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明日の記憶
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明日の記憶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.55pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全163件 101~120 6/9ページ
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アルツハイマーという病気について、周囲から見た病気の症状や、家族の大変さ等の視点ではなく、病になった本人側の視点から考えさせられたのは、私は、この本がはじめてだった。 きっと、この病のよく聞かれる壮絶な戦いの部分(家族の看病の苦労とか、病気のひどい症状)というのは、この本の最後から長くはじまっていくはずで、この本はそこにたどりつく病気の前半戦が描かれているはずなのに、読んでいて切なかった・・・。 きっと当人にとっては、記憶が失われていくこの時期が、もっともつらく、せつなく、悩むときなんだろう。自分という一番信じてよかった部分が信じられなくなる、大切な思い出が失われていく、周囲の目が変わる、何が正しいのかわからない・・・。本当にせつない。 この病の本当の怖さって、この時期にあるのかもしれない。 ラストシーン。 ある意味ひとつ突き抜けた彼に、すがすがしさを感じる反面、その後のことを思うとどうにもやりきれない気持ちになった。人間が人間であること、家族といられること、社会に関わっていられること、自分が自分でいられること。こういったことって、すごくあたり前にあるようだけど、すごくもろいものの上に成り立っているんだなあ。それはこの病気になる、ならないに関わらず。 早く、この病気を治療する方法が見つかるといいと心から思う。 | ||||
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愛する人のことを忘れてしまうまで がうまくかかれていると思う。 まだ若いのに まだまだ仕事もできるはずなのに と思っているのに どんどん記憶を失っていく。 そのもどかしさがとてもよくあらわされていて 読んでいて苦しくなった。 ただ最後あたりが小説だから当たり前なんだろうけど きれいに書きすぎてる気がした。 そこがちょっと残念。 | ||||
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記憶を失うことのおそれが、ありありと伝わる。胸に迫る自分への別れを描いている。しかし、その場に直面したときに、主人公の如くポジティブに取り組めるだろうか。日記に残し、何事もメモをし、陶芸作品を残し。そして、渡辺謙さんが演ずる前に読みたかった。彼のイメージが入り込みすぎてしまった。 | ||||
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広告代理店に勤める主人公佐伯が、若年性アルツハイマー病と告知され、病状が進んでいくという話。 社会的にも家族的にも何不自由なく過ごしてきた50歳の男性に降りかかる恐怖がじわりじわりと伝わってきてリアル。 映画化されたので、渡辺謙と樋口可南子を想像しつつ読んだ。 妻の枝実子がとても似合っていると思った。 久しぶりに一気に読めた一冊。 読み終わってから、色色なことを考え感慨深い思いを味わうこととなる。 | ||||
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映画に、本に、話題作となった「明日の記憶」。話題作とあって、内容も、奥が深い。 誰もが日常的に経験する「物忘れ」から、若年性アルツハイマーと言う病気の違いも、的確に捉えてあり、しかし、専門的な方でなくても、十分理解できるないようであろう・・・読み進めるうちに、同年代の方は、ある種の怖さを感じるのではないか。しかし、認知症の方の、内面の苦悩は計り知れない。自己の存在を保つ為に、メモをとり続ける主人公の姿。生きる為に、大切なことは何であるのかを考えさせられる。そして、妻の温かい愛。薄れゆく記憶の中で、主人公も、「妻」をどれほど大切に思っているのかも伝わってくる。ストーリーは、どの場面も、自分に置き換えたり、本の世界に引き込まれそうな内容で、感動。そして、感動の一言だけでは語りきれない。ぜひ、一読したい内容だ。作業療法士の妻の感想は、感動作であるからこそ、認知症の、しかも、働き盛りを襲う家族の苦悩、葛藤は、語りつくせるものではないだろう。だからこそ、家族の苦悩の果てに生まれた真の愛をもっと表現できていれば、もっとよかったのでは・・・ということであった。 | ||||
