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黒い墜落機
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【この小説が収録されている参考書籍】
黒い墜落機の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.62pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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週刊誌「宝石」に連載された「流星の墓」に加筆改題して、1976年2月に光文社から単行本化されて出版された作品です。茨城県百里基地よりスクランブル発進したF-4FJファントムが交信を絶って30分経過したという緊迫したシーンから、この話は始まります。 その話と並行して見坊商事の御曹司で将来、見坊商事の大屋台を背負う見坊利道と見合い結婚した水橋真紀子との夫婦生活の話を進めます。真紀子は誰からも羨ましがられる玉の輿結婚をしたものの、いざ夫婦として生活してみると、夫の異常性愛を知ることになり苦悩します。どんな異常かは、本書をお読み下さい。 こんな日常と非日常の話を並行し、一切二つの事が絡みあう事がなく思える話の始まりなのですが、後々この二つの話が巧妙に交わり合ってきて、この二つが対立する構造になるのです。ここに、森村氏の筆力の見事さを感じました。 真紀子は長男、利也が小学校に入ると担任の反町重介に家庭の悩みを相談するようになります。反町は有能な教師でしたが教育委員会やPTAからの圧力に嫌気がさし、教育方針の違いなどで悩んでいました。 そんな時に真紀子から相談を受け、話し合っている間に互いに愛を感じ始め、反町は学校を、真紀子は家庭を飛び出してしまうのです。反町は真紀子を連れ、かつて南アルプスの仙丈岳を登った帰途に寄った「風巣」という寂しく素朴な村を思い出し、そこで二人だけの束の間の休息の時間を過ごそうと考えました。 一方、埼玉県入間基地は、訓練中のF-4FJが交信不能になり異常な緊張になかにおかれていました。同機は高性能な飛行を可能にして最先端の武器が搭載可能で、更には一般には公表されていないが核弾頭をも搭載出来る極秘のジェット戦闘機だったのです。 反町と真紀子が落人部落の「風巣」で隠棲の時を過ごしている時、谷あいの山の方から大きな爆発音が鳴り響きました。二人は勿論、ふだんのんびりしている村人も、何事があったのかと家を飛び出してみると、そこには山中に木々を薙ぎ倒し、山肌を削り取り銀色に輝く飛行体が墜落していたのです。 それと同じ頃、自衛隊の首脳も極秘訓練中の戦闘機が行方不明となり田舎の山中に墜落した事実を知ることになります。そして彼らが最も危惧したのは乗員の生命ではなく、その事故が公になり核弾頭搭載可能な戦闘機の存在が公になってしまう事だったのです。 そして自衛隊首脳が考えた事は、この事故を隠滅しまうことでした。それは、何言おう、事故機を含め墜落した場所の村ごと村人ごと抹消してしまおうというで、おおよそ普通の人間では考えもしない手段でした。 その全村全民抹消計画「サルビア作戦」とは、大規模な人口雪崩を起こして村のあった地域の人、物すべてを抹消してしまう計画であったり、近くから湧き出る温泉の有毒ガスを使い、事故死に見せかけ村人を全員殺害してしまおうという計画であったり、本来、国民を守る立場にある人間としては考えられないような極悪、卑劣な作戦だったのです。 反町や真紀子をはじめ村人たちは、墜落したジェット機のパイロットを助けに行きますが、本来、助けに来るはずの自衛隊の救助隊が来ません。それどころか、ふだんは全く雪崩の心配も無いところから村として存在していたはずの風巣に大規模な雪崩が起きたり、はるか離れた温泉の有毒ガスの匂いがするに至って、自衛隊が自分たちを抹消しようとしている事実に気が付きます。 