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文学部唯野教授の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.35pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全51件 41~51 3/3ページ
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本書は、いうまでもなく、テリーイーグルトンの代表的著作のひとつ「文学とは何か」の模倣である。いわゆる「文学」には固有の領域があるわけではなく、政治的社会的文脈をもつイデオロギーなのである。「ポスト構造主義」におけるデリダとその追従者たちとの評価の区別という、ポストモダン評価・批判の論点してはいまやあたりまえのイーグルトンの主張をもほぼ踏襲しているが、1987年という「ニューアカ」全盛期にこれが一体どう受け取られたのか興味深い。多分日本のポストモダニストは、気付かなかったろう。なにしろいまだにイーグルトンを「ポストモダニスト」と思っているむきもあるんだから。 イーグルトンの文学批判・批評は、もちろん大学アカデミズムに対してもむけられていて、本書における「文学部」にたいする冷笑的批判もそれはそれであたっていないわけではないが、「古典的」文学者像に批判が集中していて、ニューアカ的文学者像に対しては甘いといわざるをえない。イーグルトンの批判派その両方に対して向けられているのであって、その点、本書とは一線が画される。 そのことともかかわるが、本書はイーグルトンに依拠しすぎていて、日本の文脈が全く反映されていない。欧州と日本では、文学が果たしてきたイデオロギー的な機能はかなりちがっている。「後発資本主義」「天皇制」「戦後」というキーワードだけでも、その違いは鮮明である。もちろんこれは著者の責任ではなく、日本でこうした文学整理がほとんどやられてこなかったからだ。わずかな重要著作としては、津田左右吉、加藤周一があげられるだろうか、というか日本のアカデミズム文学批評は一体なにをやってきたんだろうか・・・。 80年代にはこういうアカデミズムの重みはまがりなりにもあった。そういう時代にはこうした批評は意味があったが、イーグルトンもいっているように、こうしたものも「ないよりはあるほうがまし」だった。いまや文芸批評・「文学」は完全に死んだ。通俗的批評の海にとけ込んでしまったいま、なにものこっていない。最後にみせた唯野教授の野望は果たされていないのだ。 | ||||
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大学版『大いなる助走』、今度のターゲットは大学教員=文学評論家。 文芸批評理論の講義と、講義外での生活が同時進行的に叙述される。 講義は面白く為になり、大学でのドタバタ劇は相変わらず楽しい。 しかしながら研究そっちのけで大学での権力闘争にうつつを抜かす大学教員というのは、当時はどうだったか知らないが、少なくとも今ではあり得ない。 大学が痴者の楽園であった時代は終わったのだ。 しかし大学教員のマスコミ・コンプレックスというのは、ある程度は当たっていると思う。 | ||||
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なかなかの読みごたえ。 冒険的な小説だと思う。 こういう小説を書いてゆくのは、かなりの労力がいることではないかと思う。 唯野教授の日常と、文学批評理論の解説が同時に行われていておもしろい。 解説は分かりやすいが、完全に理解し尽くすには、原書(それぞれの)を読まねばならない。 | ||||
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もし、文芸評論や現代思想がどのようなものか、勉強してみたいと思ったら、筒井康隆氏による本書をお奨めしたい。 実は本書は大学・アカディミズムの風刺であり、文芸批評・思想の研究のパロディなのであるが、筒井氏の力量によって凡百の入門書を見事にまとめあげてしまったのである。 まさに贋作が本物よりもすばらしいできばえだったというメタ・ノンフィクションと言えよう。 19世紀の文豪フロベールのマイナーな短編「ブヴァールとペキュシェ」の現代版の感もある。 固い批評はぬきにしてパロディ・ユーモア作家の大家である筒井氏の作品だけのおもしろさは保証できる | ||||
