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(短編集)

ミルクマン: スケルトン・クルー3



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【この小説が収録されている参考書籍】
スケルトン・クルー〈3〉ミルクマン (扶桑社ミステリー)

ミルクマン: スケルトン・クルー3の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

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No.1:
(7pt)

まだまだキング初期の短編集なのに各登場人物の鮮烈さに驚く

『骸骨乗組員』、『神々のワード・プロセッサ』との三分冊で刊行された短編集『スケルトン・クルー』の最後の三冊目であるのが本書。

まずは本書のタイトルにも掲げられているミルクマンの話から始まる。

「ミルクマン1(早朝配達)」は不穏な空気だけを纏った作品だ。
本作はスパイクと云う名の牛乳配達員“ミルクマン”が顧客が玄関前に掲げたメモ通りに注文の品を置いていく様が描かれるのだが、それぞれの品は呑むと死に至る毒類が入っている。タランチュラが入れられた空のチョコレート牛乳のカートン、酸性ジェルを詰めた多用途クリーム、ベラドンナ入りのエッグノッグに有毒のシアン化ガス入りの牛乳瓶。
夜明け前の澄み切った空気感の描写が鮮明なこの作品はそんな不穏な空気さえも朝の爽やかな空気で吹き飛ばしてしまう妙な爽快感がある。

次もミルクマンの話だ。「ミルクマン2(ランドリー・ゲーム)」はしかし、更に一層不穏な感じのみ漂う作品だ。
1作目はまだ色々想像を働かす余地があったものの、2作目の本作は本当によく解らない。1作目でもスパイクの口から出てくるランドリー工場の従業員ロッキーが本作の主役。
色々解らないことだらけの作品だが、その妙な雰囲気と理屈の通らなさが余韻を残す。

「トッド夫人の近道」は実に奇妙で、そして心くすぐられる作品だ。
こんな奇妙で美しい話はまさにキングしか書けないだろう。車を乗る人達は目的地にどのルートを辿れば一番早く着くかというのは最大の関心事の1つだろう。
斯く云う私もその1人で東京在住は日常的に渋滞する道路にうんざりし、出かける時は極力渋滞のない、またはスムーズな車の流れのあるルートを探したものだ。そして私が得た結論はずばり「信号が少ないルート」こそが一番の早道であるに至った。
思わず脱線してしまったが、トッド夫人もその例に漏れない人物で彼女はメイン州のキャッスル・ロックからバンゴアまでの最短ルート探しを趣味にしていた。156.4マイルのルートを見つけたかと思えば、次は144.9マイル、そして129.2マイルまで縮まるルートを見つけたと喜びを隠さない。やがてそれはどんどんエスカレートし、直線距離、つまりキャッスル・ロックからバンゴアまでを地図上で直線に引いた距離79マイルよりも短い67マイルのルートを見つけるに至る。
何とも奇妙で何とも美しく、感動させられる物語。こんな物語を書くからキングは止められない。

次の「浮き台」はお得意の怪物もの。
キングお得意の怪物譚。油の塊のように湖に浮遊する黒い円。その正体は不明だが人間を襲い、喰らい、そして成長する怪物のようらしい。湖の只中にある浮き台に10月下旬と云う、朝晩冷え込む季節に思い付きで泳ぎに行った大学生4人が下着姿で取り残される絶望を描いている。
昨今小さな島に取り残された女性1人が周囲がサメだらけといった絶望状況を描いた映画があったが、それを彷彿とさせる。
但し本書は一切の容赦がない。キング作品には必ずしもハッピー・エンドがあるわけではないという情け容赦ない作品だ。

