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フーコーの振り子
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【この小説が収録されている参考書籍】
フーコーの振り子の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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中古本としては、それなりに良いと思う。本の内容が、素晴らしい事を期待して、楽しみにしています。 | ||||
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丁寧に梱包されており、商品も説明通りの状態でとても満足です。もう書店では買えない本なので、こちらで安価で購入できて助かりました。 エーコの独特の文章、世界観を楽しめる作品だと思います。 | ||||
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今回のエーコの作品はかなり魅力的なキャラ達が出てくる。特にアンパーロが私は好きで、自分に似ていると思った。「女性は感じやすいから。」と儀式で踊る女性達に皮肉の言葉を投げ掛けるのがナイス!その後の彼女の不幸な体験に寄り添えない主人公にイライラした。気持ちは分かるが。 下巻にアンパーロの活躍があるのか期待する。 エーコに出てくる女性は、女性軽視を嫌がるふりはするが、男性目線で描かれているので、都合のよい女性にされてしまっているのが嫌かな… 後は文句なし。訳者も上手いと思う。かなりの知識がないとこんな本は訳せないだろう。私はフランス語話者なので、フランス訛りのイタリア語を日本語で面白く訳しているのに笑いがこみあげた。 | ||||
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評者は、ウンベルト・エーコの小説第一作『薔薇の名前』(1980年)の翻訳出版(1990年)されてすぐに読んだから今でも分厚い単行本の上・下二巻は手元にあるが、もう20何年も前に読んだ本だが面白いミステリだった記憶である。 この本が出る前に映画化され日本でも上映されていたが、評者は映画館へ足を運ぶこともなく観ることはなかった。 この映画化された『薔薇の名前』がTVで放映された時、ショーン・コネリーの好演もあり、小説のイメージを損なっていない映画だと思いながら感心しながら観た記憶である。 エーコの第二作である本書『フーコーの振り子』も読んでみたいと思ってはいたが、内容紹介をなにかで読んで読む気が起きなかった。 が、長年なんとなく気になっていたことも事実であり、今回思い切って読むことにして「Amazon」で購入してしまった。 本書を数十ページほど読み進み、やはり評者の好みの作品ではなかったかなぁ、との思いが募ってきてしまった。 主人公のカゾボンがパリの国立工芸院の博物館で展示物などを見学するところからこの物語は始まる。 もちろん「フーコーの振り子」もこの博物館に展示してあるからその解説をしたり、あれこれ他の機械など罵ったり、その機械の歴史などをながながと説明しながら閉館まで時間を過ごし、何故かこの博物館のなかで夜中まで彼は隠れていなければならないのである。 カゾボンは隠れるのに都合のよい潜望鏡を見つけ、その中に隠れ、何故ここにいるのかを読者には謎のままにして、時系列を、二日前に戻したり、二日後に戻したり、カゾボンが学生時代にガラモン社という出版社のベルボやディオタッレーヴィとの出会いから、この出版社の仕事をするようになったかなどのエピソードを語りながら、失踪したベルボがパソコンに残した記録を挿入しながら物語は時系列を行ったり来たりする。 国立工芸院の博物館の潜望鏡で過ごしてから何が起きたのかをカゾボンは語らないが、その夜から二日後に、回想しながらこの物語を語リ始めているから、彼が生きていることは確かなのである。 ベルボと出会った酒場でテンプル騎士団を卒業論文にしていたことから、ベルボの同僚のディオタッレーヴィも交えて会話する場面やカゾボンがガラモン社を訪れてベルボやディオタッレーヴィと交わす会話などに出てくる知らない人名などを電子辞書やパソコンで調べることを始めてしまった。 