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フーコーの振り子
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【この小説が収録されている参考書籍】
フーコーの振り子の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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あらゆるオカルト系の知識が乱雑に散りばめられている…だけ。 かなりの予備知識がない読者には何の話だかさっぱり分からないだろうが、 かなりの予備知識がある読者にはあまり新しい発見はないだろう…。 それくらい浅く広いオカルト情報の洪水だ。 ミステリー小説としては三流としか言えない。 ストーリーには流れが無いし、会話も支離滅裂で、極めて読みづらい。 著者自身がオカルトにのめり込み過ぎて頭がおかしくなってしまったのだろうか?? ゴチャゴチャに詰め込まれたオカルト情報のオモチャ箱…といった感じである。 現実世界への応用をそっちのけにして、純粋数学の形而上的数学論にのめり込み過ぎた哀れな数学マニア…とでも表現するべきか…。 読者を聡明に導く…というよりは、 読者を低俗な迷いの森に引き込もうとしているようにすら感じる…。 読み終わっても心に残るモノがほとんど無い。 (翻訳の難しさも考慮して星を三つ付ける。) | ||||
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押し入れを整理したら単行本上巻が出てきた、 初版である、 なぜ上巻だけかと言えば、おそらく古書店店頭のワゴンに上巻だけ並んでいたからだったはずだ、 古本は基本必ず揃いで買う習性なので、間違いないと思う、 そう、薔薇の名前のようなワクワクする娯楽性が皆無のこの本、 薔薇の名前の作者の新刊というだけの引きで発売時には上巻はそれなりに売れたのだと思う、 結果、下巻前に挫折した読者が多かったと推測する、 薔薇の名前の映画化があれほどに面白かったのだから、次の作品も映画関係者はこんどはおれが作ると意気込んでいたに違いないのだが、そのような話題はとんと聞いたことがない、 それだけで娯楽性に欠けた内容だろうことが確定のように購入時に思い、おそらく平成の十年か二十年しまい込まれていたのだった、 で、読んでみた、 まだ途中だが、叙述はじつに平板でワクワク感はやはりまったく無い、 のだが、なにか後を引く面白さがある、 たいくつだが、とりあえず読み進もうという意欲が湧くのだった、 先行レビューでもいくつか指摘されているように訳文にはいろいろ難点はありそうだが、日本語の文章としてはコナレており読みやすい(多少の基礎知識があればだが)、 百科全書的な教養小説/蘊蓄小説と思えば、特に訳文を強く批判する必要はないとも感じる、 さて数週間後、下巻に進む意欲が湧くかどうか、楽しみである、 物語の底には冷戦構造崩壊後の共産主義者並びに同調者たちの挫折感があり、彼らの喪失や苛立ちを書き込みたい気配を感じる、 テンプル騎士団にコミュニストたちをなぞりたいのかもしれないが、無茶なアイデアのように思うが、さてどう進むことやら、 訳者はところどころ面白い日本語を当てている、 恐れ入谷の鬼子母神 益荒猛男の愛:マスラタケオ 据え膳食わぬはテンプルの恥、 ならぬかんにん するがかんにん 昔一人で英和辞典を作ったという斉藤何某という伝説の英語学者がいたが、その辞書ではLove is blindをあばたもえくぼという超名訳があったことを思い出した、 | ||||
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商品状態「非常に良い」で本体はよかったのですが、せめて焼けは綺麗にして欲しかったです。上巻を他店で「非常に良い」で買いましたが、並べると色が違ってとても古く見えます。安いものもあるなかで「非常に良い」を選んでいる理由を想像していただきたいと思いました。とても残念です。 | ||||
