■スポンサードリンク
スロー・ラーナー
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
スロー・ラーナーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.67pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
20年前以上に住んでいた街の図書館にあったハード・カバーの本(志村正雄 訳)は、そのシュールなイラストと白っぽい表紙と共に頭の中で積読していたのですが、タイトルを『スロー・ランナー』と誤って記憶していたようです。その間に『重力の虹』や『ヴァインランド』を読み、解説等で作品歴は目にしたはずなのに、それは勘違いされたまま埃をかぶり隅に追いやられたのです。 最近、本屋さんでたまたま『スロー・ラーナー』という表題を目にしたとき、瞬時に間違いに気づきました。そして、手にした単行本のタイトルSlow Learner=「頭のとろい奴」とは、他ならぬ僕自身のことなんだとはたと思ったのです。 本書は2年前に刊行された新訳(佐藤良明)です。作者のトマス・ピンチョンは謎の作家(公式の場に現れない)にして寡作(時には10数年のブランク)、しかし待ちあぐねた作品はいづれも長篇(どちらかといえば超長篇)で期待に違わぬ良質なもの(彼の先鋭的な読者は失敗作という基準を放棄している)、ゆえに本書はピンチョンの学生時代(1959年代後半)の習作が読めるということで貴重なものとなっています。 処女作にはその後の作品で開花する要素のすべてが胚胎してると言われますが、解説によればピンチョンにとってこれらの小品は本番前のリハーサルのようなものだったそうで、事実、本書の最初に掲げられる「イントロダクション」(作者自身による言い訳)には、これらは徒弟による試し書きで、今読むのは当人にプライドにとってたいへん辛いことだ、と書かれています。「学習遅滞者」というタイトル自体が自虐的です。だからといって本書に収められた5つの短篇がダメで残念な作品ばかりというわけではありません。 「スモール・レイン」や「ロウ・ランド」は当時流行の実存主義的な香りのする文学志向の作品です。「エントロピー」は長篇を除けば、ピンチョンにとって最も有名な作品。訳者によれば、アメリカの名高き文芸誌に掲載(1960年春)され、後の年間ベスト・ストーリーの一遍にも選ばれたそうだ。この熱力学の概念は本短篇では効率のメタファーで、使える物がどんどん減っていくさなかに、役立たずの仕事ばかり積み上がっていくというような意味。ピンチョンの作品のを読むのに別に物理学や化学、情報工学、量子力学といった知識は必要ない。それらは他の多くのオタク的サブ・カルチャーへの言及と同じような扱いでよろしいかと思います。あくまでも記号として分っているつもりで読み進めばよろしい。 「アンダー・ザ・ローズ」はある国のさほど遠くない過去における出来事、スパイやエージェントがうごめく歴史の表舞台、錯綜する思惑、ゆえにことはシナリオ通りにいかず、しかし豊饒な物語の中、猥雑で過剰な語り口が行き当たりばったりに陰謀史観を吐き出してしまう。「シークレット・インテグレーション」はピンチョンにしてはビックリするくらい真面で正統な作品。凝っているのは題名くらいか。これは雇われ職人が注文に応じて作ったものらしい。雇い主は『サタデー・ナイト・イブニング』、他の四篇の媒体とは違って由緒ある歴史と大衆的な人気を誇る雑誌だそうだ。これを通俗と片づけるほど僕はシニカルにはなれません。素直に楽しめるし泣けました。イマジナリー・フレンドを中心とした少年たちの、ささやかな反抗のためのはかなき紐帯。僕にとってはスティーヴン・キングの「THE BODY(死体)」(映画スタンド・バイ・ミーの原作)に匹敵する思春期小説です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