テンプル騎士団などの知識は少しはあったが詳しく知りたいために新たに調べたり、カバラなどの知識もないから調べたりと、読み進むのに時間がかかってしまった。 カゾボンが大学卒業後、恋人のアンパーロを慕ってブラジルへ行き教師の仕事に就きブラジルで二年も過ごすことになる。 ブラジル滞在中にアッリエという得体の知れない人物と出会い、その男の誘いでオカルト儀式を経験する話のころから、この小説をそんなに真剣に読むほどの物語としてエーコが書いてはいないことに遅まきながら気がついた。(この儀式のあとアンパーロは彼から去ってしまった) 哲学者であり、記号学者でもあるエーコが異端宗教(オカルト)をネタにして、諧謔と皮肉もまじえながら自身の博学を披歴している小説なのだ、と気楽に読み進むことにした。 ガラモン社の親会社であるマヌーツィオ社の社長がガラモンであり、この男が企画しているオカルト的な内容の叢書のアドバイサーとしてかってカゾボンがブラジルで知り合ったミラノに居を構えているアッリエをマヌーツィオ社に紹介したところから物語は複雑に絡み合って進み始める。 もう惰性で読んでいるような物語であるが、主人公のカゾボンが何故パリの国立工芸院の博物館の潜望鏡に隠れていなければならなかったのか? そしてベルボが何者かに拉致されたのではないかというの謎は謎のままで上巻は終えている。 マヌーツィオ社の強欲なガラモン社長が登場して自費出版希望者が出版元と契約する契約書の内容などの裏話を読んでいたら、エーコの本を出版する会社などは、必要以上にナーバスになっただろうと、つい笑ってしまったのです。 それにしても上巻だけで560ページ以上もあるし、知らない人名や病名なども調べたりして難儀した。 たとえば「瘰癧」などという病名が出てきて電子辞書で調べたら「頸部結核」のことだと知ることができたが、ここでは頸部結核と訳せばよいだろう。 そのほか硅素渓谷?なんだこれと思い、あ~っ、シリコン・バレーのことかと分かったものもある。 翻訳がますます本書を読み難くしていると感じたのは評者だけだろうか。 もうひとつ難を言わせてもらえば、よく見開きページなどに主な登場人物紹介があるが本書にはそれがない。 評者は、『薔薇の名前』を、星5ヶくらいと評価しているから、本書『フーコーの振り子』上巻を読み終え、評者だけの感想を言わせてもらえば、この『フーコーの振り子』は、まあ星3ヶくらいの評価だが、下巻を読んでいないからとりあえず星4ヶとしておきます。 カゾボンが何故パリの国立工芸院の博物館で夜中まで過ごすことになったのか?そしてベルボの行方は?という謎だけに惹かれて下巻を読み始めることにした。 | ||||
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評者は、ウンベルト・エーコの小説第一作『薔薇の名前』(1980年)の翻訳出版(1990年)されてすぐに読んだから今でも分厚い上・下二巻は手元にあるが、もう20何年も前に読んだ本だが面白いミステリだった記憶である。 この本が出る前に映画化され日本でも上映されていたが、評者は映画館へ足を運ぶこともなく観ることはなかった。 ショーン・コネリー主演の映画をTVで放映された時、ショーン・コネリーの好演もあり、小説のイメージを損なっていない映画だと思いながら感心しながら観た記憶である。 エーコの第二作である本書『フーコーの振り子』も読んでみたいと思っていたが、内容紹介をなにかで読んで読む気が起きなかった。 が、長年なんとなく気になっていたことは事実であり、今回思い切って読むことにして「Amazon」で購入してしまった。 本書を数十ページ読み進み、やはり評者の好みの作品ではなかったなぁ、との思いが募ってきてしまった。 主人公のカボゾンがパリの国立工芸院の博物館で展示物などを見学するところからこの物語は始まる。 もちろん「フーコーの振り子」もこの博物館に展示してあるからその解説をしたり、あれこれ他の機械など罵ったり、その機械の歴史などをながながと説明しながら閉館まで時間を過ごし、何故かこの博物館のなかで夜中まで彼は隠れていなければならないのである。 