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怖すぎて、涙も出ませんでした。読んでいて自分が主人公に同化してしまって、読み終わったあと、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなりそうでした。ほんとに怖くて呆然としてしまいました。でも一読の価値ありだと思います。 主人公の立場で描いているのでより引き込まれるのですが、同様に主人公の目線で描いたもので、老人性痴呆症を扱っている短編「靄の中の終章」(清水義範著)もかなりショックを受けたことを思い出しました。 どちらも他人事のように思えず、単純に感動したとか、あるいは冷静に分析するということもできなくて。 | ||||
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静かに、静かに進んでいく物語なのに、途中で退屈を感じることなく読み進めることができました。そして、いつの間にか、年齢も性別も職業も自分とはまったく異なる主人公に気持ちを重ね、共に「記憶を失っていく」「日常が非日常になっていく」恐怖を味わっている自分がいました。 ある日突然、目の前の人物が誰なのか思い出せなくなる。自分がどこに立っているのかわからなくなる。日々、自分の中に残っている記憶の断片を拾い集めながら生きていく。 主人公は病名を告知された時からそういう未来を想像し、不安や恐怖と闘いながら「あたり前の日常」を守り抜こうとしますが、病魔は少しずつそんな彼から記憶という形の「あたり前の日常」を奪っていきます。その様子は出来事の描写からだけでなく、誤字やくり返しが増え、漢字が減っていく主人公の日記からもリアルに読み取ることができます。 一見悲しい物語ではありますが、読みながら、涼しい秋風が横を心地よく吹き抜けていくような感覚に陥りました。本の中で起こっていることはこんなにも重いのに、なぜか読後感はすがすがしく、希望すら感じさせる。それがこの作品の魅力でしょうか。 人生は結局1日1日の積み重ねだから、目の前に転がっている日常を大切にしていこう。そう思いました。 | ||||
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国際的俳優といっても言い過ぎではない渡辺謙さんがこの本を読み、自らが著者とコンタクトをとり映画化するまでいれこんだということで、読んでみる気になった。 軽い物忘れというのは、40代50代の人に取っては日常茶飯事の事で、私自身も度々ある。その都度、「あ〜年だな〜」と笑い飛ばしていたのだが、この本を読んでいるうちに「笑っている場合じゃないかも・・」と恐怖した。それにしても、自分がアルツハイマー患者でもないのに、主人公の感じる緊迫感や、切なさ、だか、それだけではない安らぎなどを、読む側に訴えかけてくる著者の描写力には脱帽だ。 | ||||
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50代に入ったばかりのところで、若年性アルツハイマーにかかってしまった中堅広告代理店勤務の男性が主人公の話。 病気の発覚前から発覚後、病状が徐々に進行していき、ついにあのラストを迎えるまでの主人公の心情が、細かく繊細なエピソード共に巧みにつづられている。(主人公は記憶を失っていくので、主人公のメモ書きに平仮名が増えたり、誤字が出てきたりする) 主人公が会社を辞めざるを得なくなったときの無念さはいかばかりか。結婚を控えた娘のために、自分の病名を娘にひた隠し、どうか結婚式まで自分の記憶が持ってくれ!と心のうちで叫ぶ執念にも似た主人公の願い・・・。 主人公と一体化して読み進めていくうちに、「記憶を失うとは、こういうことなのか・・・」と思わされる。周りに愛する人たちがいればいるほど、記憶を失うということは激しい痛みを伴うものになっていくのだ。 ラストは悲しくも美しい情景だったが、その後の彼等の人生に思いをはせると、美しいだけでは終わらないと嘆息してしまった。 | ||||
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この世代の人は読んで怖くなると思う。 若い自分でも読んでて怖くなった。 ただ若すぎるからか感動はするけど現実的じゃぁない。 文章の読みやすさも手伝って気づいたらもう後半。 あららちょっと拍子抜けやな〜 と思ったら最後2P 涙で文章が読めない(';Å;`)ブワッ | ||||
