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人質の朗読会
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人質の朗読会の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全56件 41~56 3/3ページ
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読んだ後にしっとりとした気持ちになります。人質となった人たち(後に爆死してしまう)の朗読会といった設定。各章の最後に、ごく短い肩書きが添えられているのですが、その人の過去と現在をつなぎ、その人の歩んできた道、人生が垣間見える様な気がします。短編集でそれぞれ連作ではありません。個人的には『「B談話室』が印象にのこりました。 | ||||
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冒頭の状況説明以降、9話目以外は、全て殺された人質の過去の物語であるから、誘拐事件には一切触れていない。しかも物語は全て、それを語る人質自身に取って、人生を見直す天気になった出来事である。彼らはその体験を糧にその後の人生を前向きに生きてきた。どの話も一様に変わっている。そして、自分の人生を省みて、彼らはあえてその物語を自ら選び朗読する。 だがそれはまるで彼らのこれからを暗示していたように思えてならない。彼らは極限状態の中、それでも希望を失っていた訳ではない。しかし彼らは、静かに集い、自分の未来を暗示する物語を、自らの言葉で語り出す。 直接の描写のないこの情景が物語の本質であると思う。 一読の価値はある。 | ||||
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どの話も、その後がとても気になる終わり方をしている。 終わり方も、話の途中でも、いろいろ疑問が湧いてくる。 それがこの小説を魅力的にしている理由の一つかな。ただ、 気になることがたくさんあって読んだあとモヤモヤした 感じも残る。だから、もう少し説明があってもいいとは思うけど。 全体的にはとても静かで優しい小説です。毎日の生活に疲れて、 何もかもが嫌になっているとき、自分がこれでいいのかと悩んで しまうような時に、今の自分を受け入れる慰めと、少しでも先に進もうと 思う力の両方をくれる。今の幸せに気づきつつ、これからの新しい 幸せへの期待も感じられる。でも、そんな話を語っている人たち 全員が死んでしまったという衝撃が、読み始めて最初から最後まで心のどこかで くすぶっている。だから読んだあとも、嬉しさと淋しさが入り混じったような 気持ちになったのかもしれない。 | ||||
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以下感想というよりは個人的な解釈に近いので、不快に感じられたらご容赦願いたい。 作中の人質が語る、各人生のひとコマひとコマは恐らく死についてである。 象徴的であっても、死に深く触れた記憶。 自身が事故により死に瀕したり、交流をもった故人、子供の死を抱え続ける親たちの集まり、様々な人から語られる亡くなったお祖母さん、悲しみを抱え朽ちゆく老人と生命力にあふれた少年の対比。母へ捧げる最後の料理、夫を亡くした喪失感からの昇華、顔も知らない他者を丁寧に悼む気持ち。 それらは、当然ながら見送る側のエピソードである。彼らは死んだ事がないのだから。 異国の地で囚われ、監視され続けるなか、迫ってくるのは死の恐怖であり、不安である。 名前も上手く発音できないような土地で迎えた最悪の結末に、しかし彼らは固く抱き合い、ひとつの塊となって亡くなった。その死に様はどこか穏やかで、かつ彼らの絆を十二分に伺わせる。それは彼らが、自分の痛みを仲間と分かち合い、死の記憶を共有し、今度は送り出される側になる自分たちの立場に向き合ったからではないだろうか。 最後のエピソードは彼らを悼むと同時に、言葉を語ることの力、朗読という形をとった人の営みの慎ましい美しさを表し、総括している。 それぞれのエピソードが少々美しすぎるので現実感には欠けるが、この話が心に響くのは、人質という立場になくても、私たちが日々死に向かって、死と触れながら生きているからであろう。その時を穏やかに迎えるために、私たちには「朗読」が必要なのだ。 | ||||
