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iの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 21~30 2/2ページ
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西加奈子さん、好きなのですが… ざっくりいうと、なんだかんだすごーく裕福で恵まれた子供が、何も行動に起こすこともなく、 働くこともなく、ただうじうじ悩んで大人になって、幸せな結婚してもまだ悩み、 でも最後に自分だけスカッとした、みたいな話に思えるのはひがみでしょうか。 身近にも日々の生活が苦しい貧困とか、いじめとか、病気とか、死ぬほど苦しい問題が渦巻いています。 なのに世界のニュースにだけ心を痛めるっつーのもなんだし。 て、まあ物語的にそうしているのはわかりますが、やっぱりなんだかなあ…。 もうちょっと行動しろよ、せめて働けよ! と腹立ちました。 深そうに見せて、とても浅いお話。あ、もしかして私の理解が浅いのかしら。 | ||||
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とあるイベントの課題図書だから我慢して読了したが、途中で何度も投げ出しそうになった。以下、ネタバレ注意。 このストーリーに根本的に欠けているのは「労働」の観点である。主人公、親友の女の子とも裕福な実家から無尽蔵の援助を受けられる。旦那であるフリーのカメラマン、作中の描写では到底夫婦が食べていけるほど稼げているとは思えない。 どうやって金銭のやり繰りをするかは万人にとって重要なテーマだし、人は労働によって誰かの役に立っているという実感、すなわち自己肯定感を得られるものである。 だから労働しない主人公がグダグタ悩んでいるのを延々読まされても、全くリアリティを感じられないのである。「暇だね」としか言いようがない。残念。 | ||||
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ギャグは一切ない。 自分探し、モラトリアムな話。 登場人物が暗くて、じめじめしている。 肉子ちゃんで西加奈子を読み始めた自分としては、その良さが分からなかった。 | ||||
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この人の書く主人公には、共感を覚えたことがほとんどないが、この作品の主人公は特にそれが強い。どなたかが書いているが、偽善のかたまりである。読み始めたことを途中で後悔した。 | ||||
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ハーフの人が生粋の国籍を持ちえない事にコンプレックスを持つように、小説の主人公であるアイはシリア人でありながら、アメリカ人の父と日本人の母に養子として育てられるが、血の繋がりがない事に自身のアイデンティティーを探し求めていく。そして経済的に恵まれている事にも罪悪感を感じていることから、ある意味、高尚ともいえる苦悩を、多感な時期を経ながら、実直に、そして不器用なまでに向き合っていく一人の女性の葛藤が描かれている。親友のミナがレズビアンであったり、アイの不妊問題や、そして通奏低音のように世界各地でおこる大量死者を引き起こす悲しい出来事が差し込まれ、意識しないと見落としがちな問題を読者に投げかけらているように思えた。実際問題、自分の身近に起こることが自分の限られた世界であって、メディアを介して悲しい出来事を認識することはできるけど、他人事になりがちな自分に何ができるのかを今一度考えてほしいってのが作者のメッセージではないのかな。 印象的なのは、アイが不妊治療や中絶を経験した時に最愛の人であるユウを男性であることに憎しみを一瞬でも抱いてしまうことだった。ユウがどんなに献身的にアイを尽くしても男である以上は、女性の苦しみは理解できないのだと、性別による絶対的な隔たりを感じた。 またこの小説はいろいろと新鮮なネタが多かった。まず、裕福な家庭の養子の苦悩はかなり斬新だ。