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6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。
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6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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行き詰まった狭い社会で自分とは何かを探る若者たちの青春を巧みに描いた青春小説で読みやすかったです。 やがて大人になる少年少女達のこれからを上手く表現されていて心に突き刺さりました。 | ||||
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Just Becauseや秒5(ちょっと違うかな?)のような青春群像っぽい作品が好きで色々読んでいます。 この作者の本はノータッチだったので今回読んでみました。 キーとなる4人の登場人物はその誰もが現実にいそうという印象を抱かせてくれる感じで非常に想像しやすいです。 また舞台となっている長野は都会でもあり田舎でもある…ちょっと複雑な感じが各キャラのイメージと合致していて良いと思いました。これが東京とかだったらまあ雰囲気は出なかったと思います。 構成としてはキャラの視点ごとに1章ずつ進んでいく形なので非常に読みやすいですし、ちょっと読みにくい部分はあるものの最終的に俯瞰するにはいい進行だと思いました。 是非続編とは言わずとも、彼ら彼女らの今後を覗き見してみたいと思いました。 | ||||
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おにぎりスタッバーが微妙だったので、あまり期待していませんでしたが、 こちらは普通の青春物語となっており、安心して楽しめました。 成長と旅立ちの物語です。 男女二人ずつ、合計四人の視点から各章が描かれており、 非常に心情が分かりやすい作品となっています。 | ||||
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心の底から泣けないという現実味を帯びた悲しみがこもっています。 自分はこの作家さんを女性と認識したのですが、心理描写の部分が緻密で、ライトノベルの体裁をしているので水深が浅いのですが舐めていたのでそこに倒れ込んだ際に否応なく鼻や喉を塞ぐ水の重さ、粘りけに驚いて溺れそうになる感覚でした。(いみわからんな) 正直言いまして、生息域はラノベではないと思ったんですけど・・・。まぁ、若者文化に理解のある純文学好きが手に取ると嬉しい作品だと思います。 男子に取り、女性の、女子高生の思考を学習する教科書としても良いのではないかと思いました。 | ||||
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そう、切ない。 春が来て、卒業して、皆それぞれの次の行き先向けていなくなる。一年、一年変わっていく彼ら、彼女ら。日々あがきながら、でも、それぞれがキラキラしてる。 社会に出て、来る年、来る年が同じように過ぎていく私にとって、君がいなくなることだけじゃなくて、そこに至る日々までが眩しくて、切なく思えてきます。 設定が奇っ怪な著者の前作までとは一転、舞台である安曇野、松本のイメージにふさわしい、落ち着いて清涼感に溢れた作品です。 春のこの時期にこの本を読めて幸せでした。 | ||||
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この本は青春群像劇とされていますが、ちょっと特殊で、 4人の物語が同時進行的に語られるのではなく、 高校の3年間という時間を4人で割って、 それぞれの視点から語っていくという形式になっています。 つまり4人のエピソードを合計すると高校3年間の流れが完成するといった感じです。 基本的に1人称視点で話が展開され、 文体も今どきの高校生が話すようなかなり軽めの文体になっています。 物語に入り込めればそこまで気にならないとは思いますが、 この文体が苦手な人もいるかもしれません。 私も最初は読みにくくて、苦労しました。 しかし、いざ内容に入りこむと終わりまではあっという間でした。 