■スポンサードリンク
アンダスタンド・メイビー
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
アンダスタンド・メイビーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
の作品の舞台は90年代後半とか…?宇多田ヒカルを口ずさむあたり。 黒江の居る世界は、場所こそ違っていても、昔と似ていて、その空気感や雰囲気がすごくよくわかったし、すごくおもしろかった | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とても面白い | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『ファーストラヴ』が格別に良かった島本理生さんの、同じく性犯罪被害を扱った恋愛作品で、とても良い名作でした! 性犯罪被害の状況や後遺症や心境をきちんと現実的に書いてくれて、そういう作品を読んだ読者に性犯罪被害の知識を与える事で、読者の周囲の方が被害に遭われた場合・過去の被害の後遺症に苦しんでる場合、対応が少しでも良くなると良いなという条件を満たしていて良かったですし、 加えて、今作は性犯罪被害テーマの作品の中では、ラストが格別に素晴らしく幸せな気持ちになれました! また、師匠の仁さんの過去は、僕と似ている部分が幾つかあり、仁さんにとても感情移入しましたし、 仁さんの素晴らしい生き方を身近に感じて良かったです。 後はヒロインの様々な被害者心理や後遺症に関して、拒絶的な面も依存的な面も両方分かるなぁと感じる事ばかりで、バランス良く描かれていて良かったです。 また、終盤に宗教の恐ろしさも絡んできた点も見事で、人の怖さの多様性を表している事が素晴らしく感じました。 この作品を読んだ被害者が、少しでも幸せな人生に希望を抱いて足を踏み出せるよう願うと共に、 被害者を支える恋人が、彼女が他の男性と性行為しても、過去に何かあるかも知れないと感じて、拒絶せずに受け止めてくれるようになって欲しいと願うばかりです。 本当に素晴らしい作品で、読めて心底良かったですし、島本さんの他の作品も読むのが楽しみです! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
個人的にはあまり好きではなかった。 女性視点の日常の非日常という感じ。 REDで作者を知って、そちらも女性視点での物語だったが都合が良い展開と押しつけのような感情だった。 自分が男だから共感できないのか?と思い、決めつけるのは良くないと本作を購入し読んではみたものの 女性視点のご都合主義。小説なんだしもちろん悪い事だけではない。 そこに自分を重ねる人もいるだろうし、自分だったらと投影する方もいらっしゃると思う。 ただ単に自分がはまらなかっただけ。正直なところ、男性向きの作者ではないかと感じる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
すごい面白かったです! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白かったです! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
性的暴行を受けた女性の中には、同じ経験を自ら繰り返す人がいます。 別件で再びレイプされたり、性的に奔放になり過ぎたり、水商売に就いたり。 そういった方々を揶揄しているわけではありません。例外の人達も沢山いると思います。 ただ本書の黒江はそういうタイプなのだろうと思いました。 物語後半で黒江は、自分は母親との間に信頼関係を築けなかったから、母と同性である女性全般と上手く交流できないことを悟るのですが、それは父親についても同様です。 父親の性的虐待に加えてレイプ未遂が刷り込まれているため、男性との間に性的関係を結びつけやすいメンタリティなのでしょうか。そして女性には心を開けない。 両親からまともに愛されなかった彼女が、『私だけの神様』という形で庇護してくれる存在を第三者に求めたのは無理もないことに思えます。 この『神様』というのは、世界の負の側面から自分を守ってくれる存在、自分だけを愛してくれる存在であり、父親と母親の代替えであることは想像に難くありません。 けれど、まだ中学生の彌生君にそれを求めるのは酷ですし、暴力と女性の匂いが絶えない羽場先輩は彼女の求める『神様』にはなり得ませんでした。 