カボゾンは隠れるのに都合のよい潜望鏡を見つけ、その中に隠れ、何故ここにいるのかを読者には謎のままにして、時系列を、二日前に戻したり、二日後に戻したり、カボゾンが学生時代にガラモン社という出版社のベルボやディオタッレーヴィとの出会いから、この出版社の仕事をするようになったかなどのエピソードを語りながら、失踪したベルボがPCに残した記録を挿入しながら物語は時系列を行ったり来たりする。 国立工芸院の博物館の潜望鏡で過ごしてから何が起きたのかをカボゾンは語らないが、その夜から二日後に、回想しながらこの物語を語リ始めているから、彼が生きていることは確かなのである。 ベルボと出会った酒場でテンプル騎士団を卒業論文にしていたことから、ベルボの同僚のディオタッレーヴィも交えて会話する場面やカボゾンがガラモン社を訪れてベルボやディオタッレーヴィと交わす会話などに出てくる知らない人名などを電子辞書やパソコンで調べることを始めてしまった。 テンプル騎士団などの知識は少しはあったが、新たに調べたり、カバラなどの知識もないから調べたりと、読み進むのに時間がかかってしまった。 カボゾンが大学卒業後、恋人のアンパーロを慕ってブラジルへ行き教師の仕事に就きブラジルで二年も過ごすことになる。 ブラジル滞在中にアッリエという得体の知れない人物と出会い、その男の誘いでオカルト儀式を経験する話のころから、この小説をそんなに真剣に読むほどの物語としてエーコが書いてはいないことに遅まきながら気がついた。(この儀式のあとアンパーロは、彼から去ってしまった) 哲学者であり、記号学者でもあるエーコが異端宗教(オカルト)をネタにして、諧謔と皮肉もまじえながら自身の博学を披歴している小説なのだ、と気楽に読み進むことにした。 ガラモン社の親会社であるマヌーツィオ社の社長がガラモンであり、この男が企画しているオカルト的な内容の叢書のアドバイサーとしてかってカボゾンがブラジルで知り合ったミラノに居を構えているアッリエをマヌーツィオ社に紹介したところから物語は複雑に絡み合って進む。 もう惰性で読んでいるような物語であるが、主人公のカボゾンが何故パリの国立工芸院の博物館の潜望鏡に隠れていなければならなかったのかの謎は謎のままで上巻は終えている。 強欲なカボゾン社オーナーが登場してから自費出版の裏話などを読んでいたら、エーコの本を出版する会社が著者との出版契約にナーバスになっただろうと笑ってしまった。 それにしても上巻だけで560ページ以上もあるし、知らない人名や「瘰癧」などという病名が出てきて電子辞書で調べたら「頸部結核」のことだと知ることができたが、ここでは頸部結核と訳せばよいだろう。 そのほか硅素渓谷?なんだこれと思い、あ~っ、シリコン・バレーのことかと分かったものもある。 翻訳がますます本書を読み難くしていると感じたのは評者だけだろうか。 評者は、『薔薇の名前』以上の作品ではないと思いながら『フーコーの振り子』上巻を読み終え、カボゾンが何故パリの国立工芸院の博物館で夜中まで過ごすことになったのかの謎だけに惹かれて下巻を読み始めることにした。 | ||||
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皆さんも書いておられますが、最初は確かに 読むのに苦労します。 しかし、文章の雰囲気に慣れてくると夢中になって読みました。 ベルボやディオタッレーヴィ、アッリエこと サンジェルマン伯爵、 自分の意見をはっきり言うヒロイン達、 登場人物がみんな生き生きとしています。 文章に慣れてくると、本当に楽しく読めました 是非ご一読を!! | ||||
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まんまと引っかかってしまった。エーコの図書館並みの博学とダヴィンチコードの上をゆくスリリング、かつ先の見えない展開。劇中劇のようなベルボのトラウマを引きずった小説、周りを見渡せば、不死身のサンジェルマン伯爵(?)を含め怪しい人物ばかり。あまりの説得力に、地下鉄は世界中の地下世界の入り口か?とマジでぞっとする始末。閉館後の博物館のカビ臭さまで漂ってくるような…それもそのはず、主人公はすっかり恐怖に縮み上がってひきこもってしまう。そんな中で女性のたくましく、健全な認識は同姓としてうれしい限りである。また、出版業界の裏ワザには笑わせられる。エーコの実体験か?彼の最新本がその絡みのようなので、発売が楽しみ。 | ||||