「ノーナ」は電気椅子での死刑を控えたある男の告白譚。
語り手の男が話すのはノーナという行きずりの女性と共にヒッチハイクをして目的地であるキャッスル・ロックに行くまでの物語。しかし彼が刑務所に入れられ、まさに処刑されようとしているのはその道中で次々と人を殺していったからだ。
かつては町の不良に目を付けられ、全く歯が立たなかったくらい腕っぷしには自信がなく、また喧嘩が大嫌いだった彼がなぜそのような行動を起こしたのか?
また本作には「スタンド・バイ・ミー」の登場人物が2人ほど登場することから裏「スタンド・バイ・ミー」とも取れる。
オーガスタからキャッスル・ロックを目指す2人の男女のロード・ノヴェル。食堂で出逢った彼らは運命的な物を感じ、そして一路キャッスル・ロックを目指す。
こういう風に書くと何ともドラマチックな恋物語のように思えるが、彼ら2人の道行は死屍累々の山が築かれる血塗れのヒッチハイク。

器用な作家であると思った矢先の次の作品はSFだった。「ビーチワールド」は一面砂の海原に包まれている星に不時着したパイロット2人が救援を待つ話だ。
不定形の物体が意志を持つというのはこの短編集『スケルトン・クルー』に収録されている意志を持って街中を覆い尽くす霧の存在を描いた「霧」があるが、本作はそれに続いて生きている砂が支配する星の話。
砂、いや一面に広がる砂の海原、即ち砂漠は何かのメタファーなのか。地球温暖化で大陸が死に絶える先は砂漠化だ。つまり砂原こそは人生の終焉の場。ランドにとって砂原が広がるその惑星は人生を終えるのに格好の場所だったと見なしたのかもしれない。

次の「オーエンくんへ」は詩だ。しかしその内容はあまりに抽象的すぎてよく解らない。学校の生徒のことをフルーツに譬えるオーエンくんが見た日常風景を描いた詩なのか。毒がありそうな雰囲気ではあるのだが。

次の「生きのびるやつ」は無人島で遭難した男のサヴァイヴァル小説。と書くと『ロビンソン・クルーソー』を想起するが、キングの漂流記は一味も二味も違う。
ヴェルヌの作品にも確か『チャンセラー号の筏』という作品で岩礁に漂着した人々が生き残る話があるが、あれは実話をもとにした作品で内容はヴェルヌ作品らしからぬほど凄惨さに満ちていた。
本作もまたそうで幅190歩、長さ267歩という実に狭い岩場ばかりの島に漂着した主人公がどうにか生存する物語だが、無論草木もなく、魚も捕れない、食べられる物はカモメと蟹と蜘蛛の類。悪循環、負の連鎖、無間地獄。実にブラックな『ロビンソン・クルーソー』である。
本作のテーマは冒頭に掲げられた文章、それに尽きる。「(前略)患者というものはどのていどの外傷性ショックにまで耐えうるのか、という疑問である。(中略)肝心の答えのほうは煎じ詰めると、(中略)当の患者がどれほど切実に生き延びたいと思っているか?」
最も生きようと願う者はその身を食い尽くすほどの狂気に陥った者である。上の文章の答えの1つが本作だ。

貴方には家族親戚に苦手な人はいないだろうか?もしいたらその人と2人きりで留守番しなければならなくなったらどうする?そんな実に身近な避けたい状況を描いたのが「おばあちゃん」だ。
家族の中、いやあるいは同じ職場の中にどうしても馬が合わない、もしくは苦手な人物が誰しもいるかと思う。そんな相手と2人きりにならなければならなくなったら?という非常に身近な避けたい状況に加え、11歳の少年が寝たきりの老人の世話を何かあった時に母親がしていたようにしなければならないというちょっとばかり大きな重荷な任務を授かった状況。こういうところに恐怖を感じさせるのがキングは実に上手い。
しかし物語は次第にそんな身近な領域から逸脱し始める。
更に加えてラストの意外性。
全ての伏線が余すところなく物語に寄与した素晴らしい作品。

最後の「入り江」は三分冊化されたこの短編集の最後を飾るに相応しい作品だ。
島で生まれ、島で育ち、一度も島から出たことのない老婆が島を出たのは死を悟ったときだった。彼女にとって本土はまさに彼岸だったのだ。そこに行く時は死ぬときだ、と決めていたのだろうか。長く生きているうちに島で親しかったご近所たちが老境に差し掛かり、次から次へと亡くなっていく。またはそれらの息子・娘たちを大きくなり、島で育つ者や島から出て行く者もいる中で、不慮の事故でまだある未来を喪う者もいる。そんな色んな死を見てきて、親しい者たちが少なくなってくる中、いつの間にかあの世の方に友人たちがいっぱいいることに気付く。そして彼ら彼女らは自分に向かって手招きをするのだ。
もはや自分がいるべきはこの世ではなく、あの世だ。


