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泥の河
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泥の河の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.62pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 21~40 2/4ページ
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風景が見えるようなさらっとした文章。かなり修正を行ったとのことで、ワクワクというよりは緊張感で一気に読んでしまった。時代背景が同世代で、忘れていた昭和三十年代のにおいがプンプン匂う。 | ||||
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北陸は富山を舞台に、複雑な家庭で育った少年のひと時を切り取った作品。 少年とその母、級友らとの関わりは、中学生にしては幼いのだが、その目には残酷な現実が映っており、ゆえに深い感銘を与える。それは本書に同時収録されている、廓舟に住まう姉弟と少年の交流を描いた『泥の河』にもみらる。 母と級友とを連れ立っての蛍狩りが本作品のクライマックス。蛍が舞い踊る妖しくも美麗な圧巻のシーンは、純文学の力強さを感じる。 本作品は、著者が30歳の頃の作品だが、若い頃から文学的に老成していたんだろうね。 | ||||
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戦争の傷跡を残す大阪で、河の畔に住む少年と廓舟に暮らす姉弟との短い交友を描く太宰治賞受賞作「泥の河」。ようやく雪雲のはれる北陸富山の春から夏への季節の移ろいのなかに、落魄した父の死、友の事故、淡い初恋を描き、蛍の大群のあやなす妖光に生死を超えた命の輝きをみる芥川賞受賞作「蛍川」。幼年期と思春期のふたつの視線で、二筋の川面に映る人の世の哀歓をとらえた名作。 | ||||
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作者宮本輝の原点は、この短い物語の中に凝縮されて、その後素晴らしい作品が次々出版されて、再読ながらこの人の人物、情景描写のうまさに改めて感動する。 | ||||
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蛍川は流転の海を思い出しました。 泥の河、戦後が色濃く残っている昭和な時代。 読むだけで情景が浮かびます。 | ||||
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宮本 輝氏の若き頃の珠玉の名作です。 まだ少年の頃読んで大変感銘を受けましたが 年を取ってから読み返すとまたとらえ方も 違ってきたことを感じます。 人生の様々な場面で心に残る作品です。 | ||||
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結構強烈な内容でした。戦後の大阪の状況がよくわかり、映画も観てみたくなりました。 | ||||
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デビュー最初期の二作品が併録された、宮本輝さんの短編集。 第1作の『泥の河』は太宰治賞、2作目の『蛍川』は芥川賞を、それぞれ受賞されています。 私は、『蛍川』のラストシーンの、あの幻想的かつ不気味な光景が頭から離れませんでした。 (以下は少しネタバレのようになってしまいますが) 河原での最後の場面はたぶん、ヒロインの少女が妊娠することを暗示しているのではないかと思います。 小さな蛍たちは、誕生と死を繰り返して、世代交代をしてゆきます。 この物語のテーマのひとつは、蛍に仮託された世代交代だと思うのですが、同時に蛍の光は性のモチーフを表しています。 幼少期の主人公が押し入れの中で遊んでいた時、隙間から漏れる光を見て性的な行為に及び、それがラストシーンでその行為の反復になります。 (友人も何度もフェロモンを連呼します) 無数に乱舞する蛍の河原で、蛍に巻かれる少女を見た主人公が何かを感じる。父の代理の老爺が「これで終りじゃ」とつぶやき、そして河原の窪地を見た母が、人型の蛍の光を目撃する。 つまり、この最後の場面は、ただ幻想的なシーンではなく、河原での二人の行為が未来の妊娠を象徴しているのだと思います。 ですが、もしこの小説を主人公の母の諦めの物語だと読むと、ヒロインの少女の将来(母になった未来)が険しいものに感じられてしまい、余計に続きが気になってしまいます。 純文学なので無理かもしれませんが、宮本さんには続編も書いて欲しかったな、と少し思ってしまいました。 この作品は純文学の短編なのに物語の続きが気になってしまう。そんな珍しい小説だと思います。 こんな短い中編で未だにラストシーンの解釈が話題になるのは、宮本さんの才能が端的に現れた名作だからにちがいありません。 未読の方はぜひ読んでみてください。 | ||||