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人質になった8人とその魂に寄り添った一人が書いて朗読した内容はあまりに静謐で異常な事態に起きた奇跡の産物を聴いている気持ちになりました。 ただ、第一夜の「杖」と、第二夜の「やまびこビスケット」は、文体やモチーフがいかにも小川ワールドで、人質になった人が書いて朗読したのを忘れて小川洋子の短編を読んでいる気持ちになってしまい苦慮しましたが、人質によるものと騙されることにしました。 「少なくとも遺言を残すという深刻な心境ではなく、人質グループとの間にコミュニケーションも生まれ、徐々に命の危険を感じる恐怖は薄れていた」とはいえ、異常事態であるにはかわりない。 生死にかかわる切迫した状況に直面すると言葉には何の意味があるだろうと遠巻きにしている人たちには黙るという選択もありますが、当該者たちはどんどん自分の話を紡いで朗読してゆく。生存に最低限必要な食べ物や切るものだけでなく文化を必要とし育まれているのに胸を打たれました。 | ||||
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一方的な話し手と一方的な聞き手。 そこには何も接触は無いけれども、感動はじわじわ伝わってくる。 恐怖の中での自分の告白。 この感動は凄いあぁ。 | ||||
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なんとなく表紙にひかれてかった作品です。 地球の裏側で人質になった人たちが、それぞれに 自分を語る小説を書く。 発想はすごくいいと思います。 ただ私には小川さんの作品が 肌に合わない感じがして 「博士の数式」と同様に 入り込めなかっやのが 少し残念でした。 | ||||
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異国で反政府ゲリラに拉致された8人の日本人。 いずれ爆死する運命の人質は、監禁されている間、朗読会を開く。 テキストは、自ら書き記した過去の出来事。そこにどんなルールを彼らが設けたのかは、 8人の話を記録した盗聴テープを通して想像するしかない。 しかしいずれの話も、 他者との邂逅によって、人生の「善きもの」を受け取り、それを忘れずに生きてきた人々の述懐である。 語る言葉をいったん文字として書き記すことにより、彼らの記憶は純度と硬度を増している。 9話は、盗聴器から聞こえる朗読の声に耳を傾けていた特殊部隊の男の話である。 この最後の男の話が、8人それぞれのバラバラな記憶を、1点に凝縮する役目を果たしていて、秀逸である。 小説の末尾の数行は、私には忘れられないものとなりそうだ。 本書が刊行されたのが2011年2月。 その時日本には、1か月もしない内に想像だにしなかった状況下で自らの生を終える人々が、2万人以上いて、 日々のささやかな日常を生きていたのだ。 彼らもまた8人の人質のように、若者も老いた者も、働き者も怠け者も、気立てのいい者もひねくれ者も、 みなが人生におけるなにかしら「善きもの」を抱いて、死に向かって生きていたのだ。 もちろん、いまだ生きている私も、同じ流れの中を生きているのだと思う。 | ||||
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小川作品にいつもあふれている静けさの中で、この朗読も始まり、終わる。 おそらく南米か中南米で観光をしていた日本人旅行者たちが、 突然拉致され、監禁される。 彼らは救助作戦のさなか、テロリストたちとともに命を落とす。 のちに、彼らが監禁されていた時にしのばされた盗聴器から、 彼らが行っていた朗読会が発見される… それは、人生を振り返るとかいった大げさなものではなく、 ある人の、人生の中の小さな出来事。振り返って、すぐに気付かないような… 8人の人質が、それぞれの物語を静かに語り、ほかの人質が また全身でそれに聴き入る。 彼らはもうこの世にはいないのだが、そのささやかな物語は人々の胸に残る。 朗読会は、神聖な、宗教的な儀式にも似て思えたのは私だけだろうか。 淡々と、自負することなく、語るべきものがそこにあるから、 そして聞いてくれる人がいるから、開かれた朗読会。 それがたとえどんな状況であっても、人間とは語る生き物なのかもしれない、 と思った。 | ||||