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"薔薇の名前"で好評をもって迎えられた記号学者エーコの2作目の小説である。購入してから読むまでに10年、読み始めて2週間かけて読み了えた。あらすじを知ってから読んでもこの小説の魅力を減じられることはないだろうから、ざっとまとめてみる。 つまり、中小出版者の編集者や協力者が、"テンプル騎士団の陰謀"について遊び半分で論じ、まとめてしまったところ、遊びで済まなくなったという話しである。物語の展開としては前作"薔薇の名前"とは違って謎解きに重きを置かれた小説ではないので思わせぶりな伏線などは基本的にないが、兎に角、展開が拡散と収束を繰り返し、話しが進まない。 しかもウンベルト・エーコは記号論の学者である。記号論とはシニフィエンとかシニフィアを用いて、言葉の持つ概念について分析する哲学的方法論である。つまりエーコが用いている単語が実際自分が理解している意味で使われているのだろうか、など疑問が持ち上がってきてしまう。その上、翻訳になっているから、もうどうなのか確かめようもない(イタリア語に長けているなら別なのだろうけど)。そうしたことにかかずり合っていると、いつまでも読み進められなくなる。その内に煙に巻かれている様な気になってきて、いつしか不思議な小説世界に引きずり込まれてしまう。それこそがエーコの狙いなのかも知れないけれども。文章自体は自然で決して読み難い訳ではない。良い評判は聞かないものの個人的には、翻訳としては良心的な労作の部類だと思う。 テンプル騎士団の陰謀と言えば、大体想像が付くと思われるが、要はオカルトを題材にしている。オカルトは神秘主義などと共に語られることが多く、本邦では「月刊ムー」的な位置付けのシニフィエとなってしまっているが、背後に隠された物を白日の下に曝すと言ったニュアンスで使用されることが多い用語である。しかも元来は異端とか俗説と言った概念であり、知的作業の所作であり、知的遊戯である。その意味では文庫版の帯に書かれていた「知の響宴」の意図が理解出来ると思う。そしてこうしたものはまさにエーコの為に用意された主題と言っても良いのではないか。 では、小説自体の体裁であるが、これがまた秀逸だと自分は思うのだけれど、喜劇になっている。エーコは幾度か、オカルティズムの陥穽に対するストレートな批判を織り交ぜて、主人公への読者の感情移入を阻害する。それにより物語をシリアスに進められながらも喜劇に帰着させている。ところでオカルティズムの技法というのは、資料の深読みを積み上げて、独自の結論を導き出すというものである。巷に言う「行間を読む」作業は裏読みであるが、それに更に別の意味付けをすることが深読みである。賢明であれば、この時点で論理が飛躍してしまっていて、客観的でなくなっていることに気付く筈である。エーコはこうした批判的視点を所々に導入している。恐らく、登場人物の中でこの客観性を終止保っていたのは只一人だけである。 そうして延々と前置きが積み重ねられていくので前述の通り、話しが進まない。時折、収束していくかと思えば、また拡散することが幾度も繰り返される。読んでいるといつまでも終わらないのではないかと気持ちが挫けそうになるが、それを堪えて読み進めると、恐らく全体の8割方進んだ所辺りから、展開は速度を増し、大団円を迎えることとなる。謂わば、ディスニーランドにあるスプラッシュマウンテンの様な物語である。 ところで、振り子と共に提示されるフーコーは通常レオン・フーコーである。フーコーの振り子とは、地球の自転を証明する為の実験で、振り子自身は単振動を繰り返しているに過ぎないが、地球の自転により少しづつ軌跡がズレていくというものである。主人公たちが"テンプル騎士団"の陰謀に振り回される様を隠喩しているのだろう。またレオン・フーコー自身が"正式な科学者"ではなかった為、この振り子の実験自体が当時オカルト扱いを受けていたそうである。深い題名である。また哲学の世界ではミシェル・フーコがいる。この人は自分自身が構造主義として理解されながら、構造主義を批判し続けた人であるが、その重要な主張の一つに「知と権力」の関係性についての考察がある。テンプル騎士団に限らず、一般的にオカルトとは権力との関連を想定されるものである。エーコは、記号学者として題名にこうしたシニフィエの拡散をも内包しているのではないか、などと勘ぐってしまう。そして、すっかりエーコの罠に嵌まり、登場人物たちとは一線を画していたつもりが木乃伊になってしまい、日常で深読みする癖がいつしか付いてしまっているのである。 | ||||
