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民宿雪国の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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97歳で没した国民的画家の生涯を描いた作品。 冒頭、民宿を訪れた客が発端となり、死屍累々、血生臭い暴力沙汰が発生する。この民宿とその主人の謎が紐解かれていく…ことを期待していたら、二転三転し、ストレートに話が進まない。民宿の主人が国民的画家であることが徐々に判明し、ここにまた胡散臭い登場人物が絡んでくる。 途中、トランスジェンダー男子の修羅場があったり、画家の秘密を探り当てた男の無残な末路があったりと、読者を迷子にさせるものの飽きさせない。 本作品が問題作といわれる所以は、主人公の若き日の経歴によるのだが、なるほど、読み方によってはタブーにずかっと踏み込んでいるようにもとれる。 クライマックスから、てんでバラバラなエピソードがぐっと一つにまとまるのは、ずっと道に迷っていた分、スッキリ感が半端ない。考え抜かれた構成だとすると、これは、傑作なのかも…。ただし、グロ描写にはげんなするし、読後感はすこぶる悪い。 | ||||
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樋口氏の作品を読むのはこれで二作目。 前に読んだ『日本のセックス』はエログロ全開系作品でした。今回もエログロは踏襲しつつ、ややサスペンス味と歴史のエッセンスを加えた作品だと思います。 ・・・ 新潟の雪深いボロ民宿、その名も雪国。 ここへ足を踏み入れる吉良という青年の視点から物語は始まります(第一章『吉良が来た後』)。 個人的印象としてはこの章が一番ひっくり返りました。展開に驚いた。吉良という青年が何者か、宿屋のオヤジが何者か、そこで起こったことは何か。オヤジの裏の顔とのギャップがやばい。 冒頭ということもありますが、「静」から「動」への転変が実に劇的であり、ツイストが効いていたと思います。 ・・・ 次章『ハート・オブ・ダークネス』では、世に疲れたとある記者が、敢えて人里離れたこの民宿に泊まるという話。彼自身のエログロ系色恋や生い立ちにあわせて、この民宿での出来事などが綴られます。ここでは民宿のオヤジは一種善人として扱われ、むしろこの記者の方がおのれの悪辣さを吐露している印象。こちらも章末にツイストあり。 次の章以降も引き続き、第三者がこの民宿のオヤジを語り、徐々にこのオヤジが何者でどういう人間であるか、何をしてきたのかが明らかになるという仕組みであります。最後にオヤジの問わず語り的自己紹介・振り返りがあり、読者も全体的な理解が得られることになります。 ・・・ この作品は、当然のことですが、フィクションです。 まあ、読んでいて突飛な殺人事件が連発するので分かりますが。でも、その一方でバブル前後の80年代90年代の描写が生々しく(丹生雄武郎の絵画がポパイやホットドックプレスという雑誌で特集されるというくだり)、私は思わずググって確認してしまいました。 はい、フィクションです。良かった。 真実の混じった嘘が一番分かりづらいなどと言います。本作は虚構を核として、その周りを詳細で雑多かつ網羅的な事実で装飾することで、あたかもストーリー全体を真実と思わせる部分がありました。 ・・・ そのほか、樋口氏と映画評論家の町山氏との対談、樋口氏と梁石日氏との対談等が巻末にありました。 後者の梁氏との対談で、作家は少し遅咲きの方が良い、というのも経験をストックしてないと書くことが無くなる、という旨の話がありました。私は個人的にはそうかな?と思いました。 経験があれば確かに書くネタはあるでしょう。でもストックしている経験がない人でも経験を得る過程はネタになるのでは、と感じました。むしろ、お作法やテクニック等の方が習熟するのに時間がかかるのでは、と感じました。 まあ、読者としては早咲きでも遅咲きでも、素晴らしいものであれば後は良いのですがね笑 ・・・ ということで、樋口氏の作品を読了しました。 相変わらずのエログロ・ノワール系作品ですが、嫌いでないです。ただ、周囲には『こんなの読んでいます』とはちょっと言いづらいですね笑 伝えるような友人も居ませんが。 | ||||
