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イン ザ・ミソスープ
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イン ザ・ミソスープの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全76件 21~40 2/4ページ
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| 本書を手に取って感じたのだが、まず冒頭から結末まで、常に読んでいて、不安で不快だった(村上作品は大抵そうなのだが)。 それも序盤・中盤・終盤と、それぞれ別種の不安感、不快感、焦燥感を覚えた。 フランクが主人公に嘘をつく場面から虫の居所が悪くなり、バッティングセンターに行く章、フランクが風俗店で性的サービスを受ける章と、 休む暇もなく、さきほどの章とは違う暗鬱とした感情を覚え、遂に2人で入店したお見合いパブで村上龍のお家芸であるグロ描写が開始する。 お見合いパブ内では、ミスチルの曲を必死で歌い、若い女性の歓心を得ようとするサラリーマンや、高飛車で無教養な女などが出てきて、読んでいてこれまた不快なのだが、それはフランクが彼らの惨殺を開始するカタルシスのための布石。 フランクは、昔収容された施設内で他の被収容者から教わった催眠術と、脳障害の影響か、異常に発達した筋力で店内の人間を次々と殺害して行く。 私はこのシーンの、ミスチルおじさんがフランクに鼻をライターで焼かれたにも関わらずヘラヘラして笑っている描写に、作家・村上龍への深い畏敬の念を感じざるを得なかった。 惨殺のシーンでは、追い込まれた人間の見せる異様な反応や、淡々と殺害を進めるフランクの手際に思わず笑ってしまうような場面もあった。これはグロテスクではなくグランギニョールと形容すべきか。 その後、主人公が交番の前で立ち尽くすシーン、フランクの家に宿泊させられるシーン、日本文化についての議論、そして主人公が恋人と会うシーンと、まだまだ読者は安寧する事が出来ない。 「村上龍の不快」を感じたい人にはお薦めの一作。 | ||||
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| ちゃんと読める状態でしたし、 いいんですけど………、 臭いが!!!!! 私はとても気になりました…泣 | ||||
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| はっきり言って、作者はこの作品で何を伝えたかったのか、よくわからない。 殺人描写がグロテスクで、読後感が不快なものでした。 もちろん、現実社会では、無差別殺人が起こったり、サイコパスのような人物がいることも確かです。 それを考慮しても、私には理解できなかった。 | ||||
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| 「フランク」とはダメになってしまった日本人が、どこかで「死んだ方がマシ」と思ってる日本人が生み出した「偶像」「象徴」。それを村上龍は抽出した。 そういう「書かされてる」状態で生まれた彼の傑作は多い。 ゆるぎない裁定を下す。自然災害(ゴジラのような)みたいな(よく言えば「災害」ではないけど) そして、そういう存在ではあるが「人間」であるがゆえに「除夜の鐘」で救われたいとも願う。 最後に「味噌汁の具になったようなもの」だと。何か「一縷の光明」を見いだしたのだろうか? 映画「ノーカントリー」(こっちが後)の殺人者とかぶる。「欲望」「幸福」「ぬくもり」など普通の人間が求めるものから遥かに逸脱し彼らが求めてやまないもの。 The Reality. ※現行の単行本のカバーにフランクらしき顔がデザインされてる。これはやめてほしい。イメージが束縛される。 | ||||
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| 悲しい事件 酒鬼薔薇聖斗事件。 そこからあたらしい日本が始まったような気がする。 村上龍も そのことで 何らかの変化を感じた。それが この本のはじまりだ。 日本の大きな「ゆがみ」。若い女性のもっている「アメリカ」のイメージ。 そして、日本の歴史にたいする浅い知識。 明石家さんま のからくりテレビの「ファニーイングリシュ」は、 痛切な日本の英語教育にたいする批判だった。 それでもジャパニーズイングリッシュで 立ち向かうしかない。 ミスチルをうたうおじさん。 なぜうたうのか? 若い子にもてたいがため。 若いと言われたいから。おじさんはおじさんである事を認知したくない。 そこから、おじさん認知症となるのだ。 ケンジという20才になったばかりの青年。アメリカ人のピンクガイドをする。 そこに、フランクというちょっとくたびれた中年の登場。 多重人格者として、時折見せる不思議な表情。 このフランクの複雑な思考と行動が物語を牽引する。 突然の嵐のようにおこる殺人行為。 それから始まる告白。7才の時に 2人を殺人した。 「子供の殺人に原因はないよ。 幼児が迷子になるのに原因がないのと同じだ。 親が目を離したから?それは原因じゃなくて 子供が迷子になる過程のひとつにすぎない。」 ミソスープのふわふわしたスープに沈殿していくものが 心のなかにも 沈殿し、暴発する。 | ||||
