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夜は短し歩けよ乙女
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夜は短し歩けよ乙女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.90pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全112件 61~80 4/6ページ
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森見作品で最初に読んだ本です。 正直世界観がわからなかったです…。 面白さがわからない…。 | ||||
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面白かったというレビューも少なくないが、自分にはまったくそのよさがわからない。 読み始めて38ページでギブアップ。もう少し読み進めれば面白くなったかもしれない が、読みたい本が他にもある状況では時間の無駄と判断。 過去にさまざまな小説を何百冊も読んできたが、途中で挫折したのはこの本が 初めてである。 | ||||
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何が面白いのか全くわからない。 こんなに読み進めるのが苦痛な作品は初めてです。 どんなにつまらない作品でも、頑張って読む方ですが、これに関しては無理でした。 無理してちゃんと読んだのは1章の途中まで。 文体も癖がありすぎるし、何の盛り上がりもありません。買わなきゃよかった。 | ||||
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本屋大賞第2位ということなので、大衆向けての作品だとは思っていました。それなりに覚悟して、またかなり我慢して半分近くまで読みましたが、さすがに読み切れませんでした。あまりの、ひどさに。 20歳のある女性が、ある本を指して、「これは事実に基づいた本ですか?」と訊かれたことがあります。その時、ちょっと不思議な想いをしたのですが、「事実に基づいているかどうかが大切なのではなく、書かれた内容が問題だと思います」と答えたことがあります。今、考えると、あの女性が質問された気持ちが十分に分かりました。真摯に生きようとする彼女には、この種の小説を〈読む〉ことは無意味だったのです。 また、米原万里さんが、ソ連時代からロシアになると、人々の読書傾向が変わったと書かれていたのを思い出しました。確か、意味するところは、大衆は易きに流れるということでした。もちろん、わたしも大衆の一人です。ですから、この言葉を常に肝に銘じています。易きに流れると、ひどい結果になるからです。 そこで、本屋大賞ということも考えさせられました。まぁ、昔言われた通俗小説ということで、◯◯な娯楽小説の大賞ということなのでしょう。それは、指標となるものを見れば、分かることですが……。 さて、本書を途中まで読んだ感想としては、この書き方に、作者の戦略を感じました。あくまでも大衆を対象とし、その見返りを得ることが目的。ですから、この作品には、人間と社会への真摯な想いはなく、あくまでも、お金もうけの道具と化した観があります。とにかく、内容は大衆が理解できる程度のもので、大衆がおもしろく感じるものを書く。それが、すべて、といった印象を受けました。〈本を読む〉こととは何か?を、ある意味では、もう一度教えてくれた本かもしれません。もちろん、反面教師の意味で、ですが。 この作者は、きっとフウイヌム国にいる、あの生き物が進化したものではないか、と思ったりしたものです。そして、もちろん、読み終えられなかった本は、しかるべき場所に処理しました。 時間は、ムダに使わぬことです。読まなければならない本は、たくさんありますから。 【追加 8/7】 十分に感想を書ききれていなかったので追加しておきます。 もちろん、読み切ったものではないので、なぜ、わたしは読み終えることができなかったか、を探った個人的な感想です。 読書の途中で、この小説の仕掛けが気になりました。 まず、祗園などといった古都のイメージをもつ京都らしさを素材にして、それに若者の恋愛を加味する、そのことで、読者の関心事は2つになる。それから、それまでの古都のイメージに荒唐無稽なものを持ち込む、それで、たとえば祗園のイメージを変容させる。