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6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。



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6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。の評価: 4.26/5点 レビュー 23件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.26pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全23件 21~23 2/2ページ
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No.3:
(5pt)

「『わたし』は何者であるか?」「わたしはどう在りたいのか?」デビューからのテーマを四人の高校生の三年間を通じて描いた痛々しくも瑞々しい物語。

ページを埋め尽くす饒舌な独白調の文体と現実と幻想がシームレスに入り混じった様な不思議な雰囲気が特徴の作家・大澤めぐみの三作目。
概要から言えば松本市の学校に通う四人の高校生の三年間の高校生活を視点を切り替えつつ追った物語、という事になる。

「魔法少女」なんて言葉が散りばめられたデビュー二作と比べれば雰囲気はかなり現実寄りっぽい。
松本や安曇野といった現実の地名もさることながら、大糸線や三溝駅といった鉄道関連用語が散りばめられ、
果ては「安曇野市立穂高東中」なんていう実在の公立中学の名前がポンと出てきたのには些か驚かされた。
(「碌山美術館」という施設が隣接している事からも間違いないと思われる)
…が、必ずしも前作までの現実と幻想がシームレスになった不思議な「味」が失われたわけではない。

主な登場人物は四人。
松本駅から徒歩三十分ぐらいの所にある公立の割には妙にサッカー部が強い捧庄高校に通う高校生。
(ちなみにこの高校名だけは創作っぽい。作中で示される条件に該当しそうな県立高校はあるが)

「何もない」安曇野がイヤで仕方なく、松本で少しでも都会の女子高生っぽい高校生活を送ろうと所在地で高校を決めた郷津香衣。
兄に憧れてサッカーを始めたは良いが、中学時代に経験した部活内での「下」としての扱いにルサンチマンを抱える諏訪隆生。
学校で唯一人の不良と後ろ指を指され、ヒステリックな母親のお陰で家にも居場所が無く松本の町を金もないまま彷徨う丸山龍輝。
常に妙なハイテンションでクラスメイト全員との距離感が等距離という不思議なコミュニケーションスタイルに固執する峯村セリカ。

物語はこの四人の視点を順に借りながら語られる形式をとっている。

物語は高校入学後、安曇野を出たら自分が「人見知り」だと気付いた香衣が唯一人のベントモ(弁当・便所の友)であり
田舎っぺでがり勉の自分を隠そうと必死な自分と違ってコミュ力が高く、自然体で独自の雰囲気を出す女子高生の理想形でありながら
携帯の番号も教えてくれないセリカに放課後教室に残ってくれと頼まれる場面から始まる。
「『正式なお友だち』への昇格」と意気込んだ香衣の思惑に反して、セリカの目的は個別面談までの待ち時間を付き合ってくれという物。
そんなセリカが放課後の時間つぶしの勉強中にふと口にしたのが「自分はサッカー部の諏訪君が好きかも」という一言。
何気なく発した一言だったけれども、香衣がその言葉に揺さぶられたのは諏訪が自分の彼氏だったかもしれない少年であったから。

ここでこの第一章の語り手である香衣が語る物語はビュンと時間を遡り、
中学三年の時に下駄箱に手紙を入れて呼び出しを掛けてきた諏訪隆生との出会いから、サッカー部の強い捧庄を受けたいので
一緒に勉強してくれないかという頼みを受けて始まった香衣と隆生の受験勉強生活から高校合格までが語られる。
本作は各省でこの長めの回想が挿入されるのだけど、この回想シーンと現在進行形の場面が妙にシームレス感が強く、
この辺りは前二作を彷彿とさせる。

この第一章は完全に香衣の独り相撲の物語となっている。
「サッカー部の男子が別段可愛くもない自分に勉強を教えてくれと頼んできた=最初から彼氏がいる高校生活が送れる」という
香衣の「大都会・松本での華やかな女子高生ライフ」への憧れが基になった発想の飛躍が素晴らしすぎるw
「二人で入ったスタバでフラペチーノ」みたいなしょうもない妄想に取り付かれて鬼の教官と化した香衣の奮闘もあって捧庄高校に合格。
合格発表の場で勢いあまって隆生にキスしたまでは良いけど、
異常な量が毎日出される課題と肝心の諏訪のサッカー浸りの生活のすれ違いが生じた事で関係は進まない。
それどころか隆生は「勉強を教えてくれ」「サッカーが強い高校に入りたいから」と言っただけで
「好きだ」の一言も言ってくれたことが無い事に気付き「なんでキスなんかしたんだ、私」と転げ回る香衣の姿はまさに独り相撲。
「彼女でも無いのにキスしたりした自分は隆生の何なんだ?」と悩む中、駅で久しぶりに出会った隆生を前に自意識が暴走した香衣が
「最後のチャンス」を棒に振るまでが描かれている。

「好きなら『好き』と言ったら良いじゃん」というのは外野のたわ言であって、
この「自分が相手にとっての何物であるのか」という自意識で全ての行動が縛られてしまう思春期的自縄自縛が
隆生から三歩離れた所で先に進めず何も言えないままチャンスを素通りさせて香衣自身に涙を呑ませる展開になってしまうのが実に良い。