キング三分冊の短編集の最後である本書はヴァラエティ豊かな作品集となった。

得体のしれない男ミルクマンの話2編にファンタジックかつロマンティックな男女の話を描いたもの、そして謎めいた怪物が湖に巣食う話、次々と人を殺しながら目的地に向かう男女2人の物語、漂着した惑星の生きた砂の話に凄まじく狂った漂流者のサヴァイヴァル小説、苦手なおばあちゃんと留守番する話、そして人生の終焉を迎える話。

不条理な話から定番の未知なる生物、暴力衝動、殺人衝動に駆られる人、極限状態に置かれた人間、一人で病人と共に留守番しなければならない子供、一度も島から出たことのない老婆、いずれもモチーフは異なりながら、そのどれもがキングらしい作品ばかりだ。

そしてそれぞれの作品にはその設定と何気なく書かれた文章で読者に想像力を働かせる仕掛けが施されている。

また「浮き台」は湖に怪物が現れ、4人の大学生を襲う話だが、登場人物の一人が湖の管理人が凍結する直前まで浮き台が片付けない、またはそのまま湖に残して凍り付かせてしまうのは職務怠慢だと述べるが、それはその管理人がその怪物の存在を知っているからこそ、危険がないその時期を選んで浮き台を回収している、いやもはや回収せずに置いているように解釈できる。既に怪物の存在をキングはさりげない台詞で伝えているのだ。

さて本書においてもキング・ワールドのリンクは見られる。既にキングの物語の舞台でおなじみとなったキャッスル・ロックは本書でも登場する。

本書では「トッド夫人の近道」と「おばあちゃん」、そして「入り江」をベストに挙げる。
「トッド夫人の近道」はワンダーを描きながらこれほどまでに清々しい思いをさせられる、キングならではの唯一無二の傑作。

「おばあちゃん」は少年が幼い頃に怖くて仕方がなかったおばあちゃんと一緒に留守番をしなければならないという、誰もが経験ありそうな実に身近な嫌悪感やちょっとした恐怖―怯えという方が正確か―を扱いながら、最後は予想もしない展開を見せる技巧の冴えに感服させられた。

短編集の最後を飾る作品でもある「入り江」は死出の旅立ちの物語だ。島で生れ、島で育ち、一度も本土に渡ったことのない老婆が初めて本土に渡る時は死を覚悟した時だ。
ある死者は云う。生きていることの方が苦しいんじゃないか、と。
私は最近こう思う。もし癌や重篤な病に侵され、生命維持装置や植物人間状態になった時、それで生かされていることはもはや人生なのかと。人生の潮時を見極め、そして自ら選択する、そんな風に自分の人生は始末を付けたいものだ。

しっとりとした読後感が心地よい余韻を残す。この作品が最後で良かったと思わせる好編だ。

短編ではかつてワンアイデアで自身が抱いていた原初的な恐怖を直截に描いているのが特徴的と思われたが、『恐怖の四季』シリーズを経た本書ではワンアイデアの中に色んな隠し味を仕込んで重層的な味わいが残るような感じがする。「トッド夫人の近道」なんかはその好例で作者が意図しているにせよしてないにせよ私の中で想像力が広がり、余韻が増した。
もしかしたら他の短編もまだ消化不十分で後日ふと隠し味が蘇ってくるかもしれない。

しかし彼の頭の中にはどのくらいのキャラクターがいて、そしてどのくらいの人生が詰まっているのだろうといつも思わされる。
そしてまだまだキング作品としては序盤に過ぎないのだ。まだまだこの後も、そして今も新たな物語を紡ぎ、そして新たな人生が描かれているのだ。彼の頭にはヴァーチャル空間のセカンドライフが接続されている、そんなように思わされた。


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