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邪宗門
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【この小説が収録されている参考書籍】
邪宗門の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.57pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全53件 21~40 2/3ページ
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簡単に言うと、おっぱい母乳ラノベ。それを大本がモデルの架空の宗教団体の興亡でコーティングしている。 | ||||
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40年ぶりに読了。いま読むとどうかなと思って読み始めたが、やはり圧倒的な読後感だった。これが小説というものだ。ほとんど時代性を感じさせない。高橋和巳の数ある作品の中でも、これだけは歴史に残るだろう。いやむしろ時代とともに奥行きと輝きを増してきている。これを読むと、いまどきの現代小説など読む気が失せてくる。大きな作家だった。こんな作家が39歳で逝ってしまったなんて、つくづく惜しまれるな。(なお巻末の佐藤優の引用だらけの穴埋め解説は、まったくの駄文で不要)。 | ||||
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高校生のとき,この物語のモデルとなった教団の血族の美貌のお嬢さんが,京都の私立高校に通っているという噂を悪童仲間がしていた。 大学に入ってしばらくすると闘争がはじまった。そして△△党主導の▽▽職員労働組合に潰され敗れた。そして鬱々と暮らしがあったのだが,その頃の自分を支えてくれたのが読書であった。高橋和巳で頭のなかをしちめんどくさくし,福永武彦でふやけさせた。 『邪宗門』はそのなかの1冊。たぶん単行本で読んだと思うのだが定かではない。このころの河出書房は元気があった。 「人間として」という季刊誌の編集もやっていたなあ。 | ||||
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40数年前に読んだわけですが、今読み返したくなる社会状況です。当時の単行本は大事にとって置きたいので文庫本を買いました。読み返しても『最高の日本文学』と改めて思います。『悪魔は一人の心の中には住まず、群衆の中に宿る。無責任という、悪魔のもっとも好む装いのもとに----。』これまさに今の日本人でしょう。 | ||||
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オウム事件のときもそう思ったが、共謀罪が審議されている今こそ読み直したい日本文学の金字塔。高橋和巳が生きていたら、今日の日本をどう思っただろうか。 | ||||
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オウム事件のときもそう思ったが、共謀罪が審議されている今読み返すとさらに重要性がわかる。著者の高橋和巳氏が夭折したのは日本にとってはかなりの損失だ。下巻になってさらに先鋭性を増す。大部で難解な文章だが、格調高く一気に読ませる筆力がある。傑作だ。 | ||||
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高校生の時、尊敬する先生の勧めで読みました。 戦争へと突き進む不条理や、宗教と生活の関連など、多くのテーマが詰め込まれています。 読破するのに時間はかかりましたが、どんなに時間がかかっても人生で読むべき一冊です。 | ||||
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高橋和巳氏があの大学紛争で消耗して無駄に死ななければ。 そう考えることがある。 もう30年以上前に読んだ本だったが異様な始まりと終わりは 良く覚えている。 氏の作品では最も読みやすいものだったと記憶している。 その後の読書のある種の基準になったと思っている。 小松左京氏はこの小説を読んで純文学を止めたと言い。 インスピレーションを得て日本アパッチ族を書いたとのこと。 また、奥様の高橋たか子氏が高橋和巳氏没後に 「私が仕事でくたくたになって帰ってくると、和己は 釜から直に手づかみでご飯を食べ、酒を飲んで寝ていた・・・」 その事を筒井康隆氏は自分が死んだ後くちゃくちゃに言う嫁は嫌だ。 そう書かれていました。 そんなことが思い出されます。 | ||||
