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ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編
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ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全57件 41~57 3/3ページ
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映画のショーシャンクの空にを観た後で原作が 読みたくなり探したんですが、本の題名が ゴールデンボーイなので見つけ難かったです。 で、実際手に取って見ると読みたかった刑務所 のリタ・ヘイワースは1/3位の厚さ、これは ゴールデンボーイのオマケなのかと少しがっかり しながら読み始めたんですが、いやぁ大満足! 面白かったです。 作品としては短いんですが、刑務所という外部 からの雑音が少ない環境の物語なせいか、語り 口調の絶妙な書き方のせいか読み終わった後に 長編を読み終わったような錯覚を覚えました。 ちなみにゴールデンボーイはまだ読んでなかっ たりします、手に取るとつい刑務所のリタ・ ヘイワースを読んでしまって、読み終えると お腹いっぱいでご馳走様という状態ですので。 | ||||
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キング作品には、多くの超常現象が出てきます。 幽霊だったり、吸血鬼だったり、生きている車だったり、超能力者だったり...その他いろいろありますが、キング作品には超常現象は必要なのですが、それだけでは決して出せないリアリティを生み出す事に成功しています。 それは、登場人物の(些細な脇役にいたるまで)感情や心の動き、またその動機がリアルだからだと思います。 そして、キング作品の大きなテーマである「恐怖」は超常現象だから「恐怖」を感じるのではなく、超常現象に出会ってしまった「生きている人間の暗い心」がカタストロフィを、「恐怖」を、生むのだと思います。 1番恐ろしいのは、きっと、あなたや私の様な生きている人間(の悪意)です。 そして、キング作品の中でも私が最も恐ろしいのがトッドです。 名作「刑務所のリタ・ヘイワース」も良い話ですが、キングの真骨頂はやはり表題作の「ゴールデン・ボーイ」にあると私は思います。 | ||||
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作品の内容はほかの方のレビューを読めば解ると思うので刑務所のリタヘイワース(ショーンシャークの空)からある場面を取り上げたい. ある物静かな囚人は長年図書館の司書を務めていたが、やがて刑期を終えて釈放された 自由の身に仮の宿として斡旋されたのは、古いアパートの薄暗い一室 それでも、独房に比べればずっと明るく手広い だが、彼はそこで首を吊って死んだ 傍らの紙に「我此処に在り」とだけ残して 自由は彼に何を与えたのだろうか やはり何も与えなかったのか それとも、逆に何かを奪っていったというのか ・・・色々考えさせられる小説だった. | ||||
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「ショーシャンクの空に」こと「刑務所のリタ・ヘイワース」、意外にもこちらのほうが文章としては短い。無実の罪で服役した銀行家の生き様を、親しかった囚人仲間が語るという設定で、主人公の不屈の精神と機知に富んだ生き方が表現され、最後に大きな希望を持たせてくれる晴れ晴れとした一作。対なす「ゴールデンボーイ」は、まさに前作とは陰と陽の対をなすような作品。よきパパ、よきママ、よき育児とよき環境に恵まれた作者いわく「全身これアメリカンな少年」が、誰にでもある思春期特有の葛藤の中で、アメリカに潜伏中の元ナチスの将校を見つけてしまう。最初は虐殺に関する少年ならではの軽い興味で接触を持つが、次第に頭の中でナチスが増殖していき、やがてそれが根源的な性衝動と結びついたとき・・。動悸やきっかけはささいなことでも健全な家庭に育った利発な少年がどういうふうに精神的に堕落していくかが生々しく書かれる。読んでいて空恐ろしくなる作品。2作品とも大変おもしろく読めた。ただゴールデンボーイのほうはちょっと読後感が悪かった。 | ||||
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刑務所のリタ・ヘイワース、映画にもなりましたが、希望に満ち溢れたキングとは思えない明るさ。 で、ゴールデンボーイ。いやいや、もうなんとも言えない暗さ。 すばらしすぎる組み合わせです。 ぜひ読んでください。 | ||||
