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ゲートハウス



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ゲートハウスの評価: 8.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点8.00pt

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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(8pt)

長すぎる?いやいや。でもやっぱり長いか

あの名作『ゴールド・コースト』から18年。まさか続編が作られるとは思わなかった。期待と不安の入り混じった思いを抱きながら手に取った。

作品内の時間は前作から10年後の世界で9・11テロの9ヵ月後という設定。民族テロという色合いを持つこの事件がデミルに多大な影響を及ぼしているのは昨今の作品からも明らかだが、本書ではそれを上手く『ゴールド・コースト』の作品世界に絡ませている。

即ちワスプたちの世界であったゴールド・コースト一円にいきなりイタリアマフィアという異文化の人間が介入してきて弁護士夫婦の生活に変化をもたらしたのが前作なら、本書はさらにそこに政治的亡命者のイラン人資産家を加え、さらにかつての使用人だったインド人に終身居住権を持たせて単なる召使いという存在からジョンの生活に影響を与える存在に押し上げている。

今回も隣に引っ越してきたマフィアの息子アンソニー、そしてスタンホープ屋敷を除く一円を買い取った怪しげなイラン人アミール・ハシム、もちろん別れた妻スーザン。さらには永遠の宿敵で目の上のたんこぶであるスーザンの父親ウィリアムと帰米したジョンの周辺は何かと物騒で物々しい。

とにかく懐かしい面々が揃った物語は上下巻併せて1380ページという大書だが、全く飽きが来ない。全てのキャラクターに貌があり、全てのキャラクターに血肉が備わっている。
彼ら彼女らのアクの強い面々の織り成す物語は云わばデミル版『渡る世間は鬼ばかり』。ミステリのようでミステリでない、人間喜劇ともいうべき作品なのだ。

やはりこの物語の功績はジョン・サッターの一人称叙述にしたことだろう。
古くから住まうアメリカ高級貴族の生活を、NYで事務所を構える弁護士であり、それなりに身分の高い人物でありながら俗物根性が抜けないジョンの、ワイズクラックに満ち、権威を鼻で嗤い、持ち上げては突き落とすおちゃらけ振りが、一般人には理解しがたい高級階級の人たちの生活や考え方を荒唐無稽な非常識として我々に提供してくれている。

確かにジョンの減らず口の連打には冗長に過ぎるという感を抱く向きもあるだろう。厚さの割りには物語が進まない、長すぎる、という声は至極尤もだと私も思う。
しかしこの作品はその長さを愉しむのであり、ジョンの俗物根性と斜に構えた思考が繰り出す皮肉の数々を味わうのが正しい読み方なのだ。
私は逆にこの作品がこれだけの長さでよかったと思っている。上流社会のおかしさや体面を保つことを重視する面持ちをジョンの下らない洒落や愚痴を通じて長く愉しめるのだから。

そして今回ジョンの心に翳を落としているのは元妻スーザンと彼女が射殺したフランク・ベラローサの件だ。10年経った今、ゴールド・コーストの面々は一応の折り合いをつけ全ては終わったこととして振舞っているが、この地で10年の空白期間があるジョンにとっては彼らの変化を今一つ信用しきれなく、いつスーザンが報復されるのかが心配で堪らないのだ。
その実彼はなかなか彼女と会おうとしない。この妙な自尊心と騎士道精神の葛藤が面白いのだが、それがまたジョンの雄弁さを本書では助長しているような気がする。

しかしそれはスーザンと逢うと全く一変する。いい別れ方をしなかった元妻にどんな顔をして逢ったらいいのか判らなかったジョンだが、スーザンが今なお彼への愛に変化がないことを知ると、以前の如く、仲睦まじく魂と身体で通じ合った絶妙なコンビネーションを発揮するのだ。
この展開になるまで約360ページを費やす。1本の小説分の分量だ。これは確かに長すぎると思われても致し方ないか。