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タイプライター オーネットコールマン フリー 洞窟 編集中 | ||||
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1988年のウンベルト・エーコの作品。主人公ガゾボンがテンプル騎士団の陰謀を探る内にそれに巻き込まれていくというのが、この作品の娯楽性の部分の主体で神秘学、オカルト学に関する引用が盛り込まれ、秘密結社の陰謀として面白おかしく進むのだが、映画のインディジョーンズとかナショナルトレジャーだとかヤングシャーロックの様な娯楽作としては書かれてはいない。古代人の世界観でもある、精神である「王冠」と肉体である「王国」を結ぶ「知恵」「理智」「慈悲」「厳格」「美」「勝利」「永遠」「根底」という陰陽、表裏一体の人間世界で類推の森を徘徊する主人公ガゾボンや世界の象徴である振り子の不動の点を求める秘密結社の人間活動に擬えて各章が構成されており、さらには各章の序文である冒頭の神秘学や思想書、幻想小説の文献からの引用文にそって、その章の話の展開が作られており、実に凝っているし、そのこじつけが妙に上手く少し遊びすぎな気もするがエーコの言いたい事の主幹である「事象の関連とこじつけ」に沿っているから自虐的お遊びとも取れ、見事という事にしておきましょう。さらには、もう一人の主人公とも言えるベルボの自己の存在の認識を懊悩する姿とそれをも我等がサム・スペードたるガゾボン君が同時に解明しようとするのだから、本作が長大になるのも仕方が無い。時代背景も本作のガゾボン君が行動するリアルタイムである鉛の時代のイタリアと、ベルボの幼少期のパルチザンとファシストの対立の思い出に14世紀のテンプル騎士団の弾劾から17世紀のアンドレーエの「科学の結婚」から始まり18、19世紀を類推の迷宮に陥れた薔薇十字伝説が並行して展開し、人間心理の部分で見ても、ガゾボンから見た事象のお遊び推理の部分とベルボの心理から見た実存の在り方の部分が入り乱れているので読者は読みこなすにはある程度の根気がいると思いますよ。敢えて名づけるなら「オカルトミステリー」が表で「存在意義ミステリー」が裏にあると言えようか。そして人によって様々な読み方があると思うが、ガゾボンとベルボに深く関わるタイプの違う3人の女性と主人公達との関わりと世界観が読み応えがある。前半にしか出てこないアンパーロとの会話が考えさせる物があって個人的には良かったが、個性的キャラ達が後半になるにしたがって、微妙に尻すぼみに一つの事に収束してしまったのが残念だが、キャラを楽しむ作品では無いのでいたし方が無い。(下巻に続く) | ||||
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購入時は挫折したが、改めて読みだしたら、面白さにどんどん引き寄せられた。いえ、書いてあることの半分も理解できていませんけど(爆)。 これを読んでいるときの幻惑されるような陶酔感は、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を読んだときのことを思いださせた。全然違う小説なのにネ。 主人公が「生まれはミラノでも、先祖はれっきとしたヴァルダオスタの出身なんですからね」というセリフがある。 そうか、ヴァッレ・ダオスタはイタリア国内ではそういう風土として受け入れられているのか。4年前の真冬に訪れた、あの谷間のまちアオスタ市のことが懐かしく思いかえされた。 それはともかく、この本から『ダ・ヴィンチ・コード』と『風の影』と『ナインスゲート』が生まれた……と言っては言い過ぎだろうか。 | ||||
