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ミステリオーソ



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ミステリオーソの評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
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(7pt)

原尞とかいう男の肖像

本書は遅筆で有名な原氏によるエッセイ集。本書は1995年に発刊された著者のエッセイ集をもう1冊のエッセイ集『ハードボイルド』とに分冊したうちの1冊。

まず驚いたのは寡作家である著者が1冊に纏まるほどのエッセイを書いていたことだ。その内容は作者の遍歴と作者の趣味である音楽、とりわけジャズ、映画と小説について語られている。

私は本書を読む前に『それまでの明日』刊行を記念して特集されたミステリマガジンの記事を読んでおり、正直その時が原氏のインタビューやエッセイの初体験だったわけだが、その時抱いたのは私とは相いれない人だなぁという思いだ。

高校生の時にジャズに傾倒し、落第生となりながらもどうにか卒業して福岡の大学に行くがそこでもジャズにのめり込んで卒業後レコード会社に就職するも早速入社式の社長の訓辞が気に入らず、2カ月で辞め、ジャズ・ピアニストになり、それから映画の世界に入り、脚本を書くが1本も採用されず、そして小説を書いた結果、『そして夜は甦る』で鮮烈なデビューを果たし、その後も日本ハードボイルドの大家として現在に至っている。

しかしその経歴と寡作ぶりからも解るように、この作家、かなりの気分屋で、己の規範を崩さない男だ。
そう、彼自身の生き方そのものがハードボイルドに登場する、世の中を斜に構えて見つめる私立探偵そのものと云えるだろう。

さてそんな彼の本質が垣間見えるエッセイには、本書では西日本新聞に1990年7月から9月まで連載されたエッセイ「飛ばない紙ヒコーキ」と佐賀新聞に1990年7月から1991年1月に亘って連載された「観た 聴いた 読んだ」、毎日新聞で1991年1月から3月までの連載「視点」に加え、その他の初収録エッセイや書き下ろしのエッセイ、そして同級生の中村哲氏との対談が収録されている。

とにかく自分本位な男である。

ジャズとの邂逅は兄の影響だが、レコード店でマイルス・デイヴィスのLPを見つけて買わずに毎日通って視聴するふてぶてしさを高校生で既に体得しており、大学生になってますますジャズにのめり込み、大学のジャズ・クラブに所属するがそういう“クラブ活動”でジャズはやるものではないと退部する。そして個人的に外部でジャズを好き勝手にやっているとTV局のプロデューサーから呼ばれて演奏をしたりする。

提出期限ぎりぎりに卒論を仕上げ、期限までに出さなければならないのに時間に余裕があるからといってタバコを吸って休んでいざタクシーを拾って提出しに行こうとすれば満車ばかりで捕まらず、危うく卒業できなくなりそうになる。

ジャズ・ピアニストとなってからは日本列島を飛込みライヴで行脚する。まず中小の都市に着くとめぼしいジャズ喫茶に入ってその場でライヴの交渉をする。報酬について交渉し、1万5千から2万円の収入を得るとまた次の都市に行って同じことをする。
これはまさに今私が夢中になっているジャズ漫画『BLUE GIANT』の宮本大そのものみたいなのだ。

私は福岡生まれで、佐賀の鳥栖生まれで福岡の大学に通っていた作者とは親近感を覚えるが、公立の小・中・高を卒業し、一浪を経て大学に入学し、その後東証一部上場の企業に入社し、サラリーマンとなって現在に至るという堅実かつ典型的な普通の人生を歩んできた私とはかけ離れた綱渡りの人生である。
従って安定主義の私は原氏のような生き方はとても怖くてできなく、またあまりにはっきりと物を云う態度に眉を顰めて理解に苦しむところがあることは正直に告白しよう。

本書で最も驚いたのは中村哲氏との対談だ。
あのアフガニスタンで医療活動のみならず治水工事などインフラ整備にも尽力した日本人医師。そして2019年にアフガニスタンで武装勢力に銃撃され、死去した福岡の誇りだ。

