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生まれる森
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生まれる森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.42pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全31件 1~20 1/2ページ
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私が初めて島本理生さんの作品に出会ったのは中学生のころ、ナラタージュでした。 それまでの私の読書はファンタジー物が多く、読書に求めるのはワクワク感でした。 しかし、ナラタージュを読んでからは心の内を言い当ててくれるような言葉を見つけることが読書をすることの意味として新しく加わり、それ以降の私の読書はそれが目的になりました。 恋を知った今、体を重ねることの幸せや喪失感や、自分を消耗するような感覚…いろいろな複雑な感情を知った今、そして心があまり元気ではない今、島本理央さんの物語は重いものを孕みすぎていて辛いものがありました。でも、読み進めながら救われていく主人公に自分も救われていくような小説です。 自分の心を見つけ、大切にぎゅっとし抱きしめてあげる。島本さんの本を読んだ後はいつもそんな気持ちになります。 | ||||
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淡々と読めました。しかし何が言いたいのかよく解らない。 それがいいのでしょうか? 読み終えて、「う~ん、何だったんだろう」というのが素直な感想。 だけど悪くなかった。 この作者さんは初めて読んだのだが、他の作品も読んでみたいと思った。 | ||||
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「死にたくなったら、どんな時間でも駆けつけて止めるから。見捨てたりしないから。愚痴でもなんでも好きに喋ってかまわない。 それでも抜け出せないほど絶望が深かったら、そのときは僕を殺してから死んでくれ」 単行本と同じくミヒャエル・ゾーヴァの絵が表紙が、タイトルにぴったり!! 高校生から大学生になる時期に、いびつな恋を経験して心が壊れかかってしまった“わたし” この主人公が、高校時代の友人キクちゃんとその家族との温かい交流の中で、少しずつ自分を取り戻していきます。 このお話を読むと、やっぱり女友達の存在って大切だな、と痛感します。 キクちゃんのように明るくて許容力のある女の子は中々いないですよね;こう在りたい、とは思いますが; また主人公が雪生さんの優しさに絆されながら、少しずつ心を開いていく様子は、『リトル・バイ・リトル』での周とふみの恋愛模様と重なります。 読んでいると何とも言えない爽やかな気持ちになれる一冊です。 こうして考えてみると、島本さんの作品は『一千一秒の日々』『波打ち際の蛍』など、夏っぽい雰囲気のものが多いですね。 | ||||
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早熟な女性作家らしい、感性一本勝負の小説である。 ストーリー構成や身体感覚よりも、 主人公の感情的な揺らぎが重視されている。 物語の契機となった「出来事」については、 肉感的なものだけれども 頑なに精神的なピュアさを希求する点に 物足りなさと/潔さと、感想が相半ばするだろう。 テーマにも繋がる部分が、ややあからさまの気もするが それは判りやすい、若さゆえの直線的魅力かもしれない。 | ||||
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読みやすいのですが、文庫で174ページと、やや物足りなさを感じました。 また、題材も 「 恋愛を絡めた主人公の成長 」 と使い古されたものであり、感情移入しにくかったです。 何よりも、主人公たちがこの後どうなるのだろうか?という疑問を抱かせたままエンディングというのが残念でした。 主人公とサイトウさんの仲もどこまでだったのか、私にはよく分かりませんでした。 主人公が独白していることが真実なら、さらに疑問は深まります。 雪生という男の母親のことにしても、はっきりとした描写がないので、推測するしかないというのは、 小説としては不完全なものに感じた作品でしたね。 そのあたりを、もっと詳しく書いてくれたら良かったのにと思いました。 | ||||
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そういうわかったようなことを言っている人が一番分かっていないっていうのは、 自分では気づかないものなの? 「いやあ〜〜面目ない。。。」と思わず言ってしまった作中の文章であります。 | ||||
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実は単に相手にされていなかっただけの関係を、 勝手にうるわしい「失恋」劇に仕立てて、ひと夏を うだうだと過ごす話。ヒマなのでキャンプに行ったり、 外食したりのくり返し。 人間の醜さ、関係の残酷さに対して「臭いモノにはフタ」という 姿勢の筆者。そんなに簡単に癒しあったり理解しちゃったり していいんですかね。 正直言って、恋愛を語る容姿の作者じゃないし、 男関係でもっと具体的にみじめな思いしたんじゃないかという 気がするんだけど。むしろそういう話を書けたら、 この人を評価したいと思いますね。 | ||||
