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ゴールデン街コーリング
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ゴールデン街コーリングの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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リアルタイムですので、ゴールデン街にはよく行きました。 | ||||
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最近の馳星周で一番面白かった。 | ||||
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馳星周の私小説。少しのデフオルメはあるが、面白い | ||||
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馳星周とは、彼が未だ実名の坂東齢人であった数年間に、交流をさせて頂いた。馳星周を当時ぼくはバンと呼び、十歳ほど年下の彼は、本書の後書きにもある通り、ぼくをシュンと呼び捨てでタメ口をきいていた。真夜中まで続く延々酒呑みながらの彼とのチャットは情報量においても感性においても楽しく、ぼくを連日の寝不足に追い込んでいたものだ。 未だインターネット前のパソコン通信という時代。ぼくが冒険小説&ハードボイルドフォーラムのSYSOP(管理人)をやっていた頃のこと。オフラインと言って通信だけではなく現実に酒を飲んだり旅に出たりもしていた頃の話だ。 ノベルズライター時代の彼が、執筆作業に専念したいので半月ばかり都会の誘惑から遠ざけてくれと頼まれ、那須の山奥の温泉宿に置き去りにして来たこともある。当時の彼は、ノベルズ・ライターの他、ゴーストライターをやったりもしていたが、何より『本の雑誌』の書評欄で人気を博していた。 ぼくの管理していたフォーラムには、プロ書評家の関口苑生、本の雑誌での書評仲間・吉野仁がアクティブに関わっていたし、翻訳家や新進作家たちも、街で開催する宴に顔を出してくれたりと、それなりに中身もメンバーの内容も濃く、運営自体辛いことも多い代わりに、概ね楽しく貴重な出会いをいくつも経験をさせて頂いた。作家・香納諒一さんともこの頃からのおつきあいになります(ネット上だけですがいずれお会いしたいです)。 メンバーでは時に地方に出かけることもあったが、都内での飲み会がとても多く、二次会三次会と人数が減ると最後には日本冒険小説協会の運営とされるゴールデン街『深夜プラス1』に顔を出すこともあった。この店の店長が、かつて一世を風靡したトリオ・ザ・パンチのリーダーであり、この頃は『読まずに死ねるか』などのレビュー本でも知られた内藤陳である。 馳星周が深夜プラス1で働いていた本書の時代は、その数年ほど遡った学生時代である。その頃の実話にエンタメ度を加え、小説としていわゆる「読ませる」形でアレンジされたものが本作だと言ってよいだろう。いわゆる私小説である。ぼく個人としては、彼から聴いていた主観的個人史の一部がここで懐かしく開陳されているのを改めて読む、という不思議な読書体験を味わせて頂いたわけである。 特に本書でも肝となる部分は、本人からことある毎に繰り返し聴いていた通りだった。酒乱の店主に辟易して苦しんでいた学生バイトである主人公が、店を引けてから毎夜のように逃げ込んで助けられていたおかまバーのママとの優しい時間の物語である。 実際のリリーのモデルとなったおかまバーには、最初はぼくも当のバンに引っ張られて訪れた。「深プラのバイトで精神的にまいっていた自分は、ここでいつもママに救ってもらっていたんだよ」と酔って話すバンと、自衛隊上がりと称する外見筋肉オジサンなママの優しい母性? が、妙に親密でいい空気を作っていたことが、何よりも忘れ難い。本書ではその時間を何度も再体験させて頂けるのでかなり嬉しい。 そういう意味でぼくはこの作品に対しては、一気読みに近い懐かしさと、今は全く交流がなくなった天上びと直木賞作家・馳星周が、今もこの頃を懐かしんでこんなにあたたかい物語を紡いでくれている事実に、改めてほっとため息を吐きながら、抱きしめるように大切にこの本の一ページ一ページを味わわせて頂いた次第なのである。 個人的過ぎて、あんまりブックレビューになっていませんがご容赦! そして、ゴールデン街を過ぎていったあのいくつもの夜たちに乾杯! | ||||
