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死ぬほどいい女
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死ぬほどいい女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.73pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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取り掛かったとき、口語、俗語、卑語のオンパレードで心細くなったが、だんだん慣れて早く読めるようになった。登場人物が少ない上に短文の連続だから意味は取りやすいといえる。辞書で後ろの方の語釈から探す癖がついてしまったよ。内容的には、最後の筒井康隆風の破綻にもっていくやり方が納得できず、失望を禁じえない。 | ||||
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うだつのあがらないセールスマン。売上をチョロまかしながらせせこましい生活をおくる男は、出会った不幸な女を救おうとして運命が狂い始める、というファムファタルもの。 トンプスンのこの手の話は、男が犯罪の手を染め、結果破滅へまっしぐらのパターンなのだが、本作品はちょっと違う展開になる。 女のために大きな金を手にいれようとする主人公は、殺人を隠蔽するために、次々に犯罪を犯していく。しかしながら、悩める主人公のいき当たりばったりの行動が、なんとなく上手くいってしまうのだ。 ノワールというほどの暗黒感は少ない本作品。冷え切った男の本質とラストのどんよりはトンプスンらしくはある。、 とにかく邦訳タイトルは素晴らしい! | ||||
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例によって告白するような、読者に話しかけるような主人公ドリーの一人称で話は進行する。ぶっきらぼうで単純な、パルプ・ノアールらしい文体だ。周辺の状況を描き込まないから世界は狭く、すべてがシンプルで、読者はあっという間にその世界に取り込まれてしまう。 読者はドリーの独白を聞かされ、彼が自己中の独りよがりでいい加減な性格だとすぐに理解する。欲に駆られ、足元を見ないまま企みに踏み出すドリーの犯罪が成功するのか危ぶむ。見通しは不安定で、それがスリルを生む。 ドリーの犯罪は成功した・・・ように見える。しかし、最終章で読者は不可解な展開に戸惑う。パルプ・ノワールがいきなり純文学に変貌し、爆発し、唐突に終わってしまう。 解説者が指摘するように、確かにこの小説は破綻している。最終章の一章手前でストーリーは決着を見ていて、一応のまとまりもある(そこそこいい出来だと思う)。ところが、トンプソンは訳の分からない最終章を加えて、すべてをぶち壊しにしてしまう。 解説者が言うように、そこにトンプソンのトンプソンたる所以がある。書かざるを得なかった、読者に呪詛をばらまかずにいられなかったのだ(出版社もよくそんなことを許したものだ) 。 しかし、異なる読解も可能だと思う。 物語ではまずドリーの被害妄想が強調され、ちょうど真ん中あたりで自己欺瞞に満ちたドリーの手記がメタフィクション的にいきなり現れ、ついで精神の変調がしばしば出てくるようになる・・・ ドリーが次第に狂っていくこの流れは、トンプソンが周到に用意したものだ。 「な、わかるだろ」何回も出てくるドリーのこの言葉は、自分の認識が狂っていないことを読者に確認しているのだが、客観的に見てドリーの言動は辻褄が合わなくなっていく。 最終章はあり得ないシチュエーションで、これは一章丸ごと、破滅するドリーの狂的な妄想ではないか。しかも、意識が整理されず妄想が二重三重に重なっている。トンプソンはその状況を「行を入れ子にする」ことで描いて見せた。 あまりに異常な展開だから、著者が爆発する感情にまかせて書いているように見える。しかしそれは見せかけで、トンプソンは計算づくだろう。1950年代初期、大衆的パルプ・ノワール分野で純文学的実験を試みた作家、それがジム・トンプソンだと思う。 | ||||
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いると思って舐めてかかる読者に襲い掛かるラストを体験し、精神に異常を来たして欲しい。 | ||||
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主人公ドリーは己の所業を途中何度も悔み悲しむが、それは反省や改悛とは全く無縁の感情で、飽く迄もエゴイスティックな本能に基づく単なる気分の浮き沈みに過ぎない。しかも全篇を通じて徹頭徹尾責任を回避するドリー。何という卑しさ。忌々しさ。胸が悪くなる。しかし、そんなドリーのリアリズムを我々読者のそれと重ね合わせれば、悍しさは一転して小気味好さ・痛快さに昇華し、後ろめたい爽快感で頭が痺れ始めるだろう。 ドリーも読者も痺れ果ててしまったが、独り冷徹なトンプスンだけは最後まで小説の結構に心を砕き、類稀な独自の世界を創り上げた。天才の手になる見事な傑作、必読書だ。 | ||||