おおまかな流れは香衣、諏訪、龍輝、セリカという4人が出会い、 そしてタイトルの通り高校を卒業して別れていくという ごくありふれた話です。 ですが、“どう別れるか、そしてなぜ別れるか” がこの物語の肝になっていると 私は感じました。 私は涙もろく、別れのエピソードを読むとすぐに泣いてしまうのですが、 この作品については、泣くことはありませんでした。 面白くなかったというわけではなく、 読んでいて納得のいく別れというか、納得させられる別れだったために 泣けなかったのだと思います。 ページ数は300ほどですが、 最後の100ページがかなり読み応えあります。 文体にも慣れ、作中の人間関係も把握してきたころに、 そしてタイトルから“別れ”はやってくるとわかっていたのに、 衝撃を受けました。そして納得しました。 ライトノベルやアニメ好きには受ける内容になっていると思うので、 そのうちアニメ化されると思います。 読みづらい文体も映像では緩和されると思うので、 アニメ化されれば結構ヒットするだろうなと思います。 | ||||
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某新聞の書評欄に載らなかったら、先ず読まなかった本である。角川スニーカー文庫は聞いた事があるので大型書店に行き、文庫コーナーの角川文庫の近くだろうと探したが見当たらない。仕方がないので書店員に聞くと、漫画コーナーに連れて行かれ戸惑った。まさか、漫画? 手に取ると漫画と見紛う装丁だが、ここまで来たら引き返せない。某新聞の書評を信じよう。 高校生の出会いと別れの小説だが、主要登場人物は4名で、郷津香衣、諏訪隆生、丸山龍輝、峯村セリカの順で話が展開していく。プロローグとエピローグが郷津香衣なので、どうやら香衣と次の諏訪隆生がカップルで、プロローグの別れのシーンは香衣が隆生を見送るのだろう。そして次に、回想という形で振り返っていく。2名だけなら直球すぎるので、龍輝とセリカを絡ませるのだろう。 一人称形式なのでスラスラと読める。こういうのをライトノベルというのだろうか、地方の高校生の生態が垣間見られて興味深い。ただ、隆生が私的には好みなのに、嫌な面が出てくるし、逆に龍輝が私的には適わないのに、好ましく描かれ、香衣の相手がどちらなのか、単純ではなくなる。 それよりも何よりも峯村セリカの章で、ここまで高校生の青春って良いもんだなと思っていたのが、暗転する。このギャップがすごい。ライトノベルっぽいのが吹き飛ぶ。これを最終話に持ってきたのがプロットとして巧い。作者のたくらみにまんまと乗せられた。そうなると、冒頭の別れのシーンも単純に女性が送るという図式も変わってくるのかなと思う。 このように後半は重いが、引きずらない微妙なところで着地し、私の意図していた展開ではないが、良い意味で裏切られ、角川文庫ではない、これが角川スニーカー文庫なんだなと、妙なところで納得した。 | ||||
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最初読み始めたときは、この作品に対してそこまで興味を持てませんでした。文体軽いし、よくある感じのつまらん恋愛小説かなという程度にしか思っていませんでした。しかし、読み進めていってびっくり。面白いじゃないですか。読むのに集中しすぎて電車を乗り過ごす程度には面白いです。 まだ読んでいない皆様へ。悪いことは言いません。騙されたと思って是非読んでみてください。 因みに、僕が本を読んで泣いたのは一回だけですが、この本で2回目になるところでした。電車の中だったのでこらえましたが。(秋山瑞人という作家の「猫の地球儀」で泣いたのがその一回です) 以下ネタバレ注意です。 『最期の「なんとかする」を実行した続編を見てみたい。』(原文ママ)ととある方がレビューしておりましたが、僕は寧ろ続編は出してほしくありません。蛇足となってしまう気がするので。この終わり方は個人的にかなり綺麗だと思います。まぁこんなこと言っていて続編出たら絶対に買ってしまうのですがw | ||||
