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ドグラ・マグラ
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【この小説が収録されている参考書籍】
ドグラ・マグラの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全349件 261~280 14/18ページ
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日本三大奇書の中の一冊とされ、「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」と言われますが、もちろん、それはキャッチコピーであって、本当に異常をきたすわけではありません。 ただ、精神科の中で「狂気」の問題が繰り返し論じられている作品なので、精神的に不安定な時は、読まない方がよいと思います。 万人受けするような類の作品ではありませんが、一度その魔力に取りつかれたら最後、何度も再読してしまう麻薬的な作品だと思います。 殺人事件が起き、その犯人をめぐる問題は確かに重要ですが、一方で、普通の推理小説の域を完全に脱しています。 九州帝国大学の精神病棟にいる主人公が記憶を失っており、主人公=読者は、自分が何者かを探っていきます。 九大医学部の正木・若林両教授が、主人公=読者に対して、相対立する説明を試みてくるので、主人公=読者は混乱していきます。 両教授の説明の問題だけではなく、そもそも時間軸すらも不安定です。 また、「地の文」だけでなく、精神医学にかかわる、祭文、インタビュー記事、学術論文、など様々な文章が次から次と登場し、主人公=読者の混乱に拍車をかけます。 主人公=読者の存在の根拠が、がらがらと崩れ去り、様々な解釈が読者に委ねられます。 角川文庫版下巻の解説で、精神科医で小説家・評論家の、「なだいなだ」氏が、「この小説を読んで、誰一人わかった、といいきれるものはいないだろう」、「誰もが、わかったような気がするのが、せいぜいだろうと思う」と書いています。 文字通りの奇書だと思います。 1935年発表の作品ながら、文章は大変に読みやすく、私は読みだしたら止まらなくなりました。 残りの日本三大奇書は、『黒死館殺人事件』、『虚無への供物』ですが、『黒死館殺人事件』は、本書と同じように電子書籍で手に入ります。興味をお持ちの方はご検索ください。 追記 最近知ったのですが、有名な漫画家の安野モヨコさんのペンネームの由来は、『ドグラ・マグラ』の登場人物「呉モヨ子」だそうです。 21世紀に活躍する創作者にも、『ドグラ・マグラ』が影響を与えているわけですから、「『ドグラ・マグラ』恐るべし」という感じがします。 | ||||
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ドグラ・マグラ この画期的な小説については、過去何十年に渡りいろんな狂人が評論をしてるので、ここで敢えて私みたいな廃人が更なる戯言を付け足すことには何の意味もないでしょう。 上のレビューやペーパー版のレビューやアンサイクロペディアの項目でも読んでいただければ、事足りるかと思います。 まあ、お陰様でタダなんだから、四の五の言わずにヨメば良いのではないでしょうか? 年月を超えて読み継がれてきたという時点で、既に星4つの価値は証明されている。 もし、本書を読むと精神に異常をきたすという売り文句を恐れて躊躇っているなら、 心配は要らない。それは嘘だ。読んだからって、精神に異常をきたすわけではない。 だって、読もうが読むまいが、オレタチはみんな多かれ少なかれ既にキチガヒなのだから、イヒヒヒ 失礼いたしました。 もイイヨ! 最後に私がこの場を借りて声を大にして言っておきたいのは、青空文庫とそのボランティアに対する感謝です。 「グッジョブ!サンキュー! 青空文庫!」 巻頭歌「胎児の夢」にグザッときてしまった方は もイイヨ | ||||