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パトリック・ドヴェール主演のフランス映画「セリ・ノワール」が面白かったので、その原作である本作を読みました。破壊的な結末は映画から分かっていましたが、それでも面白かった。読んで良かったと思いました。アラン・コルノー監督が原作をできるだけ忠実に映画にしている様子もよく分かりました。 他のレビュアー氏も書いていますが、本作が文庫化されないのは惜しいことです。映画は既に鑑賞済みですが「ゲッタウェイ」や「現金に体を張れ」「グリフターズ」など、ジム・トンプソンの他の作品も読んでみたくなりました。 | ||||
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たいへん残念なのは、この作品がふつうに手にとって読むことができにくくなっていることです。わたしは図書館で借りて読みました。でもどうしても手元に置いておきたくて、結局Amazonで洋書を買ってしまいました。(全部は読んでません。例のあのくだりのところを中心に拾い読みですが。) すぐ絶版・品切れにしてしまう悪名高いF社だからしかたないといってしまえばそれまでですが、それにしても惜しい。自社で文庫も出しておられることですから、いちどご検討いただいてはいかがなものでしょう。潜在的需要はかなりなものになると思うのですが…。J.F.バーディンの『悪魔に食われろ青尾蠅』文庫版もかなり好調なようですし、そろそろいいんじゃないでしょうか。このまま読めなくなってしまうのが、いちばん悲しいことです。 | ||||
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暴力小説です。派手にドンパチやって、いっぱい人が死ぬとか、いっぱい血が流れるとかじゃないです。暴力小説でなく、小説暴力といったほうが正しいかもしれません。この小説が小説自身の自己破壊を試みます。また、読者をそれに巻き込もうとしています。まるで白昼の通り魔テロのようです。あなたが読後、どのような評価を下そうが、必ずあなたに傷痕を残すであろうことを保証いたします。 | ||||
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古いけど、凄くシンプルでいい! 一日で読んでしまうほど、ハイスピードです。 | ||||
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稚拙すれすれの乱暴な文体・描写、下品なギャグ、 単純で平板なストーリー。 そう書くとまるでクズだが、 どういう訳かトンプスンの描写には 読み手を引きつける不気味な単純さとでも言うべきものがある。 そして、この本のキモはなんと言って終末部。 そこのイカれっぷりは凄い。 終わりの数ページで、結局何が本当なのか読み手も 理解出来ないまま、唐突に物語はばらばらに解体されて 終わってしまう。 この展開には、誰しもが驚愕するだろう。 といっても、探偵物や犯罪ものにありがちな「意外さ」を 期待すると裏切られる。 文字通り、「ばらばら」になるのだから。 とぎれとぎれに読まない方がいい。 一晩で一気に読むと、格別の感覚が味わえる事を保証します。 | ||||
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さてトンプスン作品群の中で最も過激なラストを有する衝撃の一冊! ぼくが最初にトンプスンを読んだのは『サヴェッジ・ナイト』だったが、その結末に魅了させられて以来トンプスンを追いかけている。はまったというやつだ。 その作品でも相当にいかれた結末なのだが、他の意味であまりの物語的破綻ぶりに、受けた衝撃はかなりこたえた。まるで自分の小説とのつきあい方というものに対してに、ずしりと新しい錘をかけられたみたいだった。その『サヴェッジ・ナイト』結末以来の破壊的なラストが本書にはある。 破滅的なラストというのならわかるのだ。登場人物たちが皆殺しになって何もかもが物語の中でペシミスティクな週末の迎え方をして、読後に空しいほどの後味の悪さが残るとでも言うのならそうではなく、本書のラストは、まさに物語から断裂し、破綻している。ほとんどの読者を置き去りにして。 単純極まりない犯罪小説である。ある女と出会い、その女に、性格が破綻したかのような主人公の訪問販売員が心を奪われる。汚穢のなかで呼吸を続けてきたような男の人生にとってはまるで自分の中の他人のように、それは新しい感情だ。その違和感を同居させながら、男は破滅に向かってただただ一方的に堕ちてゆく。 雑な計画から雑な殺人、継いで感情的な殺人へと男は狂ってゆく。冷酷でエゴイズム剥き出しの男は語りの中でさえ嘘をつき始める。前衛的な描写によってトンプスンは読者を圧倒する。男はやたらに読者に話しかける。胡散臭さでいっぱいの毒々しい声がまるでこちらの脳内にまで響いてくるようだ。悪夢的体験。これぞジム・トンプスン! という作品的流れだろう。 そしてすべてが悪夢の中に終わる。手が離せず、何度か読み返す。これぞ、ジム・トンプスン! そう言える掛け値なしの一冊だ。敢えて普通にはぼくはお薦めいたしません。ぼくは大好きだけれども。 | ||||
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