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64(ロクヨン)
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64(ロクヨン)の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全416件 1~20 1/21ページ
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横山秀夫の映像作品、個人的に外れは無く、コンパクトにまとまっていると思うが、 どうしても映像は2時間程度の枠になりがちで深みに欠けてしまう。(恐らく映像を 手がけている監督を始めとする関係者も、完全再現できない事を歯がゆく思っている気がする) 64も映像作品は面白いと思ったが、小説のような、良い意味でのじれったさや緊迫感が 不足しているように思う。64の映像を見た人には原作も読んでもらいたいと思う。 | ||||
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過去の事件に深いこだわりを持ち事件を追う刑事の個性にいろいらもしましたが、最後まで気になって読みました。 | ||||
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タイトルは“ロクヨン”と読む。たった7日間で幕を閉じる昭和64年に起きた「翔子ちゃん誘拐殺人事件」のことを指す符牒だ。この14年も前のD県警史上最悪の未解決事件が暗黒の地下回廊をくぐって甦ってくる。 主人公は三上義信、46歳。警察はおおまかに刑事部と警務部に二分されるが、この春までは刑事部捜査二課の次席。それ以前は長く知能犯捜査係の班長として汚職や選挙違反事件捜査の現場指揮を執っていた。刑事3年目に警務部の広報行きを命ぜられるも1年で出戻り。今春、再び広報行きを命ぜられる。広報は外と内の窓のはずだが実際は、「記者の手先」「警務課の犬」という評価しかなかった。2年で刑事部に戻るつもりだったが、どうせなら腹くくって広報の改革に乗り出した、つもりだった。しかし、広報は警察機構の中では、つんぼ桟敷であった。赤間刑事部長いわく“あなたが情報を得れば記者にもらしてしまう可能性が生じます。何も知らなければ何も話せない”ということになる。赤間は三上を「強面の案山子」として抜てき?したに過ぎなかったのだ。そして、突然、長官視察の話が出てくる。しかも、その目的が“ロクヨン”をめぐるものだった!さらには、三上の娘が消息不明になってから3月。全国に捜査網を張ってくれたのは赤間だった。つまり、三上は何としても赤間の指令―長官視察を無事成功させるための、文字通り「警務課の犬」と化さねばならなくなる。 二渡真治、警務課の調査官にして、高校時代、剣道部で三上の下に甘んじていた男。その後、彼は異例の出世を遂げ、今やD県警内でも破竹の勢いを誇っている。その男が、ひそかに「幸田メモ」=「幸田一樹が書いたメモ」を追っていた。そこには、D県警による組織ぐるみの隠蔽を暴く事実が書かれていた。長官視察は、実はそのことを踏まえたものだったのだ。しかし、それはさらに深い「本庁の本音」へと通ずる前哨戦でしかなかった。それを知った三上は“全身の血が沸騰した”。本部長への直訴なんて狼藉までやった。 一方、三上には3人の部下がいた。それぞれに個性的なメンバーだが、いずれも信用するに足る仲間だ。中でも美雲という交番務めだった女性警務官は、どこか三上の妻、美那子に似た実直な娘だった。彼女は三上の唱える「窓」に賛成し、“戦略”ではない広報のあり方を模索したいと具申した。「窓」を開くとすれば美雲だろうと三上は思った。実際、本作に訪れるさわやかな風のようなものは、女たちからしか吹いてこない。美雲は、仲間から「高倉健と美雲だけは嘘をつかない」とまで言われている。単にマスコットなぞではないのだ。いや、美雲だけではない。三上自身も、この広報という任務を通して徐々に“成長”していく。いわば“既成観念”の殻を少しずつ破っていくのだ。彼の変化によって、部下とのマスコミとの、そして広報という「窓」を開いていく。三上は、「上は変わるが職務は不変だ。広報のことは広報が決める」という諦観へと導かれていく。この心の準備が整ったところで、本作のジェットコースターは信じられないほどの高さまで上り詰め、そして急転直下のスリリング―とも言いたくない猛スピードで闇雲な転回が始まる。長官視察前日に「ロクヨン」と酷似した誘拐事件が発生するのだ! いや、さわやかなのは女たちだけではなかった。松岡がいた!この「影の刑事部長」の存在こそが本作を読むに値するものとしているといって過言ではない。三上は彼に私淑していたが、松岡は容易には刑事部の情報をくれなかった。その真意が最終的に判明したときのさわやかさったらない。世界の頂上で顔を弄られているような気にさえなる。これは、警察小説ではあろうが、松岡のハードボイルドばりの一切無駄のない一挙手一投足を拝んでいるだけで人間の普遍的な考えと行動を学ぶことができるはずだ。もちろん、彼の人間離れした努力と才覚を真似られるはずもないが。 | ||||