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ドロロの脳髄〜♪本作品は筋肉少女帯のいくつかの曲のモチーフになっていますね。 読み始めた印象は、よくあるサイコサスペンスかな?と思っていると、途中から唯物科学へのアンチテーゼに基づく学術論文や文語調の資料などの果てしなく冗長な「作中作」が本編ストーリーそっちのけで始まり、それが延々と続きます。本書は日本三大奇書、読んだら精神に異常をきたすと言われることから、最後までこの調子で意味不明なまま終わるのだろうか…もう読むの止めようか?と思いつつ読み進め、ようやくその自己満足的長文から開放されるや、ストーリーは急展開。鮮やかなトリックの種明かし、膨大な量の複線回収、どんでん返し、衝撃のクライマックスと、一気に読ませてくれます。しかし重要な謎は放置され、考察の余地が残る所は好みが分かれるかなと思いました。 | ||||
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なかなかそれが面白かった。 精神か らがおかしくなるとは言われいるが、そんなことは無い。 なにりいろいろ な視んでてさわるのが面白かった。 なかなか面白かった。 なこよりこの作者は天才だとおもった面白かった。 なによりあれは反対側からがす ばいの創作の性だと言えてだろう。 ろぐアッタが真夜 ニ のトケイだろうというだろう。之 縫っておみて良い。 第三者だろう。 気になってるのでしたら買ってみればいいと思いますよ。好みはかなり分かれますね。 | ||||
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これを読むと精神に異常をきたす・・・ 後半を読み終えると謎も解けますが、 自分の中では一応納得しています。 一応と言うのは、全編を通しての理解度が足りないと感じるからですが。 精神に異常をきたす、と言うのは、この手の本に足を突っ込み、 この手の本ばかり読みあさる様になる。 それはそれでダメとか言うつもりもありませんが、 想像してみてください。 こういう奇書と言うか怪書と言うか、そんな本に囲まれて ただひたすらに黙々と読んでいる・・・ 傍目から見ると明らかに異常な雰囲気です。 この文章はそれを言いたかったのだと判断しています。 確かに万人向けではありませんし、難解な物でもあると思いますが、 そういう言い回しの本はこれだけではありませんし、他にたくさんあります。 ただこの本が精神異常やその実験体を取り扱っている為に、 そういう事が言われる様になったのだと思います。 テーマの重さ、とりわけ日本人にはタブーだとされている分野での話でもあるからです。 ですが、一度じっくり読んでみるのも良いと思われます。それだけの価値はあると思います。 | ||||
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小説の内容は良かったです。 文句のつけどころもないと思います。 しかし、購入して届いた本の表紙の部分が汚れており、大変不快になりました。 よって★−1とさせていただきます。 | ||||
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音楽的である リズムがすばらしいので、グイグイ読めてしまう それにしても、夢野久作の写真を見たかい? まあイケメンというのか奇怪というのか、 ああゆう顔の人っているよね お前のとなりに | ||||
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今更言うまでもない傑作。 いくつかの殺人事件が出来事の核に置かれ、その事件の犯人解明が物語の推進力であるからには、これを「探偵」小説、あるいは「推理」小説に分類するのは当然ではあるのだが、しかし一方でそうした分類にとって決定的な問題点をも持つのが本書である。すなわち一般に、推理小説では「解決に至る手がかりはすべて示すこと」及び「地の文には嘘を書かないこと」という暗黙のルールがある。しかし、『ドグラ・マグラ』では地の文に(物語の推進者=作者のものである)客観的視点と(主人公の)主観的視点とが混在し、手がかりは犯人指摘の後に「実は……」という形で示される。それゆえ真っ当な「推理小説」ではない。だからといって断じて駄作ではない。それどころか上記のルールを遵守し、文体を整理したならば本来の眩暈のするような「味」が失われてしまうだろう。 