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ラストまで読んで、何が言いたいのかよくわからなかった。 殺人鬼として不遇な人生を送った画家の一生なのか? そこに織り込まれた朝鮮差別の部分なのか? 記者の性云々のくだりは必要だったのか? 色々と散らばっていて混乱したまま終わりました。私の読解力がないことも要因だとは思いますが、深読みが必要なストーリーなのかもしれません。 | ||||
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著者は、今注目されている作家なので期待してたのですが、 結局何を一番言いたいのか良く解らない小説でした。 作家の本質を知るためには、他の作品をもっとたくさん読まないと いけないのでしょうが、余り気乗りがしません。 | ||||
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切り口が素晴らしく斬新だった。 一人の画家の生涯を外堀からあぶりだしていくのだが、序盤からホラーなのかユーモアなのかわからない不思議な世界が展開された。 途中で山下清が出てきたときはびっくり。 実在の人物と、架空の物語を勝手に絡ませるとは。想像の世界は無限だということをある程度実現いていた。 しかし、後半はどういうわけか失速。あまりおもしろくない印象で物語が締めくくられた。小説の後半って結構重要だと思う。 | ||||
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「第1章」の展開には正直、度肝を抜かれたがその刺激があまりにも強すぎたためそれ以降は「ああ、そうか。」という感覚の麻痺が起こってくる。さらに言ってしまえば、280ページの薄い文庫本のなかで小説部分は3分の2程度に過ぎず、残りは「お互いヨイショ対談」と「パロディーに気づかないヤツはバカ対談」(「架空」の登場人物も含めて、あえてネタを語らないのが「パロディーの鉄則」なのでは?)となっており後味悪し。 最初のペースで一気呵成に書いてしまう直球勝負のほうがはるかに「小説」としてはおもしろく、映画も含めて映像化の方向もあったはずだが、あまりにもまとまりが悪く「寸止め」感が残る。 | ||||
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国民的画家の丹生雄武郎の偽りの生涯と造られた人物像を描いた奇妙な作品。 正直言って、余り面白くない。サブカルチャーの匂いをプンプンさせたウケ狙いの作品としか思えなかった。その辺りはこの作品の主人公と著者が重なり、思わずニヤリとするのだが。 | ||||
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語り手がどんどん変わりながら、国民的画家・丹生雄武郎の全く異なる姿を次々と描いていく前半は面白い。 どれが本当の丹生雄武郎だか判らない。 ところが、丹生雄武郎の告白となる後半になってから物語は失速し、ありきたりな平凡な結末に終わる。 そこがつまらない。 実に風呂敷の畳み方が下手。 構成的には、民宿雪国に宿泊する客って異端者ばっかりなのがちょっとよろしくない。 普通に民宿雪国に泊まってそこで気持ちよく過ごした一般人の普通の家族旅行の思い出のエピソードなんかかがあれば、もうちょっと違った感じになると思う。 (読み手はいつ惨劇が始まるかとハラハラドキドキしながら、一般人旅行者の旅のちょっとイイ思い出話を読まされて肩すかしを食らう) 畳み方としては読者に答えを与えるのは良くないと思う。 そもそも丹生雄武郎の告白は、真実か? 「丹生雄武郎と呼ばれる人物は、本当に丹生雄武郎本人だったのか?」というところまで、踏み込んでいかないといけないと画竜点睛を欠く思うんだよ。 | ||||
