■スポンサードリンク


(中編集)

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編の評価: 9.00/10点 レビュー 2件。 Sランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点9.00pt

■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全2件 1~2 1/1ページ
No.2:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(9pt)

キング版枕草子

『恐怖の四季』と題して春夏秋冬それぞれの季節をテーマにキングが綴った中編集が春夏編と秋冬編の2分冊で刊行された。本書はそのうちの前編に当たる春夏編である。

冒頭を飾るのは『ショーシャンクの空に』(傑作!)として映画化された「刑務所のリタ・ヘイワース」だ。
あまりにも映画が有名なため、そして私がベストの映画の1つとして挙げることもあって、物語は既に解っていたが、改めて読むとアンディーというエリートと調達屋のレッド2人の囚人の友情がなんとも眩しい。
妻と愛人殺しの冤罪に問われ、刑務所に入れられることになった元銀行の副頭取のアンディー・デュフレーン。入所したのが1948年。そして脱獄して出所するのが1975年だから、何と28年間も囚人生活を強いられていたことになる。
いつも穏やかな笑みを浮かべ、ほど良い距離感を保って囚人たちと接する彼は、刑務所名物の男色家たちの的になりながらも必死で抵抗し、やがて看守を味方につけることで完全に自分の身を護ることに成功する。
そんな彼の囚人生活を刑務所特有の異様な文化や風習、そして劣悪な環境で行われる囚人たちへの惨たらしい仕打ちなどが折に触れて挟まれながら、180ページもの分量を費やして語られる。
1人の男が入所して28年後に脱獄するまでの刑務所生活を語るキングの筆致は、舞台が固定されているにも関わらず、全く退屈せずに読み進めさせられる。魅力的な登場人物と刑務所と云う特異な空間。このたった2つのアイテムでぐいぐい読者を引っ張る。囚人たちに纏わる色んなエピソードを絡め、停滞しがちな話に見事に抑揚をつけて飽きさせない。
アンディーが刑務所に入れられることになった裁判の一部始終、彼がレッドと知り合う顛末。彼が刑務所内でひとかどの人物として成り上がっていく劇的な事件とその過程、更にそれまで常に泰然自若としていた彼が自分が冤罪となった事件の真犯人を知ることで取り乱し、手に入れた刑務所内の安定生活を失っていく様、そしていつか出所した時にメキシコの海沿いの町で小さなホテルを建てて過ごす夢を語り、その夢にレッドを誘うエピソード、そして訪れる脱獄の日。
アンディーの過ごした28年が彼の親しいムショ友達だったレッドの手記の形で語られていく様は不器用ながらも味わいがある。
アンディーの28年は常に理不尽と絶望との戦いだったことだろう。若くして銀行の副頭取にまで登り詰めたエリートが図らずも冤罪によって刑務所に入れられてしまう。自分の無実を信じながらもささくれだった劣悪な環境下でも自分を保っていた彼が、なぜ自分を見失ずにいられたかが脱獄方法1つで腑に落ちていく辺りはキングが物語巧者であることを感じずにはいられない。
しかし自分の信念だけがアンディーの精神的支柱だったわけではない。やはりレッドの存在もまた彼が彼であり続けるために必要不可欠だっただろう。
最初は恐らくただの何でも調達屋で、自分の脱獄を実現するために利用しただけかもしれない。しかしやがてレッドはアンディーの中で存在感を増していったことだろう。
人間、なかなか自分の胸に秘める思いを隠してはおけないものだ。それも20年以上となれば尚更だ。そんなアンディーが唯一心を許し、夢をも語ることを許したのがレッドだったのだ。この2人の男の友情物語のなんと美しいことか。なかなか余韻が冷めない。

