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明日の記憶
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明日の記憶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.55pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全163件 81~100 5/9ページ
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認知症やらアルツハイマーは遠い世界の出来事だと思っていたが、この本を読むと若干危機感がわいてくる。 たぶん、認知症・アルツハイマーに対して必要なのは、周囲の理解だとか支えなのだろう。必要なことをきちんとやる枝美子さんは素敵なのだろう。 | ||||
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物語のラストシーンに特に心を打たれ、涙が溢れてしばらく止まらなかった。駅へと向かう奥多摩の山道の情景なのだが、『黄昏がこんなに美しいものだとは思わなかった。風に舞う山桜の花びらのひとつひとつまで黄金に変えていた。』という印象は、『夕日は刻々と色を変える。ついいましがたまでの黄金の光が茜色になり、あたりの風景は急速に色を失っていった。』と変化する。そして最後は、『太陽の最後の光が照らす道に、私と隣の女性、ふたつの影が寄り添って伸びていた。』で結ばれる。 荻原浩はただのユーモア作家ではないとは考えていたものの、こんなにも素晴らしい作品を手にして少し驚いている。ストーリーの潤滑油であった「笑い」の助けを借りずに、敢えて困難な心理描写のみで描ききった力量を評価したい。50歳を迎えたばかりの佐伯部長よりも年上の私にとって、この物語はある意味「スリラー」でさえあった。最近物忘れがひどくなってきているが、さほど大げさに考えることはなかった。いかに鈍い私でも今回ばかりは動揺してしまい、読み進むのが怖くなったことが幾度もあったほどだ。 レーガン夫人がアルツハイマー病で亡くなった夫の闘病の日々について、『長い長いお別れを言っているようでした。』と語ったそうだ。徐々に自分を失っていくことは本人にとって耐え難い恐怖であろうが、それを周りで眺め受け入れなくてはならない家族にとっても厳しい現実が待っている。佐伯部長が私にとってのアルジャーノンとならないことを、心から祈るばかりである。最後に、これからはもう少し家族に優しくしよう。 | ||||
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単行本が出て、映画化されてずっと気になっていたのですが ようやく文庫化されました。 あっという間に読み終えましたが、正直胸をかきむしりたくなる ような思いです。三浦 綾子さんの「塩狩峠」以来です。 ラストは、あまりにも悲しくあり、おだやかでもあり。 愛する人がアルツハイマーになってしまたという立場になるか 自分がそうなってしまったという立場になるかで思いは180度 変わるでしょう。 萩原浩さんがこの本で本当に伝えたいのは何かを、じっくりと 考えてみてはいかがでしょうか。 | ||||
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50歳を前にした働き盛りのサラリーマンに突如襲った若年性アルツハイマー病。平穏な日々から一点、心と身体がアンバランスになっていく中で病に立ち向い家族と共に奮闘していく感動作。 テーマは重いですが、家族愛や夫婦の絆の大切さも触れて説いているのだと思います。 | ||||
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2005年本屋大賞2位 知り合いに勧めたくなるような素晴らしい作品である。 若年性アルツハイマーにかかった主人公が徐々に記憶を失っていく様子を描いた作品。 作品は一人称と三人称をうまく書き分け、たとえば主人公がつける日記の感じを徐々に減らす、誤字を書くなど、記憶が失われていく「時間軸」をうまく表現している。日常の些細なことや仕事上のことなど、「記憶を失う恐怖」を実感することができた。 一方で、単なる病気の怖さを取り上げるだけではなく、本人を含め周囲の人間がとまどいながらも病気と向き合っていく姿が感動的であった。 特にラストシーンは、美しい情景が目の前に浮かぶようで、久しぶりに素晴らしい小説を読んだと実感することができた。 個人的には同年の本屋大賞1位の「夜のピクニック」より面白かった。 余談であるが、この作品を読んだ渡辺謙が感銘をうけ、みずから映画化の企画を映画会社に持ち込んだそうである。 | ||||
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記憶がなくなるってこういうことか と改めて恐ろしくなった。 私自信うつ病しながら仕事してたとき、 さっきやってたことが5分後にはなくなってた。 とにかく、やってることをめもってて、 ノートが1冊なくなった。 書いて、書いて、書いても、 仕事はすべてやりこなせなかった。 みなさんに迷惑かけた。なので、現在は休職中。 主人公は私のように、休んでも記憶はもどらない。 読んでいて、すごく切なくなった。 もし、夫がこんな状態になって、 主人公の妻のように、できるだろうか。 記憶ってとても大事。 今あるちっぽけなことも、すべて大事なもの。 そんな気持ちになった。 | ||||
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でも、少しずつ消えていく記憶を萩原浩さんは優しく書いているのだと思いました。そして、早くこの病気の原因と治療法が解明されれば、いいなと思いました。今まで現役で頑張っていた人が突然こんな形で解雇というのも悲しい。定年まで、たいした事はできなくても、元気で働きあげて、みんなに惜しまれながら退職して、老後は、大好きな人と少しずつ体力の衰えやしみやしわの数を数えながら、静かに生きられたら、それだけで幸せな人生なのだろうなとこの本を読んで少しだけ優しい人間になれる様な気がしました。 | ||||
