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オジいサン
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オジいサンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.78pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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書店に無かったので助かりました。 ありがとうございました | ||||
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皆が持っている心理の描写が共感を得ます。殆どそれだけで進む数日は、退屈で暇で何もすることがない毎日でも人の心はいろんな感情で埋められているということか。いつかそんな日が来るのだろう。 | ||||
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こんなふうな老人になれるよう、実直を頭の隅にでも置いておきたいと思った。 | ||||
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独り身の老人男性の日常を描いた連作短編集。 七篇構成のうち、第一篇のタイトルが「七十二年六箇月と1日 午前5時47分~6時35分」。以降、7日目まで日数と時間だけが変わり、毎日の違う約一時間を切り取る形で進行する。 主人公の益子徳一は結婚歴もなく、会社も辞め、40年前に当選した公団住宅に一人で住み続ける72歳の男性。作中には、とくに親しい人間も現れない。そんな老人男性の内面の語りを延々と綴るのが本作。第一篇、起床した徳一は、"オジいサン"というイントネーションで最近自分を呼んだのが誰だったかを思い出そうと記憶を辿りつつ、布団の中で様々に思いを巡らせる。"オジいサン"という呼び方には、"おじいさん"でもない、"オジイサン"とも違う、言い難い独特の心地よさがあったのだ。 著者作品は初めてです。有名な作家ですが、代表作を経ずに本編に当たったのは、普通の老人男性の生を扱っていることへの好奇心からです。甘いハートウォーミングな作品なら、個人的には期待外れだと思いながら読み始めたのですが、杞憂でした。公園、テレビ、スーパー、料理、回覧板。本当に何も起こらないのが大きな特色です。徳一の思考を読みつづけていると、自分が72歳の老人男性に入り込んで疑似体験しているように感じ、それほど老人男性の思考が巧みに綴られています。同時に、徳一が近所に住む知人たちと会話するときには、外から見えるであろう徳一の姿とのギャップまでも想像させられます。このように、あくまで普通の老人の視点で、何の変哲もない日常を体験させてくれる小説作品ですが、ときおり徳一の心のうちで開陳される老化や時間への考察の鋭さにはハッとさせられます。 社会的には自分の存在には何の価値もないだろうと客観視する徳一は、世間一般にとっては事実そうであったとしても、私にはこんな爺さんに成れれば上出来と思える魅力がありました。普通普通と紹介してきた徳一ですが、他人が子や孫を持つことも一切羨んだことがないような嫉妬心の薄さは、人として大きな特性です。読み手によってはこれほど退屈な小説もないかもしれません。私自身は、よくぞこんな小説を書いてくれたと、好感を持ちました。帯の推薦文には「続きが読みたい」とありますが、甘い展開の続編になるよりは、このままであることを望みます。 | ||||
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初めてよんだよ、、 而して、すげーな。 はまりそうやぜ。。。 | ||||
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私もオジいさんに近いオジさんなので あと十年もしたらこんな風になるのかなぁと 納得してしまいます お若い方にはイライラまどろっこしいでしょうが これが年を経た結果 何れはみんなこんな風になるんだぞ いや、こうなれればまだよい方で 身体を壊したりボケてしまえばもっと悲惨な事になるんだぞ と、老いるという現実をオブラートにくるんで提示してくれているようです 読み進めるのが困難なくらい イライラさせられたのも 作者の術中にはまったのかなと後で思えたので ここは思い切って星5つ | ||||
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今まさに書店で平積みになってる角川文庫版 『地獄』は墜ちる前に見ておけ! 『オジいさん』はそう呼ばれるようになる前に読んどけ! と、思って検索してみたら まだ中公文庫版が発売中、しかも表紙はコチラの方が 肌に合いそう。 というわけでコチラを購入してみました。 | ||||
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徹底して一人称、モノローグで語られる主人公、益子徳一氏の思い。いや、思いとは違うかな?思いに至る前の脳内活動?この文章を読んでいると「めんどくさい」「まどろっこしい」と思えてしまうかもしれない。でも、考えてみれば、誰だって頭の中は同じなんじゃないか?そう思えてくる。人間、常に何かを考えていて、言葉にする意味のあること、価値のあることはそのうちのほんの僅かに過ぎないと思う。ひとつのことについて、ぐるぐるぐるぐると考えを巡らせ、結果、たった一言が生み出される。ここで綴られる京極節は、回りくどく感じたり、無理無理日常使わないような表現や字面を多用してるように思えるかもしれないけれど、益子老人(いまや老人と言うには若いが)の脳内の活動を具現化したらこうなってしまうんじゃないだろうか?などと思いつつ、正直「めんどくせーな」的な気分にも陥りながら読了。振り返れば深い。 | ||||
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この昨家の作品は、初めて読んだ、なんか、怪奇小説ばかり書いてる、昨家さんだと、おもっていたが、こんな、素敵な作品も書くとは、ほのほのぼのとして、おもしろかつた。 | ||||
