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天平の甍
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【この小説が収録されている参考書籍】
天平の甍の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 21~40 2/4ページ
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令和元年の新本でした。満足です。 | ||||
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久々に読み返してみましたよー。 若い頃に読んだ時とは感じることが 違っていました〜。大きな使命の前に自身はどう成長していくのか?若いころには、ある一人の僧に自分を重ねていたような気もするが、今ならいろんな僧の人生と重ね合わせてみたり、私はさしずめ誰だろうかーと考えてみたりしましたー。どっちにしろ、生きている姿が尊いのだなー。深いです〜(^-^) | ||||
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井上靖氏は私の若い頃の、それこそ「国民的作家」であって、膨大な著作群の中では「しろばんば」や「あすなろ物語」など、自伝的な或いは昔の言い方で「教養小説」風のものは読んでいました。健全な人生観と叙情性があって、ちょうど中高生の頃の読書には最適なものと思いました。 今、年齢を重ねるにつれて、時代状況と人間の生き方についての関心も高まっているなかで、この小説を初めて読みました。 淡々とした叙述でありながら、少しも物足りなさを感じさせないのはまったく不思議な気がします。それはもちろん扱われている題材が自ずと、筆致を必要以上に抑制させているのでしょうが、やはり作者の視線の誠実さによるところが大きいのでしょうか。 ここに登場する人物の中では、やはり普照が等身大の人間としての揺らぎをふんだんに備えていて、感情移入しやすかったように思えます。その他、日本からの留学僧たちは、おのおのが自分の意志を遥かに超えたものを前にして、結果的に不可避となったおのおのの道筋を辿らざるをえなかったことに、深い感銘を覚えます。私は特に業行の偏屈さに共感を覚えました。いわゆる「捨て石」となることを辞さずに、ただ筆写に打ち込むのは、使命感というよりもむしろ捨て鉢な情念の暗がりを感じさせます。最後の方で露骨に見せる、自分の筆写したものに対する執念は、おぞましさもありますが、なぜか私は共感せずにはおれませんでした。 一方の鑒真は、時折垣間見られる慈父的描写もありながら、どこか個人的なものを超越してしまった「志」そのものの大きさを感じさせてくれます。 いかに西洋化されたとはいえ、いまだ身近に、しかし気がつきにくい形で、仏教のもたらしたものの見方の余波は生きているようにも思えます。それは、この小説中に現れたような有名無名の人々の意志を撚りあわせて出来たもっと大きな「志」が、この国に投じた一石の、遥かな残響なのでしょうか。 | ||||
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歴史の教科書だと「鑑真は失明までしながら何度もの失敗にめげずに日本に来た」の一文で終わってしまう出来事の中にここまで様々な人の執念が詰まってたことに感動する。 | ||||
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奈良西大寺は生家より近くにあり、読後に初めて訪れました。三十歳を過ぎてのことでした。 平安の世に、この地で仏僧の風紀が妄れたことはまた歴史の無情であり、本質のよう。 | ||||
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遣唐使の当時の状況が良くわかった。鑑真が主人公でなく、遣唐使を主としたところが異彩の歴史小説 | ||||
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私自信家も、戒律を重視する律宗を小乗教徒と馬鹿にしていたが、最近、この教えこそが、釈迦の真実の言説だと分かった。日常生活における大切な戒律の一つは、「食欲を抑制する」ということだ。もし、この戒律が実践されたなるば、多くの生活習慣病は改善される。 | ||||
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2010年奈良・平城京1300年祭に行く前に、気分的に盛り上げて、唐招提寺にも行くぞ!という意気込みで読んだ。 主人公普照が唐に渡り、鑑真を日本に連れてきたその生涯のほとんどが小説として表わされている。 周りの僧達が異国の地での運命に翻弄され、それぞれの道(あるものは最期)を行く様は、人間ってお坊さんでもそうなっちゃうよねというような過酷なものである。『仏教を正しく伝える』という大義に自分の人生を懸けた昔の人たちのひたむきさ、純粋さも感じる。今の世の中にそういう事ってあるかな。 読後、甚く感動したものの、奈良訪問の際、正倉院展でかなり時間がかかってしまって唐招提寺に行けなかったという思い出しかない。 | ||||