学校生活の場面でも、同級生にイジメられるのかなと思いきや、むしろ異分子を受け入れようとするんだけど、慣れていないものだからうまく立ち回れない、同級生のよそよそしい気遣いが、アイへ精神的な苦痛をじりじりと与えていくという、現実的にありえそうな状況だとリアルな描写にのめり込める。親友となるミナもレズビアンであり、彼女がアイにあてたメッセージにも、とても真理を捉えた一文があった。ミナも男性との性交を経て子をもつのだがそれを中絶しようとする。しかし彼女は不妊治療をしている女性たち(もちろんアイも含む)に謝ることはしない、なぜなら自分の体は自分のためであって、社会や彼女たちのためではないからだという。 全体を通して、新鮮なトピックはあったものの、やはり根底的にアイの苦悩がいまいち共感できなかった。裕福な家庭に育てられることの罪悪感はなぜにそこまでにアイを苦しめるのかが推し量ることが難しかった。ただ数学の世界にのめりこみ、静謐な時間を愉しんでいる描写には自分は共感できた。何かに夢中になれる空間、時間は何にも代えられないほど幸せなものだから。西加奈子作は今回が初めてだが、徹底的に一人称であり、ときどき訳書なのかなとおもうようなクセのある文章タッチを感じた。ミナとアイの会話がそうだったが、対話での描写がとても繊細だったので女性作家ならではの着眼点だなと思えた。 | ||||
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アイは1988年シリアで生まれたらしかった。 主人公は養子としてアメリカ人の父、日本人の母に不自由なくニューヨークで育てられ、東京の名門私立中学校に入る。何不自由なく暮らし勉強も学年トップ。でもアイは「不当な幸せ」に心を痛めて内向し、世界中で起こる事件と死者の数をノートに書き込むようになる。 西さんがカイロ時代のことを語ったことが文章になっている。 ――――――――――――――― 『エジプトは、小学1年生から5年生までいたので、記憶には残っていて、すごい楽しかったっていうのはありますけど。駐在員の娘として行ってて、まあ、向こうでは金持ち。まわりには、みすぼらしいエジプシャンのこどもたちがいて…。その子らとうちは遊ぶんですけど、どこかにずっと羞恥心というか、罪悪感があって。「なんでこの子らはみすぼらしいのに、うちは金持ちなんやろ?」と。うちは何にもしてないわけじゃないですか、親ががんばっただけ。「何やろな?」という違和感と、「恥ずかしいな」という恥の意識みたいなのがずっとありました。それはいまもありますね。 うちもいやらしいこどもやったんです。「そういうみすぼらしい人たちとも平等やから一緒に遊ばな」という気持ちがあって…。エジプシャンの子と手繋いだりしながら「汚いな」と思ってるんです。それを「そんなん思ったらあかん」って小さいながらに、思いこもうとしていたんです。でも、みんなで遊んでいるときに、日本人のおとなが来て、そしたらエジプシャンのこどもたちがわーって寄っていったんです。そしたら、そのおとなが「汚い。あっちに行け」って言ったんです。それを聞いたときに「はっ」として、「この人、めっちゃ心きれいな」って思ったんです。ほんま思ったまま、言ってる。言ってることは最低なんだけど、でもこどもを前によう言えるなっていうか…。それを素直にできて、悪者になれる根性というものがすごいなって。うちはなんて姑息なんだろうって。ほんまの平等って何なんやろうなっていうか…』 ―――――――――――――― その時感じた罪悪感を主人公のアイに投影させたのだろうか。 転機は2011年の震災。そしてそのあとシリアに起こる惨劇。 この小説は賛否、好き嫌いがはっきり分かれる。帯に書かれているような感想を持つ人もいるだろう。しかし私には馴染まなかった。虚数を語った「この世界にiは存在しません」という数学教師の発言をずっと心に持ち続ける、アイが初めて恋をする相手がユウ(IとYou)といったチープな展開はまあいいとしても、アイの正義感はうわべだけでリアリティがないし、海岸に打ち上げられたシリア人少年の名前を繰り返し強調するところは、こっちが恥ずかしくなる醜悪な偽善に本を閉じたくなった。その前に読んだ「舞台」はニューヨークを旅行する青年の心の中をどんどん掘っていくのだが、ちっとも響いてこなかった。