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全9講(章)からなる本書は、大きく2つの物語から構成される。 一つは、「9講」という章立てからも分かるように、文学部教授である唯野先生の文学批評論の講義。これが教授の語り言葉でライブ進行して行く部分。 もう一つは、大学と文壇という「いわゆる世間の常識とはちょっと異質な」社会を面白可笑しく描いた部分で、これが出来の良いソースのように、講義に絡まりながら進行して行く。 内容についての詳細は控えたいが、個人的に感銘を受けたのは前者の講義パートである。 すべからく学問というものは、物事の本質を説く解を探す行為であると思う。そして、そのアプローチや、そのための艱難辛苦に人々は畏敬の念を感じるのだと思う。ところが、いわゆる理系分野に比べ、文系分野では、それを分かりやすく見せてくれる題材が極めて少ないのが現状である。 本書は、「文学批評」という、ともすれば読み手の好みだけで左右されがちな文学評価を、どうやって「客観的に評価」すべきかを探求してきた道程を、門外漢にも分かりやすく教授してくれる。 文学を専門とされる方にとっては、その内容の是非が気になる部分もあろう。一方、そうでない多くの人にとっては、この道程を本書と随走することにより大いに知的好奇心が刺激されるであろう。 そういう意味でお奨めの一冊です。 | ||||
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唯野教授の授業は1流大学では大教室かもしれないが、 2、3流大学ではせいぜい中教室での講義となると思う。 それだけ講義内容は難しく私にはついていけなかった。 ただ、わからないなりにも出席したくなる面白く癖のある 講義だと思う。 唯野教授は、饒舌で偏屈な男だが超優秀 な学者である。 タダの教授ではない。 題名からお堅い本かと思われてしまいがちだが、お茶らけた 部分が多い。 特に唯野教授の突拍子のない会話が失笑を 誘った。 他にも変な教授がたくさん登場する。 文学論とか考えず、文学マニア唯野教授の人間観察ができ とても面白かった。 少なくとも私は唯野教授に親しみを覚えた。 | ||||
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”大学教授ゆうても、こんなエゲつない人間だっておるんでっせー” ということがおもしろおかしく(?)書いてあります。 筒井さん、大学 関係者をものすごく敵に回してるかもしれません。 (笑) | ||||
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初めてこの本の情報に触れる方はおそらくかなり「お若い方」が多いだろう。 その方々にアドバイスさせていただければ、この本を「文学理論」ばかりで捉えず、鼻くそでもほじくりながら読んでいただきたいと思う。 実際、著者の筒井氏は、この小説について、当時の思想状況から色々なことを模索していたのだと思うが、今となっては、それへのこだわりは我々同世代で読んだ者の「ノスタルジー」に過ぎない。今から読もうとする人は「何も考えず、唯面白いから」読んでもらいたいのである。 たたみかけるペース、展開の速さ、人物のデフォルメ、どれを取り上げても、いささかも古びていない。筒井氏のSFティンパニー的真骨頂である。 理屈に塗れず、小説の面白さに浸っていただきたい「必読の書」である。 | ||||
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私は、デザインを学ぶ者ですが、文学理論から発展し、デザイン理論へ適用されたものの起源を知る為に重宝しました。 このような二次的な理由で文学理論に触れたい場合、ボリュームが適度です。 ちなみに、学者肌の大学教授ほど、この本が気になるらしく、読んでいる人が多いようです。 | ||||
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何回読んでもおもしろい。 マスコミや大学の世界を舞台に筒井康隆得意のドタバタ劇が繰り広げられる。 涙がでるほど笑ってしまう。 私はこのてのドタバタ劇が大好きである。 唯野教授の講義とドタバタ劇が交互に繰り返されるが、講義もわかりやすくてよい。 どうしても講義部分が苦手な人は読み飛ばしてもそれなりに楽しめます。 | ||||
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現代文学理論に関する本が大量に世の中に出ている中で、再評価されるべき本である。あるマルクス主義文学批評家の主著の体裁をパロディしているとか、そんな些末的なことがこの本の価値を下げることは決してない。もしあるなら、それはスノッブな偏見に相違ない。ここ100年の文学理論の経緯を勉強した上、日本の大学の内部を垣間見ることの出来る小説のおまけつき。小難しい抽象論から、そのエキスを採りだした解説は、駆け出しで文学研究を志すものにとって良い資料である。なぜ、この本が大学の教材に取り上げられないか?それはこの本意上に面白おかしい入門社が存在しないことを恥じる大学教員の心遣いもあるだろう。にしたところで、一介の小説家の階tものを大々的に取り上げては評判も下がる、という小心だ。だから、秘密を知りたければ、文学理論の錬金術を垣間見たければ、こっそり買って、カバ-をかけて読みたまえ。 | ||||
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