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日常生活とはかけ離れていない舞台設定のなかで、若年性アルツハイマーという誰におきるか分からない不治の病に徐々に蝕まれていく主人公の恐怖と、会社内での冷遇、妻の気遣いがリンクして感情移入せざるを得ない筆力でせまってくる。 実際の病が、どの程度の日数と共に重くなるのか私は知らないが、読んでいて人の名前や地名、漢字、約束した事などを忘れていく主人公を、とても他人事とは思えなくなった。 途中クライアントの名前が思い出せない場面で、私も同様に前頁をめくらねばならなかったからだ。 介護で本当に大変な思いを本人も周囲もがする時からが、病の本番なのだが、小説としてはその手前で切った本書の書き方でよかったと思う。 | ||||
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若年性アルツハイマーを患い始めた主人公 佐伯の目を通して一人称で展開します。 普段の生活で、物忘れはよくあることで、それほど困った事にもならず、気にもしない。きっとそれは、自分にとって大事なことを忘れた訳ではないからで、主人公のように事の大小にかかわらず記憶が無くなっていってしまうという恐怖を感じていないからだと思います。 当たり前が、当たり前でなくなる恐怖、平凡な日常が、どれだけありがたく幸せなことかを実感せずにはいられません。 ポケットをメモでいっぱいにして、アルコールを断ち、食生活にも細心の注意を注ぎ、必死に病気の進行を止めようとする主人公の足掻きがあまりにも哀しい。 重苦しいテーマにも関わらず、ユーモアに時々救われるのはこの筆者の特徴かな。 | ||||
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働き盛りの40代後半の人間がアルツハイマーになってしまったら・・・。職場では、外出先では、家庭では、親戚とのつき合いでは・・・。 症状がどんどん進行する様子を、この作品はずっと「私は・・・。」と一人称で書かれている。記憶がなくなるので、必死でメモをする様子や、得意先の会社に向かう道に迷ってしまう場面など、読んでいて恐くなった。まるで、自分自身の中でアルツハイマーの症状が進行していくような錯覚に陥る。 一貫した妻の愛情が美しく切ない。 | ||||
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今まで「アルツハイマー」という病気は自分には無関係の病気だと思っていた。 けどこの「明日の記憶」をよんで考えが変わった。 アルツハイマーという病気はとても身近にあるということを。 誰にでもおこりうるということを。 記憶が無い生活は人間の「死」と同じ、ということを・・・ アルツハイマーになりながらも懸命に、もがきながら生きた主人公に涙が。 | ||||
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私も早速”発芽玄米茶”を飲もう!と思った。 淡々とした主人公の語り口が、逆にリアルで怖い。 今まで介護側からの視点での小説は読んだが、壊れていく本人自身の語りで書かれた本は初めて読んだ。 多分本人の壊れていく過程での心の葛藤はこんな感じなんだろうとリアルに思う。 頭の中でコードが切れたような音がして、少しずつ人格が破壊されていくのだ。 私の父親もアルツハイマー型認知症と診断されて4年がたつ。 今では一人で衣服の着脱、排泄の処理などは出来なくなった。味覚、寒い、熱い、時間の感覚は全くなくなり、幻覚、妄想、暴言もかなりある。 でも、未だ家族の顔は忘れてはいない。 それだけでも救われているのかも。。 父親の人格崩壊の過程をつぶさに見ているだけに、どの情景も目に浮かぶようなリアリティーがあり、本書は本当に怖かった。 ラストは切ないが、美しい。 しかし!現実はこんなに甘く美しいものではないということを皆さん認識して下さい。 毎日が汚物まみれ、罵倒の連続、家族崩壊寸前!認知症は本人もさることながら、家族には地獄の日々になる病気であるということを。 (この病気はある程度遺伝するというようなくだりあったけど、父の主治医はまず最初に、”これは遺伝する病気ではありませんのでご心配なく”と言っていたが?ますます怖いぞ。。) | ||||
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50歳という働き盛りの年に、病院で告げられた病。それは若年性アレツハイマー。 主人公佐伯は結婚を間近に控えた娘をもつ広告代理店部長である。 彼の日常を通してアレツハイマーという病気の残酷さが鮮明に描かれている。有名俳優の名前を忘れ、同僚の名前を忘れ、家族との記憶も・・。アレツハイマーはただ記憶を欠損していく病というだけではなくて、記憶の欠落によって人格もが崩れていき、やがては自分が自分でなくなってしまうという、ある意味死ぬことよりも深刻で恐ろしい事に思える。 作品後半部では、現実世界と空想世界が織り交ぜられながら描かれている。 その中でも特に、「記憶が消えても、私がすごしてきた日々が消えるわけじゃない。私が失った記憶は、私と同じ日々を過ごしてきた人たちの中に残っている。」という主人公が最後の最後でみせた言葉が印象的だった。 | ||||