これまでの既知の京都から異界の京都へと、読者をひきずり込む――つもりだったのでしょう。ですから、主人公は、ほとんど、その世界を展開させるための役割を果たすにすぎない存在です。不幸なことに、本書を読むわたしの中には、森見氏が意図した異界の京都ではなく、まずい書き割りに、マリオネットがあるだけでした。(これは、わたしが読んだところまでの印象です)。 ところで、一般に、良書というものは、読者との静かな対話を求めるものだと思います。中には、ついつい徹夜してまで読んでしまった、という本もあります。それは読者の心を何処へ連れ去ってしまうからでしょう。しかし、良書は、読み終えてしばらく時間がたつと、そのいた場所をそっと教えてくれます。しかし、森見氏の本書は、何処へ連れていくのでしょうか? この小説は、読者をある種の渦の中に巻き込むだけではないでしょうか?(再度書きますが、わたしが読んだところまでの印象です)。こんなことを考えさせられている、わたしには、ハンス・ペーター・リヒターの『あのころはフリードリッヒがいた』が思い起こされました。リヒターの物語に少し触れてみます。 この物語は、ご存知の方が多いと思いますが、ヒトラー政権下でのユダヤ人差別・虐待などを描いたものです。その物語の中にある「ポグロム」の章が、わたしに浮かんだのです。 この物語の主人公は、学校からの帰り途(みち)にユダヤ人の見習い工の寮へ向かう人たちに出会います。そして、物見高い人たちも、おおぜい、その後からついていくことになります。はじめは、寮の前にただ突っ立っていただけの人たちが、しだいに声高になっていく。「開けろ!」 そして、誰かがののしり始める。ついにはドアを突き破ろうとする。ドアに身体をぶつける人間の数が増えていき、主人公も、いつのまにかドアを突き破ろうとする人々の中にいる。ドアが破られると、建物の中に人々がなだれ込み、破壊が始まるのです。 この主人公の少年も、渦に巻き込まれるように、金槌をもって次から次へと物を壊していきます。ガラス、いすの脚、ひっくりかえった戸棚……、そして、大きな黒板。 「ぼくは思わず身がまえると、金槌を黒板めがけて投げつけた。金槌は黒板のまん中に当たって、頭がのめりこんでひっかかった。……突然、ぼくはつかれを感じ、吐き気を催した。ぼくは家に走って帰った」 わたしは、この主人公と同じように、森見氏のこの本から離れました。もちろん、吐き気を催したりはしませんでしたが、一種の疲れをもたらす違和感を感じました。実のない象徴となる名前など――たとえば、李白という名前で提示した存在――を操って、森見氏ひとりが、こどものように走りまわっている世界に……。 もちろん、ポグロムのような陰惨な事件と、森見氏のこの小説が同じだというのではありません。しかし、わたしの中では、この森見氏の小説の渦と、『あのころはフリードリッヒがいた』の「ポグロム」の渦は重なったのです。さらに言えば、森見氏のこの作品の渦の底には、人間の存在の意味を探るコトバではなく、現代の資本主義社会が求めさせるモノを得るための、本当にたんなる道具と化したコトバが堆積しているにすぎませんでした。 言い換えれば、森見氏のこの小説は、一種のゲームとして――今の多くのゲームの制作意図と同じで――作られたものに感じられてなりませんでした。そして、現代の資本主義社会のシステムにのっとり、このゲームに勝者が誕生した。その勝者にもたらされたものは……、言うまでもないことですね。 それにしても、この森見氏の小説から、リヒターの『あのころはフリードリッヒがいた』ばかりでなく、オルダス・ ハクスリーの『すばらしい新世界』の騒然とした中での結末をも想起させられました。 そう感じると、わたしは、なんのためらいもなく、読書を止めたのです。 ところで、古典と言われる小説を読むと、あまりにも主知主義的に〈本を読む〉ことの大切さが説かれることがあります。主知主義がいやな感じを催させる時もあります、しかし、〈本を読む〉大切さがくどく説かれるのは、やはり、〈人は、いかに生きるべきか?〉〈人は、どうあるべきか?〉という問題に答えようとした先人の切実な想いを汲み取っていたからではないでしょうか。 そして、わたしは、エンターテイメントのものを、むやみに否定するわけではありません。フイリップ・ロスの『素晴らしいアメリカ野球』(ちょっと下品ですが)、ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』などは、ひねりの利いた作品です。