彼と原氏が同級生であったことに驚き、そして両者ともまともに学校に通ってなかったことに驚く。普通の生き方をしていない2人だからこそ相通ずるものがその対談にはあり、これはかなり面白く読めた。

私が思うにはこのような人間こそが傑作を物にする、それも後世に残るほどの作品を書けるのだろうと思った。
普通の生き方では得られない経験と人生訓。そういう知らない世界が描けるからこそ、人々は彼の小説を読み、そして自分の人生ではできない反抗と隠し続けなければならない反骨心を代わりに見せてくれる主人公に共感を覚えるのだろう。

そして原氏そのものがそんな生き方をしているからこそ、彼の作品は輝くのだ。
彼の生活はとにかく自身の内に秘める欲求のままに突き進んでいる。

ジャズが好きだから勉強そっちのけでのめり込む。しかしそれでも中退はせず、高校・大学を―必要最低限の成績であっただろうが―卒業し、ジャズが好きというだけで見様見真似―聴き様聴き真似?―で我流でピアノを習得し、プロのジャズ・ピアニストになる。

そして上にも書いたように大学のジャズ・クラブは肌に合わず、辞めて独自で外部活動することで彼は現在も一線で活躍する日本のジャズプレイヤーと知り合うことになる。

興味深いのは処女作『そして夜は甦る』が生まれるまでの彼の執念とも云える拘りの創作姿勢だ。

映画のシナリオがなかなか映像化されないことから、それらを小説化するために海外のハードボイルド作品、私立探偵小説を読み漁り、そこでレイモンド・チャンドラーこそが自分の理想の文体だと悟り、文章修行をするが自分の理想の文章が出来ないまま、両親が相次いで病気がちになって故郷の鳥栖に戻って看病しながらも小説の習作に取り組む。やがて両親も亡くなり、遺された貯金も使い果たしたにも関わらず、一行も書けないままでいる、その拘りゆえに。

そして絶望の中、中学時代の恩師の「小説家になれ」の言葉を思い出し、習作の山を見返してようやく1行目を書き始め、11か月後に処女作が完成する。安定を求める私にはできないことだし、これほどの拘りと極限状態に陥った彼だからこそ、生まれた傑作だったのだろう。

そして時の人となり、日本ハードボイルドの第一人者となってからも彼は変わらない。
たった2作目で直木賞を受賞する快挙を成したときもインタビューで受賞の喜びはないと答え、受賞に恥じないような作家になるのではなく、賞の方が恥ずかしくなるような作家になってやると嘯く。

地方のテレビ局にコメンテーターとして出演を依頼されれば、「吉野ケ里遺跡だろうが、湾岸戦争だろうが、何の興味もない」と答えるだけだと云って断られる。

福岡に住んでいたのに博多山笠を大の大人がお尻丸出しで走り回って男らしいとは思えぬと歯に衣着せぬ物云いだ。

人間として魅力的かと云われればそうとは思わない。
生き方がでたらめだと思えば確かにそうだろう。

何物にも属さず、そして何者にも媚びず、自分が欲するままに生きる。
しかしだからといって暴力的ではなく、傍若無人でもなく不遜でもないが、頑固ではある。
世界が止めろと云っても、販売禁止指定アイテムになってもずっとタバコは吸うだろう。
そんな男だ。

本当に不器用な男だと思う。
しかし生き方が不器用なだけで音楽と映画と小説を観る目は確かで、その文章は練達の極みだ。

彼の生き方自体がジャズなのだ。生き方自体がアドリブとインプロビゼーションに満ちている。
それをカッコいいというには私は年を取りすぎた。寧ろ危うさが先に立つ。

こんな男がハードボイルドの第一人者だというのが悔しすぎる。
認めたくないが、認めざるを得ない。
そんな男なのだ、原尞という男は。

Tetchy
WHOKS60S

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