わたしを離さないで

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評判

わたしを離さないでの評価:

4.11/5点 レビュー 714件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.11pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1,450件 281〜300 15/73ページ
No.1170
(4pt)

非現実の中の究極のリアリティ

登場人物たちの背負っている運命について、前半からじわじわと悟らされてはいくものの、それが一気に現実となっていく後半はやはり辛い。
フィクショナルな設定のなかで、私たちの誰もが免れ得ない終末への道程を、現実以上の切実な別れの実感をもって登場人物たちと共にする。
大げさな悲劇として盛り上げず淡々と描かれているために読み手それぞれの思いや感情の入り込む余地があり、どの年代で読んでもその時々の余韻を残す作品だと思う。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1169
(1pt)

つらい

いつ面白くなるのかと読み進めていくも200ページ過ぎても全然、楽しくならない。ここまで来るとコンコルド効果じゃないけど、後戻り出来ずに我慢して読み続けるも、やっぱり面白くならない。
ちゃんと英語で読まないとダメなのかもしれない。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1168
(1pt)

つらい

いつ面白くなるのかと読み進めていくも200ページ過ぎても全然、楽しくならない。ここまで来るとコンコルド効果じゃないけど、後戻り出来ずに我慢して読み続けるも、やっぱり面白くならない。
ちゃんと英語で読まないとダメなのかもしれない。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1167
(1pt)

つまらない

核心を突かないふわふわした独白が何ページも続き、つまらなかったので途中で読むのをやめました。ダラダラした話を一方的に聞かされる方は苦痛でしかありません。文学作品としては優れた作品なのでしょうが、娯楽やエンターテイメント向けではありません。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1166
(1pt)

つまらない

核心を突かないふわふわした独白が何ページも続き、つまらなかったので途中で読むのをやめました。ダラダラした話を一方的に聞かされる方は苦痛でしかありません。文学作品としては優れた作品なのでしょうが、娯楽やエンターテイメント向けではありません。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1165
(3pt)

オーディブルには向いてないかな

今回、体験入会でオーディブルを利用してみました
一度読んでみたかったイシグロさんの作品があったので読んで(聴いて)みたのですが…
オーディブルにはもっと軽い作品、ラノベなんかが向いているように思いました
紙の本を読んでいる時は無意識に緩急をつけていますし、必要に応じてちょっと読み返してみたりしながら読み進めるものですが、オーディブルではそうもいきません
ただ、睡眠導入効果は抜群で聴きながら知らないうちにぐっすりと寝入ってました。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1164
(3pt)

オーディブルには向いてないかな

今回、体験入会でオーディブルを利用してみました
一度読んでみたかったイシグロさんの作品があったので読んで(聴いて)みたのですが…
オーディブルにはもっと軽い作品、ラノベなんかが向いているように思いました
紙の本を読んでいる時は無意識に緩急をつけていますし、必要に応じてちょっと読み返してみたりしながら読み進めるものですが、オーディブルではそうもいきません
ただ、睡眠導入効果は抜群で聴きながら知らないうちにぐっすりと寝入ってました。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1163
(5pt)

スリリングなストーリー展開、精密なディティールで半端なく引き込まれる

他人に臓器を提供するために生まれてきた子供たちの物語。もちろん、SFです。
が、彼らの学校生活、恋愛、仕事等のディティールが非常に精密でリアル過ぎて、
半端なく引き込まれてしまいます。
まるで自分が「臓器を提供するためだけに生まれてきた子供」になったかのように
感情移入させられてしまいます。
トミーが最後の臓器移植を終えるシーンなどは、なんとも言えず熱くなります。
悲しみとも怒りともいえない、本当に「ただ熱くなる」という不思議な感覚に
襲われます。

またストーリーテーリングも、巧みです。
精巧な推理小説でもあり、スリリングなエンターテイメント小説でもあります。
カズオ・イシグロは、自分の主張を雄弁に語ったりは決してしません。
最初から最後まで飽きさせずに読者を引き回した後、
読後に「社会の中で犠牲を強いられている人々」という壮大なテーマに気づか
されるのです。

人類が書き得る最高峰の小説だと思います。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1162
(5pt)