夏を司る次の表題作「ゴールデンボーイ」もまた映画化された作品だ。私は未見だが旧ナチスの老人と少年の異常な交流を扱った作品というのだけは知っている。
元ナチスの老人と少年の奇妙な交流を描いた作品だ。ひょんなことから第2次大戦中のナチスが行った数々の所業に興味を持った少年トッド・ボウデンが偶然町で見かけた老人が戦争実話雑誌に掲載されていた写真に写っていたアウシュビッツ収容所の副所長クルト・ドゥサンダーであることに気付き、警察に通報しない代わりにナチス時代の話を話すよう強要する。
老人にとってナチス時代は悪夢であり、彼自身世界中をユダヤ人の追手から逃れてきた末に今のアメリカのカリフォルニアの町サント・ドナートに辿り着き、株の配当金で細々と隠遁生活を送っていたところだった。しかしやがて老人も自分の過去を話すことでかつて収容所の副所長として鳴らした威厳が蘇ってくるようになる。その引き鉄となったのがドットが興味本位で持ってきたレプリカのSSの制服を着せられたときだった。
やがてドットも老人の戦争時代の話に没入するにつれ、悪夢を見るようになり、勉強に集中できなくなり、瞬く間に成績が下がっていく。それをもはやかつて数多くのユダヤ人やドイツの同胞を見てきたドゥサンダーは見逃さずに逆に少年を支配し出す。
少年の成績が下がったことが親にバレることは避けたい。しかし一方でそのことは否応なく老人の正体を話すことに繋がる。つまり二人は運命共同体となるのだ。
そして老人は少年の祖父に成りすましてカウンセラーの面談に赴き、少年の両親の仲たがいが成績不振の原因であると吹き込み、少年が5月に落第点のカードを貰ったらカウンセリングを受けることを約束する。つまり老人は自らの進退も賭けて少年の成績を上げることを決意し、彼の家庭教師を務めるのだ。
このいびつな主従関係、いや共棲関係が実に自然に展開する辺り、キングの筆の凄さを感じる。しかし何よりもよくもこんな物語を思いつくものであると感心してしまう。
そして一方でドットはドゥサンダーの指導によって成績が上がっていくものの、それが彼の自尊心を傷つけ、老人に殺意を覚える。思春期真っ只中の権威への反抗心が、老人の過去に魅了されながらも憎悪するという複雑な心境を描き出す。
1人の老人のナチス時代の過去を共有することで2人が同じ行動を取っていくのが興味深い。つまり2人は非常に似た者同士であり、彼らの関係は近親憎悪なのだ。それも針の振り切った。
それを裏付けるかの如く、それぞれの正体が明かされていくのも同時だ。
お互いの運命がシンクロし合うように破滅へと進んでいくのだ。
少年の老人の交流をキングが描くとこれほど不思議な話になるのかと読了後、思わずため息が出た。
敵対し、互いに支配しようと相克し合っていた2人がいつの間にか同調し、奇妙な形で支え合う。それはお互いの心に眠る殺人への限りない衝動が老人の陰惨なナチス時代の話を通じて首をもたげ、そして発動する。ナチス時代の話を共有することと、お互いが殺人を犯している行為もまた2人にとって共通の秘密となり、2人でしか成立しない世界を作り上げたことだろう。


キングの中編集『恐怖の四季』はその名の通り、それぞれの四季がテーマになっている。キング版枕草子とも云える本書は4編中3編が映画化され、しかもそのいずれもが大ヒットしていることが凄い。それほどこの中編集には傑作が揃っていると云っていいだろう。

まず物語の四季は春から明ける。この季節をテーマに語られるのは「刑務所のリタ・ヘイワース」。副題に「春は希望の泉」と添えられている。まさしくその通り、これは希望の物語である。

この作品に対して私は冷静ではない。上にも書いたように本作を原作として作られた映画『ショーシャンクの空に』は私の生涯ベスト5に入るほどの名作だからだ。
静謐なトーンでじんわりと染み入るように進む物語に私は引き込まれ、そして最後の眩しいばかりの再会のシーンにこの世の黄金を見るような気になったからだ。本作でレッドが仮釈放され、アンディーの跡を追う一部始終は、人生の大半を刑務所で過ごした人たちが身体に染み付いた刑務所の厳格な生活リズムという哀しい習性とそれを逆に懐かしむ危うさに満ちていて、思わずレッドの平静を願わずにはいられない。
そして希望溢るるラスト5行のレッドの祈りにも似た希望は映画のラストシーンとはまた違った余韻を残す。その希望が叶うことを本作の副題が証明しているところがまた憎い。

