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ツリーハウス
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ツリーハウスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 21~40 2/3ページ
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タイジロウのいい加減さ・軽さ。どうしてこんな人が最初から最後まで出てくるんだろう。 時代の中で、家族の中で、さて自分はどうやって生きるか? | ||||
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藤代家の三代目、次男の良嗣は、祖父母が出会った地、かつての満州に、祖母と旅する。その旅を通じて、藤代家のアウトラインを知る。そして、かねてより感じていた、自分たちは根っこのない家族であることを、改めて自覚する。その自覚を通じて、自分たちの根幹には希望があるのだと新たな思いを抱き、毎日を生きていく。 何か立派な系譜や深く遡れるルーツがある家族ではなく、おそらく、戦後の日本の都会に数多くいるであろう、戦後になって代を重ねた根無し草的な家庭のクロニクルを、正面から描いたところに、現代を感じ、とても面白い。 かく言う僕も、良嗣と同様に「うちっていったいなんなんだろう」と、家族のアイデンティティを知りたいという思いを抱えていたので、同じ問題意識だよなと、良嗣に共感しながら読み進めることができた。ただ、我が家族の場合は、祖父、祖母、父が亡くなり、存命の焼け跡派の母も、戦中より以前のことは「私もよく知らないし、昔のことは覚えていないのよ」とはぐらかされ、ほぼ思いは叶わないのであるが。 物語は、現代の良嗣の視点と、過去の祖父母の視点、父母の視点が、交互に現れてくるので、混乱しないよう、家系図と出来事をメモしながら読み進めた。慎之輔(1946年生)、1948年リヤカーを引っ張って中華料理屋を始める、1949年太二郎生、、、といった具合に。 また、グーグルマップやストリートビューで、当時の角筈(今の西新宿)を眺めながら、焼け跡に勝手に線を引き、自分のものだとして家が増殖していく様子などを想像したりした。 そうすると僕の中で、とても親近感のわく年代記としてよりいっそう味わいが増した。 それにしても人生と昭和史が重なる三代記って、壮大で奥行きが深くて、やっぱり面白いですね。 満州、敗戦と引き上げ、戦後のどさくさでの生活、東京タワー(高度成長)、全共闘、あさま山荘事件、新宿駅バス爆破事件、オウム事件。。。世の中にはなんと多くの出来ことで埋め尽くされていることでしょう。そして、それらが、直接的、間接的に、あるいは経済的に、心理的に、僕達家族に様々に影響を与える。 藤代家を通じて、一気に読める物語としてこれらを描き上げた筆者の筆力に感服です。 | ||||
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最近、角田光代さんが気になっていてずっとマークしていた一冊。やっと読む機会にありつけました。 久しぶりにかなり読み応えたっぷりの良書に出会えました。 普段は読み終わってからすぐにレビューを書くのですが、本作品の感想は自分の中で全くまとまらず読み終わってからだいぶ時間が開いてしまいました。一言では言い表せない、複雑な良さがありました。 東京に暮らすとある家族の、三世代に渡る歴史の話で、時は70年ぐらいをまたぎます。歴史をさかのぼるとそれぞれの登場人物の人生に色々な事件、変化が起きるのですが、どれもこれも誰にでもありそうなレベルの出来事、なのにやたらドラマチックでどの家族にも恐らく深く追求すればこの程度の事件って、色々あるんだろうな、でも、知る由もないんだろうなぁ、と思えるその辺のさじ加減が非常にうまいと思いました。 主人公が祖父の死をきっかけに自分の家族には根のようなものがないと感じるところから物語は始まるのですが、私の実家も東京のど真ん中にある為か、この主人公の家庭環境とそれほど変わらないような気がします。 だからこそ、他人事とは思えず話に夢中になりました。果たして、自分の祖父母はどのような人生を送ったのか、そして両親は??この本を読むと自分の家族に昔の話を聞きたくなります。 それと、この本にはしきりに『逃げてきた』という言葉が使われます。嫌な事から逃げて、家族から逃げて、生まれ故郷から逃げて、自分の人生と向き合う事から逃げて・・・そうして色んな事から逃げてきた自分達を恥じて生きた祖父母。でも、この物語から時として『逃げる事』がその後の人生の可能性を大きく広げるのではないか、と私は感じました。 私は今までの人生、『逃げるな』と言われ続けて全てに真っ向から立ち向かってきました。その結果、疲れ果ててしまい少し体調を悪くしてしまいました。人生、時になにかから逃げたっていいじゃないか、この本を読んでいてふと、そんな気がしました。 角田光代さんはこれで3冊目になりますが、どれもとっても面白かったので次は『さがしもの』か『空中庭園』を読みたいと思っています。 なんか、どっぷり読書したい!!という方に是非お勧めの1冊です。 | ||||