お話は面白いのかもしれないけれど、訳がちょっと・・・。原文が難解なのかもしれませんが、文章じたいが変な部分もあり、途中でやめてしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「緩い学び手」とはまるでわたしのことではないかと、本書を読む前に笑ってしまったが、読んでしまってから、これは作者の自嘲の言葉と分かった。彼はこの本の中で若き日の短編を6本並べて、自らが書き下した序文で、それらに不平たらたらいちゃもんをつけているのである。 そうと知ればなおのこと、これらの若書きは読むに堪えない未熟な作品と思えてくる。いったいに小説は、その内容か文章のいずれかが多少とも面白ければ、それなりに楽しく読みとおせるが、「スロー・ラーナー」の場合は、そのどれをとっても面白くもおかしくもないから、これは典型的な駄書であり、普通なら到底読むに堪えない小説としてマントルピースに投げ入れられて焼却処分されることになるはずだ。 それがそうならないのは、ひとえに彼の文学が後におお化けしたからであって、後世の偉大さの源泉をさかのぼって発掘するという鬱屈した趣味を持たない一般的な読者にとっては、この種の本に目を晒す楽しみなぞひとかけらもない。私はいわば眼の苦行を強いられたわけだが、それにしてもこれほどくだらないテキストをいくらアルバイトとはいえ、いかにも意味ありげかつ権威主義的に翻訳した奴の顔を見てみたいもんである。 堕ちよ堕ちよダンダラ星堕ちよ 茫洋 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ピンチョンにしてはびっくりするぐらい読みやすい短篇もあるし、 相変わらず読みにくい短篇もあるが、すべてにおいて天才の片鱗あり。 何より、すばらしいのがピンチョン自身によるイントロダクション。 そこにはピンチョンの文学論が展開されていて(しかも、とてもわかりやすーく) これだけ読むためだけにでも買う価値があるってもの。 20年前に書いたそれぞれの短編を振り返って反省しているのである。 文学的に過ちを犯しているとか、当時○○に影響を受けて書いたとか、△△みたいのが書きたかったとか、なんとか。 タイトルの『Slow Leaner』にはまさにこういう意味がこもっていて、「学習の遅いやつ」っていう。 天才ピンチョンでも、いろいろ試行錯誤してたんだとしみじみ感じる、まさに、メイキング・オブ・ピンチョン、ピンチョンの作り方。 ただ、短いからという理由でピンチョンの入門としてこれから始めるのはちょっと違うかも。 これだけ読んで「ふーん、ピンチョンってこんなもんなんだ」と判断して、ピンチョン山脈に入らぬまま、 入口で引き返してしまうおそれあり。やっぱり、長篇にこそピンチョンの魅力ありだと。 でも、何冊かピンチョンを読んだことある人は、これ、とても楽しめると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
新装版が出ていたので、何年ぶりかで再読。 長編ほど読みづらくはないけど、やはりピンチョンはピンチョン、読むのに苦労する。それは自分の実力不足ということもあるのだろう、この作者は読者を選ぶ。 収録されている作品は、「エントロピー」を始め、何回か読んだことがあるはずなんだけど、どれもかなり古い作品だが、改めて読むと新鮮だ。 それと、ピンチョン自身による序文は面白い。あまり触れることがなかったピンチョンの初期の創作活動を知ることができる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物理学専攻者のピンチョンの作品は難解と、良く言われるが 物理学を基礎から学び直して、読んで見ればそれ程でも無かろう。 大体、大学の一般教養課程レヴェルで良いだろうし、高校物理程度でも 割かし、読めるもんだ。 取り合えず、『エントロピー』について。 閉鎖系と開放系の話。上の階のカリストの部屋が前者、下の階のマリガンが 引越退去祝いの馬鹿騒ぎを遣っている部屋が後者。時代設定は1957年2月。 場所はワシントンDC。「情報エントロピー」が最も小さくなっている部分は カリストが一緒に暮らしている女の子オーバードに、「熱力学」を口述筆記させている 部分、と言うよりも、その内容の部分。 例えば 「マキアヴェリのように彼は『ヴィルトウ・能力』と『フォルトウナ・運命』の 支配力は、まず五分五分であるとした。しかし、この均衡状態が今、出鱈目な要因を 導入した為に、確率は押されて、何か、言いようも無い、不定の比率となり、 彼はそれを計算するのが怖いのである。」 