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最後の解説でビックリしたのが、中国人が鑑真の存在を日本に教えてもらうまでほぼ知らないということ。 1500年くらい前なのに、秩序だっており、今と殆ど変わらないような洗練された生活ぶりというのは、驚いた。勝手にもっと原始的であるかと思ったが、江戸時代あたりの頃とさして変わらないのでは?と思うような生活具合。 さて、鑑真が来日する話ですが、一番思ったのは、やはり今の中国と唐の時代の国は全くの別の国であるという事です。歴史は繋がっていますが、民族やら習慣、風俗はやはりかなり別物であると再認識できます。だからこそこれほどまでに日本に影響を及ぼし、当時の日本人が唐の国から学んだのでしょう。 もし同じ人種であれば、近代でも学ぶことはあるはずなのに、この中に出てくる唐と今の中国とは全くもって、別の印象です。 史実を元に井上靖が内容を付け加えて作ったようですが、私自身に読む能力がなく、かなり時間がかかりました。 当時の時代背景や言葉なども多少知らないとなかなかスムーズには読めないかと思います。 | ||||
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確か、高校を卒業する頃にこの作品が映画化されたのを覚えている。 遣唐使の話でもあり、古代中国に関心の薄かった私は長いあいだ本書に手をつける機会に恵まれなかった。 紀元八世紀、聖武天皇の頃、第九次遣唐使派遣に参加した若き無名の4人の日本人僧。当時、日本には仏教の「戒律」が十分に規定されておらず、この戒律を日本にもたらしてくれる名僧を日本に連れて帰るという大きな使命を課せられる。ところが数十年の時を唐で過ごし、あるものは志半ばで斃れ、あるものは現地に家庭を持ち、それぞれの歳月を過ごすこととなる。最終的にこの物語の主人公とも言える普照という日本人僧が、何度となく渡航の失敗を重ねつつ、鑑真を連れて帰国する。鑑真が唐招提寺を建立したのはあまりにも有名な話だ。 無事、鑑真を日本に招いた普照のその後を伝えるものは残念ながら現存していないようだ。 後に橘諸兄政権で活躍した吉備真備や玄舫、あるいは唐の官吏として生涯を彼の地で過ごした阿倍仲麻呂なども随所に登場しているが、どこか同胞である普照らに冷淡過ぎるのは著者があえてそう描いたのか、あるいは無名の日本人僧に冷淡に接することで、自己の権威を高らしめようとでも考えていたのか。いずれにしても好感が持てない貴人たちだ。 | ||||
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面白いです。内容が緻密だし、わかり易いです。仏教の奥深さや当時の背景や、様々なことがわかってきて、とても有意義な内容でした。井上靖氏の作品は、素晴らしいです。 | ||||
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難しいから読めるかな、と思ったけど、読んでみたらすごく面白くて一気読みしました。いろんなキャラクターの人が出てきて興味深い。大きな歴史の流れの中で一人の人間なんて米粒みたいなもの、でも、一人一人がなにか自分の生きる意味を求めて生きてるんだなと感じました。阿倍仲麻呂や吉備真備のような官僚キャラもいれば、名もなき僧たちもいる。どの人にもストーリーがあるんですよね。そして、鑑真。昔と違う気持ちでまた唐招提寺を含め、奈良京都を旅行したいなと思いました。上手な文章書けなくてすみません。自分のメモ代わりにレビューです。 | ||||
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素晴らしい小説です。読み始めてすぐに物語に引き込まれるように一気に読んでしまいました。 | ||||
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鑒真のことを知りたくて、買ってみました。 鑒真がどれだけの艱難辛苦に見舞われなが、渡日を果たしたのか。非常によく分かる作品でした。 仏教用語がたくさんでてきますが、読み進めるうちに分かってきます。 唐代の僧侶の苦難が克明に記された名作です。 | ||||
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あっという間に読める名作。不思議な小説だった。 主人公含め誰にも感情移入することなく、歴史の流れとともに人がそれでも生きている、ということだけを感じる。にもかかわらず、読後にじわじわとそれぞれの人の生き方が思い起こされる。注意書きが多いが、読みにくくは無い。 | ||||
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日本僧達が、高僧鑑真を日本に導くための道のりを描いた作品。筆者のロマンチックで正確な筆致に驚くばかり、あれよあれよとページをたぐってしまった。2冊目だが、枕元とバッグに持つには素敵な広大な物語だ。 | ||||
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読み始めた時は表現が難しそうで不安でしたが、だんだんと慣れてきますので、また、そんなに長くない物語ですので頑張ってぜひ読んでいただきたいと思います。読む価値がある物語だと思います。 | ||||