加えて黒江は上記のメンタリティ故、大人になった彌生君とも当然セックスを行い、父親と性交しているかのような錯覚を覚えて破局してしまいます。 そもそも他人に実の親以上の包容力を求めること自体が破綻を招く要因なのですが、彼女はこれらすべてを無自覚に行っているので、本人にはどうしようもないのです。 島本理央さんの女性主人公は大抵心に傷を抱えています。 けれど人は心の傷が深すぎたり、傷ついた精神のまま成長すると、事情を知らない第三者に不快を与える人格障害的なパーソナリティになる場合があります。 そういう意味で、黒江はこれまでの主人公の集大成のように感じます。 それ以外では、仁さんの存在が良かったですね。 島本作品には、『過去に受けた傷から立ち直れず、主人公を負の側に巻き込む年上男性』と、『傷ついた主人公をのびやかに受け止める年下男性』の2種類のタイプが登場します。(例外や本物のクズもいますが) 読者間では包容力のある年下タイプが人気のようですが、 「彼らは生まれ持った陽性の人格で行動してるだけで、年上タイプのように人生観を覆す痛手を受けたらどうなるのだろう」という疑問が私はずっとありました。 仁さんはまさしくそれだったのかもしれません。 島本理央さんの十周年記念作品。自分的には読んでよかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
島本作品が好きなので購入したものの、こんなに読み進められないのは 珍しいので☆3。 現在上巻の100ページあたりなのだが、ここから盛り上がるのかな。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
たまたま寄った本屋で文庫版上巻の表紙に惹かれて、読むことになった。 島本さんの作品は過去2,3冊読んではいたが、これは表紙からして何か違う、と。 結果、内容は半分以上忘れてしまったけれども、少し無理な展開もありながらも、 それでも、波乱の中で上下巻ともがき、駆け抜けてきた一人の少女、 この本の存在が、私には忘れられない大切なものとなった。 主人公・黒江の「何でそいつやねん」な変わった片思いでストーリーは始まる。母子関係のギクシャクの一方で小学生らしい日常。 しかし、ある写真が郵送されることで、黒江の内面は破綻する。 中学校時代は、地方の同世代の人間にはやたらと地方都市の中学生描写がしっくりときながらも、 あまりに極端で残酷でジェットコースターな世界にいきなり突入してしまい、ぞっとする。 一方で何故か歌のうまい人に惹かれるなどの細かい描写が面白かったり、写真部立ち上げに救いを見出したり、 無理な展開と思う部分も多いが、著者には意外やエンタテイメント要素もあって盛り上がったりと、 怒涛の上巻・つくば編を経て、下巻の東京カメラマン見習い編に入り、忙しい中でも安定した日々を送るが、 次第に知りたくなかった幼少時代の核心に近づいてゆく。 私は長崎での、仁に関するシーンで、黒江が仁の元恋人の家族に突きつけたある言動が忘れられない。 こんな考え方をするのか。こんな設定が出てくるのか。作者のセンスに驚愕した。 そして最後まで読み進めながら、タイトル「多分、理解できるかもしれない」の意味を何度となく考えていた。 黒江のすることなすことを傍(読者側)から見てどうかということ、当事者にしか決してわからない、消えない奥底の苦痛、 そして作者自身が読者に「この物語のこと、解る? 共感できる?」と問うているように。 とは言いながらも、作者・島本さんは作品に対する理解、共感を求めて執筆されたというのではなくて、 とにかく書かなきゃならなかった、そんな思いの強さを感じた。 デビュー作が『リトル・バイ・リトル』、そして今作がこのタイトルで、 インタビューを読んだことないけど、島本さんはoasisのファンなのかな、と勝手に推測しています。 oasisのデビューアルバムは『Definitely Maybe』、『多分、そうかもしれない』。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
東京からの転校生彌生君が現れたことで、主人公・黒江の運命は少しずつ変わっていく。 友人関係、自暴自棄になって男についていったこと、乱暴されたカラオケボックスでの忌々しい出来事、初めて愛しさの意味を知った年上男性との危うい恋…。 流れていくように通り過ぎていく季節の中で、黒江は忘れられない彌生君への期待をずっと胸に秘め、波乱に立ち向かっていくしかなかった。 前半は、地元での出来事が描かれている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