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ナチスの影に興味を持ち、この本を手に取った。もちろん後編トッド少年の話 から先に読んだ。そう僕も平穏な日々に飽き足りた、下世話な好奇心の虜だっ たんだ。主人公は虎の尾をつかんだ事に慢心したのか。陪審員気取りで悪趣味 なのぞき見を正当化する、鼻持ちならない早熟児。読み進むにつれ彼の変貌ぶり に驚き、しだいに恐怖の対象は変わって…。ドス黒い感情を味わった。腐った トマトジュースを飲みほしちまった気分。しばらく読む気を失せた。 しかし前編の囚人デュフレーンに出会うと、見事なまでにその暗い感情は 中和された。彼が希望という名のワクチンをくれた。そう冗談なしに僕は、 架空の囚人に自由を教わった。毎日チクタク・カチカチ数字に追われる僕の 閉塞感。年功という安易な尺度。堅苦しい序列。このコエダメみたいな閉塞感 に彼が、風穴を開けてくれた。そうあの「見えないコートの様に自由を羽織る 囚人デュフレーン」に。根気よく知恵を働かせメゲずにトライし続ける意志が あれば、このコエダメから抜け出せる事だってできるんだ!たとえ体を縛られ ても、誰にだって僕の心までは縛れないんだ!ホント逆さまの順番で読んで 良かったな。内容としては同じだが、この読後感の差は大きい。 PS●ナチスと天才児なら→『悪童日記』早川●冤罪と刑務所なら→『ザ・ハリケーン』角川●こりない中毒者は→『ナチス狩り』新潮 | ||||
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とりあえず誰にでもオススメしたい本なんですが収録されている2編があまりにも対照的で難しいですね。「刑務所のリタ・ヘイワース」は万人にオススメです!「ゴールデンボーイ」は精神的なものから来る、なんともいえないジワ~っとした恐怖がありキングファンは楽しめると思いますがやはり苦手な方もいるかと・・・「刑務所のリタ・ヘイワース」は自分にとっては思いで深い作品です。ちょうどこれを読み終えて3日後くらいに兄貴が借りてきたDVDを見てると「あれ・・・なんかこの話知ってる・・・」と思ったらそのDVDは「ショーシャンクの空に」でした。あまりにも偶然だったので今でも心に残ってます。映画のほうも素晴らしいのですが俳優の歳をとっていく様(メイク)に違和感があったのと小説のラストのなんとも言えない余韻があるので小説をオススメしたいですね!刑務所内の一人一人の人間の個性が現れており、生き生きした、変な言い方ですが「刑務所内の自由」を感じました。 | ||||
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「刑務所のリタ・ヘイワース」を読んだのは映画化されるずっと前だった。 とにかく嘘のように涙が出た。 泣かせ技を使ってるわけじゃない。 しかし、「自由」というものに対する人間の渇望を、恐れを こんな風に描いた作品には涙するより他はない。 キングには好きな作品はたくさん あるのだが、この作品以上に愛おしさを感じるものには まだ会ったことがない。 心の何処かにある自分なりの名作ライブラリに残る作品だ。 | ||||
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キングを読むならまず薦めたい本だ。長編の醍醐味もあるが、この二編の収録された本は【1】適度な長さ(読む側の負担が少ない)、【2】読後感が長編に匹敵する傑作、【3】キングファンとして特に薦めたい人を扱った話──の三点を揃えている。キングのお楽しみはB級恐怖にもあるが、それだけではない。恐怖だろうと感動だろうと、キングは圧倒的に人間を描くのが上手いのだ。『刑務所のリタ・ヘイワース』は、土の温度や匂いを感じ、どうしようもない救い、安堵感、そして希望と愛に胸が詰まった。人や人生に背中を向けたくなっても、いつでもこの刑務所に戻ってこれる。まだこれがある、と主人公が最後に掴んで掲げたものは(照れくさいが紛れもなく)愛だったのだと思う。キング作品の各所に表れる、恐怖の中でも残っていく人間的な愛に焦点を当てたら、こんな作品になるように感じた。例えドン底でも、それでも人間ならば、と。刑務所で半分人生を終えたような大人に救いが訪れる『刑務所のリタヘイワース』だが、後者は対照的だ。どこから見ても健全な家庭の幸せな少年に闇が纏いつく『ゴールデンボーイ』は、五感を捉えて希望へと引き上げる前者の逆を行く。子供を持つ親なら怖くなるだろう。悪夢への変貌が「あまりにも自然」なのだ。日常を見る視点が変わる。それしか選択がなかったんだ、と坂を転がり加速していく石を見ている気分。だが可哀相などとは言わせない。最後で読者は主人公から突き放される。キング作品の怖さは超常現象的な要素にもあるが、人が転がっていく闇の深さに真骨頂がある。「これではしょうがない」と闇に転がった姿すら納得させ、最後に突き放す。そのどれもが日常に行われるのだ。対象的な二作品が収録されたこの本は、「どんなに辛くて長い夜にも朝がやってくる」ということと、「平和な日常風景だって、うかうかしていると夜の闇に飲まれてしまう」ことがよく表現されている。ヘタにB級超常現象的な要素がないのがいい。恐怖や希望のありかが、人間にあるということが良く分かる。 | ||||
