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歌うクジラ
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歌うクジラの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全45件 21~40 2/3ページ
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約110年後の日本をアナーキーに、そして「絶望的」に描いたSF。流刑地から脱出したタナカアキラなる少年が、悪夢のような苦難の旅を続けるという、手っ取り早くいえばそんなストーリーで、何よりその緻密で迫真の「未来世界」の描写に圧倒された。他のレビューにもあるように、確かに読みにくい箇所、グロ過ぎる場面もなくはないものの、ドライブ感あふれるプロットの連続展開はさすが。ラストにはどんでん返しがあるらしく、下巻への突入が楽しみになってきた。(ラストが「すべて夢だった」なんてことにならないように) | ||||
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つるんとした表装がグッド!本棚に飾っておくだけでも価値ありです。 | ||||
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村上龍の小説を読んでいると、 何となく、宮崎駿の作品を思い出すことがある。 本作も、 『未来少年コナン』や『風の谷のナウシカ』(映画ではなく漫画の、特に5巻以降) を思い起こした。 お二人のイメージは全く違うような気もするが、案外、世界観が近いのではないかと想像する。 特に本作の最終章。 僕の中ではナウシカが「賢人の思惑」を否定する場面と、強く重なった。 興味がある方は、『ナウシカ』7巻だけでも読んでみて欲しい。 さて本作であるが、 「歌うクジラ」などという美しいタイトルからは かけ離れた、エログロワールドが延々、展開する。 そういう類が嫌いな方は、まず避けられた方がよろしいかと。 物語自体、読みやすい・追いかけやすいものではないので、忍耐力のある人向け? もしくは、エログロに物怖じしない、私みたいな変態さんとか(やれやれ)。 この本を人前で、澄ました顔で読み続けるのも、なかなかスリリングというか、変態チックであるような気がしました。 まじめに考えれば、『AKIRA』とか『ターミネーター』とか、「ダークな近未来SF」的な社会派作品が好きな人なのかな? 繰り返しになるが、 「タイトルに釣られて、安易に手を出さない方がいいですよ」 ということは、言っておいた方が良い小説だと思います。 現実の会話で、この『歌うクジラ』という小説を話題にすることも、村上龍が好きな作家の一人であることを公言するのも、 はばかられる。 が、個人的には、かなり好きです。 物語のラスト。 主人公と読者は宙に放り出されますが、そこでの充実感が、並の作家ではないことを証明している。私はそう思います。 | ||||
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『歌うクジラ』村上龍(著) つい最近,村上龍の『55歳のハローライフ』をAmazonで購入した時に,偶然発見。 『えっ?2010年初版?えっ?知らないんですけど!』 と慌てて上下巻セットで購入しました。 検索したら,中古の美品が,送料込み1250円! しかも初版本! Amazon最高!! そこで問題(ジャジャン) 『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』『希望の国のエクソダス』『半島を出よ』 これらの村上龍作品に共通するのは何? (チッチッチッチッチッ・・・・・) これで,直ぐ答えが分かる人。 あなたは,相当コアな村上龍フリークです。 (ジャジャン)答えは・・・ ・ ・ ・ ・ ・ 『全て,日本の近未来,(あるいは,異次元の日本『五分後の世界』)が舞台になっている』 ということです。 他にも, 『日本が破滅に向かう過程を描いている』 とか 『破壊と創造が主題になっている』 とか 『主人公が結構カッコいい』(ボクの息子の名前は,『愛と幻想のファシズム』の主人公から頂きました) とかでも,正解としましょう。 村上龍の近未来を扱った小説は,執筆されたその時代ごとの世相や,その時代で認知されている事象,技術を題材に,緻密な取材に基いて舞台設定やストーリーが創られてます。 だから,まだ実現していない一見突飛な世界でも 『このまま進んでいけば,ひょっとしたら,本当に将来こんなことができるのではないか。』 