島本理生さんのエンターテイメント挑戦作にして、初の(上・下巻)に跨がる長編書き下ろし作品。内容は、少女が大人になっていく過程を瑞々しく描いている。幼少期ある犯罪に巻き込まれ、無意識下でそれは、人生に大きく影響を及ぼしていた。主人公黒江は、無我夢中で駆け抜けていくような内容だ。直木賞候補にノミネートされていた作品でもあり、作者がデビューし、主だった作風の純文学とは一味違った雰囲気なのですが、描写はやはり島本節炸裂で、どの人物も鮮明に思い描ける気がした。 実写化したら、同居人の浦賀仁さんは、やっぱり斎藤工さんですかね〜? 黒江ちゃんは、『あまちゃん』の能年ちゃんがぴったりかも!? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上巻はすこし重めですが、下巻は未来を感じる内容になっており「私も頑張らなくては!」と前向きな気持ちになれるでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
SFやノワールばっかり読んでいたので、たまには青春小説をと 上巻だけ試しに読んでみました。著者の作品を読むのは今作が 初めてなのですが、七面倒くさい思春期女子の繊細な自意識を 突き詰める作風から、何となく綿矢りさを思い出しました。 (そういやどちらも純文畑からか) 主人公の女の子の黒江が、色んな男と付き合っては堕ちていくというような ダウナーで痛々しい青春小説ですが、彼女の行動原理が少し難しいです。 何故何度も理不尽な暴力を受けながら、また自ら転げ落ちていくような 真似をするのか?場面場面彼女の心理は地の文ではほとんど語られない為、 彼女の不可解な行動に首を傾げてしまう読者も少なくないのでは? 平易な文体につられてすらすらページを捲ってると危険です。 最初は些細な人間関係のもつれから、しかしそこから段々と主人公は 出会す人間に暴力の臭いを感じるようになるわけですが、 そこがポイントでしょうか。 幼少期の凄惨な体験、母子家庭であまり良好とは言えない 母親との関係から、彼女は無意識的に同じ痛みを抱えた他者を 見つけては依存をし、暴力の只中に身を置いてでも他者との関係を 築こうとするということなのでしょうか? 彼女の心の奥の奥、未だ浮上してこない大きな闇は、 次巻でどういう形で明らかになるのか。そして彼女の行く末は... そこそこ楽しめたので、次巻も買ってみたいと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語の最初、中学生時代に彌生くんと出会って惹かれていくあたりが、一番よかったです。 あとは・・・。 最後まで読み、面白かったのですが、振り返ってみると黒江のことが好きではありません。 言い方は悪いですが、 「胸の大きな尻軽な女の子の男性遍歴の話」。 自分でも封印していた過去と自分に愛情を持たない母親との暮らしによる寂しさにより、 寄ってくる男にすぐ体を差し出してしまう黒江。 付き合ってた男に裏切られ乱暴されたりするけれど、それも「馬鹿だなぁ」と 冷めた目でしか見れません。 黒江につかまってしまった彌生くんに至っては、かわいそうとしか言いようがありません。 めんどくさくて胸のでかい女に迫られた挙句、望み通り彌生君が肉体関係に積極的になったら 「そんなことしてほしくない」みたいな反応されるなんて。 また、黒江は過去のトラウマで人に心を開かない半面、「カメラを向けると人の心を開く才能がある」と言われるような、 都合のよさで、最後は何となくカメラマンとして明るい未来を歩み始める、 主人公黒江だけハッピーになる話でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
中学3年生、心の安定しない時期の女の子(女性とはまだ言い難い)黒江、その学校生活ののんきな描写で物語は始まる。 しかし、そののんきは、海面下に多くのものを孕んでいる事を、読者は次第に知る。 黒江本人は、海面下に潜むものを憶えていない。忘れたというよりも、自己防御反応が、その幼時時代の体験の記憶をカットオフしているのだろう。 その事を読者が知る以前に、彼女が、まるで痛みに自ら転げ落ちていくような行動を繰り返す事に、我々は不思議を感ぜざるを得ない。 「痛み」と言ったが、それはどんなものか。 例えば、人との付き合い方において、彼女の選択の先には、いろんな質の暴力が潜んでいる。 最初は他愛もない友人同士の諍いから、身体の成長と共に、いつか、愛や性の問題に発展する。剥き出しの性は、暴力そのものだ。 