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実は図書館で何気なく借りて読み始めた本作。角田光代さんの書籍は殆ど読んでいたのですが、この本は本当に出会えて良かったと思えた秀作でした。 あらすじは他の方々がレビューに書かれている通り、戦後新宿で中華料理屋を開いた祖父母の代から始まった三世代家族の物語。祖父が亡くなって久々に集う家族を見て疑問に思う孫の良嗣の視点から始まります。 戦中の満州時代から戦後日本に引き揚げてきてからの日本の主要事件が家族のちょっとした出来事とリンクして不自然さなく描かれていき、最後に良嗣が「家族を繋ぐものは根っこではない。希望なんだ。」と気付く場面で終わります。 人生に迷った時や疲れた時に読み返して生きる希望や勇気をもらえそうな気がして、文庫版を購入しようとこちらを訪れました。 私が一番感銘を受けたのは、離婚しようかどうしようか迷って実家でブラブラしている娘(叔母)に語りかける父(祖父)の言葉「そこにいるのがしんどいと思ったら逃げろ。逃げたことを自分でわかっていれば、そう悪いことじゃない。闘うばっかりがえらいんじゃない」という言葉と孫の良嗣から後悔した事はないのかと聞かれた祖母のヤエが「あの人も私もね、逃げて生き延びたろう。逃げるってことしか、時代に抗う方法を知らなかったんだよ。そんなだったから、子どもたちに、あんたの親にね、逃げること以外教えられなかった。私たちは抗うために、生きるために逃げたんだ。でも今はそんな時代じゃない。それは申し訳ないと思うよ」というセリフ。 この他にも地位や権力といったものとは無縁ながらひたむきに生きた普通の人々の生き様が胸に迫ります。自分の子どもたちにも「お願いだから騙されたと思って読んで」と薦めたくなる本でした。 | ||||
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角田光代の力を再確認、親子三代の歴史を日本の歴史にそって描いている、小説の記述の様式ですが年月が交互に変わるので藤代家の家系図を書いて読んでいた。子育てより親は食うために必死だった戦前、戦中、戦後。若い人に読んでほしい。角田光代は大人の作家になった。これからも期待しています。 | ||||
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祖父母が目指していたけど辿り着けなかった新天地は、藤代家を根無し草の家族にしていたのではなく、そこから作り上げたのだと感じさせる。 その三世代に渡る歴史は、やはり重みをもたらし、読後胸が塞がる。 | ||||
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なんとなく居て、消えて、入ってきて、をくりかえす、ちょっと風変わりな家族の三代記なのだけれど、そうした家族のあり方が、その原点としての祖父母の満州体験にあったという設定は秀逸だと思う。また過去から現在に至る歴史と、祖父が亡くなり祖母を旧満州に連れて行く現在の話が交錯し、最後に現在でつながるという構成も面白い。いつも小説は電車の中で読むのだが、途中から自宅で最後まで一気に読んでしまった。そのくらいに面白い。難を言えば、時代を表す出来事が折々に挿入されているが、これがちょっとわざとらしい。角田さんについてはこれが最初だったけれど、どちらかというと直木賞よりは芥川賞の作家ではないかと思った。そしてKoboで(Kindleでなくてすみません)一気に10冊くらい購入してしまった。 | ||||
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戦中から平成まで3世代の家族の物語です。 それぞれがなかなかにドラマチックな人生を歩んでいるのですが、淡々と書かれているので 「うす~い」感じがします。それは筆者の狙いなんだと思います。 内容は他の方が詳しく書かれていますので省きますが 祖母の「もしも~だったら、なんて無いんだ」という言葉が印象的です。 できることもあるし、できないこともある。時代のせいということもある。一生懸命生きていたらこうなった。 という事実の重さ、人一人の歴史の重さを感じます。 息子や孫達は、戦中に満州で生き延びた祖母や祖父のことは良く知りません。 祖父母共に、あまり話さなかったんでしょうね。この辺はウチと共通で、感じるところがあります。 「逃げて逃げて生き抜いた」二人には、話すことも無かったんでしょうね。 というか話すことからも逃げていたのかもしれません。 密接な家族関係からも逃げていたのかもしれません。 この本を読んで、親に家族の話を聞きたくなりました。 久しぶりに骨太の小説を読みました。 | ||||
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親子三代にわたる家族の歴史、それぞれの時代を生きてきた それぞれの物語、珍しく男性が主人公であるが従来の角田作品 とは違い、深く重い作品である。 | ||||
