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6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。
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6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全2件 1~2 1/1ページ
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テンプレな別れと青春劇。それ以上でもそれ以下でもない。 スニーカー文庫はこういうアドレセンスな寂しい少年少女たちの群像劇出すの苦手なイメージ。今はどうかわからないけど。 それぞれのキャラの視点で描かれる情景は良いけど、最後は投げやりな感じがしてどこか腑に落ちない終わりだった。 | ||||
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読んでいて漠然とした違和感を覚えた。 この物語では、メインキャラの4人全員が秀才であり、そのうち3人が「バカ」に振り回されて苦悩している、という設定がある。 この時点で、違和感である。 普通なら、秀才キャラは一人か、せいぜい二人だ。 王道の青春群像劇を描くなら、「相当な進学校」を舞台にするのは普遍的ではない。 とはいえ、『彼氏彼女の事情』などは進学校が舞台であるが、誰でも楽しめる普遍的な作品である。 何が違うのかというと、先述した「バカ」の存在である。 この作品では、「バカ」は本当にただの「バカ」として描かれており、秀才たちをただ悩ませる存在でしかない。 やはり違和感である。 普遍的な物語では、バカなキャラも秀才キャラも、ぶつかり合いつつ一緒になって物語を作っていくものなのだが、 この作品では、両者は完全に対立している。 確かに「バカ」たちの言動は客観的に見ても「バカ」なのだが、ともすれば、秀才たちが彼らを「見下している」ような構図になっており、これは感情移入しづらくなるので得策ではない。 秀才たちはそんな「バカ」たちの妨害にもめげず、壁を乗り越えて、新たな道を歩んでいくのだが、 果たしてそんな話が、広く受け入れられる作品になり得るだろうか? 唯一、「バカ」な人間と関わりを持たない女子の視点で描かれた1章は、とても面白く読めた。 恋愛に不器用で、友達との関係に悩んでいて、なんとか自分を変えたいと思っている女の子。 その心情が実に軽妙な文章で描かれている。 読者を惹きこむ表現力が、確かにあるのだ。 それだけに2章以降の、秀才と「バカ」との闘いが残念だった。 もちろん、基本的には男女の恋愛がメインの物語である。 だが、「バカ」との闘いの描写が多すぎるのと、メインキャラ4人の視点一つ一つが浅いせいで、うまく感情移入ができなかった。 例えば、初めは男子生徒の視点で女子生徒への思いが描かれており、最後に女子生徒の視点で二人の仲が描かれているのだが、男子の視点からでは女子の気持ちがよく分からないままだったので、最後に女子が「私は男子のことをこんなにも想っていた」と言われても、そうだったのか、という感想しか出てこないのである。 それでも、なんだかんだで読み進めていけたのだが、最後のオチがいわゆるデウス・エクス・マキナになっており、これには大いにガックリときた。 (ネタバレぎみに言い換えると、非現実的なアレは男子にだけ見えているものだと読者は認識しているわけで、最後に女子がそれを見るというのは唐突である。) これも男子と女子の関係をさらに深く描いていれば、突飛な演出をしたとしても、うなずける終わり方になっていたはずだ。 要するに、「バカ」との闘いなど必要なかった。もっと描かれるべきシーンが、この作品にはたくさんあったはずなのだ。 そういう意味で、個人的には非常に惜しい作品である。 | ||||
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