とか 『今の政治家たちが,このまま権力を持ち続けたら,こんな時代が来るのではないか』 といった錯覚に陥るほどの圧倒的なリアリティーを持った作品ばかりです。 この『歌うくじら』 舞台は2122年,今から120年後の日本が舞台です。 2022年,ハワイの海底で,グレゴリオ聖歌を正確に繰り返し歌うザトウクジラが発見され,その遺伝子を培養し人間に注入すれば,不老不死になるということがわかった。 その遺伝子を誰に注入するのか? 世界中の時の権力者たちは,『将来人類が永遠に繁栄する道筋を造るため』という大義を掲げ,傲慢にも,人類に『最上流層・上流層・中流層・下流層・最下流層』などと階級をつけ,『上流層』から上の人間にその遺伝子を注入し,不老不死の生命を得ることによって,中流層以下の人類を支配していく。 そして,100年後の日本で,その遺伝子の巡り,ある少年の冒険が始まる。(すみません,これは,帯のコピーです) 未来の日本の風景や社会情勢,登場人物のキャラクタの解説などに,村上龍的な緻密な表現を用いた長いセンテンスが多く,わざと助詞を間違えた会話が出てきたりするので,読み進めるのに時間がかかります。 でも,冒険が始まってから,終わるまで,多分1日か2日の物語なので,全体のストーリーにスピード感があり,最後まであっとい言う間に読み進んでしまいました。 最後に, 『ええええ!!!!!』 というどんでん返しがあって,終わるのですが,これは,多分賛否が別れる結末だと思います。 まあ,村上龍の作品は,大体そうですけどね。 村上龍作品を読んだことがない人。 ちょっと,とっつきにくいかもしれませんが,SFが好きなら,お勧めです。 すでに『歌うクジラ』を読み終えた方。 ぜひ,感想を聴かせてください。 長い感想文でしたが,最後まで読んでいただいた方。 お付き合いいただき有難うございました。 | ||||
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「歌うクジラ」は、坂本龍一の音楽をページの中に織り込みiPad向けに先行発売された。内容は「2022年のクリスマスイブ、ハワイの海底で、グレゴリオ聖歌を正確に繰り返し歌うザトウクジラが発見された。そして100年後の日本、不老不死の遺伝子を巡り、ある少年の冒険の旅が始まる。」というなんとも神秘的で、それだけでも想像を掻き立てられるような説明が頭の片隅に残っていて、本屋で手にとった瞬間に買おうと思った。しかも村上龍ならいつもながら面白い展開にしてくれるだろう、という期待も込めて。 が、ある意味裏切られた。 ザトウクジラなんてほとんど出てこなく、物語は少子化による移民受け入れによって混沌とし、文化経済効率化運動と最適生体理念に基づき、上・中・下階層の居住地区に分かれ、社会的階層によって話し方や生活レベル、治安も異なる今から110年後の日本。歌うクジラから発見されたという不老不死の分子、SW遺伝子によって永遠の命を手に入れた上層階の裕福な人々、そのSW遺伝子の研究によって寿命を急激に縮め数日で死に至ることが可能とされ、犯罪者を処罰するために使用されているテロメア切断。 15歳のアキラは九州北西部の新出島の最下層社会に住む少年。父はデータベース管理の仕事を通して入手したSW遺伝子の秘密を知ったためにテロメア切断により処刑される。父の死の直前に、アキラはSW遺伝子の秘密が入ったデータを足に埋め込こまれ、父の遺言であるそのマイクロチップをある人物に届けるために新出島を出て旅をする。 最下層の新出島から中階層の本土に行くだけでも、厳重に管理された社会階層間を行き来するのは至難の業。クチチュと呼ばれる突然変異で耳の後ろの穴から神経毒を垂らすサブロウさん、反乱移民メンバーの子孫のアンと旅を続ける。 理想郷(ユートピア)を築くことによって崩壊するデストピアの世界。階層間を移動しながらアキラが目にする残酷で絶望的な社会。ある意味ジョージ・オーウェルの「1984」にも似た全体主義国家によって分割統治された社会に対する焦慮が描かれているのかと思いきや、「出会い」の素晴らしさと「生きる」ことが主題の物語だ。そんな青春小説に出てきそうなテーマに辿り着くまでに、いつもながら過激な暴力シーンや性描写があるのはやはり村上龍らしい。 | ||||
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コンラートローレンツ「攻撃」+「脊椎動物の進化」+ 今西生物学 + 柄谷「日本近代文学の起源」 + 岸田秀「ものぐさ精神分析」。SW遺伝子のオリジンとしてがクジラを登場させたのもそれが究極 の脊椎動物だからか。このあたりのエッセンスはすでに20年前の「EV Cafe」の延長で(なので、 電子版に教授が音をつけたのもうなずける。)、でもだからといって読むに足らないというわけではない。 いつもどおりの村上龍クオリティの大作で楽しめるし、やはり少なからず人類の行く末を予言している。 だけどファンにとっては、やはりどこかで「いつもどおり」という感じもするので、星4つか。 | ||||