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物語は、ジャーナリストの矢島博美が、 日本を代表する画家である丹生雄武郎の死をキッカケに、 彼の生涯を克明に取材したという報告から始まります。 丹生雄武郎は、メディアに登場することが少なく、 逸話や都市伝説が多く存在する世界的な画家。 そんな伝説の画家は、生前から多くの謎と疑惑に包まれていました。 矢島博美は丹生雄武郎との対話・精力的な取材により、 あいまいなベールによって隠され続けてきた真実へたどり着きます。 おもしろかった、というよりも。 ひきつけられました。 特に、前半部分。 タイトルにもある“民宿雪国”で繰り広げられる騒動は、 まるで部屋のドアを開けたら崖だった、というような、 驚きの連続でした。 やや強引であまりにも続く苦境の展開にうさんくささを感じないのは、 物語の設定や背景に注意が払われているからなのかもしれません。 本当にひきつけられました。 後半は、フィクションである物語が史実と混ざり合い、 物語を複雑な展開へと推し進めていきます。 戦時戦後の歴史に明るい人は、そのあたりのアリ・ナシを、 自分なりに楽しめるのなとも思いました。 グロテスクな表現が生々しく描かれているので、 過激な描写に弱い方は、冒頭を立ち読みされることをオススメします。 抵抗を感じなければ、きっと続きが読みたくなると思います。 面白いというより、ひきつけられる本です。 秋の夜長にはうってつけと思いますが、 万人にはオススメしないのと、 友達にも勧めないかもしれません。 まずはこれ読んでみて!というよりも、 読書習慣のある人や、色々読んでいる人にはオススメです。 作品の満足度は4つ、友達に勧めにくいので−1。 ということで、私は★3つです。 | ||||
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あとがきを読んで、うーんと考え込んでしまった。 たとえば梁石日氏が実父をモデルに、残忍極まりない在日朝鮮人の男を描く、 あるいは玄月氏が、朝鮮人部落内でのリンチというか制裁の気分が悪くなるようなシーンを描く、 というのにはエクスキューズは要らないけれど、 日本人作家・樋口毅宏氏が怪物のような犯罪者を描くと、 こういう言い訳(後書)を書かないではいられないのでしょうか…。 私は要らないと思うけど、この後書き。もっと読者を信じていいんじゃない? (これから読む人の楽しみを奪わないために、あまり具体的に書けないのが歯痒い) 要らないとは思うけど、でも、 もし私が在日のひとりで、この小説を読んだら、 やっぱりあんまり気分はよくないと思うよ。 怨念から人を殺めるのと、快楽殺人とは、違うよね。 娯楽小説だからスパイスは沢山効かせなきゃ面白くならないのだろうけれど、 主人公の性的嗜好なんかも、ちょっとやりすぎって感じがする。いたぶって殺すだけでいいじゃない。 気になったことをひとつ。 主人公が死を前にして自らを語った内容を、インタビュワー矢島博実は、 虚飾や借り物の部分(ドフトエフスキィまで借りてきている)が多いとわかっていながら 結局は最後にまんまと騙されてしまったのではないでしょうか。 自らの出自の告発者を、主人公は聞き出して知っています。 それを疑っているわけではない。というか、本当は確信している。 なのに真犯人を探すという空しい大義名分を掲げ、自らの特異な嗜好を全開にする。 本当の怨念は、最も愛した者に向けられているのに、それを自分で決して認めようとしない。 その感情の捩れ、欺瞞にこそ、偽りで塗り固めた人生の根幹があるのではないでしょうか。 絶賛に近い書評をいくつか読んで、かなり期待して本を開いたのですが、 それほど読後感はよくありません。 エンターテイメント小説に多い、いろいろてんこ盛り、というところも好みではありません。 すぐに名の浮かぶ人物が脇役として何人か登場しますが、 日本の戦後史を背景にするために人選しているというには、 ちょっとしたお楽しみ、といった程度の印象です。 何より不満なのは、芸術作品と表現者の実人生との関係です。 たしかに作家や画家って、しょうもない人が多いですが (小林秀雄だったっけ、中原中也のことを、なんだか邪悪なものを感じるって言ったの) 人を殺すのが楽しくってしょうがないっていう人物の描くものが、 国境を越えて大勢の人間の心を捉えるかなぁ。 私はけしてそんなことは起こらない、と思いたいけれど。 漠とした印象ですが、編集者だった人の書いた小説、って感じかな。 | ||||
