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(短編集)

図書館警察



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図書館警察の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
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(7pt)

題名は非常に魅力的なのだが…。

先日読んだ『ランゴリアーズ』と併せて“Four Past Midnight”と名付けられた中編4編を収めた中編集の後半の2作を収めたのが本書。

まずタイトルにもなっている「図書館警察」も「ランゴリアーズ」同様、約380ページもある、もはや長編の域に達する中編である。

図書館の本を期日までに返さなかったら、図書館警察がやってくる。
キングはこの作品の創作ノートで自分の息子が図書館で本を借りたがらない理由についてそう述べたことから本書の着想を得たと語っている。そしてそれはキング本人もまた子供の頃に云われた、いわば戒めの都市伝説であったと述べている。

この図書館警察の着想から想像した物語はしかしどこか歪に変化していく。そしてそれは私の本作への期待を図らずも裏切る形になった。

読み進んでいって気付かされるのは本書はもう1つの『IT』の物語だということだ。それは主人公サム・ピープルズが少年時代に遭遇し、そして恐怖の対象となった図書館警官という過去のトラウマとの対峙と克服の物語であり、そしてアーデリア・ローツという怪物との戦いの物語であるからだ。

ジャンクションシティがその歴史から葬り去ろうとしている図書館司書アーデリア・ローツは『IT』のピエロ、ペニーワイズのような存在だ。彼女は、いやもはや人ではない“それ”としか呼べない存在だ。
通常は人間の女性の形をしており、しかも実に魅力的な女性の姿であるため、図書館を利用する子供たちのみならず彼女の周囲の大人の男性をも魅了する。そしてその標的に選んだのがサム・ピープルズだった。

彼は図書館に対してトラウマを持つ少年であり、その恐怖こそがアーデリア・ローツには必要な要素だった。

サムが恐れる図書館警官とは一体何者なのか?

この図書館警官のトラウマとそれを利用して取り込もうとする怪物アーデリア・ローツの戦いが物語の軸の1つである。

そしてもう1つの軸はサム・ピープルズが1人の女性と結ばれるまでの物語であることだ。

彼の講演を口述から原稿に書き写したタイピストナオミ・ヒギンズはかつて彼がデートし、口説いたものの恋愛まで発展しなかった女性だ。しかしサムと彼女とを再び結びつけるきっかけとなったのが浮浪者のデイヴ。このデイヴがかつてアーデリア・ローツに憑りつかれた男であり、自分と同じ境遇に陥ったサムのために一肌脱ぐ。
それはサムが返却しなければならない本を誤って回収処分してしまった彼の贖罪でもあったわけだが、この奇妙な結び付きがサムとナオミの2冊の本を巡る冒険へと導き、そして2人の仲をより深くする。

このデイヴこそは本作の物語の導き手である。

『IT』では7人の少年少女、そして大人になった6人の男女が怪物に立ち向かったが本作で立ち向かったのは2人の男女と1人の浮浪者の老人。
キングはどうもこの仲間たちで怪物と立ち向かう話が好きなようだ。本作がその系譜に連なるとは思いもしなかった。それが本作の題名の大きな罪なのかもしれない。

長大な中編集“Four Past Midnight”の掉尾を飾るのはキングが想像した街キャッスルロックを舞台にした「サン・ドッグ」だ。

キングの創作ノートによればとうとう自身が創造した街キャッスルロックに向き合い、決着を付ける時が来たと感じ、そして本書の次に刊行する『ニードフル・シングス』でこの街の歴史に終止符を打つことになったようで、それまでに書かれていなかったキャッスルロックの住民たちのエピソードの1つとして書かれたのが本作のようだ。

15歳の誕生日に送られたポラロイドカメラで撮影すると写るのは被写体ではなく、どこかの庭の風景でそこにいる巨大な黒い犬がシャッターを押すたびにどんどん近づいてくる。
本作は極端に云えばたったそれだけの話である。

この巨大な犬は近づいていくにしたがって犬という存在から異形の獣へと変容していく様が写真に写り込んでおり-恐らく地獄の番犬ケルベロスのようなイメージ―、明らかに撮影者に襲い掛かろうとしている。
そしてその犬が写真の中で撮影者に襲い掛かった時に一体何が起きるのか?
それだけの話を延々と約280ページに亘って書くのである。

そしてこのワンアイデアに織り込んだのは町で有名な詐欺師の哀れな末路と1人の15歳の少年の精神的成長である。

本書に登場する骨董商ポップ・メリルは高利貸しも商っており、街で最も忌み嫌われた詐欺師とも呼ばれている。彼は不思議な被写体が写るポラロイドカメラを15歳の少年ケヴィン・デレヴァンから騙し取り、そういった曰く付きの品物を好きな連中、<マッドハッター>と呼ばれる心霊現象に傾倒する者達に異界が写るカメラとして売り込もうとするが、案に反して全ての顧客から断られる。
彼にとって確かに写っているのはここではないどこかで巨大な犬が徐々に迫ってくる風景なのだが、それが彼らの欲する心霊現象を表しているわけではないと驚きこそはすれ、大枚をはたいて買おうとまでは思わないのだ。

悪行は必ず報いを受けるという教訓と少年が青年へと成長する乗り越えなければならない壁、そして息子が大人になろうとしている時に父親はどう振る舞い、対処しなければならないのか、異界を写すポラロイドカメラをモチーフにそんな人生訓を盛り込んだと思った作品はそんな読者の予想、いや着陸点を裏切るようにキングならではの来たるべき恐怖を残して幕を閉じる。