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幽遊白書のうらめし幽助、ドラゴンボールの孫悟空にはなくて、この歌うクジラの主人公にはあるもの、それは想像力。 幽助や悟空は、決定的な危機感の欠如によって仲間を失う場面があった。 戸愚呂弟に殺されかけた桑原、フリーザに殺されたクリリン。 彼らの犠牲があって初めて、自分たちの追い込まれている状況を理解できたのだ。 歌うクジラの主人公はあらゆる場面で想像力を働かせて、仲間や自分をピンチから救い出そうとする。危機的状況において何が最善/最悪のシナリオとなるのか、を想像できる力がある。 その想像力のおかげで、彼は何度も窮地を脱して次のステージへと向かっていく。 この小説を読むメリットの1つは、想像力を養わせてくれることです。 | ||||
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人間と社会を、生物学と社会学の両面から考察しつつ、黙示録的に次々と場面を展開させている。 下巻の方が、上巻よりも物語の方向性が見えてきて、読みやすかった。 大どんでん返しもあるし、上下巻通読するとそれなりに納得できる。 だけど、やっぱり少々高みから見すぎている感じ。登場人物に感情移入できない。 世界を丸ごと描写しようという試みは、いくら村上龍でもやや手に余った。 | ||||
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22世紀の未来社会が舞台とはいえ、SF者と呼ばれる人が読んでムラムラするほどSFマインドに満ちているかは、SF者じゃない自分にはわかりませんでした。あてずっぽで言えば、「一般映画ファンが観るハリウッドSF」ぐらいの濃さだろうか・・・?。昔からの読者は、あ、これはあの作品の何々じゃないかと思う過去の村上龍作品の「あれこれ(人、物、事)」が、勿論そのまんまの姿、名前ではないですが、いっぱい出てきます。それがファンサービスなのか、それとも新たなレパートリーを付け加えるのは不毛で徒労で非本質的と考えたのか、いやそもそもそういうことにまったく頓着しない人なのか、自分にはわかりませんが、何か総まとめっぽくて感慨がありました。読者に何を伝えたかという核心部分については、過去の氏の著作と比べて何逍レ新しいものはないです。自分は「またか」と思いましたが、大切なことを「またか」と反応してしまう自分のほうが問題があるのではなかろうか、と、妙に真面目な気持ちにさせられる・・・村上龍の小説にはそういう性質もあると考えます。あと、このlの言葉を厳密に選んで読者の感じ入る部分を狙い撃ちする腕は健在です。「お話」としての「歌うクジラ」について言えば、レビュアー諸氏の書かれたとおり、コンスタントにエログロがてんこ盛りで、描写が残酷だから読む自分の気持ちを乱され、不快にさせられたり、ときに緊張を強いられたりもしましたが、涙も感動もちゃんとありました。マイナス点は、上下巻で700ページはちょっと長い、ある人物が最初と最後でキャラが違うように感じてちょっと訝しい、そんなとこです。(下巻まで読んだ感想です) | ||||
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まだ上巻しか読み終わっていませんが、村上龍集大成というよりベストアルバム、という表現の方が僕的にはしっくりしてます。 と、コインロッカーベイビーズへのリベンジなのかな、とも感じました。 下巻、楽しみだ。 | ||||
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村上龍の作品はよく読んでいます。今回は読むのが少しきつかったけれど、「移動」をテーマにした挑戦に拍手です。 | ||||