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物語が壮大すぎて、なにを言っても自分の言葉が稚拙に聞こえてきます。 これに全共闘世代は高校〜大学の年齢で夢中で読んだというのだから、、凄い。 兎に角1200ページのボリュームに初めは驚きました。上巻はカナカナと漢字の読み辛い文が多く、苦労したが下巻は展開も早く比較的読みやすかったです。 こんなに難しい内容なのに登場人物ひとりひとりに自分を重ねられる位、物語に引き込まれてしまいました。(勿論、当時の頃の人の本当の苦悩など分かるはずもないですが‥) 千葉潔のもっている暗黒の内面部分は なかなか解釈が難しく、 千葉潔がどういう気持で何故そうするのか?分かりたくて何度も読み返しましたが理解しきれませんでした。 まず、駒の婆さんが倒れ、千葉潔にあの絵は知っているか?と、聞くシーン。 そして千葉潔はなぜそのような返答をしたのか? 色々想定したがつまりは何の事をいっているのか? また千葉潔が死ぬ間際、 民江に何かを言おうとしたシーン。 最期に何を言おうとしたのか? 佐藤優の解説での 千葉潔がニヒリストになってしまった理由、ニヒリストは何故ケースバイケースなのか? イマイチ解説が曖昧だと思いました。 何度読んでも分からないので これらの解説が欲しいと思う位です。 内容が凄まじすぎて、 読み終わった直後は暫く ぽかーんとして、動けませんでした。 自分がどれ位内容を読み込めているのか 分かりませんが、本当に深い内容です。 これを35歳の若さで書き上げた高橋和巳、ただただ凄い。 自分の中の特別な一冊です。 | ||||
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高橋和巳は小松左京と京大時代からの盟友だった。高橋さんが1971(昭和46)年、つまりあの三島由紀夫とほぼ同じ時期に39歳で亡くなったあと、小松さんはその「観念性」や「大きすぎる問題意識」や「志」といったものを引き継いで、それをSFのかたちで大いに展開してみせた。そういう見方もできるんじゃないかと、以前からぼくは考えている。 裏返していうと、高橋和巳にはエンターテイナーとしての資質もあった。ことにこの『邪宗門』は、よい意味での通俗性にあふれていて、このたび約20年ぶりに繙いてみたら、読みやすさに面食らうほどだった。 それはもちろん、戦前~戦中~敗戦に至る時代を背景にしているんだから明るくはない。何しろ日本という国そのものが、いまのぼくたちには想像もつかないくらいビンボーな頃だ。しかも舞台となるのは国から弾圧を受ける新興宗教の教団なのだ。とうぜん全体の色調は(高橋さんの他の作品と同じように)暗いわけだが、その一方、わかりやすいキャラ設定(ツンデレ美少女も、陰のある美少年もいる)、起伏に富んだストーリー、力強い描写によって、ひとつの「世界観」がくっきりと描き出されている。ぐんぐん読めてしまうのである。 そのなかで、「政治」とは? 「宗教」とは? 「国家」とは? 「革命」とは? といった、およそ日本ブンガクには似つかわしくない壮大なテーマが、相互に縺れ合いながら血肉をもって脈打っている。たんに消費財としてオモロイというのではなくて、ずっしりと読み応えがあるわけだ。「火花」が芥川賞をとってしまう現在の日本文学シーンにおいて、純文学/エンターテインメント双方を含めて色々とタイトルを思い浮かべてみたのだけれど、これくらい重量感のある小説は、ぼくには思い当たらなかった。引き合いに出して申しわけないが、少なくともぼくには、村上春樹の『1Q84』の百倍くらい面白く思える。 『邪宗門』は、三島由紀夫の『豊饒の海』(新潮文庫)、野上弥生子の『迷路』(岩波文庫)、大西巨人の『神聖喜劇』(光文社文庫)、大江健三郎の『万延元年のフットボール』(講談社文芸文庫)などと並ぶ戦後日本文学の記念碑であり、遺産だと思う。長らく入手困難が続いていたが、高橋和巳とゆかりの深い河出書房新社によってここに蘇ったことは誠に喜ばしい。 | ||||
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戦前から戦後にかけて、新興宗教団体への、弾圧や苦悩に立ち向かう、宗教者たちの生きざまを描いた作品。 そのすべてにおいて、まるでノンフィクションのごとく、まるでその事実が歴史に残されているがごとく、 その場面、その人物の行動がとてもリアルに表現されている。 作者の知識及び文章表現力のすごさに脱帽。 上下巻を通して「暗い」。 だけど文学ってこの暗さが自らの人生を切り拓く糧となると思います。 最後の場面で、三代目教祖の千葉潔の自決(餓死)を追って自ら舌を切る堀江民江には、切なくて泣けた。 三島と同世代で、左巻きの作者だが、三島が彼だけは認めたという曰くには納得できる作品。 | ||||
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時代をよく反映された内容です。 弾圧後の「もしも歴史が」でしょうか。 読むのは3度目。 最後のほうの、主人公千葉潔と行徳阿礼の絶頂を見届けてから、最初から読み始めています。 流転、流浪する千葉の最後の傍らには。 高橋和巳は神経質で、ナルシストを演じているように感じました。 どこから来て、どこへ向かえば良いのかわからなくて、その過程で巨大な長編小説が生まれたのでしょうか。 「おおもと」がモデルですが、フィクションです。 この本から、出口王仁三郎防諜説が出てきたのでしょうか。 | ||||
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贈り物として贈呈。 もう廃盤のようで対大変喜ばれた。 状態も満足している。 | ||||
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40年ぶりに読み返しました。当時買った文庫本の文字が小さくて読みにくかったことからkindle版を買い直して読みました。スケールの大きな作品であることを再認識しました。 | ||||