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泥の河 宮本輝の感性がシャープで、のちのまだろっこしい文章ではなく 直裁な文体が 叙事詩のように広がっている。 泥のような河にも 人生は繰り広げられている。 人生というより 生があり 死があった。 そして、戦争の焼け跡の 猥雑な雰囲気があり、 たくましさと心細さが入交じっている。 戦争に勝ったか 負けたかよりも、生き残ったのかどうかのほうが、 重要なんだという 信雄の父親の言葉が印象的だった。 多感になる前の8歳の信雄は、 泥の河に面した うどん屋の息子だった。 河とともに生活することが 普通だった。 そんな信雄の前に 小さな船が一艘現れた。 同じ歳の喜一と姉の銀子がその船にすんでいた。 それは 同じ河に沿って生きているにも関わらず 違う世界のものが たくさんにじんでいた。 廓船として、まわりから見られ、そのことでいじめられる喜一や銀子。 信雄はいたたまれないが、喜一は違った顔を持っていた。 そういう、隔たりの中で 信雄は涙を流すしかなかった。 蛍川 日本のふるさとの情景と 青春の始まりのほのかな香りと甘酸っぱさ。 こんな風に 情景をとらえる筆力は やはりなみなみならぬものがある。 大人の世界では 父親 重竜は 豪快な人物であるが、竜夫が物心ついたときには 事業に失敗して、敗北した姿しか見えなかった。 竜夫は千代の子であるが、重竜の前妻は子供が生まれないがゆえに 離縁してしまった。なぜ、そのようにしたか 千代も竜夫もわからない。 よほど 子供が欲しかったのだろう。 竜夫が好意を寄せているのが 英子だが 関根も同じように 英子に好意を寄せていた。 そのため、関根は英子が進む高校への受験に励んだが 父親から 受験をすることを拒絶され、 英子から盗んだ 写真を 竜夫に 渡して 死んでしまう。実に、甘酸っぱい経験となる。 銀蔵は 4月に大雪がふると 田植え前に蛍が 乱舞すると いっていた。銀蔵、千代、英子、竜夫は 蛍を見に行くのだが、 蛍は。 | ||||
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どぶ臭さが匂ってくるような描写 主人公の 汗臭さも感じることができる 昭和の名作 | ||||
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読み進めていくと、両親や祖父母の世代が暮した、戦後からの復興の情景が頭に浮かんでくる。また、亡き祖父との思い出が鮮明に蘇ってくる。懐かしさに加え、濃いのか淡いのか、はっきりしないが、確かに経験してきたはずの、人間を取り巻いて離れない何かが、過去、現在、そして今より先を行ったり来たりと巡りまわっているような貴重な読書体験になった。 まずは『泥の河』から。実際に僕は、ポンポン船や馬車での荷引き、船上生活者を見たことはない。スマホもない、パソコンもない環境ってどんな感じだろう?トイレは当時ボットン便所だったのかな?今から比較すると不便だろうけど、主人公の男の子たち(信雄と喜一)が坊主頭で走りまわったり、川辺で遊んでいる姿を想像してほほえましくなる。小さい頃、川辺でザリガニを捕まえたり、稲刈り前の田んぼにミステリーサークルを作って怒られたことを思い出す。懐かしさのあまり、もう一度、幼いころに戻りたくなる。 今はもう、僕たちが幼かったころの光景を見ることが、 地域によっては難しいだろう 。今の子供たちからは、外で遊ぶ機会は奪われてしまっているのかな?だとしたら少し寂しいね。 作中の昭和30年は、まだ戦後の面影が残っているようで、船乗り、リヤカー引き、小舟でのゴカイ獲りなど、みんな毎日必死で生きるために駆けずり回っている。うどん屋を営む信雄の家族もそうだし、廃船を家としている喜一の家族もそうだった。身近な人間が死んでいくシーンや、死について、あっけなく語られるシーンがあり、喜一の家族が蔑まれるシーンもあって、物語全体を暗く陰鬱なものとしてしまう要素が至る所にある。