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圧倒的な文章量の割にくどくなく、独特のリズミカルな文体。 冗長にならないストーリーに、蛇足の無い伏線。 過不足の無い構成は、いったいどこまで計算されているのか。 読んでいて退屈な瞬間がありません。 極上の娯楽です。 一度ハマるとクセになり、脳内の何かが分泌される中毒性すらあります。 紙上の麻薬・・・もとい魔薬、魔法のおクスリです。合法です。 私は、大澤めぐみ先生の作品が大好きになりました。 今後の活躍に期待しつつ、今は『カクヨム』に掲載されている作品を少しずつ楽しみたいと思います。 ちなみに、『ひとくいマンイーター』を読んだ私は、まんまといろはす梨を買ってしまいました。 なので、いずれ抹茶クリームフラペチーノも買うのでしょう。 作品の一端を体感できる楽しみがあるので、これからも実在の固有名詞をちょこちょこ出していただきたいです。 | ||||
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それぞれの視点で話が進む青春もの。 ラノベと言うより一般に近い作品だと思いました。 面白かったのですが、何というか、結局作者は何を伝えたかった(何をカタルシスにしたかった)のかなぁ、と少し消化不良な感じではあります。 確かにそれぞれがうまく交わって、一つの背景の中で様々な立場と思惑と青春があるのは面白かったのですが。 その意味でも一般に近いのかなと。 | ||||
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おにぎりスタッバーで衝撃的なデビューをとげた、天才 大澤めぐみの最新作。2作目はデビュー作の外伝だったが、本作は新作。そして名作。あいかわらずの膨大な文書量と高密な描写で、大澤めぐみワールドに引き込まれる。読み進むにつれ、全ての角度からの情景が繋がっていく快感。見事です。好き嫌いが極端に分かれる作風なので、万人に進められませんが、ハマる人はどっぷりとハマる。そんな作品です。 | ||||
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好きなことと出来ることは違う。 香衣と隆生の二人は、目の前の課題をこなすことに精一杯の、似たもの同士だ。この二人の関係が(現時点において)発展しないのは無理もないだろう。 勉強にしろ、サッカーにしろ、特段好きというわけでもないかもしれないけれど、(多少の曲折はあれ)今は自分が出来ることをこなしてゆくだけだ。それはそれで、何らかの結果をもたらすだろう。自分で進んでやっているのか、誰かに、何かにやらされているのかさえわからない。考える余裕もない。でも「自分って何だろう、本当は何をしたいのだろう」と切実に考える必要があるのであれば、考えるものだ。今はとにかくやるだけだ。自分とは何なのかは、時期が来れば自ずと考えることになるだろうし、その時がそれを考えるべき時なのだろう。 セリカと龍輝の二人は苛烈な家庭環境におかれ、自我の構築を手掘りで(自らの手で、素手で)進めなければならない。それは、今なすべき危急にして最大の課題だ。家族は勿論、周囲の連中はクソ野郎ばかりだ。恵まれた環境でのうのうと生きている連中がねたましい。 でも、改めて見直してみれば、損得抜きで自分を見守り、心配し、気に掛けてくれている人がいる…。それに気付かなかったのは、自分から壁を造り、門を閉ざしていただけだったんじゃあないのか?或いは、とにかくそんな余裕さえなく、自身を守るのに必死だったということか? 漂流しそうになる自我を、この世につなぎとめてくれる存在はいないのか…?いた、いるじゃあないか! 誰かの好意や善意に気付いた後、次は自分が周囲の誰かに対してそれを行う番だ。 ※ それぞれが、それぞれの事情を生きている。 他人のことに無頓着で無関心に近かった香衣は、セリカを心から心配するけれど、それは自分の価値観を守る、という機制に発したものではなかったか?という疑いは残る。でも、必死で本気でセリカを追いかけた事は、確かなことだ。美しく尊いその行為にこそ、最大の価値を置きたい…。 龍輝によって、様々な外の世界に導かれ、心を開かれてゆく香衣だが、龍輝に対する好意がそれによって高まったのであるとすれば、今後は二人の価値観や正義感の相性が問われる局面も出現するはずだ。今後の二人はどうなってゆくのだろう? 龍輝にとって香衣は、ともすると漂流しそうになる自我を、この世に繋ぎ止めてくれる、まさに天使に他ならない。一方、不良と言われ学内の恥部と言われている龍輝だが、香衣にとっては世界を案内して目を見開かせてくれる、ある意味、外界と自分の接点を媒介する案内者である。(しかし、それぞれ、相手は単なるトリックスターでしかないのかもしれない。それは…時間が経ってみないと判らないだろう) 対他者関係の築き方は、一朝一夕で変わるものではない。