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守教
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守教の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全22件 21~22 2/2ページ
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上巻では、北九州の農民達にキリスト教が静かに広がっていく様子が語られていましたが、下巻では一転して幕府による弾圧と拷問、殉教、処刑の日々が描かれます。 帚木蓬生先生の文章は、お人柄からくるものか、精神科医というご職業柄なのか、いつも穏やかで優しく、拝読していて心が洗われる気がします。そんな先生の文章で、淡々と綴られる残酷な拷問や処刑の場面は、激した表現がないだけに、かえって深い哀しみを誘われます。 次第に棄教する人が増える中、今村周辺の人々は「教会はそれぞれの心にある」と信仰を諦めません。寺とも良好な関係を築きながら、密やかに生きていきます‥‥。 関西在住で九州にご縁がないのと、物知らずなため、本書を読むまで「奇跡の村・今村」も、カトリック今村教会もまったく存じませんでした。(ネットで検索して写真を見て、びっくりしました!)お恥ずかしい限りです。 私は無宗教なのですが、それでも本書を読んで、誠実に生きることの尊さを学ぶことができたように思います。 | ||||
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戦国時代末期の1569年、九州・日田から物語は始まります。上巻では、筑後の大庄屋の一族を軸にして、伝来したばかりのキリスト教(本書ではイエズス教となっています)が、北九州の農民達に広まっていく様子が克明に描かれています。もちろん、大友宗麟、小西行長等有名なキリシタン大名も登場しますが、話のメインとなるのは名もない農民たちです。 それより約1000年も前に伝来した仏教が、すでに国中に流布していたはずなのに、なぜ人々は次々とイエズス教に傾倒していったのでしょうか。歴史も宗教も専門ではないので、私にはわかりませんが、本文中で老婆が「念仏よりもわかりやすい」と言う場面があって、もしかしたら、知的エリートの僧侶の唱える経文より、はるか彼方の異国の地から来た異人の宣教師が通詞の助けを借りながら、拙い日本語で説明したイエズスの祈りの言葉の方に、何か素直に心に沁みこむものがあったのではないか、などと想像しています。 秀吉が伴天連追放令を発し、長崎の二十六聖人の殉教が起こりますが、上巻ではまだそこまで危機は切迫していません。 これまで江戸時代のキリシタン弾圧については知っていましたが、それに先立つ戦国時代から、信仰がこのように民衆に浸透していたことを、初めて知りました。 | ||||
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