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難しい内容だがとても読み応えのある本です。 同じ作者の「我が心は石にあらず」入手したいです。 | ||||
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以前にも読んだのですが、新版が出たので買いなおしました。 やはり、傑作です。 | ||||
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権力による戦前の宗教弾圧、大本事件をモチーフにした大河ロマン。全体は三部に分かれている。戦前の第一部、二部は史実にほぼ沿った展開と思われ、過酷な弾圧の経緯が具体的にわかるので、その興味だけでも読める。大部だが読みやすく面白い。 弾圧に曝されるのは「ひのもと救霊会」で、京都府内に本部があり、開祖は霊能者・行徳まさ、2代目教主はまさの養子・仁二郎。いずれも大本を連想させる設定と人名だ。開祖が神懸かり状態で書いた自動書記を「お筆先」と呼び、最高指導者を教祖と呼ばず「教主」とするのも同じ。 主人公・千葉潔少年が放浪の末に本部にたどり着き、教主の娘姉妹に出会うところから始まる第一部は、“世直し”を指向する教団が弾圧によって壊滅する経緯を描く。昭和前期という時代が浮き彫りされ、時代を主人公にした全体小説の趣がある。 第二部は対米開戦までの教団の苦闘が描かれる(大本弾圧の史実とは若干時間がずれる)。全国に離散した幹部信者のそれぞれを追うこの第二部で、日中戦争下の日本全体の状況が重層的に描かれる。 獄にいる父母に代わり教団指導を担った長女・阿礼も再度の弾圧に敗北・妥協し、禁教化された後も隠れキリシタン的に活動してきた教団は総動員体制に呑み込まれ、精神的に崩壊する。 第三部は終戦直後から始まる。 敗戦後の混乱の中で三たび権力の干渉を受けた教団は“神の国”を実現すべく武装蜂起するが、三代目の教主に指名された千葉潔や阿礼は敗北して壮烈に散り、病魔に冒された次女・阿貴は拘置所に取り残される・・・。 二部までは、教祖の墓を暴かれるなど、二回にわたって大弾圧を受けた大本の軌跡をなぞっているが、革命の夢を追ってナロードニキ的反乱の可能性を探った三部は完全なフィクション。宗教色がなく、大量の死を描いて救いのない終わり方だが、阿貴の復活が示唆されて物語としての余韻はある。 史実の出口王仁三郎は大変な霊能者だったらしいが、本作は宗教の本質の一つである超常的な奇跡や霊能に触れず、また武装蜂起の必然性が感じられないうらみはある。しかし昭和前期の日本がトータルに表現され、宗教・政治・成長・恋愛・戦争・革命・死とエンタテイメントの要素はそろっていて、著者の筆力がこの作品をA級作に仕上げている。解説がいう「宗教が本来持っている“世直し”の思想を極限化していったらどうなるかと実験した小説」の説明が納得できる。 | ||||
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最近(2014年8月)、河出文庫で出ていますが、内容に関してはこっちのカスタマレビューを参考にして下さい。 この新潮文庫版は、とにかく字が小さくて、部厚くて、最高です。 この新潮文庫版が出たのは、まだ読者の平均年齢が若いころで、字が小さかろうが、部厚かろうが、いとわなかったんですね。 おまけによく売れたというんですから、なおさらです。 | ||||
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1.阿礼は(当今の言葉で言えば)萌えキャラだ。ツンとした少女の行徳阿礼が、年月を経た小窪阿礼として デレる過程が小説の一番の見せ場だ。こんな言葉で評されることに泉下の著者は顔を顰めるばかりだろうが、 キャラクターの魅力が一番現れている。決して巧みな女性描写ではないが。 2.重苦しい。主題からして暗いエピソードが多くなるのは仕方がないが、臭いの描写が多く、生理的にきつ く感じた。笑いが少ないのも読みにくさを増している。これだけ読みにくい小説がかつてはベストセラーとし て、多くの読者に迎えられたということにちょっと驚く。 3.沈鬱な小説世界の中で少しだけ明るさがあるのは、旧制三高の寮生活を描いた短い断章だ。著者は確か松 江高校の最後の世代として、旧制高校のエートスを身体で知っていたと読んだことがある。 4.佐藤優の解説はよくない。通り一遍の美辞麗句に過ぎない。すぐ前のページにある高橋和巳の後書きを 長々引用しているなど、推敲が足りない(←あるいは編集者の怠慢。これは無駄だと指摘しなくては)。 佐藤優ではなく、原武史の解説を読んでみたかった。 | ||||
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まだ読み終わってはいないのですが。 自分の中ではとにかくもう「高橋和巳は文章がすごい」と思っているので。 心して読まねばと思うあまりにちょっと今は手が付けられなくて。 五分の一ページほど読みましたが、間があいたので今度また最初から読み直すつもりです。 あの人の文章、なんであんなに「すごい」んだろうな。 私は圧倒されます。 「うわぁ!それをこう表現するのか!」ってふうに、硬派っていうかなぁ。 他にはなかなかいないような、文章の書き手じゃないかと私は思うのですが。 さほど読書家ではないので、思い込みかもしれませんが。 | ||||
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