね。 とは言え、抜群の言語センスは唯一無二。「魔太郎めいた」、「悪夢みたいな馬鈴薯ブス」等相変わらずの切れ味。 楽しく拝読させていただきました。 | ||||
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