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随分前に井上靖著の「敦煌」を読んだことありますが、 この作品も同様に話の規模が大きく、読後は一気に老けた感を味わえます。 分からない言葉が多く、巻末の注解だけでも20ページあり、読み始めの数ページで 挫折しそうになりそうですが、読み進めているうちに意外と物語は現代の会話で 構成されているので、一気に読むことが出来ました。 遣唐使や鑑真和上など、社会の教科書で登場するが、掘り下げた内容まで 学校ではほぼ素通りで教えて貰えません。 また遣唐使は何回かに分けて派遣されたとしか習いませんでしたが、 これがこんなに命懸けだったとは、この小説を読むまで知りませんでした。 本作は日本から唐に渡った僧である普照、栄叡が、名僧・鑑真和上を渡日させて、 日本で律宗(戒律)の思想を広めようとするミッション(使命)の物語です。 渡日には暴風雨や乗船拒否等で5度の失敗があり、その間志半ば栄叡が病死したり、 鑑真和上の失明がありますが、普照と鑑真和上自身、最後まで諦めず、6度目で渡日に成功します。 上記以外でも様々なキャラクターが登場します。 特に業行と言う人物が非常に興味深かったです。 日本に唐文化を持ち帰り、膨大な写経を行ったが、結局その多くの経典と共に 海の藻屑となり、渡日に果たせなかったこと。。。 巻末の解説での文章が、この小説の全てを物語っています。 「蟻のような人間の営みも歴史の盲目的意思の前に、他愛なく呑み込まれてしまうという 感慨がおそらくそこにあった。人間の行為の意義、無意義を分かつものは、人間の意思を 超えている。人間の歴史も、結局人間行為の無数の捨て石の上に築かれている。みすみす 無駄かも知れない、と知りながらも為さないといられないのが、人間の真実だろうと。」 とても感動しました。 数年後、再度読み返したいと思っています。 | ||||
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本作品には多くの賛辞が寄せられている。伝戒の師となる人物を、何としてでも日本に招聘したいという若い留学僧たちの熱情、「法のためである。生命を惜しむべきではあるまい、私が行こう。」と決断する老僧鑑真。入唐した留学生が辿るそれぞれの人生模様。航途、荒波に沈む写経の数々。そして日本への漂着、、が抑制された筆致で叙事的に描かれ、私も感動した。 周知のように井上作品は、奈良時代の高名な文人淡海三船(法名元開)の筆になる「唐大和上東征伝」がベースとなっている。 淡海は、鑑真に随って一緒に日本に来た唐僧思託の要請により「東征伝」著述した。思託には自らが書いた鑑真伝が複数あったがかなりの量のものであり、淡海はそれらを簡略化し、思託の口述も加味しながら完成させた。 鑑真が日本の留学僧栄叡、普照の懇請によって、法のために渡日を決心したこと、その渡日計画は何度も挫折し、途中海南島に漂着するといった困難にまで遭い、漸く六回目に志を果たしたこと、そうしたことは尽く、この「東征伝」によって今日まで伝わっており、唐招提寺開祖・鑑真に関する諸研究は専らこれを基礎資料とする。 では何故思託はこれを(淡海に委託し)著す必要があったのだろうか。 以下は松本清張による鋭い考察。詳しくは清張全集66に収録されている「思託と元開」を参照されたい。 清張氏によれば、それは来日時聖武天皇以下が示した歓迎ぶりから、まるで手のひらを返したような鑑真に対する朝廷の冷遇ぶりに、思託が憤慨した結果であろう。聖武没後、淳仁帝即位と同時に鑑真は、全僧侶の総元締めである僧綱の任を解かれ、「大和上」に祭り上げられて、故新田部親王廃宅に弟子らと移住させられた。もはや彼に公的な受戒権はなく、たとえ受戒を与えたとしてもその僧は制度的には私度と同じになる。全国を三分して、東大寺・下野薬師寺・筑紫観世音寺の三戒壇が設立されることになったから、唐招提寺に戒壇を造ったとしてもそれは公的なものではない。 とすれば「東征伝」の成立事情は初めから鑑真の名誉挽回に置かれていることがわかる。さしたる著作なく、経典の訳業なく中国中央にその名も知られていない鑑真を「名僧」にするためには、「五次の渡日失敗、第六次の成功」という鑑真の「燃えるような布教精神」と「艱難」とを造作しなければならなかったのだ、と清張氏は見る。 鑑真の急激な凋落にはさまざまな要因があると思う。一つには来日タイミングの遅れ。鑑真一行は、753年第10回遣唐使船で日本に上陸するが、既に前回第9次船(733年)にて帰国した留学僧道璿(どうせん)らによって受戒の儀礼は着手され、かなりの数の僧侶たちは受戒の儀をすませていた。これを新規に鑑真の指導でやり直すについては伝統的な奈良の僧侶から強い反発の声が上がった。これらを一喝し、深い仏理と権威で圧倒する説得力が、揚州という地方出身の老僧にあったかどうか。唐語と日本語という言語の壁は抽象的仏教論議ではとてつもない障害だったろう。 開山堂で鑑真の盲目の座像を拝した芭蕉は、 「若葉して御目の雫ぬぐはばや」 と詠った。盲いた目の涙を若葉でもって拭ってあげたいというのだが、鑑真の心眼に、奈良朝の政治と宗教の風景はどう映ったのだろう。 名作「天平の甍」に感動するのは良しとして、その後我々は彼をどう遇したのか、芭蕉が思わず拭いそうになった鑑真の涙とは何だったのか考えてみたい。 | ||||
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ほんとに、「もうやめとけば…」と言いたくなるほどの熱意、というか、胸苦しくなるような感動を覚えました。 「そこまでやる」と、いろいろな小説で浮かぶ感想ですが、命をかけても伝えたいもの、果たしたい使命を持っている方っているのだな、と思いました。そして、やり遂げる。素晴らしいです。 | ||||
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