しかし、その〈ひねり〉の中に、やはり、かれらの人間を見る厳しい眼差しを感じさせられます。 いや、探偵小説だっていいと思うものがあります。いかにエンターテイメントといえども、しっかりとした作家は、社会と対峙して、自ら作家としての責任を意識しているものではないでしょうか。 現代の大衆社会、民主主義などは、〈現在〉をくいつぶす行為の中から生まれたのではなく、より多くの人のために〈現在〉を変革していこうとする想いと行為の中から生まれたものだと思うのです。そう思うと、わたしには、〈本を読む〉大切さを説く古典作家の切実な願いが感じられます。そして、今や、大衆向けの小説を書く作家は、現代が大衆社会であるだけに、その社会的責任は大きいのではないかと思います。平成22年5月18日に、憲法改正国民投票法が施行された今では。 森見氏のこの作品傾向は、他のものにも見られるもので、なにも森見氏ひとりの問題ではないと思います。しかし、このような小説群のなかで、なんとか踏みとどまっている作家もいる。たとえば、角田光代さん。(わたしが読んだ現代作家のなかで、ということですが)。 本書を読んで高い評価をされている方は、エンターテイメントの作品として、それなりに割り切って読まれたのだと思います。しかし、中には、書き手と正面から向き合う読書を求める人がいます。そのような読者には、森見氏のこの作品は読みきることのできないものだと思います。あまりにも……で。 | ||||
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友人に貸りて読みました。 書店で頻繁に見かけた本なのでよく売れていて面白いのかなと思っていました。 実際読み始めると30ページで放り投げました。 これが本屋大賞2位?がっかりです。 言葉遊びでしかない語彙の羅列、ファンタジーに終始して2次元にしか思えないキャラクター、実のない内容、中途半端に頭の良い人間が妄想を小気味よく書きました感しか感じませんでした。 あまりに合わなかったので記念に書いておきます。 レビューにある通り好き嫌いが本当に分かれます。 ジャケ買いなんてしないで中身を読み確かめてから購入するのをお勧めします! | ||||
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だめ。 面白くも何ともない。 文体も嫌い。 ストーリーが支離滅裂。 | ||||
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最後まで読みきりましたがどこが面白いのか全然わかりませんでした。 現代小説なのかラノベなのか中途半端で、キャラクターも中途半端で、 面白さを感じることができないことが悔しいです。 | ||||
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ガルシア・マルケスあたりの真似でマジックリアリズムが多用されているが、 主人公が追い詰められ、絶対絶命で、読者がそれを望んでのマジックリアリズムではないから、 一つ一つが軽すぎて効果がない。というか逆効果になっていると思う。 ただ意味もなく登場人物が空を飛んでもそれはつまらないのですよ。 | ||||
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「恋文の技術」が面白かったのでもう一本。 文章は特徴的だし、キャラも立っているんですが、何だか 「てきとー」 に見える小説でした。 文体が特徴的なのも二本目になるとちょっとくどいかも。 中身も何ででしょうね、全然笑えませんでした。 作者は随分と京都に思い入れがあるようですが、ちょっとそれが強すぎるかなぁ。 僕も京都に住んでましたが、そこまで思い入れられると引いてしまいます。 あと、 ・学生物 ・ファンタジー と言う事で減点。 星二つ。 文章の特徴だけで売って行くのは辛いかも、と言う作家さんです。 | ||||
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ホントに好き嫌いが分かれる小説ですね。 私は嫌いでした。 ここ数年読んだ小説で一番つまらなかったです。 レビューの評価が高かったので、一応最後まで読みましたが時間の無駄でした。 高評価が多い事に正直驚いています。 今後、読み始める人は半分読んで面白くないと思ったらやめたほうがいいと思います。 | ||||