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ごく普通の市井の三世代にわたる物語。 祖父が亡くなり、祖母が急に中国に行きたいと言い、 現代と祖父母の青春からが絡み合いつつ物語は進むのですけど。 大切な言葉がそこかしこに散らばっていて、 一人一人の人間が生かされているのだということ。 物語の終わりに近いところの抜粋です。 「だって過去は消えないから、あんたやぼくや、文江さんや唯香ちゃんがいるわけでしょう」 過去は消えないから自分たちは今ここにいる。 だけどさあ、おれたちがここにいることにそんなに意味があるのかなぁ、 とつぶやこうとしたときに祖母の声が蘇った。 広場の木、あのおっきな広場を縁取るように木が植わっていて、それ見て、私思ったんですよ、逃げてよかったんだって、あなた方に助けてもらってよかったんだって、こんなに長く生きて、はじめて思ったんです。何をしたでもない、人の役にもたたなかった、それでも死なないでいた、生かされたんです。 私には子供がいないので、生かされていることの意味がとても難しいのだけれど。 きっと何か意味があるのだろうと信じたいです。 | ||||
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一気に読みました。 名もなき人々の3代にわたる昭和の歴史。 団塊の世代といわれる自分自身に照らし合わせて、感じるものがありました。 感動しました。 | ||||
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街並みの描写が流石。 単にフラフラ旅をしているわけではないですね。 いままでは、旅エッセイしか読んでいませんでした。 戦前の満州時代の話から、重層的に物語が紡がれて 平成の世まで収斂していく感じ。 kindle で読みましたが。ほとんどをipod touch のkindle アプリで 読みました。 同期がうまくいかなかったです。 | ||||
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読み終わった後もしばらくは、まるで身近にいる実在の家族のように、 自分の心の中に居続けた。 ありふれた普通の家族にも、あたりまえだが歴史があり、 表面上は平凡でも、それぞれに波乱万丈の人生を生きていると気づかされた。 今年読んだ本の中でも上位に位置する、とてもいい作品だった。 | ||||
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大河ものといってもいいぐらいにダイナミックな話でしたが、でも登場人物がみなそれほど気取っていなくてひょうひょうとしていていい感じなので読んでいて好感が持てました。いい話でした。 | ||||
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久しぶりに読み応えがある作品でした。 私は32歳になりますが、きっと若いときに読んでいたらここまで深く感動することはなかったように思います。 物語は祖父の泰造が亡くなるところより始まり、 遡る祖母ヤエがまだ若い戦争の時代から父慎之輔の家業を継ぐまでの学生運動が盛んな時代、そして現代の末っ子良嗣へと主体人物が移り変わっていきます。 淡々と生きているような人って周りにいるけれど、その人の心の中までは覗くことはできないですよね。 何か大きな出来事があるわけではないけれど、時代に翻弄されて生きていく人々の姿がうまく描かれていると思います。 逃げるな、とか逃げてもいいよ、っていう背中を押してくれる本ではなく、 ただこういう道があるよっていうのを見えないところに標識を出してくれているような印象を受けました。 何かを押し付けることもせず、みんな自分のことで精一杯で、でも、愛情を感じられる物語でした。 | ||||
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なにげなく一緒に暮らしている父母にも、それぞれの父母がいて、それぞれの人生があって今ここにいるんだな、という当たり前のことに深く気づかされた。 | ||||
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祖父も祖母も決して過去を語らなかった。だが、祖父の死をきっかけに、祖母ヤエは過去を 振り返る旅に出る・・・。 藤代泰造と田中ヤエは、戦時中の満州で出会った。だがそこは安住の地ではなかった。 敗戦とともに命からがら日本に戻ったふたりは、生きるために必死に働く。子供が生まれた。 自分たちの店を持った。そして、幸せも不幸もたくさん味わった。泰造やヤエが、なぜ過去を 語らなかったのか?いや、ふたりは語らなかったのではない。語れなかったのだ。いったい どんな言葉で、思い出すのもつらいこの壮絶な体験を語れるというのだろう。 戦争、終戦、そして昭和から平成の現代へと移り変わる中での親子三代にわたる物語は、実に 壮大だ。家族には家族の歴史がある。過去から現代、ずっとつながった家族の絆。そこに自分も いる。この作品を読むと、その当たり前のことに新鮮な感動を覚える。作者の熱い思いが込め られた、読み応え充分の面白い作品だった。 | ||||