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現在政府が通そうとしている国民総背番号制から人体埋込型マイクロチップ(ベリチップ、ペット用は既に実用化 などは、ヨハネの黙示録で言う獣の刻印だ。まずペットで人体埋込型マイクロチップは便利だと宣伝し、 最終的にマイクロチップのインプラントがない人は何のサービスも受けられなくなる世界を本気で目指している 人達が、空想の世界でなく現実に存在している。人間は、そこまで無知無能ではないだろう。 村上氏も、300人委員会などの陰謀論を読んで、本書の構想を練ったのだろうか?一流の作家が、 人体埋込型マイクロチップが実現化した近未来を描こうとした勇気は賞賛に値するだろう。 小泉政権が実現化した労働者派遣法によって、不況の時は何時でも首切りから、労務費の変動費化、 さらに新たなる貧困層の創出、格差社会が日本に実現した。 この本では、格差社会の究極の世界、下層、中層、上層の重層構造、上層者にはsw遺伝子で不老不死、 下層の者には薬剤を混ぜた棒食とsw遺伝子を悪用した急速な老化政策。急速老化に苦しむ親父か らsw遺伝子の秘密を託してアキラが旅立っていく。競争に敗れた屑は、排除してかまわない ゴミであり、奴隷にしてもかまわない。この本は、一部の支配者層による人類総家畜化、 奴隷化の未来を描いたものだ。アキラは奴隷化された人間を救うことが出来るのか。 | ||||
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毎回の事ですか村上龍の小説は精神的にも体力的にも読むのにかなり消耗する。ただが小説で普通ならあり得ない。 一歩間違えると大変な事になりかねないというスレスレのところで読んでいる感じがする。そのくらいヤバい。 そういった意味で村上龍の小説は世界的にも過小評価されているのではないかと思う反面仕方が無いという気がしてしまうのも事実。 テレビで見る現実の村上龍さんがすごく紳士でまともな人物という事が大衆的にも大きく知れ渡っているって事でで発表が許されているって気がするぐらい。 夢野久作の小説にも似ていますがような狂人の書いた小説のような紙一重の危なさ。 今回の歌うクジラ(上)は今までの作品に比べても特にその部分が顕著に表れている気がしました。 「5分後の世界」なども悪夢の中を彷徨う感はあるにしても主人公や登場人物がまともで共感できる設定であったのに対して本作は登場人物の生い立ちや描写も理解を超える設定で「自分」の焦点(共感度)をどこにも合わせられない身の置き場のなさを感じる。 旅に出るという設定で「イビサ」も彷彿させるがグロテスクながらも詩的な美しさが前面に出ていた「イビサ」に対してむき出しのグロテスクという感じで正直キツイ。 唯一、島から逃走する場面はカネコアツシの漫画の場面を彷彿させ現代的SF作品ののりで書かれていましたがそれ以外の場面頭に浮かんだのは非現実の王国を描いた「ヘンリー・ダーガー」の世界です。 「ヘンリー・ダーガー」の様な狂人が書いたものを読んでいるってそんな印象の作品でした。 | ||||
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「神曲」や「ファウスト」のような、「電子書籍時代の神話」とでもいうべき、壮大な物語構造をもった作品。 下層、中層、上層の重層構造となった近未来の日本を巡る15歳の少年の旅。 ただし、地獄、煉獄、天国をたどり、最後にハッピーエンド(救済)が待っている「神曲」の予定調和的な世界観とは全く異なる。 上層が下層に比べて幸福なわけではなく、本作品で描かれているのは、徹底して精神の病にむしばまれ、絶望と閉塞感にうちひしがれた世界。 エンディングに示されたのは、かすかな希望なのか?それとも諦念なのか? とてもフェティッシュで、眼前に映像が浮かんでくるような緻密な描写に圧倒される。 | ||||
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村上龍の活字における強度は相変わらずで嫌が応でも読まされてしまう力があり これまで読んだ作品はどれもぶっ通しで読了していたけれど 本作は読了するまで10日程要した。読み進めるうち徐々に この小説全体から伝わってくるものの内部というか一部に嫌な、 受け入れたくないものが潜んでいる気がして読み進むことを自分が恐がったというのがその理由。 読了後の喪失感は大仰すぎる実生活に多少影響をきたす程だった。 その後、少しづつ自分に伝わったことを整理し直し 自分なりに言葉にしてみようかとトライした結果こうなった。 クジラが歌おうが歌わまいがそれはクジラが勝手に決めることじゃん クジラは人間から一方的に決められたメロディーをおしつけられるのは まっぴらゴメンねって知るかってなかんじなんだろ 歌うんだったら好きなメロディーを自由に歌うんだろ 人間だって同じだろ それぞれが好きなメロディー歌えばいいんだ つーか好きなメロディーみつけだして歌うしかないじゃん 誰も教えることができなくなっちゃったんだから 誰かと合唱しよ 独りでも歌お 別に歌わなくたっていいし 心臓が動いてればそれが音楽になるから 死なずに歌え 好きにしろよい | ||||