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「ホラー作家」という認識は ”おぞましさを書くだけの人”という認識になりがちだが、著者は実は人間の人生を欺瞞なく見つめ、だからこそ、まず「人の残酷」を描き、その地点から「人生の希望」を肯定する。『希望』は性善説に立脚して考えたら、奇麗事にしかならない。本書にはそのスタンスがよく表れた二作が収められている。タイトル作の「ゴールデン・ボーイ」は倒錯的なエゴイズムがこれでもかと描かれ、そのエグさと完成度は非常に高い。「刑務所のリタヘイワース」は映画「ショーシャンクの空」の原作。脱走の時間と重み、それを緻密に描いたところが秀逸。主人公の脱出への強い意志は、映画よりも更に淡々とした人物であるからなおさらに、説得力をもつ。映画は個人的には「少しあざといかなぁ・・?」と感じた部分もあったが、小説にはそれが一切なく精密な完成度も遥かに上。読了後の希望あふれる感触は忘れがたいものがある。 | ||||
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「刑務所のリタ・ヘイワース」は、まったくの予備知識がなくて読んだほうがおもしろさは倍増する。だからあえてここではどんな物語かは触れない。映画を見た人は、この物語の「希望」というキイ・ワードにいたく感動するものらしい。もちろん私も感動した。しかしつづいて「ゴールデン・ボーイ」を読むと、もしかしたらこの作者は「希望」なんてものを人間の生きる指標の一つなどとは思っていないのではないか、そう思いたくなる。「ゴールデン・ボーイ」の少年は、たまたま友だちの家の車庫にあった古雑誌でナチの犯罪物語を読む。嫌悪と興奮と頭痛。それが心の闇の何かを刺激する。彼は、人間の心の闇のフタを不用意にもそっとあけてしまったのだ。性を知る直前の少年は、それが官能につながっていることに気づかない。そこにある得たいの知れない感情は、恐怖と官能で少年に襲いかかる。じわじわと闇が日常のなかに染み出し、事件への布石がそっと置かれる。キングの手際のあざやかさ。 正直なところ、この悪夢のような犯罪に、途中で何度も投げ出しなくなった。しかし投げ出してしまえば、中断した物語の切り口が乾ききらない傷痕のようにいつまでも気にかかる。それを阻止する唯一の方法は、一刻も早く読みおえてすっきりするしかない。これこそまさに、この小説のなかで登場人物が犯罪に手を染め、抜き差しならなくなった状況と同じではないか。クソッ! どこから見ても非のうちどころのない家庭で育った少年。しかしアメリカ社会が大義名分で抑圧した精神の病んだ部分が、少年の心のなかにとりつく。アメリカの健全神話の裏に、じつはこんなものがべったりと貼りついていたのだ。題名のゴールデン・ボーイとは、アメリカの無垢の象徴だろう。 読みおわってみると、「刑務所のリタヘイワース」の犯罪者たちが妙にいとしくなる。人間に残された希望というささやかな砦を、いかにみごとに守りきったことか。「ゴールデン・ボーイ」の悪夢のあとでは、いっそすがすがしいほどだ。「ゴールデン・ボーイ」は、もしかしたら前作をこのように光らせるために読まれるべきものなのかもしれない。キングの凄味のある合わせ技と言ってみたくなる。 | ||||
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実は「ゴールデンボーイ」の映画を見る前に原作を読んでおこう、くらいの気持ちで購入したのですが、「ショーシャンクの空に」の原作も収録されてるとは知らず、ちょっと得した気分です(笑)。「ショーシャンク」の原作は意外と短いのですね。ある意味、こちらの原作の終わり方のほうが爽やかで希望に満ちた感じで好きです。「ゴールデンボーイ」の方は短編としてはわりと長いので読み応えがありました。海外小説の翻訳モノは苦手だったのですが、この翻訳はとても自然で、上手に訳してあるなと思いました。 | ||||