中編集“Four Past Midnight”を二分冊化して刊行されたうちの後半部が本書であるのは既に述べたが、世間の評判は1冊目の『ランゴリアーズ』の方が高く、同書は97年版の『このミス』で18位にランクインしているのに対し、本書は圏外にも入っていない。
私はその題名から『ランゴリアーズ』よりも本書の方への興味が高かったが、今回読んでみて世間の評判が正しいことに残念ながら気付いてしまった。

それはやはり「図書館警察」に対して期待値が高すぎたことによるだろう。

正直に云えば図書館警察という題材から想像した物語がこんな話になるとは思わなかったのだ。もっと図書館の大切さを、必要性を絡めたホラーとなることを期待したのだが、キング特有の物語に落ち着いたのがつくづく残念でならない。

それは恐らくこの題名から私は有川浩氏の『図書館戦争』のような物語を創造してしまっていたのだと思う。
そちらは図書館を護る自衛隊のような存在、図書隊がメディア良化法という悪法を強要する同委員会が送る軍との戦いを描いた作品だが、それと同じように図書館のルールを取り締まる警察の話だと思ってしまったからだった。

もう1つは最初に主人公のサム・ピープルズが図書館を訪れた時に、図書館の雰囲気に恐怖し、一刻も離れたい場所だと称したことだ。それはつまりサイキック・バッテリーとしての建物というキングがよく用いる題材として図書館自身が恐怖の舞台であるかのように思ってしまったのも一因だ。
そこが最後まで違和感を拭えなかったのである。

次の「サン・ドッグ」を読んですぐに想起したのはキングの息子ジョー・ヒルの中編集『怪奇日和』に収録された「スナップショット」だ。
記憶を奪うポラロイドカメラを持った男が女性に付きまとう物語だが、「サン・ドッグ」は目の前にない物が写るポラロイドカメラを持った少年の話だ。

両者に共通するのはキングの妻であり、ヒルの母であるタビサがポラロイドカメラを購入したことだ。そこにそれぞれがこのカメラに対してインスピレーションを得て、ポラロイドカメラをモチーフにしながら異なる作品を描いたことに興味を覚えた。

この作品も今振り返ればキングが初期から題材にしている“意志ある機械”の怪異譚である。この異界を写すポラロイドカメラがやがて使い手の心を侵食し、そして異界から怪物を呼び出させる。しかしカメラが写し出す風景に関する逸話については触れられない。
ただ巨大な犬が近づき、やがてその犬が怪物へと変容していく様、そしてこのままいけば撮影者は間違いなく殺されるだろうことがカウントダウン的に語られる。
シンプルな話ほど怖いと云うが、それ故に色んな説明の長さが目立った。単純な話を余計なぜい肉で太らせたような作品になったのはつくづく残念である。

また以前も述べたが漫画家の荒木飛呂彦氏は熱心なキングファンで、自身のマンガでキングの作品からヒントを得たような設定が見られるが、まず「サン・ドッグ」ではクライマックスで写真の中の黒い巨大な犬がそこから這い出ようとしているモチーフは同じマンガの第4部に登場する、息子吉良吉影を写真の中からサポートする吉良吉廣を彷彿とさせる。

あと本書で見られる他作品とのリンクはまず「図書館警察」では『ミザリー』の主人公の作家ポール・シェリダンがナオミ・ヒギンズが図書館で借りる本の作家の1人の名前として登場する。

もう1つ「サン・ドッグ」はキャッスルロックが舞台とあって逆にリンクを意識的に盛り込んでいるようだ。
まずこの作品での悪役となるポップ・メリルの甥は中編「スタンド・バイ・ミー」に登場する不良のエース・メリルであり―彼がその後強盗を行い、ショーシャンク刑務所に4年服役していたことも明かされる―、更には『クージョ』の話もエピソードとして出たりもする。
しかしこのキャッスルロックも次作で幕が閉じられるとのことだ。なんだか勿体ない思いがする。

あとなぜかキングでは玉蜀黍畑が不安を掻き立てる場所として登場する。玉蜀黍畑を舞台としたアンファンテリブル物、その名もズバリの「トウモロコシ畑の子供たち」から「秘密の窓、秘密の庭」でも作中で登場する盗作疑惑の小説で登場するのが玉蜀黍畑。
そして本書「図書館警察」でもデイヴがアーデリア・ローツに誘われ、かくれんぼをして魅了されてしまうのが玉蜀黍畑だ。
それはまさに彼が踏み入ってはならない領域の入口として書かれている。

このように本書はキングの作品のモチーフや実に彼らしい恐怖の対象について描かれているのだが、こちらの勝手な先入観もあってか期待に反して特に面白みを感じなかった。いや寧ろキングの異常なまでの書き込みに途中辟易してしまった。

これからのキングは恐らくどんどん話が長くなっていくのだろう。それは創作の設定材料としてノートに書かれるメモの内容のほとんどを作品に盛り込んでいるからではないか。
私は1冊の本に登場する人物に対してこれほどまでに緻密な性格設定と生活設定を考えているのだと誇示しているかのようにも見える。しかしそれは作家として読者に語るべきではない裏方作業のことだ。
この創作の裏側まで書かれていることに興味を覚えるか、逆にそこまで語らなくてもいいのにと幻滅するかがキングのファンとしてのバロメータとも云える。
今現在の私はここまで書く必要はあるのかと疑問を覚える方なのだが、これが物語の妙味として、もしくはこれぞキングだとキング節として味わえるようになるのかが今後変わっていくのかが私のキング作品に対する評価のカギとなることだろう。

但し本書のような作品を読んだ今は本棚に並べられた各作品の分厚い背表紙を眺めながら、どれだけ私がのめり込めるのだろかと思案せずにはいられない心境なのである。


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