切なく、愛おしい

特に予備知識もないまま読みました。
緻密で繊細な描写を淡々と重ねる作者の圧倒的な技量の高さ。
そして、時折出てくる奇妙な表現。
薄ら寒い恐怖を感じながら、引き込まれるように読み進めました。

現代生命科学の倫理的な問題を浮き彫りに、という面ももちろんあるでしょうが。

誰かの思いに共感したり、愛おしく思ったり、
時には誤解されたり、相手の言動に腹を立てたり。

私たちはそんなふうに喜びや悲しみを日々積み重ね、
少しずつ、人として成長していくわけですよね。

人の営みの愛おしさや切なさに、改めて深く感じ入りました。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1161
(5pt)

スリリングなストーリー展開、精密なディティールで半端なく引き込まれる

他人に臓器を提供するために生まれてきた子供たちの物語。もちろん、SFです。
が、彼らの学校生活、恋愛、仕事等のディティールが非常に精密でリアル過ぎて、
半端なく引き込まれてしまいます。
まるで自分が「臓器を提供するためだけに生まれてきた子供」になったかのように
感情移入させられてしまいます。
トミーが最後の臓器移植を終えるシーンなどは、なんとも言えず熱くなります。
悲しみとも怒りともいえない、本当に「ただ熱くなる」という不思議な感覚に
襲われます。

またストーリーテーリングも、巧みです。
精巧な推理小説でもあり、スリリングなエンターテイメント小説でもあります。
カズオ・イシグロは、自分の主張を雄弁に語ったりは決してしません。
最初から最後まで飽きさせずに読者を引き回した後、
読後に「社会の中で犠牲を強いられている人々」という壮大なテーマに気づか
されるのです。

人類が書き得る最高峰の小説だと思います。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1160
(5pt)

切なく、愛おしい

特に予備知識もないまま読みました。
緻密で繊細な描写を淡々と重ねる作者の圧倒的な技量の高さ。
そして、時折出てくる奇妙な表現。
薄ら寒い恐怖を感じながら、引き込まれるように読み進めました。

現代生命科学の倫理的な問題を浮き彫りに、という面ももちろんあるでしょうが。

誰かの思いに共感したり、愛おしく思ったり、
時には誤解されたり、相手の言動に腹を立てたり。

私たちはそんなふうに喜びや悲しみを日々積み重ね、
少しずつ、人として成長していくわけですよね。

人の営みの愛おしさや切なさに、改めて深く感じ入りました。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1159
(5pt)

翻訳がよい

海外小説は苦手だけど、これはとても読みやすかった。
翻訳も上手なんだろう。
心情の描き方が素晴らしい。
女の子で友だちとの関係に悩んでいるなら読んでみるといい。自分が振り回されてる相手にそっくりな人がいるかも。

あと、ここのレビュー、ネタバレ多すぎ。
そりゃだいたい想像つくことですが、それでももうちょっと遠回しに表現すればいいのにと思う。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1158
(5pt)

翻訳がよい

海外小説は苦手だけど、これはとても読みやすかった。
翻訳も上手なんだろう。
心情の描き方が素晴らしい。
女の子で友だちとの関係に悩んでいるなら読んでみるといい。自分が振り回されてる相手にそっくりな人がいるかも。

あと、ここのレビュー、ネタバレ多すぎ。
そりゃだいたい想像つくことですが、それでももうちょっと遠回しに表現すればいいのにと思う。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1157
(3pt)

クローン人間とその情感の表現がリアルです。

TVを観てから購読なので、水川あさみ、綾瀬はるかなどが演じていた表現とダブってしいましたが、あら筋を知ってからの購読はちょっともったいなかったかもしれません。でも、カズオイシグロさんのテーマは、死とは何かではないでしょうか。もう、生まれた時に決定された将来を、いかに解釈しようと同じ無力感・荒涼感が漂っていて、振り返ってみると、ある種の犠牲によって成り立っている現在社会とかなりダブってみえました。一度、階層社会の底辺にいると抜け出せない。誰かのために生きていく。それを、アクティブにとらえるか、受身にとるか。など。考えさせられました。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1156
(3pt)

