(短編集)
彼女がエスパーだったころ
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
彼女がエスパーだったころの総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何が現実で何が虚構か? 短編を読み進める度に謎が深まっていきます。 SFは面白い!と思った一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『盤上の夜』の衝撃が甦りました。 『ヨハネスブルグの天使たち』『エクソダス症候群』『アメリカ最後の実験』いずれも私には物足りなく感じました。 本書で、その原因は丁寧なドキュメント的文体にあると気づかされました。 久しぶりに熱中しました。 宮内先生、あなたの物語が最も映えるのはこの描き方です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
例えばテレビ・雑誌の心霊・超常現象特集やらを目にする度、どうにも私は期待と嫌悪、何より胡散臭さを感じてしまう。信じたい、が、そもそもそんなもの存在するわけがない――そうした二律違反の感情を抱えて、手にする/目にすることが多い。 この連作となる短編集の語り手となる「わたし」は疑う側の人間だ。「超能力」、「オーギトミー(ガンマナイフによるロボトミー)」、「浄化する水」などを取材対象とし、調べ上げていく。そこには各々の言い分があり、背景があり、そして結果がある。記者であり暴き立てる側だったはずの「わたし」は徐々に対象にコミットしていき、最終的にはそれ自体に否応なしに巻き込まれていくとなる。 「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」とは有名なニーチェ(『善悪の彼岸』)の言葉だが、語り手が対象に感情移入し、最終的には結果にさえ影響を与えてしまう≒受けてしまうということが最初の一本目「百匹目の火神」と最後を比べるとよく分るのではないだろうか。 各々が各々、実によく出来ている。「水神計画」など風刺的鋭さに含んでいるし、「ムイシュキンの脳髄」におけるバンドの描写は生き生きとしている。そして最後に待ち受ける人々の思いや業(カルマ)は、表層の結果の色合いを変えるフィルターのように働くことだろう。よく出来た連作短編集だと思う。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 3件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|