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語り手が読者の思い込みをひっくり返してゆく手法は、小説ならではのもので、作者の仕掛けの高度さを感じ、面白く読んだが、それが日本の戦後世相史とリンクさせてゆく後半部から、単に薄っぺらであざといものとなった。パワーはあるが、それは小説という制度に乗っかっただけのもので、人間は描かれていない。人間はこんな奇形なものではない。だから逆に小説という仕掛けを使うと、こんなにも人間は奇怪なものに描けるという可能性を示した。作者が農林漁業や工場労働などの労働時間を繰り込むようになると、また面白い世界が描けるような気がする。 | ||||
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ミステリかと思って読み始めましたが、違ってました。第一章はちょっとレトロな感じの、どんでん返しに次ぐどんでん返しのお話で楽しませてもらいましたが、それ以降は、日本の戦中、戦後史をパロディにして、にやりとした笑いを誘うという感じでしょうか。こういうのって好きな人は好きだろうし、出来が悪いわけではないのですが、ちょっと悪趣味な感じで私は笑えませんでした。グロい描写も多かったです。グロな映画を笑いながら見られる人なら、こういう作品も楽しめるのでは? | ||||
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民族問題や差別を扱うと凡庸になりがちだが、物語の前後を上手に組み変えることにより、ジェットコースターの如くアップダウンの激しいプロットでありながら、一気に読ませる筆者の筆力には脱帽する。 但し、民族差別や性差別を主題として扱っているなら、いささか物足りない。少なくとも、隣に韓国人や中国人、フィリピン人やタイ人も住んでいるのが当たり前の時代になっている者にとっては、人種の多様化は確実に進んでいることは当たり前の日常である。 この現代に、この小説のメッセージが我々にどの程度響くのだろうか? 筆者の祖母に対するオマージュとしては満足かもしれないが、現実は更に多様化している。 筆者にはもっと現代を切り取って欲しい。それだけの才能があるのだから。 | ||||
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本作を一言でいうと「少年マンガ」。文字だけのマンガ。マンガだから真面目に読むと興醒めする様な、設定のミスや矛盾、「どーやったらそんな事できるんだよ!」的メチャクチャなストーリーなど合点がいくし、許せる。マンガだと思うと「ほー 次は作者どんな下手なびっくり箱用意するかな」くらいに楽しめる。ただ、作者は文学のつもりで書いているらしく、無用に普段使わない日本語を多用し随所に文学的表現や、他の文学作品からの薄っぺらい引用を行っている。そのギャップが痛い。 マンガなので読み終わっても、人に貸したり、本棚に飾ったりしない。すぐに駅のゴミ箱に捨てた。だとすると、1470円は高いかな。 | ||||
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人間の業とか精神の深淵とかを圧倒的な筆力で書ききる、というようなことが小説なのではない、と現代文学の表現者たちはいってきたのではなかったか。基本的に、読者の意表をつくストーリー・テリングにのみ腐心した作品が売れてしまうことと安易なカルト宗教にすがる心理は同質のものなんじゃないか。もちろん人間には娯楽が必要だ。精密で同時にダイナミズムに満ちた自然、草花や、人間を含む動物や大気のただ在る通りのままを作家の全部と、それ以上のものを注ぎ込んで描写することが世界を書くことだ、という現代文学が切りひらいた観点から書かれた小説で、純文学ではなく明らかに娯楽作品である、という表現がもし成り立ち得たなら、それはエンターテイメントの未来でありすなわち現代であろうという気がします。取るに足らないことですが作曲家R・Sはあんな話し方はしませんよね、実在の人物にモデルをとった表現は下手だ。あと、ドン・キホーテに触れた箇所があったけど作者がちゃんと読んでないことが透けている。皮肉ではなく、現代娯楽文学の登場を楽しみにしています | ||||
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