システム・トレーダーは怖くはないし、どんどん計算しちゃう。 「机上の計算」等と呼ぶカツオドリ阿呆船長もいるが、そんな奴なんぞ 御構い無しに「検証」を続行。randomness の導入の御蔭で儲けられる事が 判っているので、確率が50%に為らない事は「実に喜ばしき事」である。 参考文献としてはNNタレブのFBR日本語版『まぐれ』を参照。 また、トレーダーにとっての「均衡状態」と言うのは「相場の死」を 意味する。「マーケットの熱死状態」。マーケットが均衡に向かうか と思うと、突然07年夏のような「大馬鹿騒ぎ」が 始まる。で、大儲け。また、ノイズが減少して均衡に向かうかと思っていると 08年夏にまた、突然「大馬鹿祭後夜祭」。で、また、大儲け。 その繰り返し。 『ロケット工学投資法』等が、典型的だが、経済現象を「工学メタファ」で 語ってみても、理科系インテリの戯言。物理現象としての「ノイズ・雑音騒音」と 言った音響工学的な概念と「マーケットの『ノイズ』」と言うメタファの混同。 売買「シグナル」についても 「信号」対「ノイズ」 と言う「通信工学」的なコンテクストの中での理解。場合によっては「誤解」だが、 「誤解」でも『まぐれ』で儲けられる。マーケットは別に、マーケットの外部の 人間に対して「トン・ツー」のモールス信号を打っている訳じゃない。 ピンチョンの本作と逸れまくりだが、情報エントロピー増大中。 例えば、今私の書いた事の80%以上はノイズ。詰まり「戯言」である。 もう、お気づきの通り、情報理論的な意味での「ノイズ」と言う 概念を、敢えて、取っ払って書いてみました。 バロック・クラシック・ジャズと言った音楽部分の理解には 楽理論の知識が必要。しかし、「おれ理論は、全くダメだから。」 と言うデュークと同様、私に「理論」を語らせても「長嶋茂雄が 野球を語る」のと似たり寄ったりになる。だから、全部「戯言」の 様に「聞こえる」。 村上春樹的な「静けさ」と言うのは、カリストの部屋の中の「人工生態系」の ようなもの。レイモンド・カーヴァのようなミニマム文学の「景気の悪い」日常的な 暴力性が提示されて、本作は終わる。 ・・・最後にあらゆる動きがなくなるだろう。 続きはまた書く。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
トマス ピンチョンはどう扱ったらいいのか。「面白くない」と言い放つのは簡単ですが、開き直っているようだし、かと言ってあのいくつもの長編を全体的、構造的に、かつ十全に楽しんでいると屈託なく言うには、やはり心もとなさが残ります。本書はそういった危惧とは多少趣きを異にしている短編集です。入門というにはその後の作品とあまりにギャップがあるので、安易な表現は避けたいところですが、表題作などはかなり素に楽しめる作品なのではないでしょうか。と言っても、不可解な作品も多いのですが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
難解でしたぁ。堂々の純文学です。「秘密のインテグレーション」のみ、すんなり読めましたが、それが解説によれば「大衆小説に迎合したややレベルの低い作品」とわっっ。ぐわあん、私ってレベルが低かったんだ(知ってたけど)。 私にとってはむちゃくちゃ難しかったけど、でも何らかの真実に肉薄しているというホンモノの迫力を感じました。また読み直します。解説がまたすごい。アメリカ文学に精通していないと十分にこの作品を楽しめないと言うことがよくわかりました。ちょっとした興味で読んだ私に歯が立つわけもなかったのです。 また読み返しまーす。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ピンチョンの他の作品は、様々な理論・知識が豊富かつ確実でないと、充分に楽しめないのではないかと感じますが、この短編集はそんな危惧は一切不要!です。どの作品もファンタジー性に溢れていて、また、特別な“わな”もない印象深い作品群です。特に「低地(Low-lands)」の世界はどれだけ人生を重ねても、ここに帰るんだろうなと、僭越ながら共感してしまいます。また、日本語でも非常に読みやすかった点もお勧めです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!