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「少年と犬」よりこちらが好きです。著者より年上で読書に溺れていたから、もちろんこの街の存在は知っていたけど、何の伝手もなしに訪れる勇気がなく、ついに未訪のままで終わってしまいました。 著者があの店で働いていたことは何かで読みましたが、てっきり和気あいあいの楽しい学生バイト時代だったんだろうと思い込んでいました。こんなにしんどかったんだなあ・・・。時が流れて店主が鬼籍に入ったあとでなければ書けなかった小説ですね。 正攻法の青春小説で、とても読みごたえがありました。ラストもよかった。やはりこの人には、山より街を、犬より人を(そして猫を)描いてほしいなと思います。 | ||||
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馳星周が北海道から東京に上京し、新宿ゴールデン街でアルバイトをしていたノンフィクション的な物語です。 今のゴールデン街と照らし合わせるとより一層に面白く感じると思います。 | ||||
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ブルーローズあたりから馳星周を読まなくなった。 なんとなく久しぶりに本作を買って読んでみた。とてもおもしろかった。 馳星周の自伝的な部分とおそらくフィクションである殺人事件、虚実入り混じり、話はゆったりと進んでいく。 終盤の犯人が判明してからの展開は胸が熱くなり、最後には不思議な誤読感が有った。 ずっと続くと思っていた日々があっさり終わる喪失感。馳星周の自身の青春を書いた小説。 もとのタイトルは「新宿ゴールデン街セレナーデ」らしい。めちゃめちゃダサい。 そして改題されて「ゴールデン街コーリング」。とてもいい響き。 読んでよかった。 | ||||
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1985年、新宿ゴールデン街の<マーロウ>で学生アルバイトの坂本俊彦は働いていた。店主の斎藤顕はコメディアンであると同時にハードボイルドや冒険小説の書評家としても名の知られた存在だ。北海道の高校生だったころからミステリ小説と映画が好きだった坂本にとって顕さんは憧れの存在だったが、顕さんは飲むと手がつけられなくなる酒乱でもあった。上京できたばかりのころに懐いていた「喜びと興奮が倦怠にとって代わられる」ころ、ゴールデン街で不審火が続き、やがて死者が出る…。 ------------------- 作家・馳星周氏自身の自伝的青春小説です。主人公・坂本俊彦は作者自身の本名に由来しますし、<マーロウ>の店主・斎藤顕とは<深夜プラス1>の内藤陳氏のことでしょう。 私は1980年代後半に、当時住んでいた四国から出張で上京した折、女性の先輩に<深夜プラス1>に連れて行ってもらったことがあります。ケンタッキー・バーボン「フォアローゼズ」の味を覚えたのはこの店でのことです。店主の内藤氏と早川書房の編集者だと称する人たちが歓談していたのを、私はフォアローゼズを飲みながら少し離れて眺めていました。作家ディック・フランシスが来日するだか、しただかで、客が皆興奮したことを覚えています。フランシスの来日は1988年ですから、私が<深夜プラス1>に行ったのはそのころだということでしょう。 そんな自分自身のあの思い出を探す気分でこの小説を手にしました。 この『ゴールデン街コーリング』は、まだ20代の学生である坂本が一人称で語る幼い文体で綴られます。文章の青臭さは故意に作られたものでしょう。登場人物のどいつもこいつも飲んだくれてばかりのでたらめさ加減にはどこか懐かしさを感じさせます。 そんな青春の日々の中で坂本はゴールデン街や新宿の住人たちから箴言ともいえる言葉の贈り物をもらうのです。 「いずれ、親のありがたみがわかるときが来ます。それまでは自由気ままにやっていればいいんです」(202頁/バー<黄昏>のバーテンダー武田さん) 「大人になると、惨めで苦しくなるような恋なんてできなくなる。どれだけ惨めでも、どれだけ苦しくても、それは素敵なことなんですよ」(206頁/同じく武田さん) 「毎日うだるように暑いし、腹が立つことが続くし、だから、この街が嫌になる。