さて次は「転落の夏」と添えられた表題作。元ナチス将校の老人と誰もが思い描くアメリカの好青年像を備えた少年の奇妙で異様な交流を描いた作品だ。

その副題が示すように一転して物語はダークサイドへ転調する。アメリカの善意を絵に描いたような少年が元ナチス将校の老人の過去を共有することで心に秘められていた殺人衝動を引き起こす話だ。
少年は老人を支配しようとするがかつてユダヤ人を大量虐殺してきた百戦錬磨の老人もまた逆に少年を支配し出す。やがて2人にはナチスの陰惨な過去の所業の話を共有することで奇妙な親近感を覚えていく。悪夢を呼び起こされた老人は夜な夜なうなされるようになるが、そこに昔の、全てを掌握していたかつての自信ある自分の姿を見出し、まだまだやれるのだと浮浪者たちを殺していく。

一方少年もまた老人の話から思春期特有の想像力を働かせて悪夢にうなされながらも内に眠る殺人への強い衝動を目覚めさせ、同じように浮浪者たちを狩っていく。

転落していく2人はやがてお互いが生き長らえるために必要な不可欠な存在へとなっていく。成績が下降した少年は老人の助けを借りて再生を果たす。その後の彼は優秀な成績を修め、更にスポーツでも万能ぶりを発揮し、地区の代表選手にも選ばれるようになる。転落から一気に運命は上昇するかに思えたが過去の過ちは決して彼らを逃さず、やがて破滅へと向かっていく。

逢ってはいけない2人が逢ってしまったことで転落していく、実に奇妙な老人と少年の交流を描いた作品はキングしか描けない話となった。前にも書いたが、よくもまあこんな話を思いつくものだ。

ところでこの2つの作品には繋がりがある。表題作に登場する元ナチス将校の老人アーサー・デンカーが生計を立てているのは株の配当金。その株の手続きをしたのが銀行員時代のアンディー・デュフレーンなのだ。こうやって考えると残りの2編もこれら2編と何らかの繋がりがあるのは間違いないだろう。

また「刑務所のリタ・ヘイワース」で語り手を務めるレッドが刑務所に入ることになった事件の記事が書かれている新聞の会社はキャッスル・ロックにある。これは『デッド・ゾーン』で登場した連続殺人鬼フランク・ドッドがいた町であり、また『クージョ』の舞台となった町だ。
それ以外にもリンクがあるのか、次の後編はそれを見つけるのもまた一興だ。

さてそれぞれの原題だが、まず「刑務所のリタ・ヘイワース」は原題をそのまま訳すと「リタ・ヘイワースとショーシャンクの救済」となり、逆にこれは邦題のシンプルさを買う。映画の題名もまたあれはあれで映画の雰囲気とマッチしているが、やはり小説ではこちらの方が合っているだろう。

表題作の方は「利発な生徒」とシンプルながら含蓄な題名である。これは確かに作品の本質を表しているが、ちょっと地味すぎるだろう。トッドの利口さとそして老人の心理へも同調してしまい、共に奈落へ堕ちるほど彼は利発だったということだ。

一方で邦題の「ゴールデンボーイ」もまた色々と考えさせられる。これはトッドの風貌、金髪の好青年をそのまま表しているようにも思えるし、金の卵という、輝かしい未来に満ちた少年という風にも取れる。
このあまりに煌びやかな題名と内容とのギャップが読後の暗鬱な余韻を助長しているように思えるので、私は邦題に軍配を捧げたい。

『恐怖の四季』と冠せられた中編集の前半の2編はそれぞれ二律背反な関係にあると云えるだろう。

「刑務所のリタ・ヘイワース」は28年もの長きに亘って冤罪で自由を奪われた男が自由を勝ち取る物語。
一方「ゴールデンボーイ」は30年近く逃亡生活を続けてきた老人が最後に自由を奪われ、自決する物語。
彼らが重ねた歳月は苦しみの日々だったが、その結末は見事に相反するものとなった。前者は自由への夢を見続けたが、後者は自分の行った陰惨な所業ゆえに悪夢を見続けた。

次の後編はあの名作「スタンド・バイ・ミー」が控えている。
キングが綴った四季折々の物語。全て読み終わった時に心に募るのはその名の通り恐怖なのか。それとも感動なのか。
その答えはもうすぐ見つかることだろう。


▼以下、ネタバレ感想

※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

Tetchy
WHOKS60S
No.1:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(9pt)

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編の感想

「ゴールデンボーイ」、「刑務所のリタ・ヘイワース」共におもしろい。

magnum
3BLY1DHH

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!