なのに、 全体に清涼感を感じるのは、信雄の両親の感じの良さを因にしているのだと僕は感じる。 続いて『螢川』。北陸でも季節外れの 3 月の大雪、主人公竜夫の父や親友関根の突然の水難事故死、などこちらは『泥の河』と比べて暗く重々しく描かれている。竜夫や、竜夫の母の回想シーンが挟まることで、父の存在の大きさや、関根との絆の強さがひしひしと伝わってくる。僕の場合は祖父だったが、亡くした時期は中学生だった。偶然にも竜夫と一緒だ。そして、亡くなった年齢も近かった。そのため僕は彼に異様なほどの親近感を抱いた。 英子を交え、みんなで蛍が舞う現場に立つシーン。このシーンに登場人物たちはどんな思いを馳せているのだろうか、読み手の想像が一気に膨らむ箇所だ。竜夫の母のものだけは、はっきりと書いてある。竜夫、英子、竜夫の祖父のものは敢えてはっきりと書いておらず、作者は読み手に委ねている。生命そのものを体現するかのように舞う幾千万の蛍たち。つまり僕にとっては別れを告げる魂のようなものに感じるのだ。竜夫の父や、関根をはじめ、まるで一年間に死んでいったひとたちの魂だといわんばかり。そして「天空へ天空へと」舞い上がっていく。とんでもなく素晴らしいラストです。未体験の方は是が非でも読んでみてくださいまし。 | ||||
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この小説を読んだ印象は鉛色。暗くて鈍く光る鉛色。経済的には豊かではない人たちの日常の心を暗示する色。 | ||||
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堂島川と横堀川が合流して安治川となって、安治川は大阪の低海抜地帯を流れて大阪湾に注ぐ。主人公の少年信雄は8歳で家は安治川の河畔でうどん屋を営んでいる。信雄は家の窓から安治川を眺めるのが好きだったが、ある日、屋形舟にしては汚らしいが屋根付きの舟が川岸に繋留されているのに気がついた。この舟には貧しい母と子供達の3人家族が暮らしていたのだ。信雄は自分と同年輩の男の子と友達になり、やがて子供達(舟に住んでいるのは喜一とその姉銀子)は互いの家を往き来して家族ぐるみの付き合いが始まる。ただし舟に住む母親は信雄が遊びに行っても仕切りの向こう側の部屋から声が聞こえてくるが一向に顔を見せることがなかった。 昔大阪は煙の都、水の都と呼ばれていた。この小説の舞台となった昭和30年頃の大阪で、しかもこの安治川河畔は工場の煙で何となく空気もどんよりとし狭小な住宅が建てこんでいて、川もゴミをいっぱい浮かべてとっぷりとよどんで、まさにその名に相応しい情景の街だった。 昔懐かしい大阪弁と安治川の川面のむしむしした空気の中で展開される少年達の日々が実に繊細で鋭敏なペンで描かれる。きっちゃん(喜一)はのぶちゃん(信雄)と同年齢なのに、市民社会から外れてしまった一家の子供である故に学校に行っていなかった。そんなきっちゃんにとって、のぶちゃんとの付き合いはどんなに嬉しかったことだろう。しかし天神祭りの夜、きっちゃんにとっては何でもないことが、のぶちゃんをおびえさせてしまった。同じ歳の少年二人の間を引き裂くような深い心の割れ目。 きっちゃん一家の舟が安治川を遡って去ってゆく。のぶちゃんは大声できっちゃんの名を呼びながら岸伝いに舟を追って走り続ける。しかしきっちゃんは深い割れ目の向こうにいるのぶちゃんにはもう心を開こうとしないのだろうか。舟からは誰も顔を出さず、中ノ島のオフィス街の方へ去ってゆく。 呆然と取り残されるのぶちゃん、篠田正浩監督の映画「少年時代」のラストを思い出させる鮮烈なラストシーンだ。 ややエリートっぽい若者を描いた「星々の悲しみ」と下町の小学生が主人公の「泥の河」、貧しさで後者が上回っている分、一段と緊迫感がある。いずれにしても少年時代を描いた宮本作品は素晴らしい。 | ||||
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戦後、どんなことをしても生きて行かなければならない時代。 そこには子供だって、その小さな心を痛めながら生きて行かなければならなかったんです。 この時代の人たちのやさしさは、こういうところから来ているのではないでしょうか。 川を舞台にした、子供たちの短編二つ。 宮本輝さんが続きました。 | ||||
