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悪の五輪
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悪の五輪の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.70pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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華やかな巨大スポーツ大会。巨大イベントの裏には利権有り。読んだ時はそうだよなぁと感じながらも、あくまで架空の出来事だと思っていた。それが、三回目の東京五輪のウラには悪があった。 このフィクションは1964年、二回目の東京五輪が舞台。(第一回は1940年、世界大戦のため中止)舞台裏Ⅾうごめく悪はすさまじい。作者がどこまで話をつくったのか、第三回も、いっそ世界的感染症流行のため中止になった方が幸いだったかも。そう思えるくらい現実の汚職追及はすさまじいものに発展しそうだ。 華やかなお祭り、祭典。過ぎた後でも汚点は暴かれる。それが現実だ。弔いを国が大々的に行っても、数々の疑惑追及は葬ってはならない。アレ、別な現実の話になってしまった。 | ||||
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Kindle作品なので返品できない。今後の授業料に買った一冊。そのうち読みますか・・・、 | ||||
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ヤクザが主人公の小説だが全くヤクザらしくない稀郎。オリンピック映画のために自分の命を危険に晒す稀郎にハラハラしながら読み進み一気に読んでしまいました。稀郎がこの先どう生きるのかはわからないが、いつか稀郎が挫折から立ち直り活躍する小説が読みたいと思いました。 | ||||
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実在する人物を織り交ぜながらのリアリティもあり面白い! 戦後のオリンピックに向けて、公式五輪映画の監督をめぐるゴタゴタを中心に展開するが、主人公が属するヤクザ社会だけでなく、政治家、警察など立場が違う人間が、表裏をコロコロ変えながら五輪をきっかけに自分を生きる。 オリンピックという共通の目標に国民の目を向けながら、背景には様々な思惑が入り混じっているのは2020年も同じ。 チクリと風刺を入れながらも、読ませるエンタメに仕上がっている。 | ||||
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1964年の東京オリンピックの前年、映画好きのヤクザの人見稀郎は、興行界の利権を獲得すべく中堅映画監督の錦田をオリンピックの記録映画の監督にねじ込もうと画策する。 フィクションとはいえ、実在の人物も数多く登場し、政治家や大物ヤクザ、右翼と利用すべきものは全て利用し、ひたすら野望に突き進む主人公はパワフルです。オリンピックを控えた沸き立つ東京の、負の面の熱量が本書から伝わってきます。 | ||||
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本作品は1964東京オリンピックの話であるが、2020が1964の様な成功は期待出来無い、当時の日本と条件は違う、2020東京は失敗する様な気がする。 | ||||
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この作家には毎回期待が大きいので、今作は少しばかり期待外れでした。 全体的な物語の進行がご都合主義にあふれ、それがこの作品自体の印象をチープにさせている。 「機龍警察」やそれ以外なら「土漠の花」に比すると、緊迫感も希薄で、主題となっている映画に関しても上っ面の描写に過ぎない。 1964東京五輪直前の日本の混沌を描いたサスペンスには奥田英朗の「オリンピックの身代金」があるが、これと比べると雲泥の差。 次回作に期待したい。 | ||||
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映画『東京オリンピック』の監督といえば市川崑である。 この小説は監督が市川に決まる前夜の物語。「五輪」という利権に群がる人々の欲望と思惑、そして戦後から復興を果たしつつあった昭和の空気を存分に堪能できる長編だ。 1963年、黒澤明が五輪記録映画の監督を降板。 ヤクザの人見稀郎は中堅監督の錦田欣明を後任へねじ込もうと悪戦苦闘する。 その人見が出会うのは、若き日の若松孝二や大映社長の永田雅一、伝説のヤクザ・花形敬、果てには児玉誉志夫までもが登場。 こういった「実名」の登場人物や、実際にあった事件を織り込む著者の小説手法は、前作『東京輪舞』を踏襲しており、今作でも圧倒的リアリティを感じさせる抜群の効果をもたらしている。 〈金、権力、名声、色、そしてまた金。