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1934年の地図
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1934年の地図の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全31件 21~31 2/2ページ
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堂場さんの作品、かなり読んでいるのですが、本書は発売当時、テーマがあまり得意分野ではないことから読んでいませんでした。 今回、読んでみて・・・残念ながら、あまりことができませんでした。 前半のハードボイルドな感じも苦手で・・・ 帯に書かれた「友情か、陰謀か?」男のロマンが好きなタイプの方には楽しめる作品だったかもしれません。 堂場作品の中では、私の好きなタイプではなかったのが残念でした。 | ||||
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著者の本は初めてでしたがとても面白く読むことができました。ベーブ・ルースとともに日米野球に参加のため来日したディック。それに通訳として参加した京極。 2人の運命の転換と邂逅がとても興味深くハラハラドキドキしながら読むことができました。 野球を知っているとなお一層楽しく読めるとおもいますが、知らなくても充分に楽しめる内容です。 年代をズラして行くことで伏線を上手く張っているなと感じます。 とても引き込まれるお話でした。 | ||||
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一応サスペンスですが、 あらすじを読んで想像できたオチが 何のヒネリもなくそのままだったので 少し肩透かしでした。 特段読みにくいという感じではありませんが かといって面白いと喧伝するには 憚れるといった内容で すべてが並な小説でした。 参考にして頂ければ幸いです。 | ||||
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野球 x スパイ物語という異色のインテリジェンス譚。ベーブルースご一行が1934年、日本に滞在し親善試合を行っている最中に、スパイ活動が発動されていたという、真偽見定まらない物語で、最後の最後まで引き込まれました。戦前における日米の若い研究者同士の友情と、戦後の再会、一枚の写真が物語る悲哀。罪を背負う米国人と、その罪を後になり知る日本人。物語中には年号が語られておらず、タイムマシンで幾つもの年代に飛ぶような錯覚を感じ、過去と現在及び未来が融合する。日本敗戦後72年の時を経て、日米関係の再考をも考えさせられる作品。最後のシーンは「フィールド・オブ・ドリームズ」を想起させるベタな展開のため、星一つ減らしました。しかしながら、野球に関する描写は、一度でもボールを握った者であるならば、堪えられなくなること請け合い。グローブを探しにアマゾンを検索したくなります。 | ||||
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私は堂場の小説をかなりの数読んできた。 警察小説とスポーツ小説共に。 刑事鳴沢了シリーズはなぜこんなに評価が低いのかと当時は憤慨もした。 しかし堂場があまりにも多作な作家になった頃から読むのをやめた。 彼の作品は、だいたい400ページ前後あるが、前半200ページまでは本筋に関係ない話が延々と続きだしたからだ。 伏線を張るのではなく、ただ書き流しているだけという印象を受けた。 本作も「関係ない」とは言えないまでも、読者にはとうに読めていることを引っ張る。 堂場だから我慢して読んだが、他の作者なら投げ出し本にしただろう。 私は10年ほど前に、(まだ彼が読売新聞の記者だったはずだが)読売の夕刊紙上で 「アメリカのハードボイルド小説」から多大な影響を受け、いつかはそんな作品を書いてみたいと 語っているのを読んだ。 最近の堂場の作品を読んでいないのでわからないが、本書はまさに2章まではハードボイルドの文体で綴られる。 顕著なのは、段落の最後を・・・「が」で締めるところ。 『これは好き嫌いがはっきり分かれるところだろう。 私は嫌いではないが。』 真似すればこんな感じ。 