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オジいサン―と呼ばれたことを思いだしたことから始まる72歳益子徳一の、どうということはない、 別段嬉しくもないが、普通に、平凡に、ただ生きているどうでもない1週間の日常がここまで深く掘り下げられ、 且つ面白く描けるのは京極作品ならでは! カセットテープが燃えるゴミか不燃ゴミか分からずいつまでも捨てられない、地デジは「ちでじ」か「じでじ」 か―いまさら人には聞けないなど些細なことばかりなのだがこれが京極節になると抱腹絶倒間違いなし になるから不思議なものだ。 | ||||
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年をとるとこういう思考回路になるのかと、仕事柄勉強になりました。 年齢を重ねるとじかんが速く感じるのはそれでなのかと納得。 | ||||
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京極らしからず、かれに遊んでもらえる。うなずける読了感に乾杯 | ||||
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至極真っ当な老人小説である。実際にその年齢に達していない作家の手になる老人小説としては、私は筒井のカリチャライズ小説しか知らないが、本作は(そこまで独走していない)枯淡とした味わいを感じさせる中々の出来栄えだと思う。主人公の独居老人の徳一の人物像は作者の創造・想像による架空のものであろうが、読み進めて行く内に次第に親近感が湧いて来た。 これと言ったエピソードも無い独居老人のさりげない日常を淡々と綴ったものだが、その侘しさ、虚しさ、自由なるが故に感じる不自由さ、偶に世間と繋がる時の煩わしさと言った事が、世相に対する皮肉と共に語られる。特に、"時間"に対する考察が興味深く(見開き左頁の下に時計の表示がある)、徳一が「一年が過ぎるのは速いが、一分が過ぎるのは遅い」と感じた時に発した「若者は各駅停車の電車に乗っているが、我々は新幹線に乗っている」との言辞は含蓄がある。また、徳一を律義・頑固で理屈好きな性格に設定している点がユーモア味を醸し出している。紆余曲折した経緯を経て徳一がある事を"理論的に"思い出す描写が何度も出て来る点に思わず微笑んだ。これが上述の侘しさ、虚しさ等をカバーしている。また、各頁の最終行を文の終りと合せる作法はいつも通り。 これと言ったエピソードも無いのに"大円団"と言うのは何だが、きちんとシミジミとした大円団を用意してある辺りも心憎い。作者の他の作品群とは作風が異なるが、読み応えのある作品に仕上がっていると思う。 | ||||
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若い方が読まれてもわからないと思う。 対象年齢は高いと思います。 身体と脳が少しずつ思うように働かなくなる、 そう感じたことの無い人が読んでも退屈なだけです。 人生面白いことばかりではありません。 でもつまらない事ばかりでもないんです。 | ||||
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独り身の老人の日常を、1分1秒'単位で追っている。最初はこんな'偏屈じじいの日常や考えていることを読んでも、なんの感動もない'と思っていたが、ラストが少しあったかい。なんの取り柄もなくただ歳だけとってきたかのように見える老人も、いろいろあっての今で、ただの老人と一まとめにするなとのことだ。ストーリーに起伏'がないのでインパクトに欠けるが'、老人ならではの勘違いや考え方'がくすっとさせる話なんだと思う'。 | ||||
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独居老人の日常が300ページにわたり語られる。 本当にどうでもいい場面がえんえんと描かれる。しかし、いかにもありそうな場面、実際こういう事ばっか考えてるんだろうな、という事ばかりで面白い。ものすごくシュールなギャグがひたすら書かれている本である。 ―商店街の電気屋との会話、 ―いまどきの中学生とのすれ違い、 ―店を閉じたコロッケ屋のうわさ、 ―石川さゆり スーパーベスト、 ―スーパーの試食コーナー、 ―地デジ化の波、 ―料理に手こずる、 ―隣家の息子の悲しい末路、 ―老人を見くびる婦人ボランティア。 ''本当にどうでもいい、そんな日常。 真面目で一家言もつが、やたらと記憶が抜ける、身寄りのない72歳無職老人 益子徳一の思考がトレースされ、無意味な文学へと昇華される。 このオジイサンの、思っても口には出さない踏み込みの弱さが、物語を微笑ましく好感あるものにしているのだろう。 無駄に表現が上手かったり、口に出さない現代社会批判的な事が、何気に的を射ていたりするのが、また面白い。 | ||||
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京極夏彦の本を初めて読みましたが、とても面白かったです。独身で身寄りのない独居老人の生活が淡々と書かれているのですが、全く悲壮感はありません。ただ、何が面白いかと聞かれると、明確に答えることは出来ず、これは好みの問題なのだという気がします。 | ||||
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独居老人の一週間を描いた作品 京極氏の描くキャラクターには、思考がループする人が多い気がする 本著の主人公もその一人だ 平凡な日常が、ふり幅は少ないながらも喜怒哀楽と共に描かれる 不思議な味わいがあり、なかなか良かった ハッピーエンド(?)なラストも好きだ 京極氏の作品のなかでも、特に何も起こらない日常を描いた本作は珍しいのでは!? | ||||
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生真面目で理屈屋の益子徳一さん(72歳独身)が主人公。取るに足りない思考を繰り返す日々、ほとんど変わり映えしない慎ましい毎日、波瀾万丈とは程遠い平坦な日常。それにも関わらず4日・5日目くらいになると、自然と涙が流れるではありませんか。自分でもどの一節で、どんな内容に涙腺が刺激されたのか、まったく分かりませんが、6日目ではこめかみが痛くなる程涙腺を刺激され、最後の7日目ともなると嗚咽をあげて号泣。と、ここまで書いたところで、ふと他の方はどうなんだろうと思い、ブログ検索をし感想を読んだところ、びっくりするくらい誰も泣いていませんでした!皆様とても冷静でいらっしゃいました!という訳で星5つは「おすすめ度」ではなく「個人的嗜好度」です。京極作品を読んだことが無いという方には、百鬼夜行シリーズや巷説百物語から読むことをオススメします。 | ||||
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