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評者がかって読んだリチャード・フォーティ著『乾燥標本収蔵1号室―大英自然史博物館 迷宮への招待』という本の末尾で著者は下の・・・内のようなことを書いていたので転載したい。 ・・・ 「わたしは、わが類人猿の祖先に一途な誇りを抱いている。自分がかっては樹上に棲むすばらしい毛むくじゃらなやつであり、わたしの肉体は、とてつもない時間をかけて、クラゲ、ゴカイ、ナメクジ、魚、恐竜、猿人類を経て受け継がれてきたものだと考えるとうれしくなる。祖先としては、エデンの園のつまらないカップルのほうがいいなんて、だれが願うだろう。」・・・ このリチャード・フォーティの言葉が評者の心の琴線に触れれたからいまだによく覚えているのです。 テンプル騎士団がテーマの卒業論文を書いているカゾボンは、ベルボに頼まれてアルデンティ大佐の書いた原稿の話を聴くところに同席することになった。 アルデンティ大佐の原稿には、竜騎兵のインゴルフという男が19世紀末に、プロヴァンの穀物倉庫の地下深くから見つけ出した小箱の中から出てきたという暗号のような紙片に書かれている文字を大佐が翻訳した文章をカゾボン、ベルボ、ディオタッレーヴィが聞くことになる。 ベルボはその原稿に興味を持ちながらも、大佐のテンプル騎士団についての原稿に興味を示さないふりをして本の出版を受け合うことはしなかった。 話を聞いた3人は、大佐の持ち込んだ、このテンプル騎士団の話に興味をそそられてしまったので調べ始めたことが事の発端である。 本書『フーコーの振り子』は、旧約聖書より古い時代のユダヤ民族の宗教まで遡ったり、世界中の原始宗教やカルト教団などにも触れながら「なぜテンプル騎士団が断罪されたのか?」「断罪を逃れていた騎士団の秘密=現在までその秘密組織が暗躍しているのか?」「地下電流とエッフェル塔?」「フコーの振り子が昔の地図でその場所を示す?」「地下鉄が造られ真の目的は?」「地下電流とナチス・ヒットラーとの因縁?」「薔薇十字団という秘密結社とフリーメーソンの関係は?」「サン・ジェルマン伯爵の不死伝と説錬金術の研究?」「ベーコン派と敵対する組織?」・・・エトセトラ&エトセトラと、この世界を支配する秘密組織がどこに存在するのか解き明かすことで紆余曲折(荒唐無稽とも思われるような挿話が多いが・・・)しながら、主人公のカゾボン、ベルボ、ディオタッレーヴィ(ディオッタレーヴィは、謎解きにとり憑かれたのか体調を崩し入院して亡くなってしまう)3人がその謎の究明に囚われてしまい、上巻初めでパリからカボゾンへ電話してきて会話の途中で何者かに襲われ失踪したベルボの運命は・・・? そしてアルデンティ大佐が殺され刑事が現場へきた時には、その死体が消えてしまっていた謎などと物語は混沌として読者を翻弄してゆく。 この3人が憑かれたように謎を解き明かそうとしてゆく過程を読ませようと、著者のエーコは容赦なく読者に強いるのである。 が、読みだした本は最後まで読む主義だから頑張って読み進むことにしたのです。 とにかく西欧(西欧以外もあり)の歴史、宗教史、哲学史、科学史、それに、科学者、哲学者、政治家、宗教家、などの知識がないと読み進むことに戸惑いを感じてしまうのは評者だけだろうか。 フランシス・ベーコンがシェークスピアのゴーストライターだった(このようなシェイクスピア別人説は存在したが・・・)とか、ドンキホーテの作者は、セルバンテスではなくベーコンだった、などと読むと著者のエーコは、歴史の虚実を混交しながら読者を翻弄することを目的にして本書を書き上げているように思えてきてしまったのである。 本書『フーコーの振り子』では、評者だけの感じたことかもしれないが、訳者の訳語にも違和感を覚えてしまったのです。 たとえば鍵言葉という訳語のルビにキーワードとしてある必要があるのだろうか?これはキーワードと書けばよいと思います。 「ホメオパチーの療法」なんてことを知っていないのは評者が無知だからなだろうか? 本書のなかには、横文字(特に英語)がたびたびでてきますが、翻訳なしでは読者に親切ではないように思います。 その他、「生命の樹」(見開きページにある図)、「薔薇十字団」、「トーラー」、「ミシュナー」、「ヘーレム 」、「ゲマトリア」、「ノタリコン」、「カバラ 」(カバラについて評者は上巻のレビューで既に書いたが・・・)「イマーム」等々多くのことを知らなければページを繰っても本当に理解(読書を楽しむことも)できないのではないだろうか。 評者は、気楽に本書を読み流そうと思ったものの、やはり知らない人名などが出てくる度に、ウィキペディアのお世話になりながら本書を読みすすむことになってしまったのです。 