でも、明日、なにか楽しいことが起こったら、嫌だったことも忘れちゃう。そうやって人生は続いていくんだよ」(218頁/バー<リリー>の店主リリー) 「ゆるしてあげなさい。息子もいつかだれかにゆるしてもらうときがくるんだから」(334頁/六本木の文壇バー<ペルソー>のママ佳子) こうした言葉のひとつひとつが、人生のままならさを鋭く突いていて、坂本のみならず、同じような思いをかかえた経験がある私の胸にも迫ってきます。 放火と殺人事件の真相は、ハードボイルド小説風の派手さはありません。謎解きを求めるのが本来の趣旨ではないのですから、そのことに不満を覚えることはありませんでした。 携帯電話もない80年代の新宿の空気を、若い主人公の目を通して眺めるのは大変楽しい経験でした。 . | ||||
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酒なしでは生きられない住人たちの巣窟、新宿ゴールデン街が舞台である。 作中にでてくるイギリスのパンクロックバンド THE CRASH 「London Calling」 にちなんでの「ゴールデン街コーリング」。 若き日の馳先生の人物模様をかいまみる楽しさに引き込まれ、そのルーツである新宿ゴールデン街で、愛すべき飲んだくれ達に育てられ憤った、ほろ苦い青春の一コマのなかにずっといたいと感じる。 ミステリー要素もあるが、あくまでストーリーの体裁を整える程度のものでしかなく、 おそらく著者もここに主眼をおいてはいないのであろう。 読み応えある箇所は、やはりキャラクター作り、人物を表現する魔術的な描写力である。 本作は馳作品を代表するクライムノベルではない。 昨今、ゴールデン街の住人は代替わりで、おしゃれ気取りの若者が店主とな て、来る客は外国人の旅行者か怖いもの見たさのエクスプローラー。 そんな様子を遠望した著者が、今の街を否定する訳ではないが、オレにも一言いわせろっ!ってシガーを咥えながら書き綴った物語。 こんなゴールデン街もあったんだぜって! | ||||
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ほぼ同じ世代だが新宿ゴールデン街とは無縁だった。けれども「バイト小僧」「読書」「映画」「(ほとんど行かない)大学」「下宿」「安酒場」など同時代的背景の「匂い」がふんだんに感じられてあの頃にタイムスリップしたようだ。 作者お得意の「クライム」「ノワール」「極悪人」とは無縁で、基本的には善良なのだが酒や金で身を持ち崩しそうでギリギリこちら側にいる登場人物に軽く感情移入できるかどうかがこの小説に対する評価につながると思う。 「『幻魔(大戦)』以降の平井和正は別人なのだ。」は激しく同意。そんなことまで思い出させてくれたうえに、この作者らしからぬ「極甘のハッピーエンド」もむしろ気持ちがよかった。 | ||||
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新宿のゴールデン街を舞台としたサスペンスだが、著者にしては珍しく青臭い大学生の葛藤がメインとなっており読者の幅を広げたような作品になっている。読みやい内容で、ラストも作者にしてはスカッとしている。 | ||||
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バブル前夜の1985年。場所は新宿ゴールデン街。そこは2000坪ほどの狭小エリア。マッチ箱を並べたような木造長屋建ての飲食店200店舗余りがひしめきあい、当時、東京におけるサブカルチャーやアングラの発信地のひとつでもあった。 そんな猥雑な一角にあった日本冒険小説協会公認酒場と銘打たれた「マーロウ」。連日朝方まで活字好きのサラリーマンや学生がグラスを傾けながらハードボイルド小説や冒険小説をネタに口角泡を飛ばしていた…。 主人公の坂本はそのバー働くバイト学生。無類の活字好きゆえ、現役の作家が集う店と知り憧れて入店。最大の誤算はマスター 斉藤顕の連夜の泥酔。酔えば人格は崩壊し、横暴かつ理不尽な言動は容赦なく、常に酩酊度を横目で見ながらの接客。この愛憎相半ばするふたりの関係を中心に、地上屋が影がちらつくバブル前夜のわずか200m四方で巻き起こるゴールデン街の熱狂を、著者の得手とするディテクティブなネタも絡め、当時酒場の常連だった船戸与一・志水辰夫・北方謙三に北上次郎(目黒考二)、立川談志も実名で登場するリアル感ありありの青春小説。 