読者は、何故そんな危険で理不尽な選択を彼女が繰り返すのか、当初は理解できない。 その度に苦しみもがくにも関わらず、まるでそれを好んでいるかのように、再びその道に陥っていく。 他人の理解の前に、まず彼女は自分が見えない。 自分が本当に何を考え、何を欲しているかが判らない。 それは、幼時体験のカットオフが、彼女の脳内に越えられない柵を作っているからだろう。 彼女は全く自己表現が下手くそだが、それはそうだ、自分が見えていないのだから、表現以前の問題である。 口を突いて出る言葉は、真実を伝えないばかりか、結果的に人を傷つけ、混乱の中で終いには自傷行為に向かう。 暴力は、外だけでなく自分にも向かわざるを得ない。 苦しみながら、彼女は脳内の柵の向こうにあるものを見ようとする。 フラッシュバックのように蘇る出来事。 読者も曇りガラスの向こうに、彼女の幼時体験を追体験する事になる。 次第に噴き出す近親憎悪。 だが、憎み切れれば彼女も吹っ切れるのだが、憎みつつも依存する気持ちが残る。曖昧の中に座り込んでしまおうとするが、そこからは救いも許しも訪れない。 高校に入った彼女は、こうした幾つもの「痛み」の果て、頭陀袋になる直前で、郷里を捨てて東京に飛び出す。 彼女はある写真家のデビュー写真集を見て理由も判らず感動した事がある。夢中でその写真家に手紙を書いた。 気の良い(しかし、後から彼にも深い喪失があった事が判る)カメラマンは、黒江を受け入れ、アシスタントとして同居が始まる。 ここ迄が上巻である。 過去を知る者のいない東京での暮らしで、しばらくの静けさを得るが、それは皮相でしかない。 「痛み」の道は、退いたと思えばまた寄せて、延々と繰り返す。 自分は何者なのか、それ知る事でしか、黒江は乗り越える事はできないだろう。 中学3年の時に転校してきた彌生君は、運動会の長距離走で黒江が転けた時に、1人飛び出してきて、彼女を担いで保健室に連れて行ってくれた。 それ以降も、何度か彼は彼らしい包容力を示してくれた。 苦しい中で彼女は必死に思う「どうか私だけの神様になって」と。 しかし、人間は、そんな都合の良い絶対的なものにはなれないのが必定だ。 幼時期に虐待を受けた経験を持つものが、事実を認め、自分と対峙し、客観視できるようになる迄の、つまり回復への道程が、この小説の世界である。 算数のように明確な答えやハウトゥーがやってくる訳ではない、しかし、彼女は憎んでいた両親にもそれぞれ卑小な人間としての生き方がある事が朧気ながら判るようになる。 彌生君とは別れる事になるが、彼に「神様」を要求した事が誤りだったと何とはなしに理解できるようになる。 口先でなく自分を影で支えてくれる人の存在が、ボーっと見えてくる。 タイトル「アンダスタンド・メイビー」の所以だ。 彼女はクリエーターの為の留学制度によってニューヨークへ行く事になる。 郷里から東京へ飛び出てきた事と、ニューヨークへの留学は同じだろうか。 その答えはしかとは判らない。誰も保証してはくれない。 空港のボディチェックで、またフラッシュバックが起きようとするが、彼女は我に返って歩き出す。 書いてはいないが、彼女の後ろ姿と、その向こうに光が、読者には感じられる。 彼女に応援の声を掛けたいとつい思う。そして、彼女を包む光が滲んで見える。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上下巻をあわせて読んだが、物語序盤の風景描写が繊細で分かりやすい反面、後半は伏線の収拾に気を取られて主人公の経験する事実の列挙が続くばかりで最後は読むのが苦痛だった。 長編というのは最後に感動の波が押し寄せるものと思っていたため、あっけなさと話のまとまりの良さに『えー…どうしてー…』感が否めなかった。 読み手の問題を加味した上でも、やはり文章に一貫したテンポは純文学であろうと必要であると思うし、下巻途中までが素晴らしかっただけに残念。 買って読むことになる人が多いと思いますが、オチや結末に感動を求めたい方にはわざわざ買って読むまでもないです。おすすめできません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「午後になって雨があがった空は暮れかかって、黄金色の光に満ちた表参道の並木道は、蜂蜜を垂らした紅茶の中のようだった。」「同じだ。誰も彼も。私を、私の中に置き去りにする。」「もっと、もっともっと強いものがやって来て、私を粉々にしてしまえばいい。」 