香衣はこれからも同じような他者との向き合いかたを続け、いらぬ苦労をすることだろう。でも、周囲に惑わされずに、自分自身の基準で龍輝やセリカと接することができるという美点によって、香衣は良い出会いに恵まれるだろう。 セリカの、まんべんなく誰にでも接してゆく事ができる性格は、彼女が全否定する母親譲のものであろう。それとセット関係にある彼女の他者に対する興味は、その育ち故に冷徹さをはらんでいる。(或いは、その冷徹さは環境要因によるものだけではなく、セリカを捨てた冷血な父母譲りなのであろうか…)その他者に対する根本的に否定的な視点は、香衣や平井という本心から自分を救おうという意志を持った存在に接することによって、「世の中、案外バカばかりっていうわけでもなさそうだ」という方向へ解かれて行くだろうか?或いは、バカというひとくくりの視点を脱することによって、相手を尊重し合う豊かな相互関係を持つ人間づきあいができるようになるだろうか。 龍輝の父親は、しっかり向き合ってみれば案外立派な人なのかもしれない。でも、母親はちょっと難しそうだ…。でもそれも、もしかしたら向き合い方もあるのかもしれない。 まあ、男子連中は、なんとかやってゆくだろう。 女連中は…、それぞれの癖を持ちながらも、きっとやり抜いてゆくだろう。なんてったって、こんな素敵な時間を経験することができたのだ。自身の持つ基準を信じて他者に接することが出来ること、他者を信じることが出来るということは、自我のバランスの取れた円満な成長に他ならない。この3年間で、彼・彼女らは、そんな意味で確実に成長を遂げた。 | ||||
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最期の「なんとかする」を実行した続編を見てみたい。 序盤だけ読むとヒロインの相手を勘違いしがちだが、途中でコロっと入れ替わってしまうのが切なくてとても良い。 各々に事情を抱えながらも、成長していく4人のキャラが立っていてとても引き込まれる。 | ||||
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語彙力なくて申し訳ないのだけれども、なんだろう、こういうハッピーエンドでもバッドエンドでもない青春の1ページ的なのを読んでるとなんか泣いちゃいました こういうライト文芸?みたいなのすごい好きです | ||||
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内容は文句なしに面白いです。書き続けて欲しいので星は4つとさせていただきました。 大澤さん、いい物語をありがとうございました。 | ||||
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ラノベはタイトルが長い。 作者のエゴや理想をそのまま落とし込んでいるからだ(と思う)。 だから、この作品は春という出会いと別れの季節で、別れに焦点を置いた物語だと想像できる。 いざ読んでみると、早速別れ話。主人公と周りの人達の成長と別れがメインとなっている。 それは青春なのかといえば必ずしもそうではなく、人としての成長の方が強く感じられた。 だから、なのかは分からないが、女性が恋煩いではなく今後の不安に立ち向かっている姿が描かれている。 そして、それが余りにもリアルな描写なので、巷に溢れる「男性が描いた理想の女の子」ではなく、「女性が書いた等身大の女の子」がそこにいる。 これがなんでライトノベルなのだろう…。 なんて思いながら読んでいました。 が、文章やら言葉選びやら、「きゃるーん☆」としていてそれはもう「きゃるーん☆」だから読者も「きゃるーん☆」と読めるわけで。 つまり、☆(ライト)ノベル要素が重たい内容を軽くして読みやすくしているのだ☆ | ||||
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ページを埋め尽くす饒舌な独白調の文体と現実と幻想がシームレスに入り混じった様な不思議な雰囲気が特徴の作家・大澤めぐみの三作目。 概要から言えば松本市の学校に通う四人の高校生の三年間の高校生活を視点を切り替えつつ追った物語、という事になる。 「魔法少女」なんて言葉が散りばめられたデビュー二作と比べれば雰囲気はかなり現実寄りっぽい。 松本や安曇野といった現実の地名もさることながら、大糸線や三溝駅といった鉄道関連用語が散りばめられ、 果ては「安曇野市立穂高東中」なんていう実在の公立中学の名前がポンと出てきたのには些か驚かされた。 (「碌山美術館」という施設が隣接している事からも間違いないと思われる) …が、必ずしも前作までの現実と幻想がシームレスになった不思議な「味」が失われたわけではない。 主な登場人物は四人。 松本駅から徒歩三十分ぐらいの所にある公立の割には妙にサッカー部が強い捧庄高校に通う高校生。 (ちなみにこの高校名だけは創作っぽい。作中で示される条件に該当しそうな県立高校はあるが) 「何もない」安曇野がイヤで仕方なく、松本で少しでも都会の女子高生っぽい高校生活を送ろうと所在地で高校を決めた郷津香衣。 兄に憧れてサッカーを始めたは良いが、中学時代に経験した部活内での「下」としての扱いにルサンチマンを抱える諏訪隆生。 学校で唯一人の不良と後ろ指を指され、ヒステリックな母親のお陰で家にも居場所が無く松本の町を金もないまま彷徨う丸山龍輝。 常に妙なハイテンションでクラスメイト全員との距離感が等距離という不思議なコミュニケーションスタイルに固執する峯村セリカ。 物語はこの四人の視点を順に借りながら語られる形式をとっている。 物語は高校入学後、安曇野を出たら自分が「人見知り」だと気付いた香衣が唯一人のベントモ(弁当・便所の友)であり 田舎っぺでがり勉の自分を隠そうと必死な自分と違ってコミュ力が高く、自然体で独自の雰囲気を出す女子高生の理想形でありながら 携帯の番号も教えてくれないセリカに放課後教室に残ってくれと頼まれる場面から始まる。 「『正式なお友だち』への昇格」と意気込んだ香衣の思惑に反して、セリカの目的は個別面談までの待ち時間を付き合ってくれという物。 そんなセリカが放課後の時間つぶしの勉強中にふと口にしたのが「自分はサッカー部の諏訪君が好きかも」という一言。 何気なく発した一言だったけれども、香衣がその言葉に揺さぶられたのは諏訪が自分の彼氏だったかもしれない少年であったから。 ここでこの第一章の語り手である香衣が語る物語はビュンと時間を遡り、 中学三年の時に下駄箱に手紙を入れて呼び出しを掛けてきた諏訪隆生との出会いから、サッカー部の強い捧庄を受けたいので 一緒に勉強してくれないかという頼みを受けて始まった香衣と隆生の受験勉強生活から高校合格までが語られる。 本作は各省でこの長めの回想が挿入されるのだけど、この回想シーンと現在進行形の場面が妙にシームレス感が強く、 この辺りは前二作を彷彿とさせる。 この第一章は完全に香衣の独り相撲の物語となっている。 「サッカー部の男子が別段可愛くもない自分に勉強を教えてくれと頼んできた=最初から彼氏がいる高校生活が送れる」という 香衣の「大都会・松本での華やかな女子高生ライフ」への憧れが基になった発想の飛躍が素晴らしすぎるw 「二人で入ったスタバでフラペチーノ」みたいなしょうもない妄想に取り付かれて鬼の教官と化した香衣の奮闘もあって捧庄高校に合格。 合格発表の場で勢いあまって隆生にキスしたまでは良いけど、 異常な量が毎日出される課題と肝心の諏訪のサッカー浸りの生活のすれ違いが生じた事で関係は進まない。 それどころか隆生は「勉強を教えてくれ」「サッカーが強い高校に入りたいから」と言っただけで 「好きだ」の一言も言ってくれたことが無い事に気付き「なんでキスなんかしたんだ、私」と転げ回る香衣の姿はまさに独り相撲。 「彼女でも無いのにキスしたりした自分は隆生の何なんだ?」と悩む中、駅で久しぶりに出会った隆生を前に自意識が暴走した香衣が 「最後のチャンス」を棒に振るまでが描かれている。 「好きなら『好き』と言ったら良いじゃん」というのは外野のたわ言であって、 この「自分が相手にとっての何物であるのか」という自意識で全ての行動が縛られてしまう思春期的自縄自縛が 隆生から三歩離れた所で先に進めず何も言えないままチャンスを素通りさせて香衣自身に涙を呑ませる展開になってしまうのが実に良い。 しかし本作が面白いのは第二章で語り手が隆生に切り替わってからである。 第二章の流れまで語ってしまうと些か冗長になるので端折るが、隆生自身もまた香衣に想いを抱いていた事が明かされる。 それなら何ですれ違いの状態を解消しなかったのか、と言えば、これがまた思春期的自縄自縛=自意識の問題なのである。 中学時代の部活経験で人間には「上」と「下」があり、場を支配する空気の奴隷として「下」である自分を虐げてきた連中や そのベースとなる上下関係を憎みながらも、「良い」と思っていた香衣を前に自分が「下」であるという卑屈さ故に何もできない。 