しかもそれでいて「果たして真の犯人は誰か?」が明らかになり、その動機が示された後に読者は衝撃をもって気付くのである。手掛かりは物語の始まりに大書されていることに! また、「キチガイ地獄外道祭文」のあの辻説法のリズムは――文字のみによって表現されているにもかかわらず――しばらく耳を離れないほどである。さらには歌あり、論文あり、映画あり、警察調書あり、多様な「テクスト」を織り交ぜた、文字通りの「テクスト」によって構築される、胸が震えるような壮大な伽藍。その中心に安置されているのは、考えず、夢を見るだけの「脳」である。 文庫版『ドグラ・マグラ』は様々な出版社から発行されたが、最も素晴らしいのは米倉斉加年のイラストが表紙のこの角川文庫版である。 彼のイラストを表紙とする角川文庫版夢野久作作品全10作の復刊を強く望む。 | ||||
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この巻頭文からして、尋常じゃない世界観にぶち当たってしまったと思った。 キャッチコピーどおり『精神に異常をきたす』とまではいかないが、 読み終わるまで、ドグラ・マグラの円環から抜け出せなくなることは間違いない。 ひょっとしたら何週かしないと抜け出せないかもしれない。 どのレビューを読んでも、「要約は不可能」と書いてあった理由が読んでわかった。 舞台は精神病院。 記憶を無くした青年と、一人の天才奇人学者の学説の綴る、 胎児の夢から数千年の歴史を遡る壮大なSF小説、ホラー小説、かつ推理小説、かつファンタジー小説である。 かといって難解なわけではなく、昭和10年代の作品とは思えないほど読みやすい。 それだけ内容を把握しても、肝心な部分やニュアンスはサッパリ説明できない。 結局、「ドグラ・マグラ」は「ドグラ・マグラ」であるとしか言いようがなかった。 挿入歌(?)「キチ○イ地獄外道祭文」は、精神病院の患者虐待の告発戯曲。 34ページも続く上にともかく内容も単語もエグい。 アマゾンレビューで書いたら、削除確定なおぞましい単語ばかりが出てくる。 それにもかかわず、言葉のリズムは美しく、頭に音楽が勝手に浮かんでしまうのだ。 酔うはミュンヘン、歌うはウィンナ、踊るパリーや居眠るロンドン♪スチャラカ、チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ…… チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ…… (注意:読み終わってから数日間は、脳内がスチャラカチャカポコします) | ||||
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表紙が淫猥で怪しい上に話しの起から狂ってますが、あの独特な文体に感銘しました。 どちらかと言えば海外小説の文体に近いからかも知れませんが、現代でも十分に通用する程です。 話しも狂ってながらも芯も通ってます。 是非ともオススメします | ||||
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ご存知の方もいると思うが、本書は、日本三大奇書の一つとうたわえれるほどの奇書である。 本作品は、好き嫌いがはっきりと分かれる本なので注意が必要である。 本作品は青空文庫でも読むことができるので、 そちらで少し読んでから、購入されると良いだろう。 この作品の導入(書き出し)には驚いた。 気味が悪く、奇妙としか言いようのない書き出しである。 若林教授の説明より、設定を把握することができるが、 不安な気持ちになる。 上巻は、正木教授が残した資料の途中で終了するが、 読者は気がおかしくなるような感覚になることだろう。 | ||||
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上巻の謎が解き明かされてきくが、 それが、本当なのかどうなのか、 夢であるかのような感覚に陥る。 最後まで読み終えると、 本作品は、十人十色、さまざまな解釈がなされると思う。 そこが著者の狙いなのであろうか。 そういった意味で、「奇書」である。 本作品は、好き嫌いがはっきりと分かれる本なので注意が必要である。 | ||||