クローン人間とその情感の表現がリアルです。

TVを観てから購読なので、水川あさみ、綾瀬はるかなどが演じていた表現とダブってしいましたが、あら筋を知ってからの購読はちょっともったいなかったかもしれません。でも、カズオイシグロさんのテーマは、死とは何かではないでしょうか。もう、生まれた時に決定された将来を、いかに解釈しようと同じ無力感・荒涼感が漂っていて、振り返ってみると、ある種の犠牲によって成り立っている現在社会とかなりダブってみえました。一度、階層社会の底辺にいると抜け出せない。誰かのために生きていく。それを、アクティブにとらえるか、受身にとるか。など。考えさせられました。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1155
(3pt)

盛り上がりは、ラストシーンだったのか

ノーベル文学賞をとった作者が気になりどの作品を読もうか迷い、タイトルが切ない感じなのでロマンス寄りかなと思いこれに決定。
いつ感情の盛り上がりが来るのかと期待しながら一気に読み進めたものの、特に盛り上がりはないまま読了へ。
読み終えたあとに再読なり反芻して考えるタイプの文学作品なんでしょう。実際、冒頭を再読しました。
「細部まで抑制が利いた」との賛辞はその通りですが私はもっと感情移入できるような作品が好きだからこういう評価になりました。
「蜜蜂と遠雷」を読んだときの、(せっかく長編読んだのに期待と違うまま終わったな)という寂しい読了感と似ていました。
この作者は作品により書き方が異なるそうなので、機会があれば他の作品も読み比べてみます。
テーマは深く、考えさせられる作品です。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1154
(3pt)

盛り上がりは、ラストシーンだったのか

ノーベル文学賞をとった作者が気になりどの作品を読もうか迷い、タイトルが切ない感じなのでロマンス寄りかなと思いこれに決定。
いつ感情の盛り上がりが来るのかと期待しながら一気に読み進めたものの、特に盛り上がりはないまま読了へ。
読み終えたあとに再読なり反芻して考えるタイプの文学作品なんでしょう。実際、冒頭を再読しました。
「細部まで抑制が利いた」との賛辞はその通りですが私はもっと感情移入できるような作品が好きだからこういう評価になりました。
「蜜蜂と遠雷」を読んだときの、(せっかく長編読んだのに期待と違うまま終わったな)という寂しい読了感と似ていました。
この作者は作品により書き方が異なるそうなので、機会があれば他の作品も読み比べてみます。
テーマは深く、考えさせられる作品です。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1153
(4pt)

優しい絶望に包まれて

ずっと気になってたカズオイシグロを初めて読みました。この小説に終始漂う異様な雰囲気は他の小説にはない、"稀有"なものであると今ならわかります。
希望だとか未来を匂わせながら、それが一つ一つ丁寧に潰えていく…その過程で描かれる登場人物の心の機微が細やかなこと…。
閉ざされた物語の中に読者という他人が裏から覗き見るような背徳感があり、あくまで私達は「こちら側に属する人間」だという意識させられます。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.1152
(4pt)

優しい絶望に包まれて

ずっと気になってたカズオイシグロを初めて読みました。この小説に終始漂う異様な雰囲気は他の小説にはない、"稀有"なものであると今ならわかります。
希望だとか未来を匂わせながら、それが一つ一つ丁寧に潰えていく…その過程で描かれる登場人物の心の機微が細やかなこと…。
閉ざされた物語の中に読者という他人が裏から覗き見るような背徳感があり、あくまで私達は「こちら側に属する人間」だという意識させられます。
わたしを離さないで Amazon書評・レビュー: わたしを離さないでより
4152087196
No.1151
(4pt)

キャシーはトミーとの間に隠し子がいる:あるいは、なぜキャシーは語らないのか──『わたしを離さないで』の語りにおける空白をめぐって

《わたしはなぜか何のためらいもなくルースたちに近づきました。[…]その瞬間、わたしには、これから何が起こるかがわかりました。うっかり水溜りに足を踏み入れてしまう瞬間──足元に水溜りがあることがわかっていても、もう止められないというあの瞬間──のようなものです。》(1)