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| 村上龍ならこれ、と知人に進められて読んでみました。 「限りなく透明に~」よりもずっと読みやすい文章で内容にも引き込まれてしまい、一気に読み終えました。 フランクの異常な行動や経歴も気になるが、それ以上にそうした異常さを通して眺めることで、日本の特徴が際立ってくるのが興味深かった。 特に、後半部の2人のやりとりで、信仰の対象としての神がおらず、惰性で生きる在り方が語られる部分は必読。 ストーリーとしては、過激な事件が起こっていく割にラストに少し拍子抜けした印象はある。 | ||||
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| 「外国人のための風俗ガイド」という主人公の職業設定が面白い。相変わらず、村上龍作品の主人公はいちいち場面場面考え過ぎで過剰に感じてしまうが、設定の面白さと深遠な狂気を内包したアメリカ人・フランクの強烈な人物像で読ませる。村上龍は単にフランクの暴力性や異常さだけでなく、主人公のレンズからフランクを通じて日本社会の歪みを描きたかったのではと推測する。しかし、主人公のレンズからあぶり出される風俗業界や東京の人々の歪みは「愚痴レベル」に思えてしまう。スレた風俗嬢などを叩くのはいいが、そこからスケール感がどうも広がらない。「日本人は他者に興味がないのだ」などと主人公は思想に耽るが、根拠が乏しい。 タイトルの「イン ザ・ミソスープ」のエピソードも消化不良で、とにかくフランクの異常さだけ際立ち、日本社会を別角度で見せてくれるような思想性は薄く感じた。それでもミクロ的に所々はっとするような上手い描写は見受けられた。 | ||||
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| 物語としても非常に面白く、一気に読み進めました。 それにしても、このカバー絵は素晴らしいですね。 これほどまでに、フランクの不気味さを描けるとは。 | ||||
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| 保守的さのどうしようもなさとそれに対する殺戮のボリュームがもっと欲しかったです。だからなのか味噌汁の下りが唐突に感じられました。そうすれば説教臭いとか安易な社会批判とか思われる余地はなかったと思います。 | ||||
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| 内容についてはほかのレビューを書かれている方がいるので割愛します。 僕は日本の小説家や映画の「社会派」という類の作品が激しく嫌いです。反吐が出ます。なぜならそのぼくのかんがえた「しゃかいもんだい」というのがきわめて薄っぺらいからです。 そしてその「社会問題」の薄っぺらさの根底には小説家に限らず、日本人が「データを見ない」からだと思っています。 半径5メートルのテレビとか週刊誌で取り上げられていた事を鵜呑みにして、データを見ずに勝手に社会問題を作る。 例えば、少年犯罪は昭和30年代は減ってるにも限らず、事件が起きると「少年が残虐になった」そして、それは「現代の闇である孤独が原因だ」と勝手に決めつけてそれをテーマにする、と。 アホなのか?と思う。 今回の作品もそこらへんの週刊誌ネタレベルの社会認識で書いた作品にすぎません。 日本人はもう「社会派作品」を作らないでほしい。 | ||||
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| 村上龍は現代とともに歩む作家だということを気付かせる本である。欧米各国でも翻訳され評価が高い村上龍の傑作のひとつだろう。現代が投げかける問題に村上龍が答えている。今を考えてみたい読者にお奨めである。繁華街の風俗とか性について。あなたは、こんな現代をどうおもいますか?。考える答えのひとつがここにある。 | ||||
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| バブル後の日本の社会状況や生活意識い対する強力な非難を比喩的に現した小説。 今となっては全くおもしろくないのだが、味噌汁状の生ぬるくしょっぱい私たち日本人の日常感覚は、15年でいい方へと変わることができたのでしょうか。 skのあたりを確認するためにも一読して見るのも面白いかもしれません。 | ||||
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| 「限りなく透明に近いブルー」から、村上龍を読み始め、次に読んだのがこの「インザ・ミソスープ」です。 外国人専門の風俗店案内人のケンジが、フランクという男と客として関わる事になり、少しずつ、彼の異常さに気づきだす・・・、(フランクは、先日起こった女子高生殺害事件の犯人なのか?いや、俺の考えすぎか?)という、不安が現実のものとなっていく様を淡々と描いています。 「限りなく透明に近いブルー」でも感じられた、恐ろしくクールな文章が印象的でした。 村上龍、良いですね。 他の作品も読んでみたくなりました。 | ||||