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ドグラ・マグラというのは、目くらましとか戸惑いとか幻魔術とかそういったたぐいの意味です。主人公は、記憶喪失のまま精神病院で目覚めますが、その主人公の記憶回復をめぐって正木博士と若林博士という二人の怪人が主人公を幻惑していきます。主人公は呉一郎という青年による殺人事件の鍵を握っている・・・として。なにしろ主人公は自分さえ誰だかわからないので、この二人の話だけから事の次第を推理するしかありません。特に、正木博士は、饒舌に語りますが、途中で「・・・というのはウソで」みたいなことをいうので、困惑させられます。しかも、それがウソとは限らず実はやっぱり本当かもしれないという不安定感があり、狂人の不安感を疑似体験させるような多重の幻魔感があります。 この精神の不安定感、なにをもって「自我」を確立するのか、という心理の迷宮を構成していく上でポイントとなるのは「脳髄は物を考えるところにあらず」「胎児は進化の夢を見る」「心理は遺伝する」という思想(アイディア)です。すなわち、細胞の一つ一つに思考めいたものがあり、脳髄はその細胞思考の交換器にすぎない、実際、脳髄を持たない原始的な動物はたくさんいる。また、人間の胎児は、その成長過程において魚のような姿をとったりしながら人間らしくなっていく(エルンスト・ヘッケルという学者の説を下敷きにしているといわれる)。これは胎児が「進化」を再度体験しているのであり、この進化再体験により先祖やもっと古い動物的感覚が細胞のような微細な単位で遺伝、すなわち、心理遺伝していく、という論法です。呉一郎は、唐代の画家である呉青秀(フィクションの人物)の子孫であり、この呉青秀が残した絵巻物を見ることにより、呉青秀による「妻殺し」の強烈な記憶が再現され、凶行に及んだ・・・ようですが、では、呉一郎と私はどういう関係にあるのか、というどこまでも推理小説的な奇書です。夢野久作に理解のあった江戸川乱歩でも「わからん」とサジを投げたそうです。わかりにくいのですが、比類ない魅力があります。もしかしたら、今の日本の独特のマンガ文化に一定の影響を与えたのではないかと思われるような思想的革新性・斬新さがあります。不思議な本ですし、このような革新的で現代的とすら思われる本が1935年という古い時代に登場しているのもどこか異様です。 | ||||
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奇妙なタイトル。人を食ったようなペンネーム。そして複雑怪奇なストーリー。 夢野久作畢生の大作『ドグラ・マグラ』は、もはやミステリーの域を超えた古典と言ってもいいほど知名度の高い作品であるが、これを最後まで読破し、しかも完全に理解したという読者は多くはないのではないだろうか。そしてその責任は少なからず作者の方にもあると思う。 オープニングの異様さは今でも全く色あせることはない。ブーンという音と共に話者は密室の中で目が覚める。ここはどこなのか、自分はだれなのか。やがて隣の部屋から聞こえてくる女性の悲鳴。翌朝若林鏡太郎なる法医学部教授が彼を訪れ、ここが九州帝国大学の精神病科の病室であること、悲鳴をあげた美しい少女が彼の許婚であること、そして彼がここにいるいきさつを語り始める。その中で彼の主治医である正木敬之なる精神病学教授がクローズアップされてくるが、今から一ヶ月前に自殺したという正木教授の研究室に案内された彼は、そこで様々な資料を目の当たりにする。 そこまではよい。否そこまでもかなり冗長な部分はあるのだが、作品の個性ということで許すことはできる。しかしその部屋で彼が資料の一冊を読み始めてからが異様に長い。物語中の時間が停止した状態のまま、結局上巻は終わってしまう。実に上巻の半分以上は物語内を流れる時間から隔離された脳髄論、遺書、記録映像、新聞記事、等々で埋まっている(しかもそれが下巻でもしばらく続く)。 「これを書くために生きてきた」と夢野久作自身が言っており、また実際構想十年執筆十年計二十年もの歳月をかけ、書き上げてまもなく死んでしまったこの作品に対する夢野の思い入れが生半可ではなかったことは、行間からもひしひしと感じられる。しかしその思い入れが、不幸なことに読者への配慮を忘れさせることになってはいないだろうか。ストーリーの複雑さよりも長すぎる挿入部を投げ出さずに読み通せるかどうかが、この大作を攻略するための最大の鍵になりそうである。 | ||||