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筋自体はとてもシンプルなのだけれど、周辺を埋めている登場人物たちがそれなりにリアルで、話に加わっているような感覚を覚えながら、物語が進む。 主人公の「わたし」は、大学に入ったばかり。だが高校時代の失恋をきっかけに、壊れた心を抱えたままでいた。数知れぬ男と寝て、堕胎し、友人の部屋があいたのをきっかけに家を出て、それでも埋められない何か。 そのとき、高校の同級生と会って・・・ という筋書きなのだが、失恋の相手というのが、また塾のくたびれた中年教師で、憧れでもなんでもなく、今は「会いたくない」というほどの気持ちなのに、やはり「わたし」の何かを損なっているのである。 綺麗なものだけが人生なのではなく、紋切り型を拒否して、現実にあり得る情景を描き出している。 とはいえ、文庫本で200ページに満たない小品であるから、筆致に深さや厚みを持たせている余裕はない。ただひたひた、という独特の空気感と、表紙の美しい絵、印象深い表題が相まって、独自の世界観を持たせている点が面白い。 | ||||
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まだ彼女にはこの話のリアリティの核心が見えていないように思う。お話の材料が未消化に投げ出されている印象を受けた。 | ||||
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「ナラタージュ」好きな人は、間違いなく好きになる作品でしょう。 個人的には、こちらのほうが書きすぎた感がなくて好み。 島本さんて、自身でもやはり教師と恋愛をしたのだろうか?あるいは 親友が。。という感じ。 でないと、この感覚かくのは難しいのではないかと思います。 今まで島本さん読んだことない人にも読んでほしいですね。 | ||||
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実は単に相手にされていなかっただけの関係を、 勝手にうるわしい「失恋」劇に仕立てて、ひと夏を うだうだと過ごす話。ヒマなのでキャンプに行ったり、 外食したりのくり返し。 人間の醜さ、関係の残酷さに対して「臭いモノにはフタ」という 姿勢の筆者。そんなに簡単に癒しあったり理解しちゃったり していいんですかね。 正直言って、恋愛を語る容姿の作者じゃないし、 男関係でもっと具体的にみじめな思いしたんじゃないかという 気がするんだけど。むしろそういう話を書けたら、 この人を評価したいと思いますね。 | ||||
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この小説は解説によると、少女から女への変遷期を描いたものだそうである。 両親が共働きをして構ってくれない寂しさから、ひとまわり以上違う塾の講師との恋愛にのめりこみ、その後精神的に壊れ男性遍歴を重ね、妊娠中絶した少女のひと夏の物語。 そんな少女の前に、救世主のように友達と見守ってくれる男性があらわれる、というのはひと前にあった「コバルト文庫」を思い出した。 島本さんの文章や表現力は嫌いではない。 非常に素直な文章を書く。しかし、少女小説の延長のようなこの作品は読みやすくはあるが、あとに何も残らない。 少女のころの不安定さももっと上手く描ける同年代の作家はいる。 島本さんはこの世代の作家では最も期待をしているので、このようにいかにも「若い女性が書きました」という小説から脱皮した作品を期待したい。 | ||||
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主人公が、学習塾の講師への思いをどうしたいのかはっきりしない物語である。 思いを断ち切るために、色々な男と付き合い妊娠・中絶。その後も、すっきりしないまま、だらだら過ごしてしまう主人公。 あとがきに、恋愛小説ではないと作者自身書いているが、消化不良小説である。 塾の講師も煮え切らない男である。 蛇の生殺しのような状態にしているだけ。 それならはじめから手をつけようと思うな。 個人的には、島本さんの文章は綺麗であり、読みやすいと思う。 それだけに、内容的に残念に思う。 | ||||
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「ナラタージュ」への序曲とも言うべき作品。若すぎる時代の屈折した恋愛感情に整理がつかない。子どもだから十分に相手にされなかった。だから、一足飛びにむやみやたらと色んな男と肉体関係を持って、子どもじゃないことを証明しようとしてしまった。 よさそうな家族なのに何もしてやらなかったのか。 友人にストーカーまがいの執着を見せる男の子に、自分の姿を重ねてゾッとする主人公。頭ではわかっているのに体がついていかない。 まあだけど、この予備校の先生はなっちょらんと思います。 過去を美化して肯定しては、本当の再生はできない。彼を断罪する強さがあればいいのに。 | ||||