再び「好きなら『好き』って言えば(以下略)」……つまるところ、やっぱり「相手の目に自分がどう映っているか」なのである。 この構造は終盤の第四章、他の三人を散々振り回したセリカの視点の物語でも立ち現れる。 生まれた途端に母親から水洗便所に流されそうになったという笑っちゃうほどにヒドイ生まれと育ちの少女セリカの (ちなみにこの生後すぐのエピソードは2016年に茨城県で実際に起きた事件そのまんまだったりする) クラスメイトの間を等距離で浮遊するトリックスターめいた生き方と、その被り続けた仮面の下で グツグツと滾っていた諦観とルサンチマンの描かれ方はもはや露悪趣味の一歩手前まで来ている(ギリギリの所で抑えてあるが)。 この「『わたし』は何者か?」「わたしはどう在りたいのか?」が「誰の目にどう映りたいのか?」という意識に遮られた様な 自らの内側から立ち上ってくる声に耳を塞ぎ、目を逸らす様な三人の思春期と対照的なのが第三章、丸山龍輝の視点である。 他の三章が吉丸一昌が作詞した「早春賦」の名ばかりの春の寒さに「まだその時ではない」と歌いたい歌を歌わず、 「もう春だと知らなければ」と知ってしまったが故に目を逸らす事ができなくなった自分の想いに責められる様を描いているのに対し、 唯一人龍輝だけが、自分の内なる声に耳を傾けた少年として描かれている。 この第三章だけは早春賦ではなくフランスのエレクトロ・デュオ「ダフト・パンク」の 「Harder,Better,Faster,Stronger」がモチーフとなり、宇宙人のような姿のギ=マニュエル・ド・オメン=クリストを 自らの偶像(アイドル)として胸に住まわせ、常に生き方について語り合っている龍輝の生き様が描かれている。 龍輝の独自性は「メロン=絶対正義」という多少奇妙ではあるが確たる価値基準を持っている点にも表れている。 このメロンは第四章で仮面少女であるセリカを悔し泣きさせる事になるのだが、 「好きなもんは好きだ」と夜の町を金もないまま彷徨い歩き、「ダメなもんはダメ」という正義感でピンチに陥る龍輝だけが 学校では「ただ一人の不良」として後ろ指を指されながらも自意識に縛られた不自由さから解放された存在としての象徴となっている。 記号化された「女子高生」に回収されそうな時代を「ベージュ色の自分でも恋したって良いじゃない」と自らの生き方を模索した 「おにぎりスタッバー」の梓や、「栗色の長い髪の魔法少女は誰にも負けない」と自他の境界が危うくなるほど自己がぐらついた恵など 「自分はどう在りたいのか」を問い続ける少年少女の姿を描くという意味で本作の、特に龍輝と他三人の対照的な書き分けは 作者である大澤めぐみが追い続けているテーマを如実に反映しているのではないだろうか? 最後の最後で一人の女子高生が「自分はこう在りたい、こうしたい」という自らの内なる声を解放させるまでの三年間を描き切った ドライブ感溢れる物語、今回も大いに堪能させて貰った。 | ||||
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進学校を舞台とした、4人の男女の視点から描かれる青春群像劇。 登場人物はそれぞれ個性的だが地に足の着いたリアリティがあり、皆どこかにいそうな雰囲気を感じさせる。 どの物語もそれぞれに魅力的だが、セリカのエピソードには特に引き込まれた。こういう子には幸せになって欲しい。 別れを描いていながら前向きで余韻の残るラストも見事。しばらくこの世界に浸っていたくなる。 | ||||
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前提として、著者の前作、全前作が個人的に好みである。本作は全くしてジャンルが違う。 内容としては、掲題の通りである。 初編では繰り広げられるピュアで清楚な女子高生がアワアワしつつ、ほのかに苦い別れを告げる。なるほど、表紙にそぐうテンプレートな恋愛小説である。 以降は、友人候補のキラキラ女子高生、彼氏に近かった優男スポーツマン、進学校唯一の不良と呼ばれる人間、個々の恋愛的でない全てベクトルの違う青春短編だ。ジャズとロックとプログレを1枚に納めたような。 最大に評価すべきは、それらを、異常性を含めてきっちりまとめ上げたエピローグだろう。 大澤めぐみの"恋愛青春小説"を読んでみたく購入に至ったが、この稚拙なレビューを読む方がおられたのなら是非一読いただきたいものだ。 | ||||
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