1 一人称の語り手がもたらす空白

 ずいぶん前だけれども、2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの代表作『わたしを離さないで』(2005年)を再読した(2)。たんに感動した初読時とはちがって、思ったことがあった。それは、一人称小説ならではの問題である。
 本稿は、一人称の語り手がもたらす問題についてほんのすこしだけ考えてみることにより、ほとんどの読者が気づいていないに違いない──気づけないように仕組まれている──物語的空白を浮かびあがらせ、その空白の解釈を試みるものである。やや突飛な論理展開が待っていることを、あらかじめ申しあげておく。

2 一人称の語り手のちょっとした問題

 一人称の語り手を採用することで生じる問題がある。一人称の語り手は基本的に、他人の過去を語れないというのがそれである。いや、これは過言の誤りであるから、こう換言しなければならない。全知視点の三人称の語り手ならまだしも、一人称の語り手が他人の過去を「滔々と」語るわけにはいかない、と。
 したがって、周辺の人物描写がどうしても平面的になりがちなのである。それはもちろん、作家の技量が大いに関係しているのだけれども。ここでは、だから、その具体的な作品名をあげるのはよしておこう。

 2.1 『わたしを離さないで』の場合

 ところが、『わたしを離さないで』に関しては事情が変わってくる。というのも、その問題点を見事なまでにクリアしているからだ(3)。
 キャシー・Hという女性が『わたしを離さないで』の主人公であり語り手である。つまり、『わたしを離さないで』はキャシーの語りによる一人称小説である。
 それにもかかわらず、イシグロは子供時代を学校という閉鎖的で統制された──それも寄宿学校だから寝食も共にしていることになる──空間に設定することにより、キャシーが他人の過去を語るという違和感を徹底的に解消できている。それが立体的で豊かな人物造形を可能にしたのだろう。

3 キャシーの語りがもたらす空白

 しかしながら、僕がつねに持っている一人称の語り手への根本的な疑問は、それだからといって解消されはしない。それは、彼/彼女は何のために/誰に対して語っているのだろうかという疑問だ。

 3.1 話している? 書いている?

 先に僕は、「キャシーが他人の過去を語る」(第2節1)と書いた。ところが、それは正しくない。正確に言えば、僕たちは『わたしを離さないで』というキャシーが「書いた」手記あるいは日記を読んでいるのだから。
 たしかにキャシーは、「お話しましょう」とか「お話すると」という言葉を用いながら語っている。しかしたとえば、メールで「その件について『お伝えします』と……」とか「取り急ぎ『ご報告』まで」などと「書く」ときがある。だから、「お話すると」などもそれに類する言葉として考えることができる。したがって、『わたしを離さないで』という小説テクストを、キャシーが「書いた」手記や日記の類と見做して問題はないだろう。

  3.1.1 「私」が語る目的

 このことについて、夏目漱石『こころ』(1914年)を例にとって、もうすこし考えてみよう。
『こころ』は一人称小説である。そして『こころ』の場合、その語り手「私(わたくし)」が語る目的と相手とが冒頭第一段落にはっきりと明示されている。具体的に見てみよう。

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云いたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない。」(4)

 語り手の「私」はどうやら、語っているのではなくて書いているらしい(「書くだけで」、「筆を執っても」とあるのだから)。そして、書き終わったら「先生の遺書」と共に世間に公表するらしい(「世間を憚かる遠慮というよりも」とあるのだから)。つまり、『こころ』の「私」は「先生の遺書」を世間に公表するためにこれを書いているのだ。(5)
 したがって、『こころ』は一人称小説だけれど、その語り手が何のために/誰に対して書いているのだろうかという疑問は生じえない。そこに生じうるのは、なぜ世間に公表するために書いているのだろうかという、より高級な疑問であろう。

 3.2 キャシーが語る目的と相手と理由

 このように語る(以下では、「書く」が適している場合でもその多くを「語る」と書く)目的が明示されていることもある。『わたしを離さないで』では、しかしながら、明示されていない。明示されていない場合は自分で考えるしかない。キャシーは何のために/誰に対して語っているのだろうかを。

  3.2.1 語る目的

 キャシーが語る目的は、キャシー・Hという人間がこの世にたしかに存在したということを示すためである。たぶん。では、キャシーは誰に対して語っているのだろうか。そして、なぜ語っているのだろうか。

