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チボの狂宴



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【この小説が収録されている参考書籍】
チボの狂宴

チボの狂宴の評価: 5.00/5点 レビュー 8件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点5.00pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全8件 1~8 1/1ページ
No.8:
(5pt)

ノーベル賞は遅かった

確かに、スキャンダルまみれの作家だが、
作品においては他の追従を許さないレベル。

感傷とは無縁だが、冷徹とも言い切れない立ち位置の表現が彼らしい。
もちろん、この本でも本領発揮しているのは言うまでもない。
チボの狂宴Amazon書評・レビュー:チボの狂宴より
4861823110
No.7:
(5pt)

独裁国家

リョサの小説は10冊位読んでいる。どれも傑作だがこれは凄まじい力がある。途中で息苦しくなるほどだ。永井豪並みの迫力を感じる。独裁者というものを感じるにはこの本ほど優れたものはないだろう。
チボの狂宴Amazon書評・レビュー:チボの狂宴より
4861823110
No.6:
(5pt)

梟雄の屈辱の夜こそが、独裁制の実質的な終焉の刻だった

ドミニカ共和国を30年以上に亘って完璧に独裁したトルヒーヨの全盛時代とその栄光の座からの転落を、あざやかに描破した南米文学の最高傑作です。

 この「祖国の恩人」、「国家再建の父」が、その持って生まれた才覚と熱情と勤勉を武器に軍事政治経済社会の中枢を一身に掌握していく有様、また奴隷のように盲従する手下たちの己むを得ざる卑しさ、そして独裁に挑むテロリストの命懸けの陰謀の進行を、私たちは隣室で見聞きしているような臨場感と共に手に汗握って体感できるのです。

 しかも著者は、数多くの歴史上の実在人物が登場するこのドキュメンタリーな物語を、時系列を無視した人物ごとの複合的な視点からいくたびも語り直すので、その都度小説は新たな輝きと微妙な陰影を帯びて歴史の裏舞台からいきいきと立ち上がります。
 
 漸くにして独裁者を斃したにもかかわらず、味方の将軍の裏切りで捕えられ、陰嚢を切断されるなど身の毛もよだつ拷問の末に惨殺されてゆく暗殺者たちの末路こそ哀れなるかな! しかもあと数カ月年生き延びれば「英雄」の称号が贈られたとあれば、歴史の皮肉と野蛮を痛感せざるをえません。

しかしこの小説で一番印象に残ったのは、「チボ(発情期の雄山羊)」と呼ばれた大元帥の挫折のシーンです。美しき人身御供の無数の処女膜を強靭な男根で次々と突き破ってきた不敗の独裁者は、本書のヒロイン、ウラニア嬢のフェラチオをもってしても勃起しません。怒りにまかせてそれを指で破った後で70歳の老人はついにおいおいと泣きだすのですが、この回春の狂宴、一転して梟雄の屈辱の夜こそが、独裁制の実質的な終焉の刻だったのです。
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No.5:
(5pt)

時間の循環性及び幾何学性構成を活かして"個人の自由"の尊厳を謳った力作

ドミニカを舞台として、30年に渡る一人の総統の独裁体制下の社会・人間模様とその崩壊の過程を多角的視点で綴った作品。ガルシア=マルケス「族長の秋」と同様のテーマで驚くが、描写方法に工夫が見られる。邦題は原題(「La Fiesta Del Chivo」)のほぼ直訳だが、日本では通常"祝宴"と解されているラ・フィエスタを「狂宴」と訳している訳者の見解が本作の内容を示唆している(Chivoは山羊だが、ここでは統統の呼称)。