レビューの題名の「センチメンタリズム」だが、 堂場の「二度目のノーサイド」を読んだラグビー経験者にはわかってもらえるだろうが、 彼の「独りよがり」な思いはあまりにも「甘い」のだ。 実際には、スポーツにおいて「二度目のノーサイド」なんて存在しない。 「あの時」に、勝ったのか負けたのかが全てである。 だからこそ明治大学ラグビー部の監督を長年にわたって務めた北島忠治は「ラグビーは一期一会」と言ったのだ。 ただ堂場はそう思っていないのだろうけど。 この甘さは、同じハードボイルド系の香納諒一の描く女性像にも通じるものがあると思っている。 そして本作品もその「甘さ」ゆえ、何が言いたかったのだろうという思いを読者に与えて終わる。 星二つって辛口と思う方は、堂場の初期の作品を読んでみて欲しい。 せめて、鳴沢了全巻とスポーツものでは「8年」ぐらいは。 ただし、ドラマ化された失踪人捜索課はやめておいたほうがいいです。 ハードボイルド系作家の常として、あと5年すれば、堂場は時代物を書くだろうと予想する。 大層偉そうなことをレビューしたけれど、これはあくまでも愛情です。 私自身もどちらかと言えば「二度目のノーサイド」があると期待していたいほうなので。 | ||||
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サスペンス風。 ★主人公の台詞が軽い その場その場でいい加減なことを言っているだけなのか、数ページ後には真逆のことを言い出す主人公。 354頁より 『「私は、戦争についてあれこれ言う権利も知識もない」京極は静かに話し始めた。』 しかし、その数ページ後には、戦争中の誰の行為が断罪されるべきで、誰の行為が免罪されるべきなのかを滔々と述べ立てる。戦争の知識はないのに、戦争の全体を見なければ語り得ないような特定行為の責任について、情熱的に断言してみせる京極。これは一体どういうことなのか。 カビの生えた戦争反省文を摘み食いし過ぎた所為か、同一人物の台詞に多くの矛盾が生じている。 これによって、物語のオチがよく分からないものになってしまった。 ★読者は既に知っている ある登場人物のある秘密は、早い段階で読者に知れる。にもかかわらず、主人公は必死になってその秘密を探っている。 退屈だ。 古畑任三郎のように、犯人(重要な秘密)が判っていて、その上で楽しむ物語なのか、そうでないのかが曖昧だ。読者には既に秘密が明かされているのに、まるで「読者に秘密が明かされていない」かのような文章が続いていく。 難しい小説だ。 ______ ★編集協力 本書末尾によると「齊藤勉、廣瀬愛子、山本あい」の三氏が編集協力。 | ||||
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私も野球が好きなので一気に読破しました。 ベーブルースのキャラクターに加え、著者の野球好きが随所に感じられました。 野球が好きな方であれば、さらに楽しめると思います。 戦前、戦後について描かれていて、少し物悲しい、寂しいような雰囲気で進行していきます。 ですので、読破後はもやもやが残るスッキリとしたものではありませんでした。 しかし、各々の考え方については考察の余地があり、読破後は考えさせられるものでした。 | ||||
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一気に読破しましたが、野球好きなら楽しめる小説ではあります。 ネタバレは省きますが、各所に野球愛、そしてその深さを感じられる箇所がある。 背景には様々な絡みがありますが、個人的には最後のオチというか、終盤にかけての流れがちょっとモヤモヤするものがありました。 この落とし所しかないのかもしれない、という思いもありはしますが、読み終わってスッキリするという流れではありません。 何度か読めばまた違った考えや思いが生まれるのかもしれず、時をおいてもう一度読んでみようと思います。 | ||||
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ほどほどに楽しんで読んだが、京極が「期せずして共犯」という部分への気付きが一切なく、許しを垂れるの棚に上がってしまったのが大変に腑に落ちず。 知らぬ間に手伝ってた衝撃が一番先に来て、それから「友情だったのか、いい様に使われただけなのか」の葛藤が来て、色々調べて「十分にやむを得なかった。そして我々は互いに互いの友情を大切に思っている」位が落としどころじゃないか?と 故にラストがピンと来なかった。途中経過と親善野球の様子は楽しんだ | ||||
