フリッカー、あるいは映画の魔
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フリッカー、あるいは映画の魔の総合評価:
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全1件 1~1 1/1ページ
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懐かしい映画好きには知っている人名やタイトルが出てきて興味をひかれるのでしょうが、あまりにも長いです。よくこれだけストーリーのない話を書けたものだと逆に驚きました。評価の高い本でしたが、この本を評価する人たちと友だちになりたいとは思いません。ローザックという人に魅力を感じませんでした。 | ||||
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主に映画と宗教においての博覧強記な小説世界が惜しみなく展開されて頭がくらくらする読書体験であった。といっても特段、内容が難しいわけではない。 主人公とクレアの関係も独特なもので物語にスパイスをあたえ、中弛みしそうな折々で小説を引き締めてくれる。 ただ、惜しむらくは、マックス・キャッスルがあくまでも架空の映画監督であり、言わずもがなそのフィルモグラフィーも架空のものであるため、作品の悪魔的な魅力にどれほど文字数を費やそうと、読者はそれを感得できないことである。 マックス・キャッスルの映画に言及する文章を読む限りでは、主人公がなぜこうまで彼に執着するのか理解できないのだ。 では、作品を実際に鑑賞すればわかるはずだと思い至るが、もちろんそのような映画はこの世界のどこにも存在しない。 それを含めて謎を孕むミステリーと捉えることができる読者にとってのみ本作は最高の小説となり得るだろう。 | ||||
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読みたかったけど、長い間品切れ。一時帰国のとき、ブックオフで偶然見つけました。 1998年の「このミス」ベストワンであること以外は全く知らずに読書開始。すぐに、ぶったまげました。 まずは、つかみの悪さ。決して好ましい性格とは言えない登場人物の紹介が延々と続きます。本書は細かい文字で上下巻1000ページを越える大長編。しかも、セリフの中には映画の薀蓄、余計とも言える修辞的表現が続き、結構手強いです。さらには、ストーリーがなかなか進みません。 1時間で投げ出してもおかしくない本ですが、完読して、しかも満足度は★★★★★でした。 1960年代初頭、うらぶれた名画座で主人公はマックス・キャッスルの映画に出会います。キャッスルはB級ホラーの下らない映画がわずかに知られているだけの監督。しかし、彼の作品を見て、主人公はその映画に隠された魔に魅入られてしまいます。 本書は後々UCLA映画学科の教授になる主人公がキャッスルの謎に迫る姿を描きます。 圧倒的なディテールと、オーソン・ウェルズやジョン・ヒューストンなどの実在の人物を登場で、ノンフィクションではないかと錯覚を覚えてしまう上巻。テンペル騎士団やカタリ派が絡み、想像を絶する荒唐無稽なストーリー展開となる下巻。最初の数時間を我慢すれば、読書の楽しさが十分味わえるミステリーです。 ただし、やはり、ある程度の映画ファンでなければ本書はきつい思います。「ローズバッド」という言葉は知っているけど、「二十四時間の情事」は未見という程度の映画ファン(すなわち私)であれば、十分楽しめます。「薔薇の名前」が楽しめた人は必読です。 | ||||
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内容は、星5つのレビューワーが絶賛している通り。一気読み間違いなしの大傑作。 カバーで描かれている南国の楽園風の風景画の意味も、最後で納得、思わず背筋が寒くなります。 内容は星5つでも足りません。けど、訳者はある言葉を誤訳しており、読むのが苦痛。 訳者は「全て」の意味で「すべからく」と訳していますがこれは大間違い。「すべからく」は正しくは「須らく」 で、語尾の「べし」と呼応して「~すべき、であるべき」の意味で使います。決して「全べからく?」ではありません。 原文はたぶん、allかeveryでしょう。だから、「すべからく」ではなく「全ての」、「ことごとくの」「どの~も」 と訳すべきです。 訳者は須らく訂正すべし! | ||||
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上下巻というなかなかのボリュームということもあって ちびちびと読んでいこうと思っていたが 当初の目論見に反してずるずるとはまり込んでいき、 気づけば夜を徹してページをめくっていた。 薔薇十字からフリッカーと 著者の幅広い博識ぶりにも圧倒されたが、 それ以上にマックス・キャッスルなる架空の映画監督、 そしてその謎に満ちた人物が手がけた映画作品など 微に入り細を穿った架空世界に酔いしれた。 | ||||
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UCLA映画学科に在籍する青年ジョナサンは、カタコンベ(地下墓地)を思わせるむさくるしい映画館、クラシック座に入り浸る生活を送っていた。 その後、クラシック座の女経営者、クレアから映画評論と性の手ほどきを受けるようになったジョナサンは、ある日、幻のドイツ人映画監督、故マックス・キャッスルの手になるB級吸血鬼映画を目にし、その不快極まる映像に嫌悪を催しながらも、何故か抗いがたい強い魅力を感じるのであった。 クレアの勧めと助力によって、マックス・キャッスルの再評価を業績としてUCLAの教授職を得るに至ったジョナサンは、マックス作品についてさらなる探求を進める。 いわゆるサブリミナル効果等、悪魔的なまでに巧緻かつ多彩なマックスの映像トリックの背後に、単に人々に不快や嫌悪をもたらすにとどまらない邪悪な意図を察知したジョナサンは、マックスの生い立ち、彼の生涯に関わった人々を次々とリサーチしていく中、遂にマックス作品の鍵を握ると思われる「嵐の孤児」教団の存在に行き当たった… この小説、何と表現したらよいのだろう? 文庫版にして上下巻、計1000頁を超える、まさに浩瀚たる超大作 帯の惹句や解説によればゴチック・ミステリーとか、悩殺的小説とか、黙示録的スリラーとか…… いずれにせよ、単純なミステリーには収まらない。 虚実皮膜の間という言葉があるが、実在の人物や史実に巧みにこの物語を組み入れることによって、読者は、どこまでが史実で、どこまでが虚構か判然としない不安な気持ちに置かれることになる。また、この手法により、一見(一読?)、荒唐無稽なこの物語にリアリティを感じさせる効果が生じている。 はっきり言って読みやすい代物ではない。終始、ジョナサンの一人称で語られるのだが、映画をめぐる(虚実ない交ぜの)トリヴィアがてんこ盛り状態なだけでなく、マックスの映画が微に入り、細に入り描写される(この小説の売り物とも言えるが)こともあり、かなりな映画好きでないと、面白いというより、わずらわしく感じてしまうのではないか。 しかし、上巻の後半辺り、漸くマックスの映画の謎に焦点が当たりだした頃から、未曾有の陰謀が少しずつ姿を現し出し、一気に頁をめくる手が早まる。 全体としては、稀有壮大な悪夢を見たような印象。「嵐の孤児」教団に話が及んできた辺りから、キリスト教の教義や異端審問、二元論等の問題が中心に躍り出てきて日本人にはやや取っつきにくい感じもするが、「謎解き」のくだりで、歪で邪な世界観が次第に露わになるプロセスには鬼気迫るものがある。 決して万人にお薦めできる小説ではないが、ミステリー好きかつ映画好きには応えられない重厚かつ一級のエンターテインメントだろう。 | ||||
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