本作は次のいずれかの体裁を持った章で構成されており、これが作者の工夫である。作品全体を貫く時間軸は存在しない。

(1) 総統の言動・性癖を三人称で綴った章。戯画的と言う程ではないが、狂気と滑稽味を併せ持った典型的な独裁者として描かれている。だが、真の「狂宴」が始まるのは......。原題の巧みさに感心した。
(2) 反体制グループのメンバ達の過去と決起時における言動・心理をカットバックで三人称で綴った章。一番緊迫感と詩情に溢れている。
(3) かつての総統の片腕で、その後失脚し、今は脳溢血で倒れている老人の娘ウラニアの独白。ウラニアはNYの上流層で活躍中のキャリア・ウーマンで35年振りに帰国し、父親・親族に向かって過去の"問わず語り"をするという体裁。進行に連れ、本作がウラニアの物語でもある事が分かって来る。

(3)を加えたのは、物語に重層性だけではなく史実性を与えようとの意図があったのだと思う。相容れない父娘の和解というテーマを盛り込みたかったのかもしれない。全体として"個人の自由"の尊厳を謳った作品だが、作者がアメリカ的民主主義に与してしない事は文章の端々から窺える。中南米という地理・歴史的条件がもたらす複雑な政情、対米感情も丹念に書き込まれている。ボルヘスやガルシア=マルケスが好む時間の循環性及び幾何学性構成を活かした力作だと感じた。
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No.4:
(5pt)

独裁者を抑えることができるのは時間だけなのか

ドミニカ共和国を長年に渡って強権統治した独裁者トゥルヒーリョ。彼が暗殺される最後の日々、彼を暗殺する人々の決行の日とそれ以後の苛烈な運命、暗殺後の混乱を収拾していく後継統治者の綱渡りの知略、そして父親がかつて閣僚のひとりであった女性ウラニアの現在からの回想、といった異なる縦軸が入れ替わり立ち替わり登場と退場を繰り返しながら物語は進行していきます。

 先日ジュノ ディアス著『』を読んで、多くのドミニカ人の人生を蹂躙したトゥルヒーリョという男の存在に興味を持ちました。ノーベル賞受賞のペルーの作家が同じ人物を中心に据えた小説があると知り、この『チボの狂宴』を手にしました。

 小説の前半3分の2ほどまでは、気弱な部下たちが気難し屋の上司の顔色を見ながら職務にいそしむといった会社残酷物語調なところも見られなくもありません。嫌な上役のもと、それでも家族のために働くお父さんたち、といった具合に哀調を帯びた物語ともいえなくないでしょう。
 が、後半は一転、為政者とその一派のとめどない暴走ぶりが物語をおおいつくします。あまりに苛虐な描写に息をとめることも二度三度あるほどです。静かに進んだ物語の薄い覆いが突然はがされて、その真の姿を見せたときに、読者は大いにたじろぐことでしょう。

 トゥルヒーリョが齢七十に達しても他者を抑えつけることによってしか自らの存在に手ごたえを感じられなかったこと、つまりは、自らの<男性>性にからめとられてしまっていることに哀れを感じないではいられません。
 そして彼は個人崇拝の異常な政治体制を築いた30年という歳月によって最後は組み伏せられたといえるかもしれません。時が与える残酷な衰えに涙する独裁者。
 しかし、人間が長じるにつれて自らの心身の変化を<衰え>と否定的にしかみなせないのか、それともそれを<成熟>という言葉で肯定的にとらえることができるようになるのか、その別れ道を見誤った為政者の末路が描かれているようにも思える小説です。

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 500頁を越える大作を見事な日本語に移し替えた訳者の力量には大いに敬服します。バタ臭さを一向に感じさせない、大変読みやすい日本語に助けられて、この長編小説を最後まで楽しく読むことができました。
 今後長きに渡って多くの日本人読者の間で受け継がれてほしいと思わせる作品なだけに、増刷の際に修正が必要だと考える箇所をわずかながら以下に列記しておきます。

 「とんでもございません」(49頁)とありますが、「とんでもないことでございます」が正しい日本語です。「ない」というのは<ある/ない>という場合の「ない」ではなく、「幼い」「もったいない」「はしたない」という言葉の中の「ない」と同じく接尾語です。