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「すべては繋がっている」という「陰謀のセオリー」。われわれはあふれる記号の海を生きている。直感と推論なき歴史学など存在しない。この作品では、「陰謀論」の生成過程が濃密に活写されている。そしてそれがテンプル騎士団、パルチザン伝説、そして「鉛の時代」の「連関関係」とオーバーラップしている。「つながり」を「発見し」、偽史を練成していくプロセスの描写の濃密さは、見事。 でも、とにかく記号の羅列、羅列なので、正直読むのがしんどい。「薔薇の名前」と比べ、小説として成功しているとはいえないのではないか。でもエコである。彼の美学史や記号論に興味がある人ならきっとわかるかも。この作品が研究者ならば、想像力あふれる研究者ならではの妄想だということが。 あと訳がよくないのだろう。よみにくい。 | ||||
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エンターテイメント性では前作が上。そして物語のスケール、緻密さでは本作が上。出来は甲乙つけ難いと思われます。エーコの膨大な知識をいちいち検証しようと思って読んでいたらいつまでたっても読書が進みませんので、「えいっ!」っと作者を信用してひたすら読み進めるのが吉と思われます。ふたつの時間軸が前後するのも、よくある構成とはいえ、読者を混乱に陥れる原因となります。そしてどこまで史実に則って、どこまでがエーコの創作なのかわからない物語の伏線も。 文庫化されて入手もしやすくなりましたし、物議を醸す訳もありますが(「恐れ入谷の・・」以外にも驚愕の訳がいくつか登場します。確かにやり過ぎ。)、ストーリーを追う上ではそれほど障害にはならないと思われます。というか、日本語以外で読むのはきっと辛すぎ。 「薔薇の名前」に魅せられた方は是非怖がらずにご一読を。 | ||||
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エーコは翻訳にあまり重点を置いていません。翻訳とは原語を自国のよく似た言語に変換するわけですが、情報工学のエントロピーの法則では翻訳すれば情報のかなりの部分が拡散します。記号学者エーコが研究している大きなテーマでしょう。フーコーの振り子では『薔薇の名前』以上のエーコのストーリーテラーぶりを見せていただきました。この本はオカルト的な神秘さと日常に潜む興奮とに満ちています。エーコは百科全書的学者で私たちに眠れぬ夜を与えてくれます。是非一読してください。 | ||||
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日本語版が余りに劣悪なので,英語版に切り替えたら,読了に1箇月かかった.いけさんが怒って居られる恐れ入谷の鬼子母神は,英語版では Amen. その前の行に素粒子加速器を表す長い学問用語があって,聞かされた方がもう沢山だと言う意味でそう唱える.一般に,用語は宗教から錬金術,現代科学まで厳密で,ふざけた言葉は出てこない.薔薇の名前のレビューに述べたように,Eco の語彙は実に巨大で,イギリス人も英語版は字引が必要だ,とこぼす有様 (Amazon.co.uk を見て下さい). 話し手の Casaubon は,Templars (Knights Templar) の研究でミラノ大学の博士号を得たが,periscope に取付かれている上に,現実と幻覚を区別できない.主な議論相手のBelbo は,振り子に取付かれている.そんな彼等の前に,一斉に処刑された Templars の復讐計画書なるものが持ち込まれる.もう一人の編集者と三人で,これを種に思いつくままに様様な文書やアイディアを MS-DOS パソコンのデータベースとして加えて行く.出来上がった彼等の計画書は,あと一つ,地図さえ見つかれば,思いのまま世界を支配できる,というもの.こうして,パリの Conservatoire des Arts et Metiers で,Templars の総会が開かれ,Belboは人身御供として振り子に殺される.Casaubon の欠点で,どこまで本当だったのかは判らない.それより先,Casaubon の愛人 Lia (子供もいる) は,復讐計画書の原本を研究して,これが現代の,洗濯屋のメモだと結論づける. 結局,この大作はなにを言いたいのか.恐らくBelboたちのやったようなでっち上げがどんなに危険かを例示し,ついでに,怖ろしい心理スリラー (あるいは,怪談) として纏め上げたのかと思われる.なお,英語版でも,フランス語,ドイツ語,イタリア語,ヘブライ語,ギリシャ語が断りなしに現れる有様で,余り読めとは言えない. | ||||