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堂場氏の野球小説は味があって面白い。 今回はその野球を鎹にして、戦前と戦後15年を語っているが、 読了後父が1回だけ戦争について語ったことがあったのを思い出した。 私は70年代を小学生として過ごしたが、当時はプラモデルでは第二次大戦で使われた、 戦艦、巡洋艦、駆逐艦、ゼロ戦、戦車等を作るのが流行っていて、 TVでは「コンバット」というアメリカの戦場ドラマが子供達に人気があった。 書籍も真珠湾攻撃から日本が最初攻勢をかけた1~1年半までをドラマティックに描いた本が 子供達の間で人気があり、悪戯をして誰かを驚かせたときには「トラトラトラ我奇襲に成功せり」と叫んで喜んでいた。 (今だと大問題になりそうだが) そんなことで遊んでいる私をある日見かねたのか、父が自分の戦争体験を話してくれた。 父は当時23区内に住んでいて、学童疎開を経験しているのだが、本書中の美浜同様、 汽車で移動中にアメリカ機の襲来を受け、汽車から逃げ出した際に、 体のすぐそばを機銃掃射が1列になってかすめていき、目の前で人が倒れて動かなくなるのを 実際に見たそうだ。 疎開先では地元っ子にいじめられ、いつもひもじい思いをしていたらしい。 終戦後もコメや食料の買い出しでリュックを担いで汽車に乗り、何度も往復したそうだ。 また、父の大の仲良しの友人の父親が陸軍中将で、15日に皇居前で自決したことや、 終戦時の玉音放送に涙を流し、小学校に戻った時、皆で無事を喜びながらも旧友の何人かがいないことに涙を落としたり、 再開後の授業で一番最初にやったことが、教科書に墨で線を何行も何行も引かされたこと、 教わってきたことが全て自己否定して行かなければいけない悲しさなどを静かに語ってくれたのを覚えている。 戦時中・終戦後毎日芋という生活が続いたこともあり、だから、芋を見ると色々思い出すのか、今でもサツマイモは食べられないでいる。 でも、その時の私は当然自分が生きている時代と戦時の時代が全くリンクせず、 ピンと来なかったばかりか、父親が機銃掃射を受けたことや腹切りを「すげえ」と思い、友達に自慢げに話していた。 そんな自分を見て話をしてもわからないと思ったのか、それっきり父は戦争のことは何も話さなくなった。 父は8月になると戦争・原爆関連のテレビは見ないし、ニュース番組でそれらが流れるとチャンネルを変えてしまう。 父の中ではひらすら忘れることが、戦争に対する折り合いの付け方だったのではないかと思う。 原爆・沖縄慰霊祭を行うことで戦争に折り合いをつけている(あるいは付けようとしている)人もいるだろうし、 父は東京大空襲で全てを失ったが、それを忘れることで、触れないことで折り合いをつけている(あるいはつけようとしている)人も大勢いると思う。 どれが正しくてどれが正しくないかというのはなくて、生きていく上で何らかの選択をせざるを得なく、 その選択は個人が悩み考え決めるものだから、誰にも何かを言う権利はない、というものかもしれない。 ただ、折り合いのつけ方(あるいは折り合いを付けようといまだにもがいているのかもしれないが)は人それぞれでも、 恐らく「あんなことは二度と御免だ。子供達や孫たちにはあんな思いはさせたくない」 という気持ちは同じなのではないかと思う。 本書を読んで、登場人物には登場人物なりの戦争・戦後があり、 父には父なりのがあったのだろうなあ、としみじみと感じるものがあった。 | ||||
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堂場瞬一の野球小説が好きだ。決して派手さはないし、こじゃれた粋な描写もない。でも、野球を題材に、誠実に文章を書き連ねる作者の野球作品は、心の底から「野球が好きだ」という思いが感じられるのだ。 本作で描かれるのは、現在は大学教授である二人の野球経験者の戦争の贖罪(傍目から見るとそう大した罪とは思えないところもあるが)であり、ほんの小さな出来事にすぎないかもしれない。しかし全編に作者の野球愛、そして主人公二人の野球への今も消えぬ未練、さらには前半挟み込まれる愛嬌たっぷりの、一方でもの悲しいルースの姿・・などが描かれ、全てが愛おしい。野球好きなら是非読んでおきたい佳作である。 | ||||
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