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社会の底辺で黙々と毎日をおくる人々の人生の 尊さを生命の喪失と対比して見事に描ききった 佳作だと思います。 個々の話は日本の社会のモザイクにほかならず、 最後の話でこれは個人の話ではなく 日本という文化への畏敬の念だとわかるのです。 この小説に底流に流れる日本の底辺を支える人々の 強さ、崇高な魂は3.11の震災の跡に被災した東北の 人々により図らずも世界に示されることになりました。 しかし、今の政局を見るに、果たして、最後に 掲げられた日本というものへの信頼、それは本当 社会全体にいえることなのか疑問もわいてきます。 そうした政治家、官僚しか生み出せない社会全体の 問題ではないでしょうか? http://paradimeshock.blogspot.com/ | ||||
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最初から主人公である8人の人質は死んでしまったと、わかって始まる8人の物語に静かに耳を傾けられるのだろうか。痛みばかりではなくいとおしさをもって寄り添いながら読み進められるのだろうかと恐る恐るページをめくった。しかし人質たちが物語を語ることになったいきさつを語った冒頭部分ですでに物語にからめ捕られていく。「いつになったら解放されるかという未来」ではなく「自分たちの中にしまわれて」「決して損なわれない過去」に耳をすませることが必要なのだ。と、小川ワールドに深く静かに潜っていけるのだった。 それぞれのささやかな日々の生活の中のささやかな物語が、どれほどいとおしくどれほど生の輝きを持ってこちらに迫ってくるか。だからかわいそうというのではない。読後に残る涼やかな印象はなんだろう。彼らは生きているのである。物語を通して生き続けているのだ。 全編を読み終わった後に「もしも自分だったら何を語るだろうか」と考えた。そして物語ることの意味、物語ることの必要性を改めて考える。物語のイメージを左手に握りしめ、右手で今自分のできることを一つ一つ丁寧に生きていこうと、勇気をもらった一冊。こんな時代だからこそ多くの人に読んでほしい一冊。 | ||||
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日曜日から次の日曜日まで、毎晩夜10時に放送されたラジオ番組「人質の朗読会」 そこで朗読した8人の人質たちは、全員ダイナマイトの爆発により死亡した。 その劇的な最期にも関わらず、人質達が思い出して語った「未来がどうあろうと決して損なわれない過去」は 平凡で些細な話でしかない。 それでも、だからこそ、できそこないのビスケットやコンソメスープやバッティングセンターや公民館の話が おそらく犯人グループのメンバーや、ラジオを聞く人や、この小説を読む人の心へ静かに流れ込むのかもしれない。 | ||||
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小川洋子独特のいつもの世界に心地よく浸ることができた。 大震災というスパイスが夢中にさせたのかもしれない。 私の心は、自分も知らない間に疲れていたんだなとわかる。 小川洋子の作品は心のひび割れにそっとしみ込み、静かに、騒ぎ立てることなく 癒してくれる。 なんでもない日常が本当は一番輝いていた。そんなことに気が付くのは 緊張を強いられる非日常の環境におかれているから。 環境が変えられないなら、あの日の気持ちだけでも取り戻そう。 賢明な人質たちは気が付いた。今このときも日常なのだ。朗読はそれを取り戻す ための手段。自分が生きてきたことの記録。 毎日を静かに、丁寧に、ゆっくり生きていこう。 覚悟を決めたら楽になる。 すぐに何かが変わるわけじゃない。 今このときも自分の大事な人生の時間なんだ。 手の届かない問題に振り回されたら損だよ。 自分を大事に、周りの人を大事に生きていけばいいだけなんだ。 そんな気持ちにさせてくれる本かな。 | ||||