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はっきり言って、この先一生この話を完全に理解することは出来ないかも。 それでも十分おもしろかった。 たぶんヨーロッパ中世のいかがわしさに興味のない人には、 全然おもしろくない話だと思うけれど、 澁澤龍彦系が好きな人には、かなりおいしい話だと思う。サスペンスフルな展開で、 テンプル騎士団の謎が少しずつ明かされていくところは、これって本当の話なのかと思わせるくらい説得力があった。 未だにヨーロッパって裏でいかがわしい秘密結社なんかが はばをきかせていても納得できる雰囲気があるしね。それからクセのある登場人物の話や、出版界の裏話なんかも楽しい。 一番好きなのは、かなりモンティ・パイソン入っている 大学改革構想のところ。まったく無意味な学科を創るという遊び(?)だけれど、 思わずニヤニヤして、自分でも考えてしまった (「サハラ砂漠の群集心理」とか「南極農業史」とか くだらないけど、頭は使う)。とりあえず読み終えたことで、自分で自分をほめたくなるし、 これ読んだってだけで、インテリになった気分が味わえることだけは、 間違いないと思います。 | ||||
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きっと読みきるのが難しい部類の話だと思う。 まき戻る時間、突然現れるベルボの小説のような小説、出版社の事務室の中のマニアックすぎる会話、時折現れるサンジェルマンの影、場と心を乱すロレンツァの姿。 最初は遊び半分、けれども次第にのめりこんで行く「真実を作りだすこと」に、もし読んでいるこちら側もハマってしまったら、多分、物事を見る目が少し歪んでくると思う。 読後、物事を片端から関連付ける癖がついてしまって未だに苦労している。 テンプル騎士団や薔薇十字、ユダヤ教の秘儀、ゴーレム、オカルトの知識がほとんどないのでぽんぽん飛び出す専門用語には苦労するけれど、それを知るのも醍醐味。 難をつけるなら、これはどう見てもミステリーではないだろう。 ラストを迎えても、考えねばならない事がたくさんありすぎる。 | ||||
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「ウソでも百回繰り返せば本当になる」と言ったのは誰だったか。 迷信、迷妄、それ自体が実体の無いものであったとしても、それを信じる人が力を持つようになったとすれば、それはもう立派な現実となってしまうのである。これはそんなようなお話だ。物語は壮大な言葉と歴史とオカルトの探索の旅、知的好奇心はシビレっぱなしである。めまいがするほどに巨大な知の殿堂。宝捜しのような楽しさが、突然怒涛のように動き出すサスペンスに侵食され、あとは一気にラストへなだれ込む。ガラス越しに安全な場所から謎を楽しんでいたはずの傍観者たる自分が、気がつけば当事者に。この恐ろしさ、ドキドキ感。味わわずしてなんとするか。 | ||||
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出だしの難解さに思わず読むのを止めてしまおうかとも思ったが、上下巻とも買ってしまったのでもったいなくて留まった。そこを何とか突破したあとも、この作者はオカルト文献を片っ端から研究したのではなかろうかと思われる程の膨大な知識が披露されてしまうのだ。でも、それに耐えても先に読み進みたくなるのは、ストーリーが面白いから。読み終えた時には、なんてオシャレな物語なんだ、とさえ思えるほど爽快な気分になった。 | ||||
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