  3.2.2 語る相手

 もしかしたら、キャシーはトミーとの間に子供(あるいは、子供たち)がいるのではないだろうか。その自分の子供のために語っているのではないだろうか。実際、キャシーはトミーと性的な関係にあると語っている(6)のだから、キャシーとトミーとの間に子供がいるという可能性は否定できないだろう。

  3.2.3 語る理由

 では、なぜキャシーは自分の子供の存在を語らないのだろうか。それは、キャシーが子供のためにこれ──僕たちにとってはカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』という小説にすぎないこれ──を書いているからだろう。つまり、キャシーは読者として自分の子供をしか想定していないのだ。自分に子供がいることを語らないのは、読者が自分の子供だけだからだ。自分の子供だけが読者なのだから、「実は私には子供がいます」と書くのは滑稽でしかない。

   3.2.3.1 隠し子である

 あるいは、こういう事情も考えられる。
 その子供は隠し子なのだ。たぶん。キャシーとトミーは、自分たちの子供には提供者として人生を「完了」してほしくないと思っているはずだ。それが親心というものだろう。だから、我が子が提供者になることを望んでいない。したがって、隠し子として育てざるを得なかった。
 しかしもし、キャシーが『わたしを離さないで』という一連の文章の中に「子供がいます」と書いてしまったならば、そしてもし、そのことを誰かが知ってしまったならば、キャシーの子供にはどんな未来が用意されることになるだろうか──。それは、明るい未来では決してないだろうし、明るい未来には決してなり得ないだろう。

   3.2.3.2 親として

 むろん、我が子を守りたいと思っているであろうキャシーがそんな危険を犯すはずがない。子供の存在を語らないのは、そういう事情があるに違いない。

   3.2.3.3 手紙/遺書

『わたしを離さないで』という小説は、たんなる小説ではない。こう言ってよければ、キャシーが我が子に宛てた長い長い手紙なのだ。そして、遺書でもある。『わたしを離さないで』という手紙、『わたしを離さないで』という遺書──。

   3.2.3.4 タイトルの意味

 そうであれば、『わたしを離さないで』というタイトルは我が子に捧げられているということになる。
 先に僕は、キャシーが語るのは「キャシー・Hという人間がこの世にたしかに存在したということを示すため」(第3節2.1)と書いた。それは、我が子に「あなたの両親はたしかに存在していたのです」と伝えるために違いない。ポシブル探しをしなくても良いように。たぶん。

 3.3 渡す役目は誰に?

 では、『わたしを離さないで』という手紙/遺書を彼らの子供に渡すのは誰なのだろうか。
 キャシーとトミーが一緒になって(たった二人で)訪ねた場所に限定して考えると、マダム(マリ・クロード)以外には思いつかない。マダムを訪ねたとき、そこにはエミリ先生もいた。そのとき、キャシーとトミーは子供の存在を知らせ、マダムとエミリ先生から手紙を渡す約束を取り付けたのだろう。
 キャシーが「他の提供者に計画(注:マダムを訪ねるという計画)を知られたら何が起こるか、それを恐れてさえいたのかもしれません」(7)と語るけれど、こうした事情があったからこそ「恐れてさえいた」のだろう。

  3.3.1 マダムとエミリ先生しかいない

 思えば、エミリ先生とマダムこそは、提供者も「普通の人間と同じように、感受性豊かで理知的な人間」であることを示し、「当時の臓器提供計画のありかたに反省を促」すための「活発な運動を展開し」(8)たのであった。
 だからこそ、キャシーとトミーは、この二人にすべてを託すことにしたのだろう。この二人をおいて、キャシーとトミーが子供の存在を打ち明けるのに適した人物が他にいるだろうか。この時をおいて、子供の存在を打ち明けるタイミングが他にあっただろうか。

  3.3.2 なぜ断らなかったのか

 エミリ先生とマダムは、キャシーとトミーによる猶予申請については、そもそも猶予が存在していないのだから断らざるを得なかったが、『わたしを離さないで』という手紙/遺書を渡すことは断らなかった──それはマダムとエミリ先生がキャシーとトミーの子供の存在を秘匿しつづけることをも意味する──に違いない。なぜ断らなかったと言えるのだろうか。