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最初は、映画の俳優の名前やタイトルがスムーズに出てこないことに始まり、物忘れがひどくなってきたことを自覚する佐伯。 仕事で疲れていることや深酒のせいだ、と思っていた頭痛やめまいが気になり、医師の診断を受けたところ、「若年性アルツハイマー」と診断される。 彼は“失われていく記憶”に抗うように、あらゆることを、必死でメモを取り、仕事をするが、やがて破綻をきたす。 こうしたプロセスや、主人公が記す「備忘録」と名づけられた日記が、時間の経過にしたがって、誤字が増え、やがて記述に簡単な漢字も見られなくなっていく描写が大変巧みで、真に迫っており、胸がつまった。 「記憶の死は、人の死ではないのか」という主人公の自問、ついに妻のこともわからなくなるラストが、哀切をもって伝わってきた。 この物語は、もちろんフィクションだが、患者による「闘病記」の一つではないか、と思うほどのリアリティーがあった。 アルツハイマー診断の要素となる「簡易知能評価スケール」の実際や、若年性アルツハイマーが、介護保険法に定めた「初老期痴呆(認知症)」(15種類の特定疾病のうちの一つ)に該当し、介護サービスの給付対象になることなどについても、簡潔にふれられていたからだ。 誰の身にも起こりうることとして、考えてみるきっかけになる作品だ。 | ||||
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実際にアルツハイマーに罹った人が、自分の病気の進行を詳細に記していくのは、初期にしか不可能なことだ。本書はアルツハイマーに罹患した本人の視点で病気の進行を描いたという、他に例のない画期的な作品であろう。 ごく最初は、芸能人の名前がすぐに出てこなかったり、道に迷うようになったり、という事から始まる。これは、私自身もよくあることだ。それがどんどん進行して行ってしまうから、読む人に恐怖を与える。いつも接している人の名前を忘れる、慣れた道で迷ってしまう、取引先との大切な約束をすっかり忘れてしまう・・などなど。過労のせいだろうと軽い気持ちで病院を受診した「私」は、医師から若年性アルツハイマーと診断を受ける。作者がアルツハイマーに掛かっているわけでもないのに、まるでノンフィクションであるかのように思わせるリアルさは圧巻。 夫婦の絆が映画の宣伝文句に使われているので、もっとねっとりした作品を予想していたが、意外にその点はあっさり描かれ、押し付けがましくない所がよかった。感動するというよりは、読み進めるのが恐い作品だった。 | ||||
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とても淡々とした小説でした。 痛いほど伝わってくる主人公の焦りと悲しみ。 そして、しっかりと支える妻。 自分が自分でなくなる恐怖と戦いながら、自分を取り巻く人たちの温かさや優しさ、哀れさをそれなりに受け止めていく。 少しずつ 削られていく「自分としての人生」の中で、自分を保とうとする主人公に、妻に 心打たれる。 主人公の周りにいる人としての愛情、夫婦としての愛情しか物語の中には存在しない。 双方向の愛が伝わってくる。 | ||||
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ユーモア作家が金字塔の小説を書いた! 軽いノリ、ユーモアで私を魅了する著者が追求するテーマは、 「昨日まで当たり前だった行為が、ある日、ある出来事を境に、 突然当たり前でなくなってしまう人間心理、人間模様」 ではないでしょうか。 本作品はある出来事として「若年性アルツハイマー」を取り上げた。 いつもの作品と違って、主人公の症状が序々に悪化いくから、読みづらさを我慢しなくてはいけない。だから私は、私ごとに置き換えて読んだ。 作品では、病気の進行、医師と患者、会社の仕事と人間模様、妻、趣味の陶芸教室、娘の結婚等、重いテーマを数多く取り上げている。 娘の結婚が唯一の潤滑油。 テーマを一つか二つに絞ると、更に作品として完成度が上がった。 | ||||