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異国でテロリストに誘拐され、その救出作戦が失敗し爆死した8人の日本人が、拘束時に慰みに行なった朗読会の記録という形で、前作「原稿零枚日記」にも似た日常から非日常へと迷い込んでいく8つプラス1の記憶が語られていく。 前作以上に、章毎のつながりはなく、鮮明に描かれる記憶の断片が、何を伝えるものなのかは、むしろ一層不明確である。 最初に「非日常」という表現をしてしまったが、おそらく、8人は各々の話を初めてしたのではないかと思われる。日常において関わる者に話して受け止めてもらえる内容でもないし、なぜ鮮明に記憶されているのか本人すら分からない内容もある。市井の一市民の心に止まる記憶の断片、共有するものもなく失われるはずだったものが、本人が存在を残せぬまま死ぬという形で、彼ら・彼女らの生の証として、彼ら・彼女らに関わるものに最後に残されたメモワールとなってしまう皮肉。 しかし、誰もそれを皮肉と思わず、よく分からない断片から失われた者へのメモワールを紡いでいくのだろう。プラス1の記憶が、まさに8つの記憶に触れた者から語られたように。 このバラバラのメモワールから何を感じ取るかは、読者個々に大きく委ねられているが、これこそが前作に続いての作者の意図するところだろう。 実際、本書発行から間もなく起きた311の大惨事によって、私達は、無数の見知らぬ誰かの記憶の断片を否応なしに突きつけられるという非日常的な体験をしている。 震災と付随した火災が中心だった阪神淡路大震災では、遺品の多くは死者と紐付けられ、焼かれず遺った者は所有者が生きていれば、多くはその者に還っていった。 しかし、今回の惨事では、持ち主も明らかでない遺物が、もはや持ち主とも住み処とも切り離され、まさに記憶の断片として打ち捨てられている。家族旅行、結婚式、おとうさん・おかあさんありがとうの絵、自分の夢を語った作文、久々に老父母と撮ったスナップ、本来は幸せとその所有者が明らかな記憶が、そのつながりを失ったことで、第三者の想像と悲しみに補完されるだけの遺物となる恐ろしさを体感したことで、私達は本書を明らかにそれ以前とは違う読み方を余儀なくされるし、そこに触れぬものはただただ虚しいレビューではないだろうか。 いまのところ、ポスト311文学は生まれていないが、311の直前に本書が生まれたことが偶然なのか時代の息遣い等からの必然であったのか個人的には興味を持つところである。 | ||||
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地球の裏側で、思いがけず誘拐され、人質になってしまった日本人ツアー客達。 しずかな、、人質生活のなかで、 人質達が、思い出話を記録し、、朗読しあった物語、、という設定。 足を挫いた鉄工場の青年のために、子供らしいひたむきさで杖を作る話、、 隣りの”おかしい?”娘さんが、自分の母親のためにコンソメスープを作る話、、 因業大家さんとの、出荷できないビスケットを通じた交流、、 談話室のいろいろなセミナーに参加し続ける話、、 固めの不自由なぬいぐるみを作る老人との交流、、 どれもこれも、不思議な余韻の残る話でした。 静かで、、ある意味、日常の話なんだけど、 あるとき、どこからか、、 どこか違う世界とつながっている感じで、、。 | ||||
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地球の裏側にある異国で人質になった八人が、自分の人生の忘れがたい思い出、過去の記憶をそれぞれ一つずつ書いて、朗読し合おう。八人の人質の誰が言い出したのか分からない、彼ら一人一人の人生の物語を、八つと一つの全部で九つ収めた連作短編集です。 九つの物語はどれも、語り手がまだ子供だった頃、あるいは何年、何十年か前の昔の忘れ得ぬ体験、出来事を綴ったものばかり。人生の途中で出会い、心を通わせた人物に対する語り手のあたたかな気持ち、その思い出を大事に心にしまっておいた語り手の思いの深さが伝わってきて、何だかしんみりとしてしまいましたね。ささやかだけど、素敵な人生の一コマを垣間見せてもらった、いや、聴かせてもらったみたいな。祈りにも似た、密やかで静かな調べを湛えた物語たち。しんと、心に響くものがありました。 「中央公論」2008年9月号〜2010年9月号に掲載された九つの物語のタイトルは、「杖」「やまびこビスケット」「B談話室」「冬眠中のヤマネ」「コンソメスープ名人」「槍投げの青年」「死んだおばあさん」「花束」「ハキリアリ」。 不思議なインパクトを持つ登場人物たちのなかでも、「やまびこビスケット」に出てくるアパートの大家さん、「B談話室」に出てくる公民館の受付の女性、「槍投げの青年」に出てくる青年の姿が印象的だったな。 同時期に執筆された『原稿零枚日記』(2009年1月号〜2010年4月号にわたって、「すばる」に掲載)もとても魅力的な作品だったけれど、こちらも、しみじみとした味わいが心に満ちてくる一冊でした。 | ||||
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