上・下巻で1100ページを超える長編だからページ数に限りがあるかも知れないが、脚注を巻末に付記してほしかった。 ネタバレになるが、狂信的なカルト集団の秘密について暗号のような紙片に書かれている文字を、「これは洗濯屋さんの配達伝票みたいなものだからよ」と、カゾボンの妻リアが、この紙片が昔の花屋さんのメモだと、暗号でもなんでもないと謎解きしてから、この物語はカゾボンがパリで異常な体験(これが上巻の幕開きのところです)へと誘い、そのあとミラノに戻り、そしてベルボの故郷の家を訪れたところでながながと情景描写と心情描写しながら余韻を残して「了」の文字で終える。 神の創造した世界に住む人間の祖先が、「エデンの園のつまらないカップルのほうがいいなんて」微塵も願っていない評者にとって、本書のテーマについてゆくには相当の忍耐が必要になってきてしまったのですが、記号学の権威エーコならではのジグソーパズルを解くような長編『フーコーの振り子』の下巻を、なんとか頑張って読み終えました。 | ||||
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「薔薇の名前」がとても好きなので、文庫化された時にすぐに買って読み始めた物の・・・とても読みにくかったです。 理由はただ一つ、訳が問題なのです。 他の方もレビューに書かれていますが、普通ならあり得ない言い回しを利用するというのは雰囲気ぶち壊し。訳し方が古いと言うわけではありません。とにかく読みにくい。 全体的に難解さを増してくれている訳に負けて、ずっと放置していました。その後全部読み切りましたが、殆ど意地でした・・・ ところどころ面白い箇所で引き込まれる物の、描写の訳が解りづらく着いていけないこともしばしば。何度読む手が止まったことか。 なので翻訳物が苦手な人にはオススメできません。面白いからなおさら残念です。 もう一度誰か訳し直してくださったら読み直したい本です。 | ||||
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~ymatsui4さんが書いておられる素粒子加速装置は"Metacyclosyncrotron"(英訳)だと思うのですが、この英単語の意味は今ひとつ意味不明です。イタリア語の原文では"(il) grande~~ Metatron)"となっています。Metatronはユダヤ教の最高位の天使だそうで、文字通りに解釈している邦訳は問題ないのではないでしょうか。「恐れ入谷の鬼子母神」の少し前には「硅素渓谷」という語がありますが、これは「シリコンバレー」と訳すべきでしょう。また、69ページ二行目の「四掛ける一〇の二十八乗」は67ページの後ろから五行目に「四四四にゼロを三十六個~~つけたもの」とあるように「四掛ける一〇の三十八乗」の間違いです。日本の数字で言えば、四穣ではなく四百澗になります。この部分に続く数字を見ても、「四掛ける一〇の二十八乗」としたら、1分で計算できる組合せが七澗になる訳がないことが判るかと思います。~ | ||||
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個人的には面白かったけど、その絡み合う縦糸と横糸の接点に浮かび上がってくるものの、何処までがまじめで、何処までがジョークで、何処までが暗喩か、よくわからない。 そういうもの全てが渾然一体となってフーコー・ワールドを形成している、ということなのかもしれない。 割り切って読む分には面白かった。 生真面目な理系の人にはおすすめできません。「おいおい…」といいたくなるような箇所がたくさんあるかも。 | ||||
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個人的には面白かったけど、その絡み合う縦糸と横糸の接点に浮かび上がってくるものの、何処までがまじめで、何処までがジョークで、何処までが暗喩か、よくわからない。 そういうもの全てが渾然一体となってフーコー・ワールドを形成している、ということなのかもしれない。 割り切って読む分には面白かった。 生真面目な理系の人にはおすすめできません。「おいおい…」といいたくなるような箇所がたくさんあるかも。 | ||||
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