新宿で飲んだことは数回あるけど、ゴールデン街は未踏のエリア。その街をよく知らない者が読んでも、盛り場特有の路地に漂う小便臭さと吐瀉物の臭いが鼻先をかすめてくる。また、当時の空気を知る者にとっては、バブルへ突入していく手前の80年代半ば–皆が中流であることを信じて疑わなかった鷹揚な時代–の情景も浮かび上がってくる。 本書に登場する、バイト学生 坂本は著者の馳星周で作家としてデビューする、はるか以前の本名 坂東齢人(共産党員の父でウラジーミル・レーニンから名前を拝借)のことであり、バー「マーロウ」は著者が横浜市大時代、新宿ゴールデン街にあるコメディアン内藤陳が経営する酒場「深夜+1」のこと。 1985年の夏に実際に起こった出来事に、フィクショナルな要素を絶妙な配合で溶け込ませた自伝的青春小説。アラフィフからビッグフィフティにとって、懐かしさ溢れる一冊! | ||||
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面白いよ。 ゴールデン街 歌舞伎町 新大久保 区役所通り 、バブルの頃で今より泥臭かったゴールデン街を懐かしく描き出す青春物語。 フレッシュでいい絵を読ませてくれる。 でもなあ、甘いよ。甘すぎ。 人殺しちまった狂気を軽く書くな。 ボケてんのか? 分かっちゃいたけど、ぬるすぎる結末への展開が所詮フィクションに塗れた世界だって悲しかった。 ゴールデン街描くなら、余計なサスペンス入れるなタコ! | ||||
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同世代だけど初めて馳さんの小説読んだ。かなり丁寧な文章なんですね。その分、文体自体に味がないかな。 テーマで勝負ということだと書く内容によっては評価が凸凹しそう。Amazonの評価もそんなカンジ。この小説 は「ロードムービー」みたいに時系列にそってエピソードが並んでいるので、そういう意味で読み易かった。 今みたいにWebで情報収集もできない時代に、ゴールデン街で飲むようになる、バイトをするようになるという のは何かしらの「のっぴきならない」理由が必要。馳さんは「スカウトされた」ようなもんだね。僕自身は離婚を キッカケにして人に紹介され、ここに書かれている時代の20年後位から10年位通った。その頃でも初めての店では 「飲ませてもらっていいですか?」と仁義を切ってから入ってた。ましてやこの頃。一見さんお断りの店も多かった ろうし、癖のある人がたくさんいたと思う。読んでて地理関係や老舗の名物ママ、雰囲気などは昔通っていた分、 手に取るようにわかるので楽しかったww。登場人物もほぼ実名で出てくるのでそういうのもリアルで愉しかった。 僕が通っていた頃にも詐欺で捕まるマスターとか、死んでしまった常連とかの話とかいろいろあった。あの頃 からさらにゴールデン街は変わった。馳さんも書いているけど外人の多さ。それと女性や若者が入り易い店が 増えたこと、飲食できる店も増えたな。凪(ラーメン)なんて飲み屋が片手間にやってたのが、あそこまで大きく なった。小説にはあんまり書いてなかったから、簡単にシステムを説明しておくと 1,500円(ないし2,000)で チャージ&1杯&簡単なツマミというのが多い。以降は1ショット500円程度がプラスされる。なので2杯飲んで 帰れば2,000円(もしくは2,500円)。例外的にボトルが入れられる店があって、その場合は2,000円で簡単な ツマミがつく(ボトル代別途)てなのが多い。外人はチャージ料の概念が乏しくもめることが多いのでチャージ料 なしのところに集っている。そういう店は英語を話せるスタッフを置いていることが多い。 ゴールデン街は7時くらいからやってるけど、割と本格的にエンジンがかかるのが遅くて21時過ぎてからから 終電あたりまでがコアタイム。面白そうな客は深夜帯に多いので金曜夜とかにハシゴ覚悟で徹夜で飲むのが オススメ。そういう遊び方をするので、いいとこ40歳代までかな。年とってキツくなって離れていく人が多い。 デフレが続いてみんな安いところでしか飲まなくなってしまったけど、ゴールデン街は決して安くはない。 それに店をハシゴするのが醍醐味だったりするので、もろもろ含め1万/晩・・位使わないとあんまり楽しめ ないかも。それだけ使っても価値を持てる人が通い、時間が経つと離れていく街だと思う。 エピローグで馳さんが入店を断られたのには笑った。内藤さんが「来ても入れるなよ」と言い残しておいたわけ ではないだろうけどww。 | ||||