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『ドグラ・マグラ』には章がない。おそらくは作品自体の構造のみならず作者の意図による演出でもあろうが、そのことが難解な作品をさらに読みづらくしている。上巻の半分以上を埋めている脳髄論、遺書、記録映像、新聞記事、等々は下巻に入っても続き、物語内の時間はしばらく停止したままである。ようやく話者がわれにかえり時間が流れ始めたと思ったとき、話者に話しかけてきたのはさっきまで同じ研究室にいたはずの法医学者若林鏡太郎教授ではなく、あろうことか一ヶ月前に自殺したはずの精神病学者正木敬之教授であった。彼によれば若林教授は嘘をついているのであって、今日は遺言書が書かれてから一ヵ月後の十一月二十日ではなく、研究室内のカレンダー通りの十月二十日であるという。さらに正木教授は自分と若林教授との戦闘状態を話者に説明し、どちらが勝つかはひとえに話者の記憶が戻るか否かにかかっているという。 それでなくても記憶を喪失して混乱しているのに、話者は二人の教授のあいだで翻弄されることになるが、それ以上に翻弄されるのは読者である。正木教授と若林教授のどちらの言い分を信じればいいのか? 話者である少年は何者なのか? 話者と瓜二つの少年の登場、正木教授による離魂病の解説などによって、謎は深まるばかりである。 普通のミステリーであればいわゆる名探偵が登場し、快刀乱麻あらゆる謎を一刀両断に解決してくれる。しかしこの作品はそうはいかない。名探偵はどこにもいないし、そもそも話者が精神病院にいる時点で、読者は話者の言葉さえも鵜呑みにすることができない。そして実際最後の最後で、読者は話者からも裏切られることになる。客観的な解答は最後まで与えられない。 解説でなだいなだも書いているが、この作品は失敗作であると思う。もっと短くシンプルに仕上げることもできたはずであろう。だがもしもこの作品が成功していたら、すなわちもっと短くシンプルに仕上げられていたら、おそらくこの作品はとっくに忘れ去られていたに違いない。原爆に破壊されたことによって今日まで生き永らえている原爆ドームのように、夢野久作の狂気に破壊されたことによって今日まで読み継がれている廃墟的な作品である。 | ||||
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長編を読了し、レビューを書きたくなった。 過去のレビューを見てみると 読了すべき:そう、とにかく長い、しかし読了後は・・ 場面が浮かび上がる:そう、正木博士の、部屋の間取りが見えるようだ・・ いつのまにかドグラマグラを読んでいる:そう、いつの間にか読んでいた・・ この世はすべてキチガイだらけ:そう、全てが夢ならば・・ 別に読んでもキチガイにはならない:そう、この程度の内容は、考えている人は考えている・・ 60年以上前に書かれたとは:そう、すごいと思うが、考えられない内容ではない・・ 表紙は内容と合っていない:そう、けど相応しい表紙すら思い浮かばない・・ 読み手すべての感想が違う:そう、過去のレビューを読むと、私が書きたい事はすべて書いてある・・ ん?これは・・正に胎児の夢? 「アハハハハ、いかんよ!人に紹介するなんてできやしないぜ。この世が胎児の夢ならば、読む人は読むというわけだ」 ・・アッ・・正木博士・・・ ・・・ブウウウーーンンーーンンン・・・ | ||||
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長編を読了し、レビューを書きたくなった。 過去のレビューを見てみると 読了すべき:そう、とにかく長い、しかし読了後は・・ 場面が浮かび上がる:そう、正木博士の、部屋の間取りが見えるようだ・・ いつのまにかドグラマグラを読んでいる:そう、いつの間にか読んでいた・・ この世はすべてキチガイだらけ:そう、全てが夢ならば・・ 別に読んでもキチガイにはならない:そう、この程度の内容は、考えている人は考えている・・ 60年以上前に書かれたとは:そう、すごいと思うが、考えられない内容ではない・・ 表紙は内容と合っていない:そう、けど相応しい表紙すら思い浮かばない・・ 読み手すべての感想が違う:そう、過去のレビューを読むと、私が書きたい事はすべて書いてある・・ ん?これは・・正に胎児の夢? 「アハハハハ、いかんよ!人に紹介するなんてできやしないぜ。この世が胎児の夢ならば、読む人は読むというわけだ」 ・・アッ・・正木博士・・・ ・・・ブウウウーーンンーーンンン・・・ | ||||