ここからは本書の読み処です。屈強な体力と強力な武器を持つ自衛隊員と、何も武器を持たない風巣の人々が蟷螂之斧を振りかざして、その強大な力を持つ組織に立ち向かいます。本来国民を守る立場の組織のはずが、自分たちの保身のために国民を抹殺しようとするのですから情けないやら恐ろしいやらです。 森村氏は、物語の最後に、反町と真紀子や村人たち、自衛隊で指揮をとった首脳、実際に作戦を実行した隊員たち、どの人も幸せな結末にせずに物語を終わらせています。森村氏は、自衛隊は国民から認められていない組織だと否定しています。しかし古くは日航機の御巣鷹山での墜落時、阪神淡路大震災、東日本大震災、北陸地方での大震災など、更には強風雨による河川の氾濫などによる自然災害と、日本は常に災害が起こる国で、そのたびに自衛隊員が出動し救助にあたっている姿を見ると親しみを感じます。 日ごろ訓練で鍛えた屈強な隊員たちも、過酷な救出作業で疲れ果てている姿を映像で見ると如何に過酷な作業なのかと想像を超えて応援していました。 しかし悲しい事に、たった一人の狂った指導者が、そのトップに立った時、あの善良な隊員たちが間違った方向に導かれてしまうという危険な可能性があることを、森村氏は本書で言いたかったのではないのかと思いました。後の作品「野生の証明」でも自衛隊のレインジャー隊員が非日常な訓練によって精神に異常を起こし街へ入り問題を起こす作品を書いています。とても考えさせられる一冊でした。 | ||||
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週刊誌「宝石」に連載された「流星の墓」に加筆改題して、1976年2月に光文社から単行本化されて出版された作品です。茨城県百里基地よりスクランブル発進したF-4FJファントムが交信を絶って30分経過したという緊迫したシーンから、この話は始まります。 その話と並行して見坊商事の御曹司で将来、見坊商事の大屋台を背負う見坊利道と見合い結婚した水橋真紀子との夫婦生活の話を進めます。真紀子は誰からも羨ましがられる玉の輿結婚をしたものの、いざ夫婦として生活してみると、夫の異常性愛を知ることになり苦悩します。どんな異常かは、本書をお読み下さい。 こんな日常と非日常の話を並行し、一切二つの事が絡みあう事がなく思える話の始まりなのですが、後々この二つの話が巧妙に交わり合ってきて、この二つが対立する構造になるのです。ここに、森村氏の筆力の見事さを感じました。 真紀子は長男、利也が小学校に入ると担任の反町重介に家庭の悩みを相談するようになります。反町は有能な教師でしたが教育委員会やPTAからの圧力に嫌気がさし、教育方針の違いなどで悩んでいました。 そんな時に真紀子から相談を受け、話し合っている間に互いに愛を感じ始め、反町は学校を、真紀子は家庭を飛び出してしまうのです。反町は真紀子を連れ、かつて南アルプスの仙丈岳を登った帰途に寄った「風巣」という寂しく素朴な村を思い出し、そこで二人だけの束の間の休息の時間を過ごそうと考えました。 一方、埼玉県入間基地は、訓練中のF-4FJが交信不能になり異常な緊張になかにおかれていました。同機は高性能な飛行を可能にして最先端の武器が搭載可能で、更には一般には公表されていないが核弾頭をも搭載出来る極秘のジェット戦闘機だったのです。 反町と真紀子が落人部落の「風巣」で隠棲の時を過ごしている時、谷あいの山の方から大きな爆発音が鳴り響きました。二人は勿論、ふだんのんびりしている村人も、何事があったのかと家を飛び出してみると、そこには山中に木々を薙ぎ倒し、山肌を削り取り銀色に輝く飛行体が墜落していたのです。 それと同じ頃、自衛隊の首脳も極秘訓練中の戦闘機が行方不明となり田舎の山中に墜落した事実を知ることになります。そして彼らが最も危惧したのは乗員の生命ではなく、その事故が公になり核弾頭搭載可能な戦闘機の存在が公になってしまう事だったのです。 