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馳星周氏のまさに「自伝的青春小説」。小説のとおり、本当に新宿ゴールデン街のバーでバイト経験があられるようで、小説からは当時の街の雰囲気やそこに集う人間たちの感情がリアルに押し寄せてきます。ゴールデン街を知らない読者も、そこで生きているような気持になります。 謀略戦や騙し合い、暴力が主軸のノワール小説の原点みたいなものが読み取れるかなと思いましたが、それよりも、上京してきた小説を溺愛する若者が、苦悩しながらも成長していくゴールデン街で過ごした日々がほろ苦く、暖かに綴られます。 | ||||
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内藤陳の店「深夜プラス1」で若き日の馳星周がアルバイトをしていたというのは、どうやらよく知られたこと事実のようですね。その実話をベースに馳星周が書いた青春小説がこの「ゴールデン街コーリング」です。 成功者が自分の青年時代を振り返った文章にありがちな自己美化が希薄で、バイト先の主人である斉藤顕(=内藤陳)やゴールデン街の愛すべき人たちの弱さ、ダメっぷり、そして主人公=自分自身のある種の冷酷さも遠慮なく描いているところがリアルです。 私も馳氏とほぼ同世代ですが、あの時代の空気が懐かしく感じられて、最後まで面白く読むことができました。 作中には「本の雑誌」とその編集者が重要な役割で出てきますが、そういえば椎名誠のサラリーマン小説(「新橋烏森口青春編」など)のような匂いもありますね。 馳ファンでなくとも楽しめる作品だと思います。 | ||||
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って感じだった。こういうのは男性受けするだろうなと ほどほどに面白く読んだが、率直なトコ、 エピローグの「すかしやがって」の感じが「優越」にくるみこまれた郷愁で、←が個人的に好きじゃない | ||||
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時代背景とゴールデン街という特殊な街の様子は、学生の頃、バイトに明け暮れて学校に来なかった奴って、多分、こんな生活を送っていたんだろうな。って思わせる。今となっては羨ましい。 「自伝的青春小説」と銘打たれてるだけあって、当時のゴールデン街の様子が生々しい。清濁併せ呑むとでも言うのだろうか、アンバランスなまでにやりたいこと興味あることを続けれる環境とそれ寛容に受入れる環境と、アンバランスな精神がむき出しになっている環境が同居している様は「住人」にしか描けないものかもしれない。殺人事件が絡んだミステリーってことを忘れるくらい、街と住人の描写に食い入るように読んでしまった。 それにしても、内藤陳って酒癖悪かったんですね。 | ||||
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馳星周の書く青春小説。 馳星周が新宿を舞台にした小説を書くのに、中国人もヤクザも出てこない。頭の中でサイレンが鳴り響いたりもしない。ゴールデン街でお酒飲んで、つまみおごってもらって、二日酔いになってまたお酒飲む話。 でも不思議と引き込まれて一気に読んじゃう。これまでの馳星周作品と違った、淡々としてて、でも生々しい青春。そんな作品でした。 馳星周、青春小説路線続けてみるのもありなんじゃないかと思う。面白かったです。 | ||||
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バブル前後のゴールデン街の飲み屋界隈で起きた出来事を描いている。 普通、こういうテーマだと、「街ラヴ」を声高に叫ぶ作品になりがちだが、あくまで退廃した場所であり、いつまでもそこにいてはダメになる、という批判をきちんと入れている。 理想の町ならば、誰もが守ろうとするし、作中で登場人物たちが口でいう事と裏腹に、そういう動きをし切れていないのは、やはり、無理を感じているからだと思う。 それでも愛は愛で持ち続けている、そんな感じの話。 | ||||
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