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藤代家の一員になってみたい…と思うほど、ぐいぐい引き込まれる 昭和と平成をつないでいる家族のお話です。 藤代家の誰かが誰かを時代の出来事と重ねながら見ている。 時代が悪いとか、言い訳も後悔もせず生きる人。 「戦争体験」は今の私たちとは見てきた世界が違う。 理解できない感受性を持ちながら、日々を重ねている。 この本を読み終わって、自分の祖母にも色んな話を聞いておきたかったと 思いました。 今、東日本大震災が起きて、2万人以上の人が「生きること」ができず、 一体、どう考えてよいか分からない。 答えではないが、答える見つける手掛かりがあるような 1冊なのかしれません。 | ||||
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最初は、小説だから、何か事件らしい事件が起こるのかと期待して読み始めました。 しかし、この小説は、戦争中から現代までの壮大な時代を背景に書かれているにも関わらず、 たったひとつの家族の、それを取り巻く世界を、ゆるゆると、激しい熱情もなく、どことなく冷めた視点から、 書いています。 だから最初から最後まで、感情移入がしずらく、正直、エンターテイメント的には、それほど「面白い」とは私は思いませんでした。 しかし、物語のところどころで、私たち現代人の、何とも言葉にしにくい平和ボケについて、 その本質をついてくるような、鋭く、すっと心に食い込んでいる文章があって、 いつまでも尾を引くようなところがあります。 私たちの世界とはかけ離れた、救世主のようなヒーローが活躍するドラマティックな歴史の書かれ方はよくありますが、 歴史というのは、本当は、この小説に出てくるような、私と同じような、何てことない人たちが、 言葉にしにくい希望や閉塞感を抱えて、ただ生きていた、その人生の集まりなんじゃないかなという気分になります。 それはとてもつまらないことのようで、でも、今こそ私たちがしっかりと感じるべきことだと思います。 戦争も、貧しかった時代も、平和や自由のために戦ってきた世代も、遠い国の話じゃなく、 今の豊かな、モノであふれている、生きるに困らない時代に、脈々と受け継がれている。 生きることに必死にならなくても、なんとなく流されるように生き、当たり前のように過保護すぎるほどの サービスを受けられる現代は、人の意欲も、行動力も、考える力も、どこかでゆっくりと奪っているように思います。 世間をにぎわすニュースも、歴史上の重大事件も、実は意外なほど近くに転がっていて、 そういうものを受け入れながら、今の私たちがあるということ。 忘れたくないです。 | ||||
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故郷を捨てたのではなく、故郷から捨てられるように逃げ出した男と女 その2人からなりゆきのように生まれた子供達 その息子の1人と、これまた、なりゆきのように結び付いた女 そしてその男女から生まれ、自分の血族と同じようななりゆき人生を繰り返す子供達 これが、本作品の大まかなストーリー。 終盤になって、人生論的な台詞がポンポン出てくるが、これは落語のサゲでしかないと思う。 そこに感動するのも一興だが、それがテーマなら、いくらでも先達に良作はある。 私には、この話は、むしろ、極めて落語的に感じられて仕方がない。 一つには、立川談志の云う「落語とは人間の業の肯定」というところが、本作では通底している点。 そして、昭和史を背景・ネタにしているが、庶民からの昭和史という作品ではないこと(これは、落語が江戸時代等を背景にしているが、庶民の江戸時代を描くための作品でないことのアナロジー)。 また、ストーリーの顛末は、ストーリーの結実を意味しておらず、数年後には、おそらくはまた、彼ら・彼女らはこれまでのなりゆき人生を繰り返しているだろうということ。 古典落語の大ネタは、噺家によって喜怒哀楽をもたらされるものだが、ストーリー自体は乾いたものであることが少なくないし、人生万歳とか人間って素晴らしいってな月並みな感想を持たせるものではないのが殆どだ。 私は、本作にはそうした安い感動を排したところに、八日目の蝉を描いた作者ならではの才能を感じたのだが・・・どうも、他のレビューを読むと、私が捻くれているのかなと思う(笑)。 あと、「逃げる」ということについては、いま何か分からん「みんな」や「日本」が「がんばろう」「つながろう」と何の躊躇いもなく皆に求める中で、「逃げる」権利を声高にではなく、しかし、強く持つことは意味があると思う。 「庶民」という手垢のついた言葉ではなく、落伍者や底辺に沈んだ者にこそ「逃げる」権利は実感されるべきものだし、感動とは全く違うものとして本書を読み受け止めてもらいたい気がする。 | ||||
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