   3.3.2.1 エミリ先生の場合:「魂が──心が──ある」

 先に僕は、「キャシーとトミーは、自分たちの子供には提供者として人生を『完了』してほしくないと思っているはずだ。それが親心というものだろう」(第3節2.3.1)と書いた。そしてエミリ先生は、「あなた方[注:キャシーとトミーを含めた提供者]にも魂が──心が──ある」(9)と信じていた人物である。
 エミリ先生は子供の存在を打ち明けられたとき、提供者としての二人に「親『心』」がやはり存在していたことを知ったはずである。だから、断らなかったし、断れなかったに違いない。

   3.3.2.2 マダムの場合:「あなた方の味方」

 マダムはなぜ断らなかったのだろうか。
 エミリ先生がマダムに関してこう言っていたのを思い出そう。「マリ・クロードは、[…]あなた方の味方です。これからもずっとそうでしょう」(10)と。だから、断らなかったのだ。

 3.4 キャシーにとっての「わたしを離さないで」

 そういえばマダムは、ジュディ・ブリッジウォーター『夜に聞く歌』というカセットの三曲目に入っている「わたしを離さないで」を、幼いキャシーが「ネバーレットミーゴー……オー、ベイビー、ベイビー……わたしを離さないで……」(11)と歌い踊っている姿を見て、泣いていたのだった。

  3.4.1 言葉の宛て先

 そのときのキャシーは、何を考えながら「わたしを離さないで」を聴いていたのだろうか。キャシーの言葉に耳を傾けてみよう。

「この歌のどこがよかったのでしょうか。ほんとうを言うと、歌全体を聞いていたわけではありません。聞きたかったのは、「ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」というリフレーンだけです。聞きながら、いつも一人の女性を思い浮かべました。死ぬほど赤ちゃんが欲しいのに、産めないと言われています。でも、あるとき奇蹟が起こり、赤ちゃんが生まれます。その人は赤ちゃんを胸に抱き締め、部屋の中を歩きながら、「オー、ベイビー、ベイビー、私を離さないで」と歌うのです。もちろん、幸せで胸がいっぱいだったからですが、どこかに一抹の不安があります。何かが起こりはしないか。赤ちゃんが病気になるとか、自分から引き離されるとか……。歌の解釈としては、歌詞のほかの部分とちぐはぐで、どうも違うようだ、とは当時のわたしにもわかっていました。でも、気にしませんでした。これは母親と赤ちゃんの歌です。わたしは暇さえあれば、飽きずに何度でもこの歌を聞いていました。」(12)

 これらの言葉──「一人の女性」、「死ぬほど赤ちゃんが欲しいのに、産めないと言われています」、「あるとき奇蹟が起こり、赤ちゃんが生まれます」、「赤ちゃんを胸に抱き締め」、「どこかに一抹の不安があります。何かが起こりはしないか。[…]自分から引き離されるとか」、「母親と赤ちゃん」──の宛て先はひとりしかいない。キャシーである。これらの言葉はすべて、我が子のために『わたしを離さないで』という手紙/遺書を書いている現在のキャシー自身に起きた(あるいは、起きる)ことだったのだ。
 提供者としてのキャシーは子供を「産めない」と理解していた。ところが「奇蹟が起こり」、トミーとの間に「赤ちゃんが生まれ」た。キャシーはいつも精いっぱいに「赤ちゃんを胸に抱き締め」ている。これは幼いキャシーが「わたしを離さないで」を聴いているとき、「赤ちゃんに見立てた枕を抱いてい」(13)たのを思い出させる。ところがやはり、時とは残酷なもので、キャシーは「自分から引き離される」その瞬間が目先まで迫ってきていることを悟っている──。

  3.4.2 覚悟:あるいは、たんなる強がりとして

 それにしてもなぜ、マダムは泣いていたのか。マダムは「とても共感を誘う踊りでしたよ。それにあの音楽、あの歌……。歌詞にも胸に響くものがありました。悲しみで一杯のよう」(14)だったからだと説明している。