島本さんの本は『リトル・バイ・リトル』に続けて2冊目だけれど、こんな文章を読むと、少女の観点を失わないまま、世界をつかむグリップがぐっと強まっているのを感じてうれしくなる(日本語として変な文もいくつか見受けられましたが、それは編集者の責任でもあるような)。 幼児虐待、新興宗教、田舎の中高生の生態、人の生き死に、写真を撮ること、心療内科、などなど現代のモチーフを盛り込んだ上下巻の長い作品を、箱書きに陥ることなく、ひりひりした痛覚を伝えながら、書き抜いているのが素晴らしい。大人の作品にはなりきっていないかもしれないけれど、今しか書けないものを書いた、読まされたという手ごたえがある。 島本さん、次作が楽しみだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
黒江はとても愚かで欲しがりやさんの女の子だ。 そんな彼女が中学から成人するまでの人生、出来事を綴ったものがこの小説だ。 では、なぜに彼女は目に余るくらい愚かで、欲しがり屋さんなのだろう。 それがこの話の肝になっているようだ。 子供は生まれてから大人になるまでに、両親や周りの大人たちに庇護され、愛しまれなければ 立派な大人になれないそうだ。 それが足りないとなると黒江のような欲しがり屋さんになってしまう。 またその愛情が醜くゆがんでいると黒江みたいに愚かになってしまう。 といったような説明じみたくだりがあるが、それは無くてもよいような気がする。 昨今はスポイルされた子供達の存在はだいたい周知のことであるゆえ、原因などを書き添えてしまうと じつに通り一遍な話になってしまうのではないかと思った。 それが無くたって、彼女の数年間の紆余曲折だけでも十分の読み応えのある話になりそうなのに。。 蛇足だが、話の中に食事風景が多い。 そしてやたらと冷蔵庫からジュースやコーラを出してくる。。 これが昨今の若者の食事風景なのか。 食欲旺盛に食べる描写にあってもその食べ物が旨そうに伝わってこない。 黒江が料理上手だという描写があまりうまく伝わってこない。 食事や料理の描写を多く取り込みそれを表現しようとしているのだろうが、効果が見られない。 それは家庭料理を弁当を、サンドウィッチを、イタリアンレストランのパスタを、甘ったるいソフトドリンクと共に描かれているからだ。 これは完全に個人的な感想に過ぎず、瑣末なことだろうが。 全体に割りに焦点がぼやけている描写が目立ち、厳しくコーナーを突く表現が少ないような気がした。 せめて大切な男女関係のシーンは焦点をこれでもかというくらいぴったりと合わせ、生々しく描いてほしいと感じた。 そうでなければ、黒江の経験した屈辱的な痛みや心が壊れるほどの恐怖が伝わらない。 まあ読み手が鈍感で主人公のそれを共感出来ないだけかもしらんんが。。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
――私の身体はたぶん、 ずっと前に荒らされて死んでいた、 廃墟みたいだった。 父親から送られてきた幼少期の写真によって、決定的な崩壊を歩むことになった主人公が、写真へと救いを見出す物語、だと感じました。 長崎出身なので、下巻で主人公がモデル(と、忘れたころに師匠)と旅する長崎の町の描写や、中でも教会内部の描写が非常に鮮やかに映し出され、彼女がステンドグラスに手を伸ばした写真さえも目に見えるようでした。 ステンドグラスは、光を通して神を見る装置です。 彼女はずっと、神に手を伸ばし続けていたのでしょう。救いを求めて。 一般的な『傷』よりも主人公が受けたものは深く歪なものですが、彼女が全てを師匠に告白し、向き合うために過去の人物に会いに行く場面から、少しずつ光が差して来たように感じました。 百年後とまでは行かなくとも、主人公はきっと師匠の下に帰ると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
直木賞候補に入っていたので読んでみました。 上巻の後半、羽場先輩や賢治君などが登場する部分では、ケータイ小説ってこんな感じなのかな?と思わせられ、投げ出しそうになりました。10代の子たちに買ってもらおうとしたのでしょうか?意図が分かりません。 下巻になると漸くテーマがはっきりしてきてなかなか読ませます。ただし題材がやや使い古された感はありますが。上巻の不要な部分をばっさり切って、全体で500ページ程度にまとめたら良い作品になったかもしれません。どういう読者を対象にしているのか、明確にして書いてほしい。これは子供に読ませる内容ではありません。 直木賞もレベル低いなあ、と思わされました。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!