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ストーリーに付いては他の方のレビューを参考にしてみてください。 「半島を出よ」を読んだ方なら想像できるかもしれませんが、著者のスリリングな緊張感を読み手に与える描写力がたいへん素晴らしく、 特に戦闘シーンや、主人公が危機的状況に陥った場合に、読み手の鼓動が早くなり、不安になりながらもページをめくる手が止まらなくなるような (いわゆる)エンターテインメント性の非常に強い、良い作品だと思います。個人的には読み応えもあって好きな小説です。 ですが、不潔で醜悪な描写、残酷な表現、映像や画像では間違いなく規制が入るであろう表現が次々出てきます。著者の抜群の描写力でもって 鮮明にイメージさせられるので、なかなか精神にきます。これをエンターテインメントだとサラリと流せる人は良いのかもしれませんが、 内容的に児童ポルノや幼児虐待に触れるような表現も含まれており、その状況をイメージするだけで後々まで暗い気分を引きずる結果にもなりかねません。 著者のファンで、メール配信のJMMを購読していますが、日本の将来を憂いる社会派である著者が、どうしてここまで残虐で(ストーリーとしては一部ながら) 反社会的な状況を描写するのだろう、というところに興味が湧きます。社会的影響は考えず小説はあくまでも娯楽として割り切っているのでしょうか。 だからといって安直に規制すべきと論じているわけではありません。あくまで個人的な興味の範疇での話です。 | ||||
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村上龍氏は、真面目で本気だ。これまでと同様に。これはSFだろうか? むしろ、SFというジャンルを消滅させたのではないか? いいかえれば、この作品の登場は、それを境にしてSFという独立したジャンルが消滅した記憶すべき歴史的地点を記しているのではないか? この作品の核心のアイディアは、技術と思想と社会が不可分なシステムとして、100年後というより、はるかに早期に実現するだろう。 すでに報道されている事実に以下のものがある。[1]監視する薬=マイクロチップが埋め込まれた錠剤の承認が間近である。[2]マウスの胚と卵母細胞(卵子)に、シリコンで作られた微細なバーコードを付着させる固体識別システムが開発されている。研究者たちはもうすぐ、このシステムを人間の胚と卵母細胞で試す。 この小説で描かれた、ハイテクノロジーで武装した極度の階層社会は、近似的な形ではあれ、その骨格においてすでに存在しているのではないか? もちろん村上龍氏は、そのことに気づいている。だから彼は、これからも書き続けるだろう。しかし、不断の努力によって得た知見から生まれる悪夢それ自体は小説世界として提示することで、彼は、その世界をも超える想像力に賭けることができる。そして、真摯に私たちに呼びかけることも。たしかに、それは稀有なことだろう。 この作品から感じることは、村上龍がいつまで書き続けられるのかは、私たちにとっての臨界点だということだ。もし彼が書けなくなったとき、読者はそれに耐え、みずからの創意工夫で、なお生き延びることができるだろうか? | ||||
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「五分後の世界」や「イビサ」のような冒険小説で、村上龍ならではの緻密かつスピード感のある描写にとり憑かれてしまった。 そして、ラストシーンが凄い。 作品やエッセイにて村上龍が何度も強調してきた、「死んではいけない」「自分の中には何もない、あるのは他者との関りだけだ」「いかに自意識から自由になるか」といった主張を、*全く新しい形で*表現されていた。 | ||||
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久々の長編を堪能しました、村上龍なりのリサーチによって構築された日本ひいては世界の未来像を垣間見せてくれる大変面白い物語でした、長過ぎるとかグロが多いとかうまく咀嚼して村上龍の世界を味わわないともったいないです | ||||
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本作品は久しぶりの村上龍さんの小説です。主人公が敬語使いという役なのが何か意味深く感じました。 敬語は使う人 使われるものにいい悪いではなく何かしらの影響を与えます。 小説家である村上龍は言葉を扱う仕事である為に、すごくその点について意識的なのではないか。と思えました。下巻においてその主人公の設定がどういう役割を持つのか楽しみです。 | ||||
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