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妊娠、堕胎、好きな人を救えなかった絶望感。ばらばらになった心は日常生活の中で、少しずつジグソーパズルのように組み立てられていく。なぐさめの言葉など必要ない。ただ自分を見つめてくれる人がいればそれでいい。迷い込んだと思った森は、実は自分を再生してくれる森だったのだ。瑞々しい感性で描かれ、読後感もよかった。 | ||||
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シルエット、リトルバイリトルを読んだとき、正直、あまり 評価できる作家じゃないな・・と感じた。 でも今回のこの生まれる森では確実に成長した筆者の姿が見 られた。今後、さらに成長されると思う。 芥川賞も次の作品くらいで取れる気もするが、芥川賞より直 木賞をあげたい。幅広い読者に愛され続けていく作者である ように感じた。 | ||||
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「リトルバイリトル」をかなり前に読み、 本作もかなり期待して読んだのですが今ひとつでした。 何気ない日常をたんたんと描いていく彼女の書き方は嫌いじゃないのですが、 本作は持って回ったような言い回しや、無理して使っているような固有名詞(音楽等) が鼻につき少し残念でした。 「リトルバイリトル」と「インストール」を較べた時は島本さんの方が上でしたが、 「生まれる森」と「蹴りたい背中」を較べたらかなり差をつけられてしまった観があります。 これからの期待を込めて星2つです。 | ||||
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前から読みたいと思ってた。 島本さんの作品はシルエット、リトル・バイ・リトルと読んできた。 違う話でも、後に残る感覚は生まれる森を含め似ていた。 自分に向き合うコト、周りと自分、過去との狭間、様々な人が交差して紡ぐ物語は、甘く切ないラブストーリーという訳でない。 絆なのか・・・忘れることの出来ない「愛」と言われるモノとの格闘と温かな空気。 言葉の魔法と言っても過言じゃない。 ココロに染みる感覚を久しぶりに思い出させてくれました。 | ||||
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大学1年の夏休み、帰郷する友人の部屋を間借りする主人公 彼女は昨年から抜け出せない深い絶望で途方に暮れていた 最初から主人公の絶望は読者には明かされない 少しづつ彼女が何に迷い苦しんでいるのかが見えてくる 人を好きになるきっかけに、その人を救いたいという感情がある しかし、その感情がいかに支配的だとしても、 救いたい感情が傲慢でもなく相手を本当に癒すことが出来る関係もあるが 反対に、相手に対し自分がいかに無力か思い知らされ打ちしがれる場合 残酷にもその恋が一方的に終りを告げられたとき その絶望から終わった恋愛は、1人の人格を粉々に出来る そこから、恐れることなく、人を受け入れ、時間をも受け入れれば 私たちは再び誰かを愛することが出来る この小説を読むと、心が澄んでゆく 決して明るい題材ではないのだが、前向きになる感情が読者を包む | ||||
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うーん、何とナイーブな感じの麗しい小説なんでしょう。 例えば「わたし」が幼い頃に祖母の家に預けられたことを回想するP57ではこんな表現をしています。 それから毎晩のように、こりないわたしは家の外へ出て景色をながめていた。雰囲気の違う家の中よりも真っ暗な夜のほうが懐かしさを感じさせる、家へと導いてくれる匂いがした。夜の気配はそんなふうにひっそりと、わたしのとなりに誰よりも親しい友達みたいに寄り添っていた。 うーん、「郷愁を誘う匂い」。本当にビューティホー(拍手) ではこちらはどううでしょうか? 春夏秋冬の中で夏のセックスが一番好きなのは、この汗とアンモニアの混ざった匂いが好きだから、というのもある。 バキューンと一発! ナイーブなボクはあやうく即死です。某第130回芥川賞受賞作品からの引用なんですけどね。 でも、読者にどちらが「鮮明な匂い」をお届けできたのかなと考えると、それってもしかして後者のほうなんじゃ・・・と思ったりして。 文学者(作家)というのは常に自分が感じ取った「時代の空気」を作品に反映させて「今」を描くことが大きな使命の一つのはず! 「世界から疎外されたナイーブな自分」というのは周知の通り80年代に、かの村上春樹先生を筆頭に(というかほとんどはモノマネに終始した気もするけど)繰り返し書かれてきたことではなかったでしょうか? しかも「あとがき」でこういうことを書きたかったなどと作家が釈明するとは・・・どこの大先生かと思いましたよ、私は。そんなん、作品読んで伝わることが全てなんだからオカシイと思わないのだろうか? 十五歳のときの『ヨル』という掌編の冒頭も次のようでございます。 夜は、独特の匂いがする。 ん?今もう二十一歳。六年も経って・・・んむぐぐ・・・いやまだうら若いお年頃でございます。いくらでも才能は無限大に伸びてゆかれますよ。うん、うん、たぶん、きっと、そうであることを願いつつ・・・ ということで、次回の作品では庶民にも理解できる「匂い」(何らかのリアリティを持ってモチーフを示せという意味で)を書いてくださいませ。 | ||||
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