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「ショーシャンク・・・」が映画化されたとき、「さもありなん。」と思った。が、多くの例がそうであるように、やはり映画は原作を超えることは無かった(唯一の例外は「フォレスト・ガンプ」くらいか)。映画を先に観てしまった人を憐れだとすら思う。本作に関して言えば、原作の方が少なくとも250倍は素晴らしい。なぜなら、「希望」を与えてくれるから。是非、春先に読むことをお勧めする。 | ||||
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映画「ショーシャンクの空に」を見て感動して買いました。だから、ゴールデンボーイよりも「ショーシャンク」の原作のほうを期待していたのですが、結果は逆。私は映画を先に見てしまったせいでしょう。「ショーシャンク」は結末までしっかり描かれている映画のほうが好きです。映画のほうが人物の対比などがはっきり表れていたのでわかりやすいということもあります。「ついで」に読んだ「ゴールデンボーイ」ですが、こちらのほうが私にとっては心に残るものがありました。ごく普通の少年が、偶然元ナチの将校に会ったためにナチの残虐行為に興味を持ちました。最初はきっとホラー映画と同じような感じで面白半分だったのが、元ナチの将校が関わった強制収容所での出来事を聞きつづけることで、人間に対して温かい気持ちが持てなくなり、果てには殺人を犯してしまいます。元ナチの将校もナチハンターにつかまらないためにひっそりと暮らしていたのが少年に偶然正体を見抜かれてから、ナチ時代の話をするようになり、当時の悪夢から開放されるために逆にまた動物や人間に残虐行為をする人間に戻ってしまいます。当時のナチの行為は絶対に否定されるべきですが、人間の心のどこかには面白がる気持ちはなくてもそういうことに好奇心をもってしまう面があるのは否定できないと思います。私自身は当時人間はどこまで残虐になれたのかを隠さずに知れば、人間はそんなことは繰り返さないと思いたい。ですが知ることは一部の人間には悪夢であると同時に誘惑にもなるのかもしれません。残虐行為をされる人の立場で考えるいう視点がこの小説からは意識的に排除されているようで、(元ナチの老人の行く末を決める人物が登場するまで)それが大人びている主人公の少年の未熟さをあらわしているのかもしれませんね。スティーブン・キングはあまり人気がありすぎてそれまで興味が持てませんでした。私は映画でしか接したことがなく、今回始めて原作を読みましたが、人気だけでない、すごい小説を書くなというのが正直な感想です。キングファンには鼻で笑われそうですけど。 | ||||
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キングの作品には直接的な恐怖とともに、そこに至る、それ以上の恐怖があることを示唆するものがある。この作品はその典型のように思う。キングが書きたかったのはナチの悪夢ではない。現代アメリカの抱えている、もっと根深い病巣について彼は書いているように思う。そして、なによりこの作品が恐ろしいのは、そういった病巣を書くのに、まだ若い少年を主人公に持ってきてさえ表現できてしまうという点だ。そして、この病巣は今の日本にも芽生えているような気がしている。 | ||||
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テレビで、ショーシャンクの空に、を見たときは、感動した。原作と知らずに、ゴールデンボーイを買い、壁の中のリタヘイワースを読み、原作と知ってうれしかった。私は、映画から入ったせいか、映像も、原作に劣らず名作だと思った。スティーヴンキングの作品はほとんど映画化されている。筋はいざ知らず、表現に少し品がないのでは、と感じるのは私だけだろうか。その中で、私の一押しの作品。(原作、映画とも) | ||||
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短編というよりはちょっと長めの中編集だが、最初の「刑務所のリタ・ヘイワース」がいい。題名は確かにボクラの世代にはリタヘイワースから喚起されるイメージがなくてつらいかも(あるいはボクが無知なだけか?)、映画化もされていて「ショーシャンクの空に」なんて題名じゃなかったかな、ビデオで見た気もするけど、知的で不屈の闘志をもった主人公の魅力を映画で描くのはかなり難しいでしょ、映画の方はイマイチの失敗パターンってところだったと思う。 ただし原作の方はその魅力をいかんなく書き出している。一読をお奨めする。 | ||||
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