「まく子」も同様だった。 西さんの文学の魅力は肉感が実体をもって迫ってくる身体性にあった。「ふくわらい」の鳴木戸定、「サラバ!」の貴子、「円卓」のコッコ、「さくら」のミキ、漁港の肉子ちゃんのような。この2年間の小説にはそんな人物に代ってひたすら内向する若者が登場する。大阪弁の寅さんの闊達さは、去年の芥川賞「コンビニ人間」が広く読まれる社会の閉塞感に取って代わられている。エッセイや対談などでの西さんは変わっていないが、小説の作風は明らかに変わった。孤独な内面を抱える人を描くことで社会を反映させているのか。その試みは昇華への途上なのかもしれないが、いまのところ成功していない。 西加奈子はどこへいくのだろうか。 | ||||
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初めてこの人の本を読んで驚くことが多々ありました。日を追うごとに、憤懣が昂じてきたので記します。 1.文章のひどさ さらさらさらさらと書かれていますが、文章のひとつひとつが「メモ書きか?」と思いました。これはブログ小説とか、携帯小説とか雑誌記事程度のレベルの文章であって、けっして単行本として出版されるような「文学」ではありません。文章に、味わい、深み、含みが少なすぎて、ずっと居心地が悪い思いをした。この人は、文章というものを真剣に学び直したほうがいいと思う。 2.ご都合主義 偶然を呼び寄せる必然がない。 たとえば、主人公は、ひどく醜いほどに太っていたのが、突然痩せて、とんでもない美人になったりする。そんなのマンガでしょ。 たとえば、主人公の高校時代の初恋(片思い)の相手と、主人公のレズビアンの親友がニューヨークで出くわしたりする偶然も、あまりにテキトウで、これもまるでマンガ。しかも、レズビアンの親友は、ここでいきなりベッドインしてしまい、妊娠してしまう。あまりに茶番だ。 もちろん、話を進めるには、「偶然的出来事」がある程度は必要なのだが、あまりにも都合が良すぎる。そこには、「出来事」を生む必然がない。必然性がないから、「偶然」は感動を呼ばない。説得力がまるでない。というか、こんな行き当たりばったりのことをさせて、作家自身が生み出した登場人物に対して、失礼だと思わないのかな、この作家は? 設定がレズビアンである必要がどこにもない。というより、設定を自ら安易に崩してしまう。レズビアンに対しても失礼だろ、こんな描き方は。 不真面目な小説です。そう、すべては「見せ掛け」なのです。悲劇への同情も、いろんな苦しみも。誰かも書いていたけれども、薄っぺらい。いや、薄っぺらいというより、すべてがインチキなんです。本質的なものがどこにもない、間違った認識に立脚したインチキな虚構の世界。 3.エゴイズムと偽善 この本を評するもう一方の言葉は「偽善」です。 シリア人で、養子で、バイリンガルで頭脳は極めて優秀。ならば、国連とか「国境なき医師団」とかで働けばいいじゃん。世界で起きる悲劇とその人数をノートに書き付けるような気があるんなら、世界に対してそれなりの苦痛を感じているのなら、それを昇華させりゃいいじゃん。 それなのに、結局は、恵まれた環境の中で、この主人公が体現し拡張していくのは、単に「エゴイズム」と「甘え」です。ものわかりのいい両親、親友、旦那。その中で「甘え」だけを増長させていく。世界の悲劇も苦しみも、結局は、「自分が子どもを産めない」現実の前に消え去ります。ならば、世界の悲劇を登場させて欲しくはない。それらは小説を飾るための単なる小道具でしかありません。不真面目でしょう。世界に対して。死んだ人に対して。苦しんだそぶりを描くのは「偽善」そのものでしょう。 「産めない体」の主人公は、親友が行きずりの一夜で妊娠し、その子を堕胎すると言ったことに対して、狂ったように怒り、その親友との関係を閉じてしまう。しかし、自暴自棄になった主人公が最後に頼るのはこの親友なんですよ。どこまで身勝手なんでしょ。究極の「身勝手小説」。そんな「甘え」と「身勝手」を、友人もふつう許しますかね。現実的ではないでしょう。なんだか知らんが、主人公は親・友人・旦那に激しく愛されるのだが、こんなに魅力に乏しい主人公は珍しい。なぜに愛されるのかがわからない。