そして自衛隊首脳が考えた事は、この事故を隠滅しまうことでした。それは、何言おう、事故機を含め墜落した場所の村ごと村人ごと抹消してしまおうというで、おおよそ普通の人間では考えもしない手段でした。 その全村全民抹消計画「サルビア作戦」とは、大規模な人口雪崩を起こして村のあった地域の人、物すべてを抹消してしまう計画であったり、近くから湧き出る温泉の有毒ガスを使い、事故死に見せかけ村人を全員殺害してしまおうという計画であったり、本来、国民を守る立場にある人間としては考えられないような極悪、卑劣な作戦だったのです。 反町や真紀子をはじめ村人たちは、墜落したジェット機のパイロットを助けに行きますが、本来、助けに来るはずの自衛隊の救助隊が来ません。それどころか、ふだんは全く雪崩の心配も無いところから村として存在していたはずの風巣に大規模な雪崩が起きたり、はるか離れた温泉の有毒ガスの匂いがするに至って、自衛隊が自分たちを抹消しようとしている事実に気が付きます。 ここからは本書の読み処です。屈強な体力と強力な武器を持つ自衛隊員と、何も武器を持たない風巣の人々が蟷螂之斧を振りかざして、その強大な力を持つ組織に立ち向かいます。本来国民を守る立場の組織のはずが、自分たちの保身のために国民を抹殺しようとするのですから情けないやら恐ろしいやらです。 森村氏は、物語の最後に、反町と真紀子や村人たち、自衛隊で指揮をとった首脳、実際に作戦を実行した隊員たち、どの人も幸せな結末にせずに物語を終わらせています。森村氏は、自衛隊は国民から認められていない組織だと否定しています。しかし古くは日航機の御巣鷹山での墜落時、阪神淡路大震災、東日本大震災、北陸地方での大震災など、更には強風雨による河川の氾濫などによる自然災害と、日本は常に災害が起こる国で、そのたびに自衛隊員が出動し救助にあたっている姿を見ると親しみを感じます。 日ごろ訓練で鍛えた屈強な隊員たちも、過酷な救出作業で疲れ果てている姿を映像で見ると如何に過酷な作業なのかと想像を超えて応援していました。 しかし悲しい事に、たった一人の狂った指導者が、そのトップに立った時、あの善良な隊員たちが間違った方向に導かれてしまうという危険な可能性があることを、森村氏は本書で言いたかったのではないのかと思いました。後の作品「野生の証明」でも自衛隊のレインジャー隊員が非日常な訓練によって精神に異常を起こし街へ入り問題を起こす作品を書いています。とても考えさせられる一冊でした。 | ||||
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週刊誌「宝石」に連載された「流星の墓」に加筆改題して、1976年2月に光文社から単行本化されて出版された作品です。茨城県百里基地よりスクランブル発進したF-4FJファントムが交信を絶って30分経過したという緊迫したシーンから、この話は始まります。 その話と並行して見坊商事の御曹司で将来、見坊商事の大屋台を背負う見坊利道と見合い結婚した水橋真紀子との夫婦生活の話を進めます。真紀子は誰からも羨ましがられる玉の輿結婚をしたものの、いざ夫婦として生活してみると、夫の異常性愛を知ることになり苦悩します。どんな異常かは、本書をお読み下さい。 こんな日常と非日常の話を並行し、一切二つの事が絡みあう事がなく思える話の始まりなのですが、後々この二つの話が巧妙に交わり合ってきて、この二つが対立する構造になるのです。ここに、森村氏の筆力の見事さを感じました。 真紀子は長男、利也が小学校に入ると担任の反町重介に家庭の悩みを相談するようになります。反町は有能な教師でしたが教育委員会やPTAからの圧力に嫌気がさし、教育方針の違いなどで悩んでいました。 そんな時に真紀子から相談を受け、話し合っている間に互いに愛を感じ始め、反町は学校を、真紀子は家庭を飛び出してしまうのです。反町は真紀子を連れ、かつて南アルプスの仙丈岳を登った帰途に寄った「風巣」という寂しく素朴な村を思い出し、そこで二人だけの束の間の休息の時間を過ごそうと考えました。 