今回はスーザンとの復縁を成就する為に障害となるのが彼女の父親ウィリアム。とにかく彼は支配することを全てとし、彼が支配できないこと、人を忌み嫌う。その存在こそがジョン・サッターその人なのだ。
今回ウィリアムはスーザンが復縁すると彼女を遺産相続人のリストから外し、彼らの子供エドワードとキャロリンをも遺産相続人から外すと脅しをかけるのだ。この絶体絶命の窮地を実に意外な展開で一気に逆転するのが実に小気味よい。この辺はぜひ本書を当たってもらいたい。

そんな物語はやはりこれはミステリではないのでは?と思わせながらも、やはりマフィアの息子アンソニーの登場で実に緊迫したクライマックスが訪れる。

しかし1990年に書かれた作品の続編がなぜ18年後の2008年に書かれたのか。それはこの作品の設定された時間に答えがあると云えよう。
先にも書いたが本書の舞台は9・11の同時多発テロが起きた9ヵ月後。その後のアメリカ人、特にニューヨーカーたちの人生に対する考え方、死生観に変化が起きたことを今までデミルはジョン・コーリーシリーズを通じて語ってきた。
一日一日を大事にする者、家族との絆をより一層深める為に仕事の一線を退いた者、テロ発生の可能性が高い都会を離れた者、そして無力な政府に代わってイスラム社会へ神の鉄槌を下そうと画策する者、などなど。
作中ではジョンの息子エドワードが黒一色の服装をしているせいか、空港で別室に連れて行かれた、なんてことも書かれている。その変化は俗社会から一線を画した建国時代に栄華を誇った貴族階級の人間達が住まうニューヨーク郊外の「ゴールド・コースト」の住人たちにもテロによって何らかの変化が訪れたであろうことを書きたかったのだろう。
つまりこれはデミルが今後ライフワークとして取り組むであろう、「9・11によってアメリカに何が起きたのか」というテーマに沿った作品の一部であるのだ。

そしてやはり最後のアンソニーの襲撃もまた、個人レベルで起きたテロなのだ。そしてスーザンとジョンが取った行動には決してテロには屈してはいけないというメッセージが明示されている。
最後にスーザンがFBI捜査官マンクーゾに次のように語る。

「(前略)あの男はわたしたちを辱め、その後のわたしたちの人生を変えたいだけだったのよ」
「(前略)あの男はわたしたちの魂を殺そうとした……わたしにはそれが許せなかったの」

これは“あの男”をビン・ラディンと読むとデミルの9・11同時多発テロに対する怒りの主張に取れないだろうか?
あのテロを経験したことで価値観や生活がガラリと変わってしまったことを肌身で感じながらも、結局ビン・ラディンは何をしたかったのかが見えてこない。そんな卑劣漢に対する彼の見方と怒りがここに現れているように感じる。
そしてそれを敢えて質さずに認めるマンクーゾもまたデミルの分身だろう。即ち大量破壊兵器があるという大義名分で現地に乗り込んだ当時の大統領ブッシュを支援しているかのようにも思える。

しかしそんな硬いことを考えずともこの作品は楽しめる。
特にスーザンと離婚後、ヨットで世界一周をし、ロンドンに住んでいたジョンやジョンを待って独身を通したスーザン、そして長年スタンホープ家に使えていたエセルらの人生で重ねた後悔への述懐などは我が身を摘まれる思いがする。

云うべき言葉を発しなかったことで人生が変わってしまった、云うべきことを云えなかったのは得てして人は希望よりも恐れを抱く傾向にあるからだ、云々。
なんとも含蓄溢れる人生への教訓ではないか。

読書前の心配は読後の今、全く以って杞憂に終わった。
ただもう少し物語はスリムに出来たかもしれない。ジョンとスーザンの生活に影響するはずだった存在アミール・ハシムがなんとも影が薄くなってしまったりと無駄な設定、エピソードも目立ったからだ。

それでもジョンとスーザンの魅力あるカップルに再び逢えたのは嬉しかった。もう恐らく彼らと逢うことはあるまい。

まだまだデミルからは目が離せない。


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