人物造型に完全に失敗してますよ。 作家の人間観が浅薄なんでしょうね。だから、人物がリアルなものとして立ってこない。 要は、「自由」とか「個性」を間違って尊重し叱りつけもしないようなバカな親が子を育てると、どれほどグロテスクな人間に育つかということでもある。ここにいるようなバカな親がどこにいるのかと、作家に問いたい。この作家は、そういうバカな親を良しとしているとしか思えないんですけどね。 文章のひどさからはじまって、道徳心のなさ、誠意のなさ、不真面目さ。最後はそこに行き着きます。 作家というものは、良識と道徳心を持っていなければならないということを痛感しました。もちろん、この作家にはそのどちらもない。 要するに、読んでいいことがひとつもありませんでした。 こんな本を大量に作って、まさに資源の無駄遣い。 宮本輝の『流転の海』が100点だとするならば、この作品は0点です。いや、不愉快になった分マイナスか。みなさん、『流転の海』を読んでみてください。 | ||||
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たよりないにもほどがあるけど、世の中のあれこれに、それなりに悩んでるんです、という気分に波長が合う人は多いでしょう。でも、自身が格差社会を生きる答えにはなっていないです。 西加奈子さんがこれを上梓なさってから、トランプ大統領が誕生。主人公の両親のような、世界の不公平にまっすぐな正義感を持つ人達に、アメリカファーストを突きつけて当選。その背景には、この主人公のように、シリア難民もハイチや、世界のあちこちの紛争も、災害も、正直、よく分からない、という戸惑いもあるのかも。 トランプほど極端じゃないけど、正義感に燃えてどんどん行動しようって人達にもなんだかついていけない。勿論、不公平だと言われたら胸は痛むけど…。そのあるがままです。 でも、漂うことなく、どう立ち向かうか、の答えは出ないです。帯で絶賛しているピース又吉の芥川賞受賞作『火花』のように、もう自分の生活だけで手一杯なところで、それでもカッコ悪く生きて行く方が、実は「深いところで」共感できる人になるんじゃないでしょうか。 | ||||
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読みながら、イライラしました。。なんというか、全てが偽善的に感じました。主人公の悩みも偽善的、何に悩んでいるのか全く共感できない。 最後まで読みきる気にはなりませんでした。 | ||||
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「サラバ」で、色んなエピソードの面白さに惹かれ、 「ふくわらい」でも、そのキャッチーな主人公の世界観に面白味を感じたが、 「炎上する君」の短編集には、突拍子も無いストーリーばかりで疲れた。 そしてこの「i」を4冊目に読んだのだが、 もう食傷気味になってしまった。 主人公のアイはシリアからの養子で、 裕福なアメリカ人と日本人の夫婦の元で育ち、その恵まれた環境にいる自分と、世界中で起こる事故や事件の犠牲者を比べて悶々とする。 シリア生まれの作家ならではの思いが込められているのだろうけれど、 悲劇の私アピールが煩いと感じた。 「この世界にアイは存在しません。」 このフレーズで始まっていくのには、興味を持っだが、 嫌になるほど、そのフレーズが主張されて行くので、覚悟が必要だ。 また、溺死したシリア難民の男児の名前が繰り返される場面などに、興ざめした。 インパクトが有るし、受けそうなポイントだけに浅さを感じた。偽善的だし。 もちろん、LGBTとかも出てきます。 あと、数学を専攻する様になり、虚数について触れられているのだが、その数学的な考え方が性格や人生観に反映されていく様な感じでも無く、ほんの表層だけで、 主人公は本当に数学が好きなのか?と、疑ってしまう。 もっと数学に秘めた魔力、思考の渦の様なものを込めて欲しかった。 アイとユウだなんて。 けっ 又吉直樹や中村文則などの帯の紹介文が、大仰過ぎると思う。 | ||||
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