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この小説は一見奇妙に見えるのですが、博士のやっかいな論文と自説をとばして読むと、フィジカルでシンプルなひとつの事件が見えてきます。 その殺人のために誰がアリバイを立てなければならなかったのか、だれが自己弁護する必要があったのか。それを考えると意外とシンプルな小説だと思います。 そして、それよりもっとも奇妙なことは、そこまでわかっていてなお、作中の一人称が結局誰だったのかが特定できないことです。これこそ本書をただの推理小説ではないものにしています。 | ||||
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初めて読んだのは、もう30年以上も前。 妙な女子高校生だった私は、妙な装丁に惹かれ手にした。 本は難解だったが、寝食を忘れ没頭してしまった。 のめりこんだわけではなく、あまりの読みづらさに目を離すと自分の思考がどこへ飛び立ってしまうのかわからなくなってしまうから、 だから、一気に読んでしまえと思った。 夢野久作という作家に叩きつけられた挑戦状を、真正面から切り返してやりたいと思ったくらい生意気な女子コーコーセーだった。 それきり夢野作品を片っ端から読んでみた。 一番のお気に入りは、『この世の涯て』という短編だが、どれもこれもまだ切り返せていない。 『ちゃかぽこ』は頭の隅にまだいる。 | ||||
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三一書房版「夢野久作全集」も、文庫版も持っている。 だから、本作はつごう二度完読した。 三一書房版を最初に読んだ当時は、途中で挫折したが、大学生時代、社会人になってからは、いずれも最後まで読んだ。 そして、どうしても一度、本作を旧字の覆刻版で読みたくて、購入したのが沖積舎版だ。 高価であり、当時の不鮮明な印刷がそのまま覆刻されているのだから、非常に読みにくい。 しかし、それが、本作の不可思議さに絶妙にマッチングしている。 だから、覆刻版はやめられない。 この沖積舎の覆刻版シリーズは、小栗「黒死館〜」、「白蟻」、「オフェリヤ〜」、「紅殻駱駝〜」、夢野の本書、「氷の涯」、そして乱歩「探偵小説四十年」を持っている。 やはり覆刻版は、その初刊時の雰囲気が味わえるし、しかもしっかりとした作りで保存版としても良い。 さて、本作の内容は、今さら詳細に説明する必要もないほど、良く知られている。 テーマは「狂人の解放治療」であり、ある意味「操り」系ミステリともいえる。 覆刻版は総ルビなので、主人公の「呉一郎」は「くれいちろう」ではなく「ごいちろう」と、正しく読むことができる。 そして久作の文章は、人名等、正しく読むことが絶対条件なのである。 というのは、久作の文章は、音読されることを念頭においた、つまり語感というか音感を非常に大切にしたものだからなのである。 そのあたりは、本書中の「〜外道祭文」を読むと、良く分かる。 実にリズミカルな、そしてそのリズムに乗ることができれば、実にスラスラと気持ち良く読める文章である。 もちろん、内容まで気持ち良いというわけではないが。 本書はダンボール箱入りなのだが、その表カバーが久作のどアップである。 これは、実にインパクトが大である。 オークションでも最近はけっこう高価になることが多いが、本作に嵌った者は、一度はこの覆刻版をひもといてほしい。 もちろん自分で持っているのが一番良いのだが、図書館などにもあるはずである。 この独特の雰囲気を堪能するためには、ぜひとも本書でなければいけない。 | ||||
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