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| 本書で出てくるのは外国籍の連続殺人犯で、外国人の日本での個人旅行のガイドをやっている日本人の若者が絡むという設定。 この作品に限った話ではないが、この人の書く小説はビジュアル喚起力が凄く高くて、特に暴力的なシーンでその特質が最大限に発揮されるように思う。 本書においてもそうした特質は遺憾なく発揮されており、とにかくおぞましい殺人シーンがよく書けていて、まずはその技術に驚かされる。 殺人鬼の実在感も出ていると思う。気持ち悪かった。 ただし読み終わって感じるのは、なんとも説教臭い小説だなあということ。 著者の、日本人の持つメンタリティに対する批判意識とか嫌悪感が、登場人物の言動に露骨に反映されている。 非常に分かりやすい反面、小説的余韻とか深みには欠ける小説だ。 | ||||
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| 学生時代に何度か読んだ好きな作品です。 当時の村上龍は、「近代化終焉後の希望の喪失」みたいのがモチーフになっていて、 その集大成として、小説では『イン・ザ・ミソスープ』『希望の国のエクソダス』があり、 エッセイとしては、『寂しい国の殺人』が発表されたと記憶しております。 それにしても、あれから10年以上経ちましたが、何だか状況はあまり変わっていないように感じます。 今、本作を読んでも共感できる部分が数多くあります。 「恐れや悩みや不安を抱えていて、誰かにそばにいてもらいたいが、 絶対に話しかけられたくない。そういう人間が今後主流になっていく」 みたいな部分があったと思いますが、今はまさにそんな時代ですしね。 | ||||
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| 端的に言えば、日本国がいかに平和ぼけしているかってこと。 "海の向こうでは戦争によって惨殺されている人がいる" それを伝えるためだけに西洋の殺人鬼を描いたような印象を受けた。 せっかく主人公ケンジが英語を話せる設定になっているのだから、 外国人フランクと有意義な対話をたくさんしてほしかった。 もっとも殺人鬼が偉そうにあれこれ語ってもだけど。 つまりプロットそのものに無理があったように思う。 海外の人が日本人の精神世界を知りたがっても、僕なら本書を薦めないし、 あるいは海外の人が日本人をどう見ているのかを知るにあたって、 僕はこの本を参考にしたりするようなことはないだろう。 | ||||
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| グロイ描写上手い!おかげで読んでる最中キモチ悪くなりました。けど止められない 止まらない。 これ面白いよ。でも子供には読ませられない。 | ||||
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| 多くのレビュアーの方々が指摘されているとおり、この作品は例の神戸児童連続殺傷事件が起 こり、そしてそれがすべて14才の、大人からすれば無垢なはずの存在によってすべて引きおこ された事件であるのが判明するまでの、その同時代に読売新聞上で連載されていた。 僕はどこかで聞き間違えてて、事件が起きた後に村上龍がこの作品を思いついて、作品に具現 化していたのかと思っていたのであるが、そうではないらしい。単行本あとがきによると、こ の小説の核心部分の一つである、例のフランクの殺戮シーンの合間に現実では神戸で事件は起 き、フランクが自身の半生をケンジに語っている最中に14才の少年が犯人として捕まったのだ という。 起きた事件そのものを、後から何らかの脚色をして作品を表現するのはある意味簡単なことで ある。でもしかしそれは、その事件の表層しかとらえられないのではないだろうか。突き詰め れば問題は、そのような事件が起こった社会の方にあるのであって、事件はその社会の中でア ウトプットされた、剰余に過ぎない。 僕らが思っている以上に、事件は起きる前に終わっている。それはプロセスではなくて、結果 なのである。 それだけに、そのプロセスそのものを、社会がどのようにうねり、どのような軋みをあげてい るかを、的確に捉えることは難しい。 でもまれに、それが知らぬ間に出来る人がいるのだと思う。 それができるのが村上龍であり、そのことが偶然にも起きたのがこの『インザミソスープ』に おいてなのだと思う。 カンブリア宮殿の彼しか知らない人には、この作品も手に取ってみて欲しいと思う。 | ||||
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| 村上龍のファンではあります。 しかし、この作品はあきらかに、「悪いときの村上龍」そのもののような作品だと思います。 まず、描写の仕方が説明口調なところが多く、あからさまに説教くさい。 ストーリーの展開も、そこまでドキドキするようなもんじゃないし、だいたいこれは純文学なのか? 小説って、読者に対して説明的になってはいけないと思う。読者に想像させたほうがいいと思います。 フランクの怖さはわかるけど、人物造形としては、何となく説得力に欠ける。 この作品がなぜ讀賣文学賞なのかわからない。 村上龍にはもっと評価されてしかるべき作品があるのに。 ファンですが、これはだめなときの村上龍のすべてみたいな小説。 他の作品から読むのをおすすめします。 | ||||
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| 寝る前にちょっと読もうと思ったら、眠れなくなった。 村上龍を好きになるきっかけとなった本。 | ||||
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