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「記憶を失うということは、人格を失うことでもある」という主人公の悲痛な叫びが、心に響きます。「記憶は自分だけのものじゃない。人と分かち合ったり、確かめ合ったりするものでもあり、生きていくうえでの大切な約束ごとでもある」ということを思い知らされて、今更のように戦慄します。正直なところ、最近、物忘れがひどいのは、40歳を過ぎた年齢のせいだけなのか、ふと我が身を振り返って空恐ろしくなるほどに、アルツハイマーは所詮は他人事と思っている人にも、病を手元まで手繰り寄せ、我が事のように考えさせることに、どんなドキュメンタリーよりも成功しています。決して肩に力が入っているわけではなく、むしろ淡々とした語り口の中に、小説のもつパワーを感じさせられた作品でした。 | ||||
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若年性アルツハイマーに罹患した主人公の認知機能が徐々に崩壊していく様子を書いたものだが、医師である私の目からみても細かい描写がリアルであった。 例えば、大学病院で長谷川式知能スケールを、主人公におこなう医者の描写。医者ならああいった風にやっていくなというのがよく分かる。診断にいたる過程も納得。初期の段階では診断も難しいはずで、そういったところもうまく表現されている。 また、主人公の書く日記の描写が良い。人格の崩壊が進行していく様子が、微妙に表現されている。 「私の言葉に凝わしげだが・・・」と誤字をさりげなく入れていたり、同じ日に同じ文章を繰り返しているところなぞ、気をつけていないと読み飛ばしてしまいそうである。 筆者は、本書を執筆前にかなりの取材をしたと聞く。神は細部に宿るではないが、こういった細部をきちんと書いていることで、リアリティと、感動を生んでいるのだと思う。 | ||||
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「神様からひと言」や「明日にドライブ」といった軽快な作品から受ける印象とは 全く異なっており、荻原浩さんってこういう作品も書ける人なんだ、と正直驚いた。 恥ずかしながら、アルツハイマーが死に至る病気だということをいうことを初めて 知った。本作品は記憶が失われていくまでの部分を描いているが、本人や家族が 本当に大変なのは、そこからなのだろう。 自分が自分として生きることが出来なくなるとはどういうことなのか、家族として どのように関わっていけばいいのか、など考えさせられた。 先日、茂木健一郎のテレビ番組でアルツハイマー治療の特集をしていたのを観た。 将来的には治療が可能になるかもしれないとのこと。 最先端の医療で、なんとか治療できるようになって欲しい。 本作品を読み終えた後、映画も観た。樋口可南子の演技が素晴らしかった。 | ||||
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読みやすかったです。 アルツハイマーという病気がどういったものか、 そしてその患者さん、周りの家族の心理などもとてもよく わかり、共感を深めました。 今40歳の私にとって他人事には思えない感じを 強く持ちました。 とても共感ができるのですが なんというのか、物語として もうちょっと何かできなかったものかと 感じるところはありました。 アルツハイマーの紹介の解説、闘病記とは 違うわけで もちろん安易なハッピーエンドを望んでいる わけではないのですが 物語としてもう少し何とかならないのかと。 予定通りに症状が進んでいって 患者さんの手記ではないのですから 物語として何かを作って欲しかったなあと 感じました。 症状の進行、物語の進行が とても淡々としているように感じました。 | ||||
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文章がうまい。場面転換やストーリーの展開もうまく、小説として秀逸である。 でも、同世代に近い者としては怖くて読み進めない。俳優の名前が出てこない、 身近な街が突然異郷の地のような気がしてくるなどというのは年をとるにつれて 誰もが経験していくことだ。 いろんな周囲の人々とのかかわり、長年連れ添った妻との感情の機微。 最後のページは映像を見るように美しい描写だ。 終盤の展開がまとめすぎているようではある。 | ||||
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著者は本書執筆のための予備取材を通じて、 アルツハイマー病は死に至る病だという事を知って、 愕然としたらしい。 人は、認知能力を失うと死ぬのだ。 日常生活を行う上で、我々は細かい判断を常に行い、 適切かつ安全に、しかも無意識に行動している。 認知症が強くなると、この部分に難を来す。 本書で突き付けられる診断は残酷だ。 本人や家族がいかにあがいても、段々と社会的信用を失ってゆく。 この事は、死ぬより辛い、拷問の様なものだ。 本書は、物語なので、少し出来すぎている部分も感じない訳ではないが、 若年性アルツハイマー病のもたらす悲劇を語ってくれる。 しかし、仕事上で、若年性アルツハイマー病に接する立場である私にとって、 読後に複雑な思いが残るという事を、特に強調したい。 | ||||
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荻原浩氏の著作はざっと読んでいました。この人は「あの日にドライブ」などに結実しているような、良く言えば軽妙洒脱、悪く言えば『文章が笑っている』書き口が持ち味なのですね。だからこの作品が良かった。 このテーマだからこそ、眉間に皺を寄せないことが大切です。だって現実そのものには善し悪しも重い軽いもないのですから。我々がそれを価値判断するときに、それぞれの色にテーマが染められていきます。だから、殊更に悲惨さを嘆く必要はありません。 ラストは美しいです。住んだ空気と紅の空の中、主人公が歩いている。場面は違っていても、何か南木佳士の「ダイヤモンドダスト」の清冽さに通ずるものを私は見ました。 | ||||
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