 「クライエント」(60頁)はスペイン語では確かに「cliente」と綴りますが、日本語では一般的に「クライアント」と表記します。
 
 「娘の爆笑を前に」(136頁)とありますが、「爆笑」とは「大勢の人がどっと笑うこと」(大辞泉)であり、「娘一人で爆笑する」ことはできません。

 「第一日め」(364頁)とありますが「第」と「目」の両方を使うのは誤用です。
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No.3:
(5pt)

文学の至福

バルガス=リョサさんの本を読むのは『楽園への道』に次いで2冊目。女性運動家とその孫であった画家ゴーギャンさんの物語を交互に語っていく『楽園への道』に比べると登場人物も多く、しかもみんな本名、あだ名、通称(?)などで呼ばれ(まるでロシア文学みたい)、最初は「読めるかなあ」とちょっと不安になったけれど、読み出したらぐいぐい引き込まれ、大冊を1週間で読んでしまった。
 ドミニカ共和国を長年に渡って支配した独裁者トゥルヒーリョ、彼を狙う暗殺者グループ、そして作者の創作であるという米国に逃がれ数十年ぶりに帰国した女性ウラニアとその失脚した独裁時代の元重鎮である父、三者の物語が交互に描かれ、しかもそれぞれの物語の中では、現在と過去を継ぎ目なく語りが往還する。そうしたテクニックを駆使しながら、文学臭をつゆほども感じさせず、それぞれの人物を実際に見てきたかのようにぐいぐいと人間として描きぬいていく筆致が素晴らしい。独裁者トゥルヒーリョでさえ、性と老い、そして近親者のだらしなさに苦しむ1人の人間と思えてしまう。そして作品の最後に向かって、ジグソーパズルのピースがぴたっとはまっていく。こういう作品を読むと「知的」な小技に走った中途半端な現代日本小説を読むのが馬鹿らしくなってくる。
 ここまで来たら作品社さん、反トゥルヒーリョ派の象徴だったミラバル姉妹を描いたフーリア・アルヴァレスさんの小説『蝶々たちの時代に』も出すしかないですよね。
チボの狂宴Amazon書評・レビュー:チボの狂宴より
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No.2:
(5pt)

具体性のパワーがある。

ノーベル文学賞受賞ということで読んでみた。多くの場面を輻輳させながらひとつのタペストリーを作り上げていくリョサの手法(らしいです)はなかなか見事。ひとつひとつのエピソードに具体性があり(まあ半分ノンフィクションだからですが)、しっかりとドミニカの世界に取り込まれていく。日本の某ノーベル賞候補作家のようなあいまいさや情緒的なところがなく、きちんとクライマックスがあり、そこにパワーを感じる。こうしてきちんと起承転結をつけてその中に思想を織り込む作家のほうが私は好きだ。自分自身が単純なだけかもしれないが。
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No.1:
(5pt)

独裁者による悪夢の世界をリアリズムで描く

チボとは、実在したドミニカ共和国の独裁者であるラファエル・トゥルヒーリョ大統領のこと。独裁者に私物化されたドミニカの悪夢のような世界が、フローベールの流れを汲むヨーロッパ小説的リアリズムで描かれる。配下の議員の妻を寝取ったり、都合の悪い人間を抹殺したりと、やりたい放題である。大統領に不満を持つ、サルバドール、アントニオ、アマディートらによる大統領暗殺計画を縦糸に、尿失禁に悩む大統領の身近な出来事と、カブラル上院議員の娘のウラニアによる現在からの回想を絡ませて、複眼的に当時のドミニカの世界を浮かび上がらせる。
リョサと同様にノーベル文学賞を受賞しているガルシア=マルケスの「族長の秋」もトゥルヒーリョがモデルらしい。二人のノーベル文学賞受賞者に取り上げられるほど、トゥルヒーリョは文学者の想像力を刺激する存在らしい。マルケスのほうはシュール・レアリズムと実験的文体で描かれている。リョサの「チボの狂宴」を読んだあとは、「族長の秋」も読み返したくなる。
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