しかし本作が面白いのは第二章で語り手が隆生に切り替わってからである。
第二章の流れまで語ってしまうと些か冗長になるので端折るが、隆生自身もまた香衣に想いを抱いていた事が明かされる。
それなら何ですれ違いの状態を解消しなかったのか、と言えば、これがまた思春期的自縄自縛=自意識の問題なのである。
中学時代の部活経験で人間には「上」と「下」があり、場を支配する空気の奴隷として「下」である自分を虐げてきた連中や
そのベースとなる上下関係を憎みながらも、「良い」と思っていた香衣を前に自分が「下」であるという卑屈さ故に何もできない。
再び「好きなら『好き』って言えば(以下略)」……つまるところ、やっぱり「相手の目に自分がどう映っているか」なのである。

この構造は終盤の第四章、他の三人を散々振り回したセリカの視点の物語でも立ち現れる。
生まれた途端に母親から水洗便所に流されそうになったという笑っちゃうほどにヒドイ生まれと育ちの少女セリカの
(ちなみにこの生後すぐのエピソードは2016年に茨城県で実際に起きた事件そのまんまだったりする)
クラスメイトの間を等距離で浮遊するトリックスターめいた生き方と、その被り続けた仮面の下で
グツグツと滾っていた諦観とルサンチマンの描かれ方はもはや露悪趣味の一歩手前まで来ている(ギリギリの所で抑えてあるが)。

この「『わたし』は何者か?」「わたしはどう在りたいのか?」が「誰の目にどう映りたいのか?」という意識に遮られた様な
自らの内側から立ち上ってくる声に耳を塞ぎ、目を逸らす様な三人の思春期と対照的なのが第三章、丸山龍輝の視点である。
他の三章が吉丸一昌が作詞した「早春賦」の名ばかりの春の寒さに「まだその時ではない」と歌いたい歌を歌わず、
「もう春だと知らなければ」と知ってしまったが故に目を逸らす事ができなくなった自分の想いに責められる様を描いているのに対し、
唯一人龍輝だけが、自分の内なる声に耳を傾けた少年として描かれている。

この第三章だけは早春賦ではなくフランスのエレクトロ・デュオ「ダフト・パンク」の
「Harder,Better,Faster,Stronger」がモチーフとなり、宇宙人のような姿のギ=マニュエル・ド・オメン=クリストを
自らの偶像(アイドル)として胸に住まわせ、常に生き方について語り合っている龍輝の生き様が描かれている。
龍輝の独自性は「メロン=絶対正義」という多少奇妙ではあるが確たる価値基準を持っている点にも表れている。
このメロンは第四章で仮面少女であるセリカを悔し泣きさせる事になるのだが、
「好きなもんは好きだ」と夜の町を金もないまま彷徨い歩き、「ダメなもんはダメ」という正義感でピンチに陥る龍輝だけが
学校では「ただ一人の不良」として後ろ指を指されながらも自意識に縛られた不自由さから解放された存在としての象徴となっている。

記号化された「女子高生」に回収されそうな時代を「ベージュ色の自分でも恋したって良いじゃない」と自らの生き方を模索した
「おにぎりスタッバー」の梓や、「栗色の長い髪の魔法少女は誰にも負けない」と自他の境界が危うくなるほど自己がぐらついた恵など
「自分はどう在りたいのか」を問い続ける少年少女の姿を描くという意味で本作の、特に龍輝と他三人の対照的な書き分けは
作者である大澤めぐみが追い続けているテーマを如実に反映しているのではないだろうか?

最後の最後で一人の女子高生が「自分はこう在りたい、こうしたい」という自らの内なる声を解放させるまでの三年間を描き切った
ドライブ感溢れる物語、今回も大いに堪能させて貰った。
6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。 (角川スニーカー文庫)Amazon書評・レビュー:6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。 (角川スニーカー文庫)より
4041062721
No.2:
(5pt)

切ない

進学校を舞台とした、4人の男女の視点から描かれる青春群像劇。
登場人物はそれぞれ個性的だが地に足の着いたリアリティがあり、皆どこかにいそうな雰囲気を感じさせる。
どの物語もそれぞれに魅力的だが、セリカのエピソードには特に引き込まれた。こういう子には幸せになって欲しい。
別れを描いていながら前向きで余韻の残るラストも見事。しばらくこの世界に浸っていたくなる。
6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。 (角川スニーカー文庫)Amazon書評・レビュー:6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。 (角川スニーカー文庫)より
4041062721
No.1:
(5pt)

ただの恋愛小説でなく

前提として、著者の前作、全前作が個人的に好みである。本作は全くしてジャンルが違う。

内容としては、掲題の通りである。
初編では繰り広げられるピュアで清楚な女子高生がアワアワしつつ、ほのかに苦い別れを告げる。なるほど、表紙にそぐうテンプレートな恋愛小説である。
以降は、友人候補のキラキラ女子高生、彼氏に近かった優男スポーツマン、進学校唯一の不良と呼ばれる人間、個々の恋愛的でない全てベクトルの違う青春短編だ。ジャズとロックとプログレを1枚に納めたような。
最大に評価すべきは、それらを、異常性を含めてきっちりまとめ上げたエピローグだろう。

大澤めぐみの&#34;恋愛青春小説&#34;を読んでみたく購入に至ったが、この稚拙なレビューを読む方がおられたのなら是非一読いただきたいものだ。
6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。 (角川スニーカー文庫)Amazon書評・レビュー:6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。 (角川スニーカー文庫)より
4041062721

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