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筆者のデビュー作にして、恐らくは最高傑作である。この一作で宮本自身は文壇のスターダムにのし上がり、映像化した小栗康平もまた注目の的になった。 一本の小説、と言うより連作短編の感がある。 1,馬を引くおっちゃんの死 2,信雄とお化け鯉、喜一との出会い 3,沙蚕(ごかい)採りの老人の雲隠れ 4,信雄と喜一の交流 5,天神祭 6,別れ こういったところか。 馬曳きのおっちゃん、沙蚕採りの爺さん、そして戦争を辛うじて生き延びた信雄の父も含め、実に身近に死があった。 昭和二十年代末、若しくは三十年代初頭、書かれたのが昭和五十二年。二つのオイルショックの狭間に敗戦の色濃い時代を描いたノスタルジー(小説、シチュエーション)とも取れるが、今日読み返してもあせない部分がある。それは何よりも喜一の屈折振りである。 母は売春を生業として銀子と喜一を育てている。住まいは船である。当然周りの白い視線を感じているし、面と向かって「パンパンの子」と罵られることもある。それが屈折して、ガキ大将から雛を寄越せと言われたとき雛を絞め殺すところに現れる。舟縁で蟹を焼き殺すところも然りである。昔の子はよく生き物を殺した。カエルもトカゲも昆虫も。しかし喜一の殺しには躊躇が無いどころか蟹の焼死を美しいとすら捉えている。一種の狂気が宿る。 この物語は小栗康平の撮ったモノクロ映像と共に頭からこびりついて離れない。 モノクロ感と言えば清張の『或る小倉日記伝』がある。しかしこの小説の登場人物は生きていない。 が、『泥の河』の銀子と喜一は今日も生存している可能性がある、いや生きているだろう。そのことに何とも言えないゆかしさを覚えるのである。 | ||||
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生きることの厳しさや悲しさが二つの中編に凝縮されている。 特に泥の河は見事だと思う。 宮本輝はこれら初期作品が後世に残るのだと思った。 文学は描写だと誰かが言っていたが、ちょっと凝り過ぎという印象もあるが、繰り返し目で追いたくなる描写が多く、読んでいて心地良かった。 ただ、泥の河は小栗康平監督の映画版の印象があまりに強すぎて、ぼくにはあの映画は原作を越えているように思った。原作では、主人公の信雄の心理描写に関して深入りしすぎていると思った。 | ||||
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読み終えた後に、何かがずっしりと覆いかぶさり、心を大きく抉られた気持ちに襲われました。 時代は違えど、忘れてはならない、いや目を向けなければならない人間の奥底に隠されたものを見たようです。 作者の的確な情景描写と、少年の眼から見た物語の進行は、読む者に人生の儚さを改めて感じさせます。 | ||||
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「泥の河」が好きで「蛍川」の印象が薄いのですが(笑)泥の河は他の方が書いてある通り、名作ですよ。純文学好きなら読むべきでしょう。私は宮本輝のほかの短編集はあまり好きではないのですが、子供の視点で描かれる(つまり描写力の拙い)人生の儚さ、そして子供の残虐性など、この作品は文句なしに名作だと思います。 | ||||
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大好きです。小さい頃に手に取ったのが宮本輝さんだった為、他の方の小説が読めなくなりました。 読んでは見ましたが、途中でやめてしまう。その位、言葉選びが素晴らしい。 泥の河は、社会の底辺で精一杯生きる家族とそれを取り巻く、、、見守る?優しい家族のお話。 といっても、その底辺で暮らす者の苦しみとか鬱屈がちょっとした行動描写で映し出されている。 社会から爪弾きされた人々を、簡潔に・的確に表現されています。 それでも力強く生きる人の健気さ。 個人の好み抜きで短編は本当に素晴らしいです。 美しい世界が舞台ではないのに、読んでいて不快にならないのが不思議です。 言葉の選び方が、物書きの方の中でも抜きん出ているのだと思います。 短編はまず外れが無いと思います。 | ||||
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今日のきれいに整備された大阪の街ではなく、さまざまなものが集まった雑多な裏通りを描く。決して幸福とはいえない環境で育つ少年らもたくましく人間的である。世代を超えて読み継がれていってほしい名作である。 | ||||
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