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きっかけは書店の店頭にあったので、なにげになく手にした本でした。 近年、テレビや雑誌などでも取り上げられている「若年性アルツハイマー」について描かれています。単なる物忘れと思えるような極日常的な会話の中で人の名前を思い出せないという冒頭からこの物語は始まります。 鬼気迫るといった迫力で読ませるのではなく、ごく自然に主人公佐伯さんの日常に溶け込んでいくような文章で、一気に読んでしまいました。先入観を持たずに読まれることをお薦めします。 | ||||
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直近の記憶がなくなっていく。 それを医学的には、呆け(アルツハイマー)というのだろう。 しかし、呆けというのは、普通の人の数倍のスピードで生きているため、過ぎていく時間が早くなっていることかもしれない。 呆けている人は、ドッグイヤーやマウスイヤー以上のスピードで生きているので、過去の記憶がなくなってしまうのかも? 読みやすい文体だが、じっくり考えさせられる内容でした。 呆けは、呆けている本人も辛いが、本当に辛いのは、その呆けに付き合わなければならない伴侶なのだろう。 私が読んだ後、妻が読んでいます。(こんなことは初めてです。) | ||||
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これを読むまでは、 「惚けて死ぬのも本人は幸せなのかもしれない」 などと言っていたが、とんでもないことだと考えさせられた。 まともな自分とそうでない自分が交互に幻覚のなかにあらわれては消え、 やがてその境目が見分けられなくなる。 そうなっていくことがわかる事の恐怖。 これは中途半端な怖さではない。 誰でも「物忘れ」の経験はあり、その頻度が激しくなってくれば 人ごとではない。 間近にある恐怖と愛情を味わった深い作品だ。 | ||||
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アルツハイマー。 その病を患った患者と家族との生活は壮絶なものだと聞きます。 自分というものを形づくっているのは それまでの経験や記憶の蓄積だと思います。 それを喪失してしまったら、自分はどんどん崩れ落ちていく。 アルツハイマーとはなんて悲しい病気なんでしょうか。 緩やかに自己を喪失していく、 その経過を自分でもはっきりと自覚できてしまうなんて・・・。 本のラストはキレイにしめられていますが、 「完治」という未来は絶対に訪れない病気です。 日々深刻になってくるであろう病気との闘い。 その地獄とどうやって向き合っていくかが重要になってくるのですね。 このような病気で苦しむ人を利用したり、 踏みにじる人がいるというのも恐ろしい話です。 どこまで人は残酷に醜くなれるのか。悲しい限りです。 荻原さんの描くテーマは本当に幅広く、 改めて器用な作家であると痛感しました。 | ||||
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自分とは何か。記憶とは何か。そんなことを深く考えさせられた。 日常を普通に生きてきた中で記憶の大切さを実感したことはあまりない。なぜなら何も意識しなくても記憶は蓄積されていくもので、それが失われるということなど考えたこともないからだ。 この本を読んでアルツハイマーとは自分との戦いであり、孤独との戦いなのだと思った。まだ解明されていない病気だからこそ希望を見つけ出そうとするし、信じられない思いが強くなる。「自分が自分でなくなる」この本にたくさん出てくる台詞だが、個人は記憶でできているといっても過言ではないのかもしれないと痛感した。 | ||||
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静かに主人公の症状が進んでいく様子に、わたしは恐怖より哀しさを感じました。 人生そのものである記憶が少しずつ蝕まれてゆく。 わたしなら発狂しそうです。 主人公は病気に恐怖し苦しんでも前向きに残りの人生を生きようとします。 最後に病気と向き合って行動を起こす勇気はとても見習えそうにありません。 実際はこんなに穏やかではなくもっとドロドロしたものがあるのでは?と思わなくもないですが、 読みやすい文章と主人公に引き込まれて気になりません。 病気になって気づく知人たちの本当の人柄も興味深いです。 温かいもの。そうではないもの。 普段は気づかない人の優しさに涙が出てきます。 読み終わったあとは目を閉じて余韻にひたってしまいます。 手にとって損はない本です。 | ||||
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