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私は好きなジャンルがミステリー、歴史物、ドキュメンタリー、 ですが、話しの組み立て、構成が巧みな話が好き。 もしくは、ストーリーはシンプルでも実録の凄み、リアリティー が読んでいて惹き込まれる。 とかいうタイプは止めた方がよろしいかと思います。 軽やかでこ気味よい文体を楽しむ小説で内容は無いよー、 でも軽くサクサク読めていいでしょー、ってな感じ。 村上春樹好きは好みかもしれませんね。 文章は上手い!内容は無い! 私は合いませんでした。 古本か図書館でどうぞ。。。 | ||||
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「大学生世代の若者に大人気」ということで、ちゃんと買って読んでみたのですが、文章が変に擬古的で、私には合いませんでした。「XXしたまえ」とか、「文学っぽい」のはわかりますが、あくまでも「〜ぽい」といった印象で、テーマや文体や感性に「21世紀を生きている中、文芸(お話、小説)を書いている」と感じさせる個性が無かったような気がしました。いい意味で先入観があったのに(「現代の読者が惹き付けられる、いい作品なんだ」)、あまり評価できず、残念です。 京都出身など、著者と共通点があればもっと楽しめるのかなあとも思います。私はそうではないので、いまいちでした。 | ||||
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多数のレビューにある様に馴染めるか馴染めないかなのだと思います。 私は圧倒的に後者で、友人から強い勧めがあり読みはじめたが、このサイズの文庫本に三ヶ月の時間を要してしまった。 ただ三ヶ月もかかって読了したということは途中で投げ出させない『なにか』があった事は確かだろう。 私はその『なにか』の正体はストーリーではなく、叙述の面白さだと思っている。 ストーリーは始めから終わりまで一貫してつまらない、ただつまらない。しかし読んでいると酔っぱらったときにふと思い浮かべる様な奇想天外なイメージが頭に鮮明に浮かび上がる。この感覚がすっと掴める方にとっては非常に面白いのではないか。 そういった意味では本書は、小説として文書を読むというより、8ミリフィルムの映画を見ている様な感覚で「見た」作品である。 とはいってもつまらないものはつまらないので星二つ。 | ||||
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友人に薦められて読んだが、正直最後まで読むのに苦労した。 山本周五郎賞、本屋大賞2位という価値は分からないが、 少なくとも山本周五郎の名を冠した賞を 獲得する価値がある本かと言われると、疑問が残る。 独特の言い回しは面白いと思うが、 作品を通してその言葉遊びに終始しているように感じた。 ただ、読書に対して求めるものによって、作品の評価は分かれると思う。 本の楽しみに”ある種の世界観への没頭”を強く求めるような人は、 ただ文体を辿っているだけで、心地よさを味わうのだろう。 しかし、私にはあわなかった。 | ||||
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本書で使われているような手法を、「マジックリアリズム」とか、「幻想的リアリズム」というのだそうだ。「非現実と現実との融合」といえば聞こえはいいのだが、私から見れば、本書は、基本は完全に現実に置かれており、それに、少しばかりの非現実のエッセンスを効かせているだけとしか思えなかった。 煎じ詰めれば、単に、第1章は梯子酒の果ての大酒飲み合戦、第2章は古本を賭けた我慢大会、第4章は集団風邪の蔓延というだけの物語ではないのか。そんな物語に神様やそれに類する人を登場させられても全く必然性が感じられず、普通のドタバタ小説を無理矢理ファンタジー色に仕立て上げているだけという、わざとらしい作意を感じてしまう。そんな中にあって、第3章の学園祭のドタバタだけは、無理矢理のファンタジー色もなく、凝った作りの恋愛小説として、それなりに面白く読めた。 第3章以外は、リアリズム小説あるいは恋愛小説として読もうとしても、バカバカしいような幻想的描写にしらけてしまうし、かといって、幻想小説としては、あまりにもベースが現実的過ぎる。さりとて、ユーモア小説として読もうとしても、笑えるほどのユーモアセンスも感じないというのが私の率直な感想であり、この程度の中身なら、非現実なら非現実、現実なら現実と、どちらかにはっきりと徹して読ませてほしいと、楽しめるどころか、かえって、フラストレーションさえ感じてしまう作品だった。 本書が本屋大賞の第2位にランクインしているということは、こうした作品を好む読者も多いということなのだろうが、私には、こうした類いの作品の面白さは、全く理解できなかった。森見登美彦の作風が他の作品でも基本的に変わっていないのなら、私は、もうノーサンキューだ。 | ||||
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友達に薦められて読みましたが、挫折しました。 物語が奇想天外すぎて感情移入できなしい、だからと言ってファンタジー的な面白さもないし。 好き嫌いが分かれるというレビューが多くありますが、どこがいいのか私にはさっぱりわかりません。 | ||||
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文章が稚拙。 最近の作家さんは、文章力が無い方が多いように感じます。 | ||||
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文体が少し古風な上、登場人物が現代の感覚から少し離れた独特の雰囲気を持つ人が多く全体的な雰囲気はとてもいいのですが、話の展開のはあまり魅了されませんでした。 理由はファンタジーの要素が原因か?自分でもよくわかりません。 余談ですが、私は関西人なので先斗町や木屋町など、、、自分にとって土地勘のある馴染みに場所が小説の舞台になっているのは単純に嬉しかったです。 | ||||
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たまたま、この作品のレビュー見て驚いたー。 人気あるんですね。 ボクは本屋で『なんとか賞』とか『なんとか大賞』だってことも知らず (ここのレビューで知った。)文庫初版時に購入して読みました。 こんな退屈な小説があるのかと驚いたのは覚えているが、今となっては 何ひとつストーリーを思い出すことはできず。 まあストーリーはともかくとしても、そのおかしみの部分が何であるかすら 理解できませんでした。 文体がいい?支離滅裂とか読みづらく難解とか他に無いものならいいんですか? なんか言葉に酔っているだけで、ストーリーなどは行き当たりばったりで 一気に書き上げたのではないかとボクには感じました。 他の方のレビューに『オタク』というワードがあるのを見てハッと思いましたが この作品はオタク文化におけるオタク的文学っていう解釈でいいんでしょうか? オタク文化を理解している方には面白いと。 まあ、それならそれでいいんです。別にボクは、こういう作品が世の中にある ことを否定しようとしているわけではないので。 それならそれで、もうちょっと装丁とかなんかでそれだと分かりやすくして ほしいもんです。 こういう作品を、欲している人と欲していない人をある程度誘導してくれる 要素があってほしいというか。 結論、ボクには得るものは何も無く、時間とお金を無駄にしたという感想です。 それとも、これがジェネレーションギャップというものなのか、あるいはボクの 想像力が欠如しているのかな? やれやれ。 | ||||
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どこまでもすっとぼけの不思議ちゃんが お酒が好きだからって理由で水のように飲み干し、ほいほい人についていく感じから?だった。 万城目さんの書評で、森見氏には及ばない、みたいな表現をどこかで 読み、この方の作品も読んでみていますが 何度も頭はかくかく、睡魔との格闘以前に寝てしまう始末。。 前者の作者さんの世界観はあるかも、とすごく身近に感じるので好みでしょうが 私は前者の作者の読み易い書き方も含めて好きでした。 好き嫌いがはっきり分かれているみたいで もちろん好きな人が断然多いですが、 本を投げつけたくなった方もいたそうで…納得出来てしまう部分がある。 残念ですがヒロインに全く共感出来ないので挫折しそう。 ファンタジーなのは分かっているけど、 とりあえずこんな女の子…いないでしょうに。 知りあったばかりのオッサンに 良い話を聞いたからって胸揉まれて黙っている子なんていたら変すぎる。 | ||||
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