一方、埼玉県入間基地は、訓練中のF-4FJが交信不能になり異常な緊張になかにおかれていました。同機は高性能な飛行を可能にして最先端の武器が搭載可能で、更には一般には公表されていないが核弾頭をも搭載出来る極秘のジェット戦闘機だったのです。 反町と真紀子が落人部落の「風巣」で隠棲の時を過ごしている時、谷あいの山の方から大きな爆発音が鳴り響きました。二人は勿論、ふだんのんびりしている村人も、何事があったのかと家を飛び出してみると、そこには山中に木々を薙ぎ倒し、山肌を削り取り銀色に輝く飛行体が墜落していたのです。 それと同じ頃、自衛隊の首脳も極秘訓練中の戦闘機が行方不明となり田舎の山中に墜落した事実を知ることになります。そして彼らが最も危惧したのは乗員の生命ではなく、その事故が公になり核弾頭搭載可能な戦闘機の存在が公になってしまう事だったのです。 そして自衛隊首脳が考えた事は、この事故を隠滅しまうことでした。それは、何言おう、事故機を含め墜落した場所の村ごと村人ごと抹消してしまおうというで、おおよそ普通の人間では考えもしない手段でした。 その全村全民抹消計画「サルビア作戦」とは、大規模な人口雪崩を起こして村のあった地域の人、物すべてを抹消してしまう計画であったり、近くから湧き出る温泉の有毒ガスを使い、事故死に見せかけ村人を全員殺害してしまおうという計画であったり、本来、国民を守る立場にある人間としては考えられないような極悪、卑劣な作戦だったのです。 反町や真紀子をはじめ村人たちは、墜落したジェット機のパイロットを助けに行きますが、本来、助けに来るはずの自衛隊の救助隊が来ません。それどころか、ふだんは全く雪崩の心配も無いところから村として存在していたはずの風巣に大規模な雪崩が起きたり、はるか離れた温泉の有毒ガスの匂いがするに至って、自衛隊が自分たちを抹消しようとしている事実に気が付きます。 ここからは本書の読み処です。屈強な体力と強力な武器を持つ自衛隊員と、何も武器を持たない風巣の人々が蟷螂之斧を振りかざして、その強大な力を持つ組織に立ち向かいます。本来国民を守る立場の組織のはずが、自分たちの保身のために国民を抹殺しようとするのですから情けないやら恐ろしいやらです。 森村氏は、物語の最後に、反町と真紀子や村人たち、自衛隊で指揮をとった首脳、実際に作戦を実行した隊員たち、どの人も幸せな結末にせずに物語を終わらせています。森村氏は、自衛隊は国民から認められていない組織だと否定しています。しかし古くは日航機の御巣鷹山での墜落時、阪神淡路大震災、東日本大震災、北陸地方での大震災など、更には強風雨による河川の氾濫などによる自然災害と、日本は常に災害が起こる国で、そのたびに自衛隊員が出動し救助にあたっている姿を見ると親しみを感じます。 日ごろ訓練で鍛えた屈強な隊員たちも、過酷な救出作業で疲れ果てている姿を映像で見ると如何に過酷な作業なのかと想像を超えて応援していました。 しかし悲しい事に、たった一人の狂った指導者が、そのトップに立った時、あの善良な隊員たちが間違った方向に導かれてしまうという危険な可能性があることを、森村氏は本書で言いたかったのではないのかと思いました。後の作品「野生の証明」でも自衛隊のレインジャー隊員が非日常な訓練によって精神に異常を起こし街へ入り問題を起こす作品を書いています。とても考えさせられる一冊でした。 | ||||
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映画化できそうな内容 雪山に墜落機に自衛隊とかなり燃える展開 村人と自衛隊の必死の攻防があつい! MASTERキートンの最終巻を彷彿とさせます あまり知られていない本作ですが 一度は読むことをオススメします うまくまとめてある一本です | ||||
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