   3.4.2.1 「少し悲しくなってきました」

 そう言うマダムに対してキャシーは、「あのとき、マダムはわたしの心を読んで、だから悲しい歌だと思ったのではありませんか。わたし自身に悲しみはありませんでしたけど、いま振り返ると、確かに少し悲しくなってきました」(15)と言う。
「いま振り返ると、確かに少し悲しくなってき」たのは、マダムの言葉に影響を受けたからのみならず、幼いときの夢想が現実になったことの感慨に浸っているから、つまりは、今のキャシーに子供がいるからだろう。

   3.4.2.2 「少し」の力強さ

 しかし、たんに「悲しくなってき」たのではなくて、「少し悲しくなってき」たとある。「少し」と語るところに、提供者ではなく「人間としての」キャシーの強さが現れていはしないだろうか。「少し」という言葉によって、エミリ先生の言葉を借りて言えば、キャシーにも「魂が──心が──ある」(16)ことが裏打ちされるのだから。我が子と離れ離れになる覚悟をすでに決めているキャシーの「魂」あるいは「心」の力強さが。と同時に、しかしそれは、たんなる強がりでもあるのだろうけれども。

4 悄然な語り

 ここまでに述べてきたことから、こう言うことができる。僕たちはたんなる読者ではない、こう言ってよければ、キャシーの語りにおける空白に隠されていた子供と同じ位置から『わたしを離さないで』という小説──僕たちにとっては、手紙/遺書にはなり得ない──を読んでいるのである、と。
 そんなところに、語りにおける悄然──湿気、陰気、陰鬱、沈鬱、靉靆(あいたい)、暗澹──を感じさせる秘密があったのだ。その悄然は文体からだけもたらされるわけではなかったのだ。『わたしを離さないで』が、キャシーが我が子に宛てた手紙/遺書だったからこそ、僕たちは彼女の語りに悄然としたものを感じるのである。

5 おわりに

 さて、もう書きたいことは書き尽くした感がある。それに分量を考えて、いい加減よさなければという気持ちもある。その前に、しかし、触れておくべき問題がある。

 5.1 空白を「ラフに」読むという危うさ

 ここに書いた解釈はもちろん、僕の想像でしかなくて──先行研究にあたっていないことを意味する──、それに勢いにまかせて強引に書き進めたところがほとんどだから、細かいところを詰めれば矛盾するところがたくさん出てくるだろう。英語原文を参照した場合には、このような解釈がそもそも成立しなくなる可能性があることだってじゅうぶんに予想される。そこが問題なのである。(17)

 5.2 あるいはしかし、信頼できない語り手である

 しかし最後に、このことは付け加えておこう。イシグロが「信頼できない語り手」を得意とする作家であり、登場人物に「語らせない」ということに長けているということを。


 1 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫、2008年、86頁。なお、本稿は本書を分析の対象とした。
 2 初読は2016年8月1日、再読は2018年7月24日。
 3 イシグロがすぐれた作家であると言いたいわけではないことに注意を願う。
 4 夏目漱石『こころ』新潮文庫、2004年、7頁。
 5 『こころ』冒頭部の分析については、石原千秋『『こころ』で読みなおす漱石文学──大人になれなかった先生』(朝日文庫、2013年)にすべてを負っている。
 6 キャシーは「提供の猶予を申請するつもりなら、セックスをしていないことが大きなマイナスになりはしないでしょうか」(『わたしを離さないで』、364頁)と考え、トミーと「普通のセックスをするようになり」、トミーとの「セックスに耽りました」(同上、365頁)と語っている。
 7 『わたしを離さないで』、369頁。
 8 同上、399頁。
 9 同上、397頁。
10 同上、411頁。
11 同上、110頁。
12 同上、111頁。
13 同上、112頁。
14 同上、414頁。
15 同上、415頁。
16 同上、397頁。
17 したがって、たとえば、このまま大学のレポートとして提出しても通用しないのは当たり前である。『わたしを離さないで』の先行研究を一本(あるいは、一冊)もあたっていないのだし、僕が今回採用した文体からしてそもそも、レポートとして不適切であるのは言うまでもないだろう。「たぶん」なんて使っているのだから。あるいは、僕が使用した人称は「僕」であるけれども、ありもしない客観性を「装う」必要のある文学系のレポートでは、できるだけ一人称代名詞の使用は避けるべきであるのだから。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
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