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下巻まで読了しました。 一気読みでした。 まず、よくこんなストーリーを考えついたと思います。驚きました。 そして、それを読ませる力も感動的でした。 書かれていることには納得出来ました。 そして、書かれていない部分まで想像が広がりました。 横山氏の他の作品も楽しみです。 | ||||
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文庫本を購入してから何年も積んであり、ふとしたはずみで出てきたことから読んでみることにしました。 昔はこうした「警察モノ(捜査モノ)」も良く読んだように思いますが、10数年ぶりに読んでみるとまた色々と思うところもありました。 まず、話としては面白いです。 D県警にずっと根深く傷として残る未解決事件、親に反発して家を出ていった娘と残された親の苦悩、キャリア・ノンキャリア間に横たわる大きな溝、権力・派閥争い、刑事部と警務部間の対立… 色々な要素を同時並行で走らせながら構成していく様は見事です。 そのすべてが解決に至ったわけではない形(ネタバレは伏せます)でのしまい方も私は好きです。 一方で、主人公のやることなすこと見事なまでに「アタリ」になるような場当たり感は否めません。 「それだけ有能」と言えばその通りなのでしょうが、であるにしても違和感を覚えるレベルです。 クライマックスの電話を受け続ける方にも、違和感ありありです。 「ま、小説ですしね」と言えばそれまでなのでしょうが、さすがに「おいおい」って突っ込みがとまりません。 この点で☆-1ですが、全体的に「いつまでも積んでないでちゃんと読んでおけば良かった」と思える良作でした^^ さて、個人的にとても興味深かったのが、警察官同士、警察官・ジャーナリスト間の会話です。 私の職場にも本当に本当に使えない、どうしようもない人間がいます。そしてリーダーはリーダーの役割を果たさず出来ない人間に寄っていくばかりでひたすら日和った態度・行動をとり続けています。 結果的にチームが、組織がひたすら腐り続けており、誰もそのチーム・組織に愛着を持てなくなっていっています。 たまたま役職上、このチームをまとめなければならない立場に置かれているのですが、心の底から全方面に向かって怒鳴りつけたい、くそみそにこき下ろしたい、突っぱねたい衝動に常に駆られています。 彼らは日常的にこれだけ示威的に、高圧的に、取り付くシマもないようなコミュニケーションを取ったりするのでしょうか。 仕事の際に私もこういう姿勢を取りたいなぁ、でもすぐ「パワハラ」などと喚き散らすんだろうなぁ、なんてまた日常を思ってうんざりもしました。 あとジャーナリストたちがここまであからさまに主張してくるのにも辟易はしますが、これらも含めて「小説的表現」なのかな。「警察モノ」らしい雰囲気は出ますけど。 | ||||
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クライマーズ・ハイもそうでしたが、この作者はサラリーマン社会の内部闘争の描写が上手だな。。。と感じます。推理小説的な部分よりも上記部分の内面描写がほとんどでした。なんにせよ、その上で下巻が楽しみだなと思わせる内容の上巻でした。 | ||||
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前半は、主人公の我慢が続き、読み手もしんどい思いをするが、後半になってからの展開が鮮やか。これは最近聞いたaudible作品の中でもトップクラス。 | ||||
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警察内部の権力構造、マスコミとの駆け引き、事件捜査の主導権争い、犯人追跡、確保までの展開がなめらかで、最後までとても堪能出来ました。 ただ、警察官である主人公は家出した自分の娘に帰って来てほしいと願いつつ何も出来ず、誘拐された他人の娘を取り戻すことに全力を尽くす。しょうがないとはいえ、理不尽だなと思いました。 | ||||
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上下の長編。ちょっと長いが、上巻の1/3から疾走感が増す。つまり1/3までは全体を書き切るための助走-仕込み期間か。よく練られた、巧い小説です。 | ||||
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下巻になって疾走感が増して、読むスピードが速くなる。伏線も何とか破綻なく結論へと結びつけ、終局へ向かう。相変わらず巧い書き手です。 | ||||
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事件の描写が素晴らしくのめり込んだ。実際の事件のようにハラハラドキドキ、なんでYahooニュースに出てないんだ?!と思ったほど。 | ||||