オリンピックの五つの輪は、そのまま五つの欲を示している。〉 来年いよいよ二度目の東京五輪が開催されるが、当然、この一大イベントに絡みつく金や利権といった「闇」は現代でも共通するところだろう。 今作が五輪映画を題材にしているからといって、その「闇」が映画界だけのものだとは決して誰も思わないはずだ。 実はこの作品には「実名」でない部分でも様々な団体、人物を想起させるシーンが多々あるのだが、はっきり言って、そちらの方がもっとリアリティ(というより恐怖か)を感じてしまう。 きっと来年の五輪の裏にも「小説より奇」なことがたくさんあるのだろう。しかも昭和の時代の方がまだ人間臭さがあった分ずっとましで、現代のそれはとてもエンタメになんか昇華できない代物なのではなかろうか。 読後、そんなことをついつい考えてしまったのだった。 | ||||
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2020東京に合わせて?の作品かも知れませんが、戦後復興の有名な方なども少しずつ登場したり、虚実織り混ぜて娯楽性があり、読みやすかったです。結局作者が時折述べたように五輪と云う名の下に何でもありな部分とスポーツとしての純粋性との葛藤が読み取れました。 リオの時にも一部国民が反発していましたが、結局体質は改善されることなく実施されています。その善悪交えた人間の欲望の普遍性を伝えたかった作品なのかな? エクアドルの前大統領の言葉が妙に浮かびました。 ストーリーは最後が今一つ同作者の『東京輪舞』と、比べて爽快感が足りなかったと感じたので、こちらは☆4にしました。 | ||||
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前作「東京輪舞」からのスピンアウト、「悪の五輪」(作:月村了衛 講談社)を読む。 今回、作者は、1963-64年、東京オリンピック公式記録映画監督を降板した黒澤明の後任に中堅監督の錦田をねじ込みながら、映画興行に命を張って爆進する一人のヤクザ、稀郎の<青春>を追いかけます。 多くの昭和の映画人、財界人、政治家が実名で登場します。誰が登場するかは、話さないほうがいいのでしょう。前半は、思いのほか静かに展開しますが、ちょうど50%を超えたあたりから、この国のかつての裏とも表ともつかない権力者たち、魑魅魍魎たちによる覇権争いが一人のヤクザの思い入れを<媒体>として、次から次へと転移していきます。主人公は憑依された器として、権力を被せられ、思想を鞍替えさせられながら、東京オリンピックという狂乱の国家的偉業に力を示そうとしつつ、潰されかけては立ち上がり、立ち上がっては、より大きい力に嬲られ、いたぶられ、<昭和>の時代のエポックを駆け抜けていきます。この国にある「差別」についても多くが語られ、<ヤクザ>社会を通して検証されています。そして、読者は”史実”を変えられないことを知ることになります。 ひとつの<善>は消滅し、もうひとつの<善>は、大陸へと去っていきます。あるのは、<悪>そのものであり、その<悪>もより大きな金と権力を行使した<悪>に成り代わり、その<悪>もまた国を超えた力を懐に入れた超弩級の<悪>に蹂躙されることになります。月村了衛は自家薬籠中のスキルを使って、いつものおおよそ<霊性>など微塵も感じさせない登場人物たち、魔物たちをその劇中に横切らせて、見事な筆さばき、プロフェッショナル・ワークだと思います。 また、この小説の中で言及されている「昭和の時代」の映画界、特にプログラム・ピクチャーについてはよく調査が行き届いていて、ある種の懐かしさをもたらすのと同時に五社体制の元、決まった予算、決まった配役、特に代り映えしない物語の焼き直しの中で、それでもある情熱を持って名画を作り続けた映画監督たちを幾人となく思い起こさせます。マキノ雅弘、加藤泰、舛田利雄、三隅研次。。。。。ローアングル、長回し、藤純子、降り続く雪、乱れ舞う桜。すべて美しかった。「ヤクザ映画」は、本当にもう一つの青春だった(笑) <月村了衛>というブランドは、『機龍警察』という優れたサーガ、ドル箱を持つことによって、まるでプログラム・ピクチャーを作るように、でも自由に、「コルトM1851残月」、「ガン・ルージュ」、「土漠の花」と優れたスリラーを量産してくれています。(「東京輪舞」の前作、「コルトM1847羽衣」はちょっと失敗作だったかもしれません(笑)が、かつてプログラム・ピクチャーを作り続けた優れた監督たちでも、「ちょっとこれは?作品」はあったと思います(笑))書店の店頭に並べられた本の中の<月村了衛>という作者名は、ただただアイコニックだと思います。 ドン・ウインズロウのような著作。あるいは、月村了衛のようなドン・ウインズロウの著作。よって、作者には、銃規制に縛られ思うように物語世界を構築できないであろう我が国を出て、そう今回のある登場人物のように舞台を外に移して、執筆してほしいですね。ブルンジ、コロンビア、ホンジュラス、アフガニスタン、メキシコ、そのあたりでどうでしょう。 少し書きすぎたかもしれません。お許しください。 | ||||
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