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警察官の心理描写が素晴らしい、読んでいて止まらない。下巻が読みたくて仕方ない。 | ||||
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警察小説のつもりで読み始めたが、最初から最後まで一気に読みました。決して評価を裏切らない内容でした。 | ||||
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警察官の組織内の暗闘、警察官と新聞記者の駆け引きを中心に描いた横山秀夫の長編小説。 昭和64年に起きた少女の誘拐殺人事件は、警察に重大な捜査ミスがあったため未解決のまま。警察を辞めて引きこもる者、警備員で糊口をしのぐ者、14年経っても当事者のなかで「ロクヨン」は終わらず。当時事件の捜査に加わっていた県警の広報官の三上は警務部と古巣の刑事部との間で板挟みになりますが、警察庁長官が未解決事件の被害者を視察する段取りを進めるなかで、険悪だった被害者と新聞記者との関係を自らの誠意でなんとか修復。長官の視察の目的が明らかになるところで下巻へ続きます。 | ||||
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警察庁長官の視察の前日になって県警の管内で少女の誘拐事件が発生。視察は急遽取りやめになり、14年前のロクヨンと共通する何かを三上は感じ取ります。 上巻が助走とすれば、下巻は三上のテンションの高さに引っ張られる怒濤の展開。三上の娘のあゆみが行方不明のままで終わるところ、最後の謎解きがやや唐突で都合が良すぎると思うところはありましたが、体を張って仕事をしているからこそ生まれる仲間どうしの信頼、時には激しく敵対することがあっても互いへの敬意を忘れない警察官と新聞記者の関係、帰る場所である家族の存在など、行間から熱いものを感じ続けながらの読書となりました。 | ||||
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特になし | ||||
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横山秀夫を初読み、 なかなか軽快な文体でさくさくと読了してしまった、 もっと重厚な文体で読むのに時間のかかるタイプかと勘違いしていた、 本作は主人公の精神的な凹状態が延々と続き、クライマックスで解消するが、書き込みの詳細さは純文学調にけして落ち込むことなく娯楽小説の範囲で極めて上質にまとめられていると感じた、 物語は県警内部ならびに県警広報・記者クラブの醜悪な派閥争いを基軸とする、 構成員のほとんどが売り上げを気にせずに済む組織ゆえの職員たちの組織内人事への非公務員には理解しがたいレベルの忖度が微に入り細に入りうんざりするほど繰り返される、 膨大な登場人物たちには漆原のような卑劣漢も、幸田のような正義漢も、そして二渡のように格調を湛えて組織運営を模索実行する知恵者も混在している、 そんな中、主人公三上は新任部署で袋小路に追い詰められ、それ故に刑事であればカンがひらめくはずの事態に対しても思考の広がりが残念な方向に綴じて行ってしまう、 クライマックスでは三上の勘違いはあらぬ方向へ向かって打ちのめされてしまうのだった、 結果、見苦しい職場関係の物語にも関わらず、いくつもの爽やかな人間関係が構築されることで読後感にも強い爽快さがある不思議な物語であった、 そして縷々記述されるほどに三上が物事を考える過ぎる知性と教養をもつ人物であるなら、刑事の適正がありこそすれ、努力しても松岡のような最優秀な刑事にはけして成れないタイプのようにも感じたのだった、 だから見苦しい派閥争いの果てに三上が見出したものこそ新天地だったという爽やかさもあるのだと思う、 本作はNHKで連続ドラマ化、その後に東映で映画化されている、 私は映画版のたゆたうような時間の流れと大作感あふれる美しい映像の大ファンで、NHK版も含め、どのように原作が脚色されたかに注目しながらの読書だった、 本作で繰り返される単語を引用すれば外道の読み方をしたとも思うが、映像では語り切れない点を含めいろいろと楽しめた、 映画版は前編後編の二部構成で、前編のクライマックスが交通事故被害者の人生を辿るシーンだった、 原作でも記者たちが情にほだされる様は上手に書き込まれているが、映画版の当シーンで鑑賞者の胸中に醸され湧き上がる得も言われぬ情緒はまさに監督の独壇場と言ってよい見事さだった、 他人の人生を垣間見ることで己の行く末を同時に思いながら心で泣きたい人にはぜひ映画版前篇を鑑賞してほしいと思う、 原作では詳細に記述されながら映像化で希釈されていたのが三上と二渡の高校時代からの因縁と三上と美那子のなれそめの二点、 短いカットによる挿入でもそれぞれ3分以上、観客が悩まずに済ますためには15分必要と思われ、省略もやむなしだったと思う、 上巻の後半ですでに主人公三上は精神的に破綻寸前である、 周囲に気の利く人物がいればそのまま心療内科の診察を受けさせると思うが、やはり思い詰めている妻を含めだれもそこまでの気遣いはできないキャラクタばかりが登場してくる、 気晴らしに週末に一泊旅行することなどもってのほか、内食ばかりでは夫婦関係が煮詰まるからとちょっと外食する程度の気遣いさえできないまま日常が過ぎてゆく、 結果、64模倣犯の出現によって、かろうじて三上は精神の平衡を取り戻す、 劇中、三上の感情が何度か小爆発を繰り返し小競り合いが起こるが、最終的に決定的な爆発場面の次に長い小説のクライマックスと思われる名セリフを置く名人芸は素晴らしいと思う、 映像作家が本作映像化にこだわる理由もその辺にあると思う、 三上の遭難と復帰は”レディ・ジョーカー”の合田がやはり事件を通じて心の穏やかさを取り戻すのとまったく同じだ、 両作ともにある組織の重要な時点で誘拐事件が起こり、事件によって主人公が救われる物語である、 ”64”は横山秀夫から高村薫に向けた小説体の”レディ・ジョーカー”への返信レターのような作品であり、作家同士が作品を通して対話している可能性を考えてもあながち間違いではないと思う、 両作に靴・柱に巻かれて紐など同じモチーフが登場するのも意図したものに違いない、 本作では男の警察官たちが双方入り乱れた暴力沙汰を繰り返す、 対して犯人を含めて”レディジョーカー”登場人物たちの非暴力的な穏やかさはどうしたことだろう、 自身が非暴力主義であっても創作されるキャラクタまで非暴力主義を広げるのは舞台となる場所によっては極めて不自然であり、本作の臨場感の高さと”レディ・ジョーカー”の詳細であり極めて高度の面白さがありながらも臨場感が欠ける原因になっていると改めて感じた、 そして物語は精神的に破綻寸前のキャラクタをもう一人登場させている、 キャリア官僚にして警務部長の赤間である、 面白いのは赤間の腰ぎんちゃくとして県警生え抜きの秘書課長石井を登場させていることだ、 田舎暮らしが嫌で嫌でしょうがないから手柄を立てて一刻も早く本庁に凱旋したい、つまり東京に帰りたいと焦る赤間、 我々はここで名前に赤の付く日本文学史上最も有名なキャラクタを想起しなければならない、 それは漱石”坊ちゃん”に登場する赤シャツである、 赤間・石井のコンビが赤シャツ・野太鼓コンビのパロディであることは指摘するまでもないだろう、 つまり”64”の物語そのものの底に”坊ちゃん”が仕込まれていると考えて間違いない、 長い物語のクライマックス、とうとう三上は”坊ちゃん”と同じように暴発してしまうが、原作では精神の平衡を取り戻し職務に復帰する、 だから”64”が”坊ちゃん”のパロディという発想を採用すれば、暴発後に県警を退職した三上がどんど焼きの炎を夫婦で見上げる映画版のラストは”坊ちゃん”最終ページ並に感動を誘うのだった、 原作を読んでようやくに映画版ラストがなぜ泣けるのかに思い至ったのだった、 長編であるから読者其々読むたびに新たな発見があると思う、 ある事象の観察はデータ量と判断力の相違によってどれほど違った結論になるか、無言に存在を感じられるか否か、匿名電話と匿名報道、匿名が実在を保証できるのかできないのか、そして人の持つセンスの鋭敏さはどこまで高度でありえるのか、そしてセンスは永続可能なのか、組織内の派閥対立と同時に勃発する都鄙の強烈な対立など、 私は群馬は南部しか訪問したことがなく、上野(こうずけ)地方は上越新幹線の車窓の景色しか知らない、 ”64”は山脈が近い寒冷そうな景色だからこそ拡がっているような人生の苦みに震える小説であった、 | ||||
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彼の長編はたぶんすべて読んでいるが、しばらく新刊が出なかった。 体調不良かと心配していたが、快作をもっての復帰である。 時効直前の誘拐殺人事件。 不本意にも広報官に異動させられた腕利きの刑事。 その妻との間に設けた娘は、自分の父に似た顔を醜いと言って泣き叫び、引きこもり、あげくに出奔する。 そこに生じた、地元県警の叩き上げ最高ポストである刑事部長職の中央キャリアポストとしての召し上げの策動・・・。 と並べると、複雑な伏線やしがらみが絡み合い、ねじくれ、やがて動き出していくことがいやでも分かってしまうだろう。 しかし、横山秀夫は、組織の中で煩悶し苦悩する人間を書かせると、右に出る人がいない。 大沢在昌の場合は、新宿鮫シリーズにしても、組織からはぐれた一匹狼だが、横山の作品の登場人物はどれも違う。 宮部みゆきの場合は、世間のしがらみは見事に描くけれど、組織のしがらみとは少し違うような気がする。 強いて言えば、時代小説の藤沢周平が描く宮仕えの理不尽さに近いのかもしれない。 まあ、とにかく、久しぶりに堪能させてもらった。 | ||||
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刑事と警務、キャリアとノンキャリアなど警察内部の組織問題に鋭く